掌編小説/中世物語 『マダムの唇』 3/3
百合は夏に咲く。花が一面に広がった中庭に、白い鳩が舞い降りた。マダムと俺が椅子に腰かけている回廊のむこう側にある柱に、天使ガブリエルの彫刻がある。
「アンジェロ卿、あの大天使がなにをもっているか判る?」
百合だったか、大天使は、聖母マリアにキリストを懐妊したことを伝えにきた。だから告知天使ともいうんだったな。
「フランス王家の紋章も白百合。ピュアなイメージ。聖母マリアを象徴している。帝国の傭兵ランツクネヒトがあがめているのも聖母。連中は白い鳩が化身だといっているそうね。ああ、あの方のお妃も同じ名前だったかしら」
サイドテーブルのグラスを手にしたマダムは飽くことなく大天使を眺めていた。
「赤毛の騎士さんと二回目に出会ったのがアラスだった」
1482年か……マリー女公が3月に薨去した。大公が、愛妻の女公をなくし呆然自失となっているところで、公国は内乱になった。叛乱軍は、そんな父親のもとから、赤ん坊に近い子息と令嬢の二人を誘拐。幼君をおったてて傀儡とし、娘のほうはフランスの王子の嫁にした。そして化粧領と称して、国境地帯の諸州を公国から掠め取った。
マダムは鼻で笑った。
およそ国権を預かる者は、騎士道に鑑みた正義だの約束ごとだのよりも、どんな卑劣な手段でも国益にかなうなら許されるというものだ。マダムはのちにいうところの、マキャヴェリストだった。
「私が密かにアラス城市に入るときだった。護衛たちが傭兵崩れの野党に襲われ、馬車の御者も負傷して失神。暴走しているところを、あの方が助けてくれた。彼は私を二度助けたことになる。ギネガテであったときよりも、少し渋みが入って、さらにいい男になっていた」
細面のマダムは自らの髪に手をやりひと撫でした。
「そこでは黒狐将軍が私を待っていた。私がでてゆくほどのことでもなく、将軍は、『叛乱を起こされた上に家族を失い精神喪失状態になった大公から、公国国境地帯の領土割譲と、公国摂政の地位をフランス王家側に奪うということはさしたる苦労がなかったですよ』といって笑っていた」
会議の最中、饗応の宴が催された。こういうところは和やかに振る舞う。地元アルトワ産ワインやハーブと白ワインのカクテル・ボーレ、豚・牛・羊・鶏の焼肉・燻製、それにスープがだされた。一座が呼ばれて劇が催され、舞踏会になった。動員された地元の上流階級の子女が、輪になり、殿方を誘ってダンスしていたな。
「艶やかなリュートが奏でられているなかで大公は意気消沈の色を隠せないでいた。大公側に残った大臣たちのうちクレーフェ侯爵が、『宴席も戦闘のうちです。心が敗けたときが本当の敗北ですよ』といって大公の横にいた顕官たちを踊りの輪に誘っていたわね」
さすがに大公は生ける屍同然だったから、クレーフェ侯爵もさすがに無理に誘わなかったようだけどな。
「そして、あの人が私の前にきたのよ――」
マダムは、両手を合わせてまた告知天使のほうをみやった。
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アラスの町のさる貴族の屋敷。かがり火が焚かれていた。
「私は赤毛の帝国騎士さんにエスコートされた。私が彼を憶えていたのと同じように、彼も私を憶えていた。『私を二度も助けて下さってありがとう」
「貴男は表情を変えないのね。娘たちを相手に笑わせていた。今回の条約が決まったとき、まっさきに泣くかと思っていたわ」
「おっしゃっている意味が判りません」
「あら簡単なことよ。舞台俳優が観客を笑わせるときはまず相手から笑わせる。泣かせるときはまず自分から泣くというもの。公国臣民はうつろぎやすい観客そのもの。戦争が終わったらまず、政権中枢部が泣いてみせるかと思っていた」
「ボルハイム卿、貴男は急にどうしたの? なにに震えているの? 癇に障ったらごめんなさい、謝るわ」
なるほど、マダムはあのとき、坊ちゃんとそんな会話をしえいたのだね。
「しかしイケメンさんは巧みに誤魔化した」
で、なんと?
「これが震えずにいられるものですか。僕に火をつけたのは貴女だ」
俺は噴いた。
坊ちゃんがあとでいってことだが、そのときはこの魅惑的な貴婦人にどうにか復讐してやろうと考えていたのだそうだ。彼女を惚れさせて、娼婦のように扱うというのはどうだ? しかしそんなことはできっこないことは承知していた。降参だ。
マダムは続けた。
「『蜘蛛』と呼ばれていた父は、公表されるよりも早くに病没していた。私は15元老を侍らせ、その死をしばらく隠し、実質的な摂政となった。ある程度国内体制を固めると、幼い弟をフランス国王に即位させた。三歳のマルグリットは常にそば近くに置き、将来王妃としての教育を彼女に施した」
なるほどね。公国に残った幼君に、頃合いを見計らって毒を盛る。そうすれば、ブルゴーニュ公国の公位継承権は王妃に入る。王子ができて即位すれば、王国と公国両方の支配権が生じ、無傷で併合することができる。上手いもんだ。
「毒殺? そんな人聞きの悪い。私がそんな酷いことをするとでも?」
マダムならやりかねない。
その人が噴いた。
「大公から国権の大半を剥奪した。ふつうならここで生ける屍になる。ところがどっこい彼は『泣き方』が上手かった。領土を割譲してもなお本国・低地地方に残った17州のうち5州だけは大公マクシミリアンを支持し続けた。まさにモンスター。彼らは、叛乱軍を押し戻し、公国駐在フランス軍を駆逐してしまった。芽が小さいうちに摘み取らねばこっちがやられてしまう」
その危惧は、主公が半島公国ブルターニュの女公を嫁に貰うという話になって現実味をおびてきた。
「そうそうなりふりかまっちゃいられなかった。地政上、あの半島を大公にとられるといことは王国の破滅を意味していた。あそこから大公と同盟を結んだイギリス・スペインの艦隊が兵員を揚陸させてでもきたら堪ったもんじゃない。私は、弟をつかわして半島をぶんどらせ、そこの女公との挙式を命じた」
半島の公国には坊ちゃんが派遣されていた。
「講和会議には私もいきたかったわ」
しかしあの会議のときは、ナッサウ伯が全権大使だったし、第一、坊ちゃんは降伏の直前でレンヌを脱出していた。
「またダンスしたかったのに……」
そこで、マダムが手塩にかけたマルグリット王妃は?
「可哀想だけれど仕方がないわ。離婚させて、王家ゆかりの侯爵でもあてがっておこうと考えたのよ」
姫は父親に手紙を書いて救いを求めた。そして自由伯領におけるドゥルノン会戦……。
「まさか娘を取り返すために、たった6000で殴り込みをかけてくるだなんて。こっちは倍近い11000いたのよ。ふつう敗ける? お話にならない。莫迦げているわ」
それが金髪のあんちゃん……もとい、主公マクシミリアンだ。
「1493年5月、王家の墓所があるサンリスで私は帝国側使節を招いて講和した」
全権大使が赤毛の坊ちゃん・帝国騎士ボルハイムだったな。ダンスは十分堪能できたかい?
「もちろん」
坊ちゃんは、交渉が有利になるようなおねだりとか、プライベートにしてこなかったかい?
「残念ながら」
やはりマキャベリストにはなりきれなかったか。……坊ちゃんらしい。
「でもダンスのときは、私のほうから、思いっきり抱きついてやった。どさくさに紛れてシャツに口紅をたっぷりつけてもやったし」
そりゃ傑作だ!
マダムと俺は夕方まで世間話をした。
そろそろ、おいとましよう。楽しいひとときをありがとう。
「私も楽しかったわ、アンジェロ卿。それにしても不思議な方ね。ほんと、貴男って何者なの?」
マダムは椅子にもたれ、俺にむかって一人、乾杯した。祝福しているのが衣擦れの音で判る。
歩きだした俺は振り返らずに答えた。
――俺かい? 猫だよ。
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マダム……フランス国王シャルル八世の王姉摂政アンヌ・ド・ボージューは1522年に没した。享年61歳。後世の歴史家たちは、彼女が、フランスの優れた「国王」の一人だったと評価している。
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The end.
2014年 03月19日




