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第10色目「Merry Christmas」

クリスマスというイベントに特別な思い入れがあるわけではない。しかし、どうしたものかこの日になるとテレビは一気に面白くなり、テレビ欄には夜遅くまで見たい番組が並ぶ。

母さんはこの日だけデリバリーでピザとチキンを注文するし、父さんは甘くてほんのり白葡萄の味がするシャンパンを買ってくるのだ。冷蔵庫を開けてみると大きな白い箱が入っており、微かに苺と生クリームの甘い匂いが僕の嗅覚を刺激する。いつもと違う食卓に、僕は自然と今日は何かよくわからないけど良い日なんだな、と認識する。

お腹がいっぱいになった後に入った炬燵は、優しく僕を包み込んで夢の世界へと導いてくれる。

微睡んでゆく意識。テレビの音が一瞬聞こえなくなったと思ったら婆ちゃんの声がすぐ耳元で聞こえ、僕はあと一時間で終わろうとする何かよくわからないけど良い日に戻ってきていた。


「炬燵で寝たら風邪ひくで。はよお風呂入ってお布団に行きなはれ。」


――その日は朝から快晴で雲一つなかった。朝八時、校門前に集合した僕らはバスに乗って隣町にある野球場を目指した。


「タカさーん、昨日はどうだったんだよー?」


そー太が菓子パンを頬張りながら早速タカさんに絡んでいった。


「どうって?なにが?」


「なにがじゃないでしょーが。彼女と熱いイブの夜を過ごしたんでしょ。このムッツリキャプテン。」


タカさんは僕のクラスの永瀬さんと付き合っている。テニス部の永瀬さんは明るくて活発で、他の男子からの人気も高い。文化祭最終日に永瀬さんの方から告白したらしく、二人は付き合いはじめたようだった。


「クリスマスツリー見に行ったくらいやぞ。それからすぐ帰った。」


「ツリー?駅前の?」


「そう。めっちゃ大きくて綺麗やったな。なんかツリーにいっぱい鈴がついてて、それを取ってプレゼントしたらその人は幸せになれるらしいよ。…って雑誌に書いてあったんやけど。」


「あっそう。で?チューは?チューはしたのかい?僕達はそれを聞きたい。」


何故か僕もそー太の言う『僕達』に入っていた。しかし興味がないと言えば嘘になる。恐る恐る顔を覗き込むと、タカさんは少しの照れ笑いの後に首を縦に振った。

僕がその時、サンタクロースに今日タカさんが全打席三振に終わりますように、とこっそりお願いしたことは秘密だ。

ふと、そー太を見ると、まるでこの世の全てが終わったかのような顔をして立ち尽くしていた。

気持ちはわかるが、知らぬが仏、ということもあるんだよ惣太君。

野球場に到着した僕らは、まず対戦相手の学校と合同で練習をすることになっていた。中林先生が対戦相手の先生にペコペコ頭を下げているのをランニングしながら見ていた僕は、大人って難しい世界で生きているんだな、と思った。

試合は昼過ぎ。

十三時プレイボール。


――スターティングメンバーも発表され、僕は試合に備えて素振りを行う事にした。右足親指に重心を乗せて、軸がブレないように踏み込む。脇を絞めて、肘が上がらないように…。


「おーい!」


一塁側の観客席から声が聞こえる。

保護者や野球好きのオヤジ達の中に川村と委員長、そして永瀬さんがいた。


「絶対勝ちなさいよ!」


「頑張れー!」


僕は素振りをやめて観客席に目をやった。

息が上がって、少しずつ僕の中の緊張感が姿を現わし始める。

里乃がこっちに向かって小さく手を振っているのが見えた。


「相手はエースやな。ええか?足を使ってまず一点。先制することを考えろ。守備は打たせて取れ。声出して行けよ!」


中林先生の言葉を思い出しながらバッターボックスに向かう。

四番のタカさんが三振して戻ってくる。がっくりと肩を落として。ごめんよタカさん。僕がサンタクロースに願ったばかりに。

立ち上がる僕にタカさんが言う。


「初球狙っていけ。」


打席に立った僕は不思議と落ち着いていた。

ツーアウト、一、三塁。


「俺を帰らせろー!」


三塁にいるそー太がリードを取りながら叫んでいる。初球ストレート。それだけを狙って…。


フルスイング。


相手校のエースから放たれた速球は、手応えの良い感触と共にセンターの頭上を越えていく。歓声の中、白球が高く高く、青空に向かって伸びていった。

あの時の感触は今もこの手に残っている。


「よーし、これで気持ち良く年が越せるな。次会うのは正月明けや。しばらくゆっくり休め。宿題はちゃんとやるんやぞ。以上、解散。」


中林先生はそう言って相手校の先生と一緒に車に乗り込んで帰っていった。

そー太が嬉しそうにしている。


「あー、終わったぁ。冬休みだー!あ、さっき委員長がさ、夜からクリスマス会やろって言っててさ。お前来るだろ?」


「いいな。行くよ。どこ集合?」


「七時に校門前な!とりあえず俺は今からブランカとゲーセン行ってくるぜー!」


そー太はブランカ達と肩を組みながら野球場を後にした。

6対0。試合に圧勝し、明日から冬休みが始まる。

誰もが嬉しさを隠しきれないでいた。

ある者はスキップしながらゲームセンターへ向かい、またある者は彼女と手をつないでどこかへ行ってしまった。

そして僕はいつものように出遅れる。

七時まであと三時間。

一度帰るとするか。

野球場を出るとそこには川村と委員長がいた。


「お疲れさま!勝てたやん!」


「すごいなぁ。いきなりセンター越えやもん。」


「あれはほとんどまぐれだけどな。でもありがとう。」


「惣太達は?」


「ああ、あいつらゲーセン行くって。」


「じゃあ、ちょうどいいね!」


ちょうどいい?


「バス亭に急いで!」


言われなくても今から帰るところなんだが。


「お前らはどうすんだよ?帰らないのか?」


「あたしたちはクリスマス会のお店予約してくるから。」


「それはこっちにまかせて!」


「あ、そういえば…水嶋は?」


「行けばわかるって!ほらほら、早くいけー!!」


川村と委員長に急かされた僕はバス亭へと向かった。冷たい風が吹きつけてくる。日も暮れかけていてかなりの寒さだ。制服に野球部のジャンパーを羽織っただけの格好では冬の夜に勝てるはずもなく、少々早足になる。川村と委員長のやつ、一体何を考えてるんだよ。

とにかく、待たせているなら急がなくちゃな。

一番星が輝く紫色の空の下、僕は走りだした。


――バス亭のベンチに里乃が一人、腰掛けている。

いつものマフラーに毛糸の手袋。暖かそうな格好をしてくれていて、少し安心した。


「里乃。」


「あ、おつかれさま。」


「寒かっただろ?」


「ううん、大丈夫。」


「今日は勝ててよかったよ。ダサいとこ見られずにすんだわ。」


「かっこよかったよ。すごく。」


とても恥ずかしかった。かっこよかった、なんて初めて言われたから。なんて返せばいいのか。そー太みたいに「だろ?俺かっこいい!」って言えればいいのに。この時だけはそう思える。

少しの沈黙。なんだか時間がゆっくり流れていってるような気がする。


「バス、あと十五分か。本数、あまりないもんな。」


「あ、あのね…あの…。」


里乃が立ち上がって俯いている。手を前に組んでもじもじ。この仕草、なんだか久しぶりに見た気がする。長い前髪が顔を隠して表情がわからない。

よく考えれば、こうして里乃と二人で話をするのも文化祭以来だった。


「これ…あげる。」


里乃の手にはさくら色の紙袋がぶら下がっている。


「え、なに?」


「ケーキ。上手にできなかったんだけど…。まずいかもしれないけど…。」


僕にとって、ケーキなんて年に一度食べれるか食べれないかわからないものだ。昨日に引き続き、二日連続ケーキにありつけるなんて。


「嬉しいな。ありがとう。」


「袋、開けてみて。」


さくら色した紙袋の中には小さな箱と一緒にもう一つ、さくら色した紙包みが入っていた。


「あ、マフラーだ。」


里乃がいつも首に巻いている毛糸で編まれた暖かそうなマフラー。


「これ、お前が作ったの?」


「うん。」


「俺のは黒色なんだな。」


「…お揃いがよかった?」


里乃は紙包みからマフラーを取出し、首に巻いてくれた。里乃の頬がほんのり紙袋と同じ色に染まっている。冬の寒さとマフラーの暖かさが、僕の頬も同じ色に染めていった。

それは、家族以外からもらった初めてのクリスマスプレゼントだった。


「俺も何かお返ししないと。」


「いいよ。私が勝手にあげたかっただけだから。」


「あ、ちょっと駅前まで付き合ってくれない?」


「え?」


駅前はここから歩いてすぐだ。僕はお菓子を作ることもできないし、マフラーを編むこともできない。頭もよくないから勉強を教えてあげることもできない。だから、せめてこれだけでも。そう思った。


――駅前には人だかりができている。仕事から帰ってくるサラリーマン、買い物帰りの主婦。たむろする高校生。でも今日、一番多いのはカップルか。


「すごい…きれい…。」


駅前のクリスマスツリーは想像以上に大きく、とても幻想的で赤色にぼんやり光ったと思ったら水色にぼんやり光り、七色全ての色が光り終えたらキラキラと輝き始めて、まるで夜空の星を纏っているようだった。

見上げる里乃の瞳に、イルミネーションが映りこんでいる。


「ちょっと待ってて!」


僕はクリスマスツリーに駆け寄った。

そこには『願いの鈴』と書かれた看板が立てかけられている。

しかしその看板付近には鈴は無く、ちぎられた紐だけが落ちているだけだった。今日がクリスマスって言っても、本番は昨日みたいなもんだからな…。

諦めて戻ろうとした時、少し上の方に銀色の鈴が見えた。

あった。これだ。

僕はツリーによじ登り、銀色の鈴を手に掴んだ。

里乃が駆け寄ってくる。


「だめだよー。登っちゃだめって書いてあるよ。」


「いいんだよ。これくらいサンタの格好をした駅員さんも許してくれるって。」


木から飛び降りた時、着地に失敗して派手に転んだ。心配そうな顔した里乃が近づいてくる。


「大丈夫?今頭打ったんじゃない?」


「全然大丈夫。中林先生の蹴りの方がもっと痛い。」


僕はしっかりと握り締めた右手を里乃に差し出した。


「これ。プレゼントのお返し。…にもならないと思うけど。」


「鈴?私に?」


「これ持ってたら幸せになれるんだって。あげるよ。」


俯きながら受け取った里乃は、小さくありがとう、と言った。

幸せになれる銀色の鈴を持つ手の平に、白い雪が落ちて溶けていった。

赤、水色、黄色、緑…七色の雪が空から降ってくる。まるで魔法にかかったかのような、それはそれは綺麗な雪だった。


「そういえば…やばい。今何時だ!?」


「え…6時半…あ!」


「あと30分しかないじゃないか!里乃、急げ!」


七色に光り終え、キラキラと輝き始めるツリーを背に僕らは走りだした。

クリスマスというイベントに特別な思い入れがあるわけではない。

でも、そんな何かわからないけど良い日は、やっぱり良い日だった。

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