誰も信じられません
たった一人だけ、変わらず対応してくれる人がいる。
瑠佳くんだ。
「天音―おはよう!朝だぞ!起きろー」
学校には行かないと判っていても登校時間になると起こしに来てくれる。
朝の7時には必ず来る。
そうして大声を出して、私を揺さぶるのだ。
毎日毎日、あの日からずっと。
欠かさずに来てくれる。
でも私は、起きられても外へはいけない。
そう告げたくても言えなくて、代わりにお母さんが言うのだ。
「ごめんね、天音はまだ無理なんだよ」って。
それを聞いて瑠佳くんは必ず、私に訊くのだ。
「いつになったら一緒に学校行けるようになるんだ?」
って。
口ごもるお母さんなんて目に入れないで、私に言うのだ。
何時までも引きこもっているな、と。
とても厳しいことを言われている。
確かにそう感じる日もあるけれど。
時々、本当に時々。
嬉しくも感じてしまうのだ。
誰も怒らない。
誰も叱らない。
誰も傷つけない。
そんな中にポツンとある、存在。
瑠佳くん以外にはいないから。
辛いことでもあって、嬉しいことでもある。
それに応えたいと思う。
今すぐにでも、一緒にと。
でも足が動かない。
地面に繋がれたような両足では、学校までいけない。
それに。
教室に入ったら今まで以上の冷たい眼差しがあるかもしれない。
ずっと学校を休んで、勉強だって遅れて。
何にもできないし、わからない状態。
きっとみんなに疎まれるんだ。
自分だけ長期休暇を勝手に作って休んだ対価を払わなくてはいけない。
それまでは誰かの足を引っ張って、蔑まれるのが落ちだ。
そうなるくらいならば、行かない方がいい。
「なるほどなー、勉強か」
早速カウンセラーのお兄さんに相談してみた。
熱心に聞いてくれて、今は頭を抱えて悩んでくれている。
瑠佳くんとは違って、彼も私にとっては癒しだ。
優しいのはもちろんだけれど。
それだけじゃなくて、話を聞いてくれる。
どんなにどもっても、聞こえにくくても。
だから安心して話ができる。
呼吸が落ち着いてできる。
「よかったら、俺が教えようか?」
「え?」
「小学生くらいのなら、教科書があれば大丈夫だよ。どうする?」
「勉強する、しなきゃ!お兄さん、お願い!」
勢いよく声を上げた。
するとお兄さんが、私と視線を合わせて言った。
「無理しなくてもいいんだよ。いやだったり、辛いんだったら、頑張らなくてもいいんだ」
「でも、置いて行かれる方がやだ」
「うん。そっか。分かった、でも無理はさせないから、そのつもりでね」
「うん」
その日からは、勉強する時間をカウンセリング中に設けることになった。
最大でも40分くらいしか同じ教科の勉強はしないし、一日3教科もやらない。
本当に追いつけるのだろうか。
心配になってきた。
このままだと、ずっと小学生のままなのかと。
みんなは中学校に行くのに。
私だけ、置いて行けぼりなのか、と。
そんな焦りを彼は気づいていたのだろう。
「大丈夫だよ、天音ちゃん」
「でも、今日だってここだけだし」
口を尖らせて言うと、彼は笑った。
「天音ちゃん、それ学校だとどれくらいかけてやるかわかる?」
「わかんない」
「あのね、二回分の授業でやるんだよ。そこの部分だけ」
「本当に?」
「本当に。天音ちゃん頭いいから何でもないように思っているみたいだけど」
お兄さんは苦々しく笑う。
それに対して私はふっと笑う。
「お兄さんはほめ上手だね」
私はきっと他のこと比べたら、天と地ほどの差があるのだろう。
わかっている。
今まで休んできた分が、あっという間に巻き返せるとは思えない。
だから、決して楽観視はしない。
あの時だって、そうだった。
私がもっと頭が良ければ。
不審者が現れた時の対処法をきっちりしっていれば。
一人で帰らなければ。
あんな怖い目に遭わずに済んで。
今こんなに苦労することはなかった。
今更グダグダ言っても仕方がないけれど。
「あー天音ちゃんだー」
がらっとという音と共に声が横から飛んできた。
あのお姉さんだ。
お姉さんもたまに勉強を教えてくれる。
でもお姉さんの方がいろいろ雑学的なことを教えてくれる。
「今日は何してるの?」
「これ、」
「あー。懐かしー」
「でももう時間だ。天音ちゃん、帰ろうか」
丁度夕方4時。
周りの景色が赤く染まってくる。
黒くないから大丈夫。
と言い切りたいところだけれど、そうじゃない。
赤も、あの時見たんだ。
あの男に殴られたり、けられたりしていた時。
視界が真っ赤に染まって、それから黒くなった。
誰にも言えないけれど。
だって、これ以上誰かに心配かけたくなんてないから。
体が震える。
声がまともに出ない。
こんなの誰が見たってわかってしまう。
だから強くならなきゃ。
嘘を吐きとおせるほどには。
自分で全てを何とかできるまでには。
それまでは頑張らなくてはいけない。
誰かの優しさの裏には、きっと。
あの時見たような残虐性が潜んでいるのだから。




