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掌編小説/魔女がいた古書店

「おや」

 とつぶやいた店長が、手垢にまみれたページをぱらぱらとめくる。きのう引き取った古本に異変が起きていたのだ。レジの前にいる店員をみやった。

 看板娘が応対している客は、幼子を連れた母親だ。

 エプロン姿の店員が、客がいった題名の本を、本棚から、またたく間に探しあてた。瞬時にみつけだし、客に渡す。

「いつもながら素早いわね」

 その人が微笑む。

 少しかがんで子供の頭をなでている。

「へえ、恋太郎くんっていうんだ。素敵なお名前ね」

 その子が頬を赤くした。

 母親が、「なに照れてるの?」といって笑った。

 長いカウンターの端で、ひきとったばかりの書籍を整理していた店長がつぶやいた

(儂ですら捜すのに何分もかかるのに……。店の全部の本を頭に入れているんだな。あのこがきてから本棚が綺麗になった。というか店自体が華やかだ。本たちも喜んでいると思うよ)

 しおさい書房は、「海岸通り」と呼ばれる国道バイパス沿いにある小さな店だ。店員は学生で夏休みや冬休みといった学校の長期休暇になると帰省して、そこでアルバイトをするのだ。たしかに店長がいうように、埃をかぶった書籍たちも、心なしかみな綺麗になっているような気がするから不思議だ。

 少し背が高い娘で、長い髪に細面、切れ長の目をしている。彼女をめあてにくる男性客もいるのだが、本好きな奥様方のウケもよかった。でっぷりとした白いあごひげの店長は、その店員がアルバイトにやってくる期間、本の売り上げが倍近くになるのも当然のような気さえしてくる。不思議なものだ。

 店長は、持ち込まれた古本を何気にみた。

 『アラビアのロレンス』、『ハプスブルク一千年』、『カザノヴァ回想録』……。どれも文庫本仕様になっている。

 岩波新書刊行、中野好夫著『アラビアのロレンス』は一般向け学術書だ。第一次世界大戦の考古学者あがりの青年将校がトルコ帝国の支配下にあったアラブ人藩王国の王族の軍師となって叛乱を画策するT・E・ロレンスの伝記だ。ピーター・オトゥール主演の映画がヒットしたこともあって、小説並みに売れている。

 新潮社の『ハプスブルク一千年』は、いわずとしれた欧州皇帝の族を描いたもの。華麗な宮廷文化に興味を持つ若い女性たちを対象にした一般書だ。下ネタ口調のエピソード集だ。

  河出書房刊行の『カザノヴァ回想録』は、ジャック・カザノヴァの著作で、窪田般弥が翻訳している。著者は十八世紀のヴェネチア貴族と女優の間に生まれた絶世の美男子だ。ビジネスマン、外交官、スパイ、政治家、哲学者、魔術師、小説家、劇作家という顔を持ち、欧州諸国であまたの女性と浮名を流す。

 どの書籍にも痛みがあった。

 『アラビアのロレンス』は、ヘアピンがしおりにしてあって、錆びて本を赤くなったページがある。ちょうど、ロレンスが単身でトルコの町を内偵していたところ、男色趣味のある帝国軍司令官につかまって拷問を受けるというくだりで、巻末近くあたりだ。本の元の持ち主は、そこから一気に最後まで読み切った。そしてヘアピンを取り忘れたに違いない。

(ショートヘアの女子学生というところかな)

 『ハプスブルク一千年』は、ブックカバーが色あせていた。恐らくは日当たりのいい部屋の本棚で保管されていたのだろう。中に小さな封筒が挟まっている。開いてみると折り畳んだメッセージカードがある。「お誕生日おめでとう。あと一年だね、頑張ろう! 俊彦」 元カレのようだ。

(学校と一緒にカレにも卒業したのかな?)

 『カザノヴァ回想録』には随所に赤ボールペンで線がひかれていた。官能描写がいくつもありそういうところに、一本線、二本線、さらには波線までひかれていた。読書障害があるのだろうか。

(おっさんか、学生か。いずれにせよ、変態だ!)

 老店長は閉店間際に、看板娘がぱらぱらとめくってから、オーケストラ指揮者のように人差し指を宙で三度振ったのをみた。

 ――な、なんだ? まるで呪文をかけているようだぞ。

 その娘が帰ると、オレンジのような香水のにおいだけが残っていた。シャネルだ。

 奇跡に気付いたのは翌日だった。

 店長がカウンターをみると、三冊の本は、各コーナーごとに、本棚に並べられていた。ちょっと手に取って開いている。汚れや、書き込みが一切消えて、新品のみたいになっているではないか!

.     

 彼女は大学を卒業すると高校の化学教師になった。店の常連客女性の息子さん・田村恋太郎たむら れんたろうが教え子になっていた。

 しばらくすると、筑波にゆき、国際宇宙ステーションで宇宙飛行士として数か月を過ごした。

 さらにだ。その恋太郎と結婚して、子供を産んでいる。

 塩野麻胡しおの まあこ……。

 「塩」というのは、化学反応による結晶で、原理を知り尽くした存在は中世欧州の錬金術師を思わせる。麻胡の「麻」は、魔女の「魔」から「鬼」をとった文字だ。「鬼」は幽霊で実態はないが麻胡という人はいまそこにいる。下の「胡」は西域をさしている。「西からきた魔女」ということか。さもありなん、お祖父さんは戦前日本に西からやってきた華僑出の外科医だったという。大陸には、同音で麻姑まあこという女仙人の伝説さえある。その系譜だという噂がまことしやかにささやかれたこともある。

.     

 休暇で帰省すると、彼女は、ひとまわりふたまわり年下の亭主や幼子を引き連れ、店に遊びにやってくる。

 麻胡という人が、軒先をくぐったとたんに、ふわっ、とあの香水の匂いが漂った。

 ミニのワンピース、タイツ、シューズ。みな黒で統一しているのだが、細くくびれた胴に回した赤いベルトのバックルは金になっている。

(いったい、あんたはいくつなんだ!)

 あれから二十年は経つ。まったく年をとっていないではいか。いや、逆に若返ってさえみえる。

 頭に霜を戴いていた店長だが、すっかり抜け落ちて砂漠化している。まさかとは思っていたのだが、近頃は確信したという。

 ――やっぱり魔女だ!

 と。

     了

.

ノート20131204

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