掌編小説/中世物語 『ジプシーの乙女』
夏だった。
森の中を切り開いた街道を進んでゆくと、急に開けたところにでた。広場があって教会・居酒屋宿・鍛冶屋なんかが並んでいる。居酒屋宿は雑貨屋も兼ねている。赤毛の坊ちゃん・騎士ボルハイムは、カウンターに立った親爺に注文して干し肉とパンを買う。
そのときだ。村落教会の鐘が鳴った。
「平日のこんな時間になんでだろ?」
店の主人が答えた。
「ジプシーの奴らがきたのさ」
「ジプシー……」
「奴らがくるとろくなもんじゃねえ。流行病はおいてゆくわ、鶏が盗まれるわ、えらいことになる」
村の人々は鶏の数を数え始めた。
「証拠はあるのだろうか?」
「ないですよ。しかしあいつらがくると鶏が、一、二羽足りなくなる」
坊ちゃんは馬に乗った。俺も鞍にちょこんと飛び乗った。
「ねえ、アンジェロ、証拠もないのに決めつけるのはよくないよね」
(まあそうだな。しかし火のないところに煙はたたないぜ)
楡の木が茂るあたりに、ちょっとした川があった。主要街道から外れた間道では橋がかけられていないこともよくあることだ。幌馬車が野営の準備をしていた。多数の馬がいる。恐らくは馬の仲買人をやっている家族なのだろう。ジプシーの中ではけっこう裕福な者たちだ。
川の畔の岩にちょこんと腰を下ろしている少年がいたので、坊ちゃんはきいてみた。その子は彫りが深い顔立ちでエキゾチックだった。ジプシーは全財産を身に着ける。少年は、耳飾り、首飾り、指輪を身に着けている。着ている服も派手だ。
「ここから向こう岸に渡れるかい?」
「騎士様はドイツ語が話せるんだね」
「祖国オーストリアはドイツ語圏だからね」
少年は岩の上に置いた小石を流れに投げた。
石は跳ねて川のまんなか辺りで水面下に消えた。
そうそう、ドイツことにライン川沿岸では川に小石を投げるのは、氾濫を引き起こす川の精を怒らせることなのでドイツの子供は大人に叱られるのでけしてしない。ジプシーの習慣はドイツ人のそれとかなり違う。
放浪種族の子供は、振りむいて答えた。
「ああ、渡れるよ」
坊ちゃんが駒に乗ったまま渡河し始める。
ところがだ。案外に川底は深かった。しかも泥粘土みたいで、馬は何度も転びそうになる。
俺は必至で鞍にしがみついていた。
駒は岸辺になんとかはい上がる。
「騙したな」坊ちゃんが叫んだ。
「騙しちゃいないよ」ジプシーの子供が口をとがらせて答える。さらに、「父ちゃんがいったんだ。ドイツ語ができたら、どんなところも、泳いで渡れるって」と続ける。
少年が座っている岩のところにたどりつこうとしたときだ。熊手やら大鎌をもった村の衆が、間道から現れ、少年に襲い掛かろうとした。
「馬仲買人か。ジプシーだな。こいつら人間じゃねえ、皆殺しだ!」
農夫たちが子供を八つ裂きにしようとした刹那、坊ちゃんが飛び出して、「やり過ぎだ」といって農具の柄を叩き斬った。
まっ、この程度の雑魚どもに俺が助太刀する必要もないな。
こりゃかなわんとばかりに、連中は村に逃げ帰った。
野営の準備をしていた少年の家族が駆け付け、姉と思われる少女が頭一つ小さい少年を抱きしめ、赤毛の坊ちゃんに何度も礼をいう。
その晩は、彼らがどうしても、というので焚火を囲んでの宴になった。
どこから集まってきたのか、ジプシーたちはいつのまにやら、数十人に膨れ上がっていた。ビールが振る舞われ、男女が腕を組んでダンスしている。角笛やら弦楽器が鳴らされ、エキゾチックな歌も唄われた。
少年を連れた少女がお辞儀をして酌をする。
「騎士様は独り身ですか?」
「まあね」
坊ちゃんが、「君は?」といってから、「野暮だった、ごめん」とつけたす。
少女は十四、十五というところ。黒髪に紺碧の瞳、すらりとした手足を赤い服で隠している。そろそろ嫁にゆく年頃だ。焚火の炎で映しだされた顔からはあまりわからないが、たぶん、頬が赤くなっていたことだろう。
明け方、ジプシーの家族が坊ちゃんと反対方向に旅立った。
その際、坊ちゃんが少女にきいた。
「君たちはなんで旅をやめないの?」
「同じところにいつまでもいると素敵な思い出がたまってゆくから」
「素敵な思い出ばかりできるなら、それに越したことはない。村をつくって住めばいいじゃないか」
「そんなことをしたら、旅ができなくなる」
彼女は困った顔をした。それから坊ちゃんの腕にもたれこみ。涙をぬぐって馬車に乗った。
車輪がまわりだす。
幌馬車の幕の間から、姉弟が半身を乗り出して、いつまでも手を振っていた。
坊ちゃんの旅は続く。
ところで、おまえは何者かって?
――俺かい? 猫だよ。
了
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引用参考文献
阿部謹也 著 『中世を旅する人々』 平凡社 1978年
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ノート20130902




