画集/5世紀の竪穴式住居跡
昔、お手伝いにいった先の発掘現場で、一般市民相手の現地説明会があり、古墳の下からみつかった5世紀の竪穴式住居跡のイラストを描くように、勤めていた前の会社からいわれ、図面をもとに制作しました。例の如く原画が紛失。図書館に収められていたファイルをお借りして自分の絵を複製しました。
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「5世紀の竪穴式住居跡」 1993年 (ペン画)
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『古事記』の登場人物である日本武尊。この人が関東地方に遠征したとき、随行した妻である弟橘姫が、荒れ狂う東京湾に身を投じ、海神の怒りを静めた。助かった日本武尊は、「吾妻や!」と悲嘆したことから、関東地方の古名を「あづま」というようになった。(舞台となる4世紀の関東地方あたりにあった竪穴式住居を「あずまや」というようになったのではなかろうか?) などとだいぶ昔に読んだ本に書いてありました。
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イラスト解説
竪穴式住居跡というのは、東日本に多い古代の住居跡の形態である。地面を四角く掘って周囲に盛り土を築く。掘り下げた底を床として柱を立て、盛り土の上に〝ひさし〟を斜めにさし込み、茅や藁をつかった吹屋根の上に土をかぶせて保温がいいようにする。室内で火をたけば煙がでるので、煙だしという通気口を設ける。
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調査した住居跡は、焼かれていたため炭化した構材が残っていた。床面中央からやや北に寄ったところには、浅くほりこまれた炉があり、北西角には貯蔵穴もある。また床にはゴザが敷かれていたのが判った。こういう焼けた住居とか、火山灰・火山軽石に埋もれた住居というのは貴重で、かなり状態よく残ってます。写真でしたが、群馬県渋川市の旧子持村地区では、そっくりそのままの形で復元図にでてくるような住居が、でたことがあり写真で拝見。軽石採取の業者さんが、軽石採取中にユンボでざっくり真っ二つ。考古学者はこのオベレーターさんに感謝すべきでしょう。彼の一撃で、謎だった竪穴住居の構造が解明できてしまいました。
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ノート20120708




