怪談の少女
前作「手」(http://ncode.syosetu.com/n4941cu/)の一応続編。前作を読んでいなくても、問題なく読めます。
「それで、殺されそうになって女の子は逃げたのよ。周りに人もいたのよ。でも、追いかけてるのが先生だから女の子は不良少女か何かだと思われて、誰も助けてくれなかったの。逃げて逃げて、でも結局は追い詰められて屋上に行ったのね。最後は自分から飛び降りちゃったのよ」
おどろおどろしげに京子が言った。
「それ以来屋上でも教室の窓越しにも、出るのよ。何で誰も助けてくれなかったんだって言いながらね、飛び降りるの。で、教室の方見ながら落ちていくのよ。視線を合わせたらダメ。呪われちゃって不幸な目に遭うから」
「へえ、それで?」
「それで、も何もないわよ。これで終わり」
彩華がおかしげにけらけらと笑った。私は笑う気分にもなれなくて、ただぼっと爪を見ていた。あ、爪伸びてる。切らないと。
彩華から言い出した怪談話。私ものったけれど、私はもはや興味を失っていた。怪談話は、あまり得意なジャンルではない。別に苦手というわけでもないけれど。要するにどうでもいいのだ。
京子はそんな私たちの様子に怒ったふりをした。多分、そんなに怒ってはいない。
「あんたらね、少しはまじめに聞きなさいよ。こっちがリクエストされた怪談話を話してるってのに」
「だって、それうちの学校の話って事でしょ?私達、全然その話知らないし。知らないなんてありえなくない?」
「そりゃ、学校の教師が犯人だもの。みんな黙って言わないわよ。知らないのは当たり前」
それに十数年前の話だからね、と念を押すように京子が言った。私達の世代から十年は離れてるのよ。
じゃあ、それを何で京子が知ってるんだろう、とふと思った。多分でっち上げなんだろう。元になった話ぐらいはあるかもしれないけど。
元になった話はどんな物だろう。好奇心がくすぐられた。やっぱり女子生徒が飛び降りたのだろうか。
彩華はまだ話に突っ込む。
「それに放課後になっても先生達が残ってるじゃない。何で先生達に助けを求めなかったのよ」
「馬鹿ね。先生が自分を殺しにかかってるのよ?他の先生に言ったって信じてもらえないじゃない。ほら、あんたが先生だとしてさ、『この先生が私を殺そうとするんです!』って言われてさ、信じる?相手が仲良くしてた先生だったら、あんた信じる?」
「……信じない、かも」
でもやっぱあんたの話おかしいよ、どっかね。負け惜しみみたいに彩華が言った。私と言えばさほど興味が無くてやっぱりぼっとしていた。今日の晩ご飯は何だろう。
「それで、小雪はどう思う?」
「へ、何を?」
「この怪談よ。どうよ、出来は」
出来って、やっぱり作り話なんだ。私は素直にそう思った。
「へえ、そんな怪談話あるの。お前の学校」
「いや、作り話。京子の」
今日の晩の食卓は、やたらと豪華だった。カレーに唐揚げにポテトサラダ。全部兄さんの好物だ。どうやら兄さんが何かやっていたらしいものが賞をもらったらしい。どんな賞かは知らないし興味も無い。相変わらず母さんの作る唐揚げはおいしい。肉汁がじゅっとあふれるのだ。
唐揚げを堪能していると、兄さんが少し深刻そうな顔をして言った。
「そりゃまずいかもしれんなあ」
「何がよ」
「幽霊話。本当になるぞ」
唐揚げをゴクリと一つ飲み込んだ。幽霊話が本当になるとはどういうことであろうか。兄さんはこういうオカルトごとには妙に明るいので、少し不安になる。
まじめな顔で兄さんが言う。
「いいか、嘘から出た誠ってあるだろ。あれって本当なんだよ。怪談話をした時点で幽霊は作られてしまうんだ」
「作られる」
「そう、元々いなかったとしても『した』なら『いる』んだ」
必ずそこにな。そう言って兄さんはカレーを一口飲み込んだ。私は唐揚げを箸で挟んだまま固まっていた。本当になるのだろうか、あの幽霊。それが本当だというのならば、私達はかわいそうな幽霊を一人作り上げてしまったことになるのか。怪談話のためだけにいる幽霊。実にかわいそうな存在だと、私は思う。
「かわいそうだね、幽霊」
「……相変わらず変わってるよな、お前」
「兄さんに言われたくないかな」
唐揚げを咀嚼する。うん、おいしい。
「どうしよう、私見ちゃった」
授業の後に彩華が急にそんなことを言い出した。顔は蒼白で、ちょっと不安になるほどだ。どうしたの、大丈夫、なんて言葉を吐きながら、見たとはどういうことなのかを考える。
「授業中にね、ぼっと窓の外を見てたのよ。で、昨日そういえば怪談話したなって思い出して、そしたらさ、落ちてきたのよ」
「何が」
「女の子よ!髪の長い女の子。その子がこっち向いて言うの」
何で誰も助けてくれなかったの、って。声を潜めて彩華が言った。昨日の怪談話そのままだ。兄さんの言葉が頭をよぎる。
――「そう、元々いなかったとしても『した』なら『いる』んだ」
本当に幽霊が作り上げられてしまったのか。かわいそうな、かわいそうな幽霊。
彩華が蒼白な顔のまま言った。
「どうしよう、私、目合っちゃった。呪われたよ。どうしよう」
そんな彩華に、京子がなだめるような口調で言う。
「大丈夫だって、昨日のアレ、私の作り話だし。彩華だって笑ってたじゃん」
「でも見たんだよ!」
彩華が狂乱気味に叫ぶ。クラスのみんなが私達を見た。京子がちょっと困ったような顔をする。
「じゃあ、昨日の話の続き。呪いは、誰かの手にタッチすることで移るの。ほら、タッチしよ」
「え、それは悪いよ。だって、京子に呪いが移っちゃう」
「大丈夫、私、呪いとか怖くないほうだから」
京子が笑顔で、はいタッチ、と言いながら彩華の手に触れる。彩華はびくつきながらもそれを受け入れた。手と手が触れて、離れる。京子は笑顔のまま言った。
「これで私が無事だったら、呪いなんてない証明になるでしょ?」
あはは、と笑う京子に私は嫌な予感を感じていた。怪談話は、本当になる。嘘から出た真。作られた幽霊。幽霊が作られたのならば、きっと呪いも作られる。ああ、どうにかして止めなければいけないのではないだろうか。でも、止める術を私は持っていない。
その日の放課後、京子は階段から落ちて足を骨折した。まるで高い所から落ちた時の折れ方のようだ、と医者は語ったという。
私のせいだ、と彩華が一言つぶやいた。翌日、学校でのことだ。私がタッチなんてして呪いを京子に移したから、ともう一言つぶやいて机に突っ伏す。彩華のせいじゃないよ、と私は薄っぺらな言葉を返す。元はといえば怪談話を作った京子に責任があるし、それをリクエストした私たちにも責任があるのだ。三人全員に責任がある。だから、誰かのせいということはないのだろう。
「ねえ、何か視線を感じない?窓のほうから」
体をそっと起こした彩華が言う。私は特に何も感じていなかったので首をかしげた。窓の方向を見ようと思ってやめる。もしも幽霊を見たら、私に呪いがかかるだろう。私には霊感なんてこれっぽっちもないのだけれど。一応怪談話にかかわっている身としてはやめておいたほうがいいだろう。
「奥崎さん」
彩華の苗字を呼んだ人がいた。クラスメートの八代透子。いつも白手袋をはいている、少し変わった子。最近は白手袋をはいていないところも見るようになったけれど、八代透子と言えば白手袋だ。
彩華に何のようだろう。そう思って見ていると、八代さんが口を動かした。
「あの、私、そういうこと詳しい人知ってるんだけど……紹介しようか」
「そういうこと?」
「怪談とか、そういうこと」
私は悩んだ。紹介を頼むべきか、否か。けれど、悩んだ時間は一瞬だった。
「お願いしていいかな」
「小雪?!」
「だって、仕方ないでしょ。実際、彩華は困ってるんだから」
私がそう言うと、彩華は黙りこくった。そして、小さく呟く。そんなうさんくさい人、こんな時じゃなきゃ頼らないのにな。
私も甚だ同感だった。怪談に詳しい人というのは、それだけでなんだかうさんくさく思えた。何故かは分からないけれど。
けれど今この時は、その人が必要なのだ。呪いが本当になってしまったと思われるのだから。怪談に詳しいその人なら呪いを解く方法を知っているかも知れない。
私は賭けることにしたのだ。その怪談に詳しい人やらに。
放課後、私と彩華はチェシャ猫のように笑う青年と向き合っていた。青年の隣には八代さんがいる。八代さんはにっこりと笑って、私達に席を勧めた。私達は勧められた通りに席に座る。チェシャ猫青年と八代さんも席に座る。
「どうも、私は七海九郎といいます。あなた方は、たしか奥崎彩華さんと……」
「深谷小雪です」
そうそう深谷さん、と七海さんが頷いた。そして、鋭い目でこちらを見る。
「で、相談事というのは何ですかな」
「怪談話が、真実になったのです」
これまでの経緯を語る。三人で怪談話をしたこと。彩華が実際に幽霊を見たこと。そして呪いを移した京子が足の骨を折ったこと。また彩華が見てしまうのではないかと怯えていること。
話を聞き終えた七海さんは吐き捨てるように言った。阿保の極みですな。
「そもそも何で呪いを移し替える方法なんて話したのですかな。呪いを消え去る方法を話したのならば、それは真実になっただろうに!」
「京子は、呪いなんて無いことを証明したかったのだと思います。だから、わざわざ移し替える方法にした」
多分、そんな感じです。そう言うと七海さんがわかりやすくため息をついた。となりで八代さんがあわあわとしている。私の知り合いなんですからそんな態度取らないでくださいよ、と八代さんが七海さんに耳打ちするのが聞こえてきた。それに対して七海さんは、あなたといいあなたの学校には阿保が多すぎますぜ、と大きな声で言った。
「しなくていいことをするから、こんなになるのです」
分かりますかな、と七海さんが私と彩華を見た。彩華はしょげかえっていた。元々怪談話をしようと言いだしたのは彼女だった。責任を感じているのだろうか。そんなの、のった私も同罪だというのに。
「どうすれば、解消できますか。この、呪いは」
「簡単です。幽霊と正面対決すれば良い」
その幽霊の未練、恨み、幽霊になった原因のいずれかが消えたのならば、幽霊は勝手に消えるでしょうよ。その言葉に彩華は震え上がった。無理だよ、幽霊と正面対決なんて。体を震わせながらうつむく彩華に、私は答えた。大丈夫、私が対決するから。笑顔で言うと、彩華がばっと顔を上げた。
「ダメだよ、そんなの、私他の人に全部押しつけちゃってるじゃない。呪いも、対決も、私は逃げてるだけじゃない。責任は、私にあるのに」
「大丈夫だよ、責任は私にだってあるんだから」
そう言って彩華の頭を撫でると、彩華は目を潤ませた。ごめんなさい、私が臆病なせいで。
「じゃあ、明日お昼おごってね。それで許してあげる」
私は笑顔でそう言った。
私は屋上に立っていた。廃材がごろごろと転がっている、荒れた屋上。基本的に屋上は立ち入り禁止で、今日は先生の目を盗んでここに来た。後ろには七海さんがいる。
「私には見えませんが、いるんですな。そこに」
「ええ、います」
そして、私の前には一人の少女が立っていた。何年か前に廃止になったセーラー服を着ている。
屋上の柵の向こう側にいる少女の顔は見えない。ただ、少女の長い髪が風に翻ることなくそこにあった。
「どんなことを話せばいいんでしょうか」
「好きなことを。あなたが思ったことを」
「はい」
こくりと頷いて、一歩を踏み出す。一歩、また一歩。すこしずつ少女に近付いていく。彼女と柵越しに向かい合う。彼女は、こちらを見てくれないけれど。私は大きく息をした。
「ごめんなさい」
そして、私は頭を下げた。
「私達が、あなたを生み出してしまった。生み出される必要の無かった、悲しい過去を持つあなたを」
少女は何も言わずにただ屋上の外だけを見ている。柵を掴み、少しでも彼女に届くように身を乗り出して言う。この声が届いているのかどうかは分からないけれど。それでも、少しでも届くように。
「今の私に何ができるか分からない。でも、私にできることなら何でもするから。あなたが呪いを振りまかなくてもすむようにするから。お願い、私に何かして欲しいことがあるなら言って」
「……て」
「え?」
少女のかすかな声に耳を傾ける。少女がゆっくりとこちらを振り向いた。私の声は届いていたのだ。美しい、だが悲愴な顔をした彼女が口を動かす。
「じゃあ、助けて」
瞬間、私の掴んでいた柵が折れた。バランスを失った私の体が前に傾く。掴むものを求めて手がさまようけれど、私の手は何も掴むことなく。私の体は落下した。
不思議と体感時間は長かった。ゆっくりゆっくりと私の体は落ちていく。その横を、少女が落ちていった。
少女の手が私の手を掴む。目の前の景色が歪んだ。ぐらり、ぐにゃり。少女の赤い唇が、私が最後に見たものだった。
気がつくと、夕焼けに照らされる道路の真ん中に立っていた。私は、屋上から落ちたはずなのに。当惑する頭の中、何故かしなければならないことだけが私の中では明確だった。足に力を入れる。私は屋上へと走り出した。
放課後の誰もいない廊下を全力で走る。階段を一段飛ばしで上っていけば、肺が悲鳴を上げた。その悲鳴を無視して、階段を上っていく。屋上の扉を勢いよく開いた。その瞬間、甲高い声が響く。
「これ以上近付いたら、私、飛び降りますから!」
屋上の柵の向こうに、少女がいた。手前には、スーツを着た男が立っている。こいつが、犯人か。私は叫んだ。
「やめなさい!」
けれど、男にも少女にも私の声は届かなかった。スーツを着た男はじりじりと少女に近付いていくし、少女は今にも飛び降りそうだ。
――じゃあ、助けて。
私が落ちる前に言った、少女の言葉が頭の中で繰り返される。助けなければ。何とかして、助けなければ。けれど、何をどうすれば助けられるの。私の言葉は届かない。言葉じゃ、意味がない。私以外の、誰か助けてくれる人を呼んでくればいいのだろうか。でも、そんな時間はもうない。
私はあたりに視線を巡らせて、咄嗟に廃材を手に掴んだ。もう、これしかない。言葉で意味がないのなら、実力行使だ。
スーツを着た男に向かって、廃材を掴んだまま走る。男の真後ろに立って、廃材を振り上げた。そして、振り下ろす。
「っ……!」
ごん、と鈍い音が響いた。男がめまいを起こしたかのように倒れ込む。おそらく脳震盪でも起こしたのだろう。殺したのでは、ないはずだ。そう、自分を落ち着けていると、目を見開いた少女と目が合う。
「助けに来たよ」
私が笑顔でそう言うと、少女はぽつりと涙を流した。
景色が歪んで、やはりまた気がつくと地面の上に座り込んでいた。屋上の下の地面だ。屋上から落ちてきたというのに、痛みはどこにもなかった。
「大丈夫ですかい、深谷さん」
上から声が降ってきた。上を見ると、七海さんがそこにいた。少女は、もうどこにもいない。私は助けられたのだろうか。涙を流していた、名も知れぬ少女を。
ゆっくりと立ち上がる。近くに折れてしまった屋上の柵と、廃材が転がっているのに気付いた。どうやら落ちたのは本当で、少女を助けたのも本当らしい。私はゆっくり微笑んだ。
「七海さん、私、助けられました!」
「そうみたいですなあ」
七海さんのどこまでも平坦な声が、なんだか嬉しかった。
後日、私は目をぱちくりとさせることになった。原因は彩華のこの一言だ。
「え、怪談話が解決した?何それ、何のこと」
「え」
松葉杖をついた京子が、興味津々でこちらを見る。
「何よ、怪談話の解決って。怪談話って解決するものだっけ」
「……」
私は瞠目した。怪談話がなかったことになっている。私が、少女を助けたからか。少女が幽霊となる原因、つまり犯人を倒して幽霊そのものをなかったことにしたから。
私は思わず笑みをこぼした。かわいそうな幽霊はもういないのだ。私達に生み出された、かわいそうな幽霊はもういない。
「小雪?」
唐突に笑い出した私に、彩華が不思議そうな声で私を呼ぶ。私は笑いながら言った。
「彩華、今日のお昼おごってね。約束」
「ああ、そういえばお昼おごる約束してたね」
あれ、何でだっけ。そう言って彩華は首をかしげた。約束までは、なかったことにならなかったらしかった。