日記/政宗公のキセル
平野の遺跡というのは台地の遺跡よりも難易度が高い。川の氾濫原にできた遺構というのは何層にも重なった土砂を掘り抜いて造られ、つかわれなくなるとまた土砂に埋没する。遺構が埋没する過程も特殊で、台地上に掘られた遺構だけに土が埋まってゆくのではなく、遺構と一緒に周辺の土地一帯まで埋まる。しかも遺構にできた穴は一変には埋まらず、周辺の土地をかさ上げしつつ、だんだんに、埋まってゆくので厄介だ。
宮城県の水田遺跡発掘の場合、調査対象地区を水平カットして、水田面を区画する畔をみつけてゆく作業だ。時代は、中世、奈良・平安、古墳、弥生の各時代に分けて下げてゆく。
遺跡の水平カットというのが難しい。作業員を横一列に並べやるのが基本だが、厄介で凹凸になりやすい。なかなか、うまくいかない。
ある日、作業員の小父さんたちが、イライラして、水糸をはってみたらどうだ、といった。
なるほど。
いっそのごと、碁盤の目のようにしたらどうだ。
というわけで、調査区を囲って四角く巡らした深さ50㎝の枠のところに水平を示した目盛となる糸を張り、それを基準に碁盤の目のようなものをつくってゆく。問題が一気に解消したことはゆうまでもない。
先日、作業員さんが真鍮製のキセルをみつけた。
金メッキをした、ダテなやつだ。これは江戸時代に宮城県一帯を支配していた伊達政宗公が愛用していたものに違いない、ということになった。根拠はないけど……。
了
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ノート2013/09/21