掌編小説/中世物語 『十字路の夢魔(インキュバス)』
神聖ローマ帝国の次期皇帝・ローマ王陛下から火急の用を命じられたのは赤毛の坊ちゃん・騎士ボルハイムだ。チロル州の新都インスブルックの宮殿の厩に歩き出した坊ちゃんは、馬の守護聖人レオンハルトに祈り、鞭を宙に遊ばせ十字を切り。三度繰り返す。これが出立の儀式となる。
さあて、出発だ。
坊ちゃんが鞍にまたがる。
同じ鞍に俺も、ちょこん、と乗っかった。
夏だった。
どこまでも続く荒地だれけの平原には、小貴族の屋敷、領主の森、荘園の集落、菜園なんかが点在し、百姓が畑の手入れをしているのがみえる。
日中の街道は、北はロシアから南はアラブの隊商の荷車が隊伍を組み埃を巻き上げ往来している。王侯貴族の行列もいた。坊ちゃんのような騎士もいた。放浪の乞食やら娼婦なんかのグループが大声をあげて、「きゃあ、騎士様、かわいい!」とかいって坊ちゃんをかまってくる。ついでに、都市間を渡り歩く遍歴薬師・遍歴学生、飛脚なんかも往来していてけっこう賑やかなものだ。
ところがだ。夜の光景は一変する。
街道の真ん中は、告死天使といった「人ならざる者」の通り道だ。旅人は遠慮して道の端っこを歩かねばならない。
松明をかざし街道を駒で駆ける。
稀にだが、柩を運んぶ車やら、黒犬に化けた霊なんかがふらついているのに出くわす場合がある。
「やばっ」
松明の明かりが黒犬を照らす。坊ちゃんが、駒を街道から木立の茂る森の側に寄せた。「人ならざる者」をみつけたとき、禍いを避けるためには、道から三歩外れなければならない。
黒犬は坊ちゃんの姿がみえないらしい。街道のど真ん中を歩いて、後ろのどっかに消えていった。
坊ちゃんの駒はまた街道に戻る。
それからまた走りだした。
街道の十字路というのはきわめて重要な意味をもつ。街道を管理する者たちは、ゆき倒れの旅人の死体を十字路に密かに埋め、魔道士を呼び、人々の往来が盛んになる呪術を取り行うものだ。こんなふうに霊性の高まったそこを利用し、使い魔を召喚したりする場でもあった。
「アンジェロ、道案内を頼む。松明がなくなっちゃったよ」
仕方がないな。ついてきな。
駒を降りた俺は夜目が効く。
利口な馬で、俺を見失うことなく奴はついてきた。
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夢魔という不浄の霊・下級悪魔がいる。男夢魔がインキュバス、女夢魔がサキュバスだ。それぞれ睡眠中の異性の人間を襲い孕ませたり、子種をとったりする。魔道士はこういう連中を召喚し呪縛して使い魔にする。
鳥の性交と産卵は肛門である。処女膜もないのだから処女という定義には疑問があるのだがともかく、未通の黒い雌鶏一羽と、欧州のそんじょそこらにいくらでも生えているイトスギの杖だけ準備すればよい。それは古代ギリシャ時代から、神木とされていたものである。
シンデレラを乗せた馬車が帰ってくるだろう深夜十二時に、街道の十字路となるところに立ち、杖で円を描く。その際、こんな呪文を唱える。
"YEUFAS METAHIM FULLGAUTY ET APPERAWI."
(イェイファス メタヒム フルガウティ エト アッペラヴィ)
そして東を向いて"Amen." (アーメン)と唱えるのだ。
夢魔は、犬の頭、ロバの耳、子牛の脚をしており、真っ赤な上着と緑色の半ズボンを羽織っている。
「お呼びでございますかな、ご主人様?」
「胡椒商人のフンボルトを殺せ!」
フードを被った魔道士が振りむく。
「だ、誰だ?」
――俺かい? 猫だよ。
「猫は魔道士の使い魔だ。ふっ、びっくりさせるなよ」
だが、その後ろから、にょきっ、と馬の首がでてきた。
「騎士! もしかして儀式の一部始終をみてたのか?」
「うん、みてた」
その瞬間、夢魔が、ニタリ、と笑って術者に襲い掛かってきた。召喚儀礼を人にみられた途端、術は破れる。魔道士の奴隷たる使い魔は、自分を拘束していた者を憎悪し、復讐にでてくるのだ。
ぎゃあぁぁぁ……。
悲鳴をあげて魔道士は暗闇の中を走って逃げていった。
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闇の彼方から地平線が白っぽくなってみえだしてきた。
明け方、二つ村落の堺にある道を挟んだところに、それぞれの村の衆が整列していたところを俺たちを乗せた駒が通りかかる。
村人たちの中には多くの子供も混じっていた。二つの村の古老がでてきて、あれやこれや若衆に指示をだしている。距離を測る紐をだして、道幅の点検をしているのだ。
「今年も街道が農地で削られていないのを確認した」
二人の古老が宣言すると、若衆が整列させた自分の村の少年たちの頬を容赦なく平手でぶちのめす。何事か理解できずに、子供たちが泣き叫んだ。
「酷い……」
優しい坊ちゃんだが、そんな大人たちを止めることはしない。
殴られることで、一生残るほどの強烈な記憶となる。文盲者で占められる村の衆が地籍図を作成する代わりに編み出した伝統的な知恵だ。
坊ちゃんはそれを知っている。
了
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引用参考文献
阿部謹也 著 『中世を旅する人々』 平凡社 1978年
真野隆也 著 『悠久なる魔術』 新紀元社 1990年
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ノート20130901




