掌編小説/温泉妖精・足袋隠し
長く付き合っていた大学時代の彼女。二人とも寮暮らしの貧乏学生だったので、デートといえば図書館で、アルバイトの月給が入ると、奮発してファミレスで食事をするのが精いっぱい。けれどその人は笑みを絶やさない。
別れたのは小田急線の生田駅。春だった。卒業式の後、恋人は故郷の九州に帰っていった。しばらくは手紙や電話でやりとりしていたのだけれども、三年も経つと、さすがにそういうこともなくなって、すっかり縁遠くなってしまった。
その町に残った僕だが、東京の会社に就職して早々、仙台支社に転勤になった。
住めば都というものだ。僕は仕事から寮にかえる際、ときどき、遠回りをして西郊・秋保温泉というところに行ったものだった。ビルになった宿が並んでいて、そのなかに埋もれるかのようにあるのが、共同浴場だ。平屋寄棟で、玄関のサッシを開けて発券機からチケットを買い、カウンターの親爺さんに渡す。
貴重品入れのロッカーに百円を入れ、男湯の暖簾をくぐり、脱衣場・下駄箱に靴を突っ込み、壁に貼りつけたかのような衣服入れのボックスに、脱いだ服を放り込む。
持ち込んだ石鹸で身体を洗う。洗い場にはシャワーがない。頭を洗った後は洗面器で根気よく洗う。湯船には三人ばかりが入ることができる。畳にしたら一畳強といった広さしかない。ほかに三人ばかりいたけれど、湯船の外でほてった身体を冷ましているのだ。窓は少し開いている。静かな秋の夜で、風はないのだが、ひんやりした空気がかすかに湯煙の中に入ってきた。
「兄さん、『足袋隠し』って知ってるけ?」
「足袋隠し?」
声をかけてきたのは、隣にいる熱い湯で剥げて赤ら顔になった爺様だった。
「脱衣場で服を着ようとする。それで足袋を履こうとする。そのとき二足あって、片方を履き、もう一方を履こうとしたとき、そいつがなくなっているってことがよくあるんだ」
「靴下泥棒ですか?」
「いやいや悪戯されるっていうことは好かれているってわけで、靴下の代わりに福をくれるっちゃ」
「福の神みたいなものですか?」
「そうそう、子供の福の神」
「なんだか座敷童みたいですね」
それにしても、靴下にお菓子でもつめてくるのか。サンタクロースみたいだな。しかし新品の靴下ならまだ食べられるけれど、洗濯していても使い古しの靴下にキャンディーを突っ込まれたらかなわない。まず食べたいとは思わない。それに靴下がべたべたになったらどうするのだ。
風呂をでて、脱衣場にぽつんと一つ置かれた壁際の椅子に腰かけ靴下を履く。そのときだ、一つめを履くと、湯船の爺様がいうように、二つめがなくなっているのに気付いた。脱衣箱、床を探しても見当たらない。
(え、ほんとうに、『足袋隠し』っているのかよ!)
とくにお気に入りの靴下というわけではない。玄関の長椅子に腰かけて、カウンターの親爺さんに牛乳を注文して飲んでいた。瓶をカウンターに返して、サッシを開けて外に出る。ほぼ同じとき、隣にいた爺様も脱衣場からでてきて玄関先にでてきた。赤いカローラⅡがそこに停まった。
「お祖父ちゃん、むかえにきたよ」
車の運転席から降りてきた若い女性が、爺様を助手席に乗せようとでてきた。そのとき僕と目があう。
――君は!
あの春別れた彼女だった。母方の実家が仙台なのだとかで、休暇で来ていたというのだ。
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学園高等部・化学の授業が始まる直前の休憩時間。
毎度小劇をやっていたのは、僕・田村恋太郎、のっぽな悪友・川上愛矢、そして黒縁眼鏡の委員長の三人だ。
観客は女子が多かった。そのなかに、いつの間にきていたのだろう、憧れの塩野麻胡先生もいた。
白衣に長い髪を垂らし、長机に頬杖をついている。切れ長の目で微笑んでいるその人は、『指輪物語』にでてくるエルフを思わせるような完璧な容姿をもっていた。
「女の子ウケする素敵なお話ね」
(そういっていただけて光栄です。小劇は女子ウケすると思って演じているのですが、僕たち三人、どこまでもモテないトリオでした~)
出演者は、青年役が田村恋太郎、大学時代の恋人役が川上愛矢、温泉にいた爺様役が委員長である。
了
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ノート20131203




