覚書/『パンチラことはじめ、フランス・ヴァロワ朝』
イタリア・フィレンツェの富豪で公爵となるメディチ家。同家からは、16世紀ルネッサンスの時代に、教皇クレメンス7世をだしている。その教皇のいとこにあたるのが、カトリーヌ・ド・メディシスだ。フランス王アンリ2世が王子のときに嫁になった。この王子には兄がおり、王位につくまえに亡くなったため、夫が王になり、王が亡くなると太后摂政となったのだ。
この人は、背が低く、痩せていて猫背、ぎょろりとした目、厚ぼったい唇をしている。ブスというほどではないが十人並みといったところだった。気が利くので、義父のフランソワ1世に(健全な意味で)可愛がられた。
さて、アンリが王太子になったころだ。王侯のおもてなしの一つに狩りがある。そして貴紳・貴婦人は馬に乗って優雅なときを楽しむ。当時の貴婦人たちは、馬の鞍に横座りするのがマナーだった。だが、ちょいブスのカトリーヌは、このときお茶目さんを演じてみせた。
左脚をあぶみにかけ、右脚を鞍骨の突起物の上に固定させる「横座りのアマゾン乗り」というのをやった。馬が疾走すればスカートが高く舞い上がり、狩りの間、殿方の目線は王太子妃の太腿にいって鹿を逃がす羽目になった。
センセーショナルな事件……。
社交界の人気者が編み出した新しい乗馬方法のために、それまではスカートのなかに着用されなかった下着が発明された。初期においてはカルソン(パンツ)と呼ばれ、やがてキュロットになった。
了
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ギー・ブルトン著 稲田晴年 訳 『フランスの歴史をつくった女たち 第2巻』 中央公論社 1994年 P242-243
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