恐怖が、付いて回ってきます
私は公立の小学校に入学した。
あの恐怖の一日後に。
校長先生の話だとか、担任の先生の話は全く覚えていない。
恐怖の発信源が結構傍に居たからだ。
男女一列ずつ縦列で座るものだから、「あいはら」と「かまた」は案外近くにいた。
この日、運命と神様をちょっと嫌いになった。
一時間ほどずっと耐えていたけれど、はた、と気づいた。
彼と私は同じクラスであることに。
恐怖の一年だと思った。
「ずっと」一緒に居るなんて、無理!
他の子の様に離れた位置にいてほしい。
でもそんなのできなかった。
どんなに離れても彼は私の傍に寄ってくる。
内心「ひっぃ」と叫びたくなるのを抑え、笑顔を作る努力をした。
幸い何度も話し掛けてくれたので、少しだけ慣れた。
ほんの少しだけ、だけど。
でもやっぱり怖い!
そんな人懐っこくて、(私にとっては)恐怖の権化の彼も私の様になる日があった。
すごくたまにみたいだったけれど。
どうしてか、教室の隅っこで泣いている彼を見つけた。
誰もいない放課後。
本当だったら帰っているはずの彼。
もしも私が筆箱を忘れたことに気付いて戻らなければ、誰も見なかった。
「ど、ど、したの?」
泣いている彼よりも声が震えた。
その声や話し方で私と分かったのだろう。
彼は袖でぐし、と涙を拭いて振り返って笑った。
「なんでもないよ、帰ろーぜ?」
強がりと偽りであることは分かった。
今私がしている顔と同じような顔をしているから。
赤い目と鼻。
頬だって夕暮れの所為じゃない朱が差している。
袖が濡れてるのだって、わからないわけない。
だから、もう一度聞いた。
「どうした、の?」
すると彼は私の手を握ろうとした右手を止め、頬を掻いた。
一呼吸を置いて、彼はしょんぼりしたような顔で言った。
「どうして、勉強を頑張らなくちゃいけないのかなぁって。
思ってたら悲しくなって。でも、もう大丈夫だから」
彼の家はとても教育熱心だった。
そう、私の家と同じように。
だから出会うことになったし、(両親が)仲良くするようになった。
私の家はもうあんまり構わない主義になったけれど、彼の方は違う。
もともとお金を持っているから。
学校から帰るとすぐに習い事。それが毎日続く。
きっと彼には苦痛で仕方がなかったのだろう。
彼はとても優しいから。
両親の期待に応えたかったのだろう。
いくつもの圧力をかけられ、潰れそうになっていた。
そんな思いを、私は多分知っている。
人見知りの私が、多くの知らない人に囲まれたような状態なんだろう。
なんて推測して、声を絞り出した。
「つらいなら、つらいって言った方がいいよ。
いやなら、いやって言った方がいい。
だって今知らなきゃ、教えなきゃ、お父さんもお母さんも、後悔するもん」
「・・・後悔?」
返答があったことに、体を震わせてしまった。
やめて、泣いたまま返事しないで。
大きな声で懇願したかったけれど、更に泣かせちゃうかも、とやめた。
「だって、瑠佳くんがずっとそういう気持ちでいたって知ったら。
ずっとつらい思い、させてきたって知ったら。
自分たちがひどいことしてきたって、泣いちゃうよ?」
そこまで言って、膝が笑った。
これが私の限界。
あはは、と声も出なかった。
冗談くらい言えたら彼のためになったのに。
でも彼はもう泣き止んでしまっていた。
机にしがみついているような形の私の頭を撫でてこういった。
「もう暗いし、帰ろうぜ」
いつも誰よりも泣き言を言って逃げてきた。
だから誰よりも弱腰で物事に向き合っている。と思う。
後ろ向きな私のアドバイスが役になったのかどうか。
それは一週間もしない内に明らかになった。
ちなみにこの日初めて一緒に家路についた。
案外近所に住んでいることも初めて知ったのだった。