掌編小説/電網都市 『夜桜』
「『まち』の語源ってご存知ですか?」
そうたずねたのは路面電車に乗るとどういうわけだかいつも長椅子の隣に座っている紐ネクタイのシャツ姿で灰色のスーツを羽織った人物は口髭の痩せた老紳士で、音楽家のポール・モーリアに酷似しているから、学生たちが略してポモリ教授と名付けたのだそうだ。
「なにも考えずに使っていました。なんでそういうのでしょうね」僕は答えた。
「こんな説があります。大河を下ってゆくと、どうしても舟では越えられない難所がありました。古代の旅人は、そこで降りて、難所を通り越した船着き場で新たな舟に乗り換えて、また、旅を続けたのです」
「難所の横にできたのが町なんですね」
「はい」
教授は煙草のパイプを口にくわた。
僕と教授の間には灰色の猫がいて、眠っていた。寝ているくせに、ときどき、きき耳をたてるように、ちょっとだけ、動かす。
学生服を着た僕が教授にきいた。
「教授、それで、どうして『まち』と呼ばれるようになったんです?」
老紳士がドーナッツみたいな煙を吐いた。
「素敵な人が待っているかもしれないじゃないですか。だから『まち』です」
「えっ?」
僕はあっけにとられた。
ガス灯がつけられた。車窓からは、流れゆく不夜城の街並みが風に乗って流れてゆくのがみえる。
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電網都市「夢都」。昭和初期をイメージしたノスタルジックな景観で統一されたバーチャル都市だ。人口五百万。登録者会員たる住人は、ここに棲家を構えて、現実の人生とはまた別の生き方を楽しんでいる。
住民は分身を操って、スマートフォン、タブレット、パソコンといった媒体画面に映し、それを操って街を歩いたり、会話したりすることができるのだ。
僕、恋太郎がここの住人になってからまだ日は浅い。
起動したパソコン・モニターに表示された会員登録画面をクリックする。すると、路面電車の停車場が現れて、人の群れの中に立つと、足元に、灰色の猫が現れた。
「やあ、坊ちゃん、待ってたぜ。俺は案内役のアンジェロだ」
アンジェロと名乗った猫は、灰色で耳が大きく尻尾が太い猫だ。停車場の床に腰かけこちらを見上げている。
「坊ちゃんの名前は?」
登録画面に、僕は、「田村恋太郎」と打ち込んだ。
「ふりがなは?」
「たむら・れんたろう」
「恋太郎坊ちゃん。よろしくな。じゃ、ゆこうか」
路面電車がやってきた。
先に乗った人々に続いて、尻尾を立てた猫が乗る。車掌の女の子が呼子を鳴らして発車を告げたので慌てて乗った。
黒い瓦屋根の平屋または二階建ての和風建物が多い。大半はそんな感じだが、たまに、蔵や洋館なんかもあった。軌道は、運河に面した大きな通りの真ん中に敷設してあった。
町は世界のど真ん中にある満月湖の畔にある。
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ポモリ教授との間に伏せて寝ていた灰色猫のアンジェロが、起き上がって、僕にきいた。
「恋太郎坊ちゃん、この町には夢都学院っていうのがある。サイバー学園つまり、インターネット通信制の高校・大学・大学院の一貫校でね、希望者を募って、講義がおこなわれている。テストに合格すれば、現実と同じように各学校の卒業資格を取得することまでできる。ただし受講は有料だけどな。やってみるかい?」
「夢都学院? 東京の服飾学校みたいな名前だなあ。月謝は?」
「五千円だ。支払いは電網通貨になる。」
「ちょっときついな」
「まあ、毎夜、酒を飲んで酔っ払うのも人生。学び屋に通うのもまた人生。無理強いはしないがね」
路面電車が停車場に停まる。
艶やかなピンクの着物に袴、ブーツを履いた女学生が、友達とじゃれあって、乗ってきた。僕の前に立つ。
華やいだ風が吹いたような気がした。
ポモリ教授が女学生に席を譲る。
僕もつられて席を譲った。
「え、いいんですか?」
「レディー・ファーストだよ」
教授が笑う。
乙女たちが、「可愛い」といって、案内猫を抱き揚げようとした。
猫は、ニャン、という代わりにこう答えた。
「お嬢さんがた。悪いね、抱っこが苦手なんだ」
尻尾を立てたアンジェロが僕の肩に跳び乗った。
湖にぽかりと浮かんだ、絶壁の小島があり、煉瓦橋が島まで続いている。橋脚がアーチを描いている。学校はゴッシック風な修道院のような巨大建物だ。
「あれが学校だ」
「なんだか、『ハリー・ポッター』のボグワーツみたいだな」
「そんな酷い。制作・運営スタッフがパクったとでもいうのかね、恋太郎坊ちゃん?」
「ご、ごめん」
「坊ちゃん、ボグワーツをパクったというのは公然の秘密だ。それをいったら野暮ってもんだ」
「野暮……」
長椅子に腰掛けた乙女たちが、僕や教授、それから不思議な猫・アンジェロを上目づかいにみて、くすくす、笑った。
踏み切りを車両が渡ろうとしたとき、やんちゃんな小学生が、バーをくぐって横切った。車両はキューブレーキをかける。車内の乗客たちが転びそうになる。
長椅子に座り切れずに、僕の横に立っていた、紅の大きなリボンの女学生が僕の腕に倒れ込み、抱きつく格好になった。
「ごめんなさい」女の子は真っ赤になって一礼した。
「お気になさらずに」
学校を卒業してからしばらく経つ僕だが、再度、高校からやりなおすのも藪坂じゃない。
車窓から、桜の花びらが一枚舞い込んだ。
案内猫は、「受理したよ」といってから、僕の不純な動機を察して、なにかいいたげに小首をかしげたが、言葉を続けなかった。
教授はドーナッツのような煙を吐いている。
了
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ノート20130905




