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掌編小説/マルガリータの口づけ

 風俗営業法が施行される前だ。

 東京に住んでいる同期というのは、大なり小なり成金の子息令嬢で、豪邸とはいわずとも瀟洒な家に住んでいた。週末の夜ともなれば派手な外車に乗って麻布の踊り場・マハラジャに繰り出す奴なんかもいたものだ。

 中産階層出の学生は、誰しもバイトをしたものだ。とはいっても、学費や生活費というよりはエンゲル係数を抑えるためなのだが。 

 田舎からでてきた僕・田村恋太郎たむら れんたろうの実家は、旧家だと周囲はいうのだが富豪というほどのことはない。

 学校が終わると、小田急線の電車に飛び乗り、新宿から地下鉄・大江戸線に乗り換えて、黄金の象で飾ったディスコに近いところにあるビルに収まったバーに出勤したものだ。

 夜になると顧客の御曹司たちに、酒を注いでだしてやる。

 開店前、僕はマスターと一緒に、カウンターの内側で、せせとグラスを磨いた。

 カウンターと入口の間には、白いグランドピアノが置いてあって、週末になると赤いドレスのピアニストが弾きにきたものだ。夕方になると、彼女が鍵盤に指をなじませていた。

 その人が得意としていたのは、クラッシクをシャンソン・アレンジした曲だった。

「恋太郎君、リクエストしてくれていいわよ」

「それじゃあ、ショパンなんか」

「ショパンのなに?」

「えっと……」

 田舎者の僕が知っている曲なんかたかが知れている。でまかせにいったのだ。シャンソンだって詳しいわけじゃない。

 そのあたり、さすがにピアニストだ。こういう野暮な素人にも優しい。彼女は長い髪をしていた。肩をだした赤いドレスを自然に着こなしている。

「ノックターンなんかが有名だわ」

 くすくす笑うと、しなやかなにのびた指が優美に動かし始めた。いったい、彼女にはいくつのレパートリーがあるのだろう。ちゃんとシャンソンにアレンジされている。

 マハラジャ帰りの御曹司たちが、ナンパした娘たちを連れてきた。

 ――マルガリータ!

 当時、原田知世主演の角川映画『赤いドレスの女』というのが上映されていて、派手なCMで、インパクトの強いこのシーンを繰り返しやっていたのだ。映画に影響されて、カクテルの注文のとき、「一度やってみたかったのよ」という娘がけっこういたものだ。

 閉店してから、ピアニストがカウンター越しの僕の前に座った。

「ありがとね。マスターにも話したんだけれど、私そろそろバイト辞めて就職の準備をするんだ」

 なんてこった!

 彼女の曲はけっこう好きだった。というか、この人にもう会えなくなるかと思うと、やたらに寂しかった。僕はマスターにお願いして、バイト代から差し引いてもらい、ピアニストに一杯、カクテルを奢ってやった。

「プレゼント?」

「さっきの、弾いてくれたお礼、それと就職の前祝いです」

「生意気よ」

 彼女は手を伸ばして僕の顔を手繰り寄せた。軽くつねるか、叩く真似でもするかと思いきや、なんとキスしてくれたのだ。しかも頬っぺたじゃなくて唇に……。

「思わぬ反撃だな。じゃあ、俺からも恋太郎君に、女の子からキスしてもらった記念ってやつを贈ることにするよ」

 そういって、そろいのカクテルをつくってくれた。

 ピアニストは音大生で、地方の高校の音楽教師になるのだといっていた。生徒が羨ましい。

 最初で最後のキス。二人の短い恋物語が終わった。

.     

 ――ああ、また、恋太郎の「妄想劇」につきあわされてしまった。

 田舎の中高一貫校だ。高等部の教室は新校舎三階にある。

 親友の川上愛矢かわかみ よしやは、辛辣なこともいうのだが、基本、つきあいがいい。休憩時間・僕の余興劇の相手役で、ピアニスト役をやってくれた。背が高いもんだから、髪を長くするとモデルみたいにみえる。

 マスター役をやった黒縁眼鏡の委員長も、腕組みしてうなずいていた。

 迫真の演技は、クラスの女子たちに、大ウケだった。

 しかし僕たちって、なぜモテぬのだろう。

     了

.

参考

ショパン『ノックターン』/You Tube

http://www.youtube.com/watch?v=B3ZstnD2udw

.

ノート20131015

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