掌編小説/魔法童女とお隣の猫、ついでに悪魔執事
とある幼稚園に通う女の子の話をしよう。その子の友達はあまりにも多かった。同じ幼稚園に通う園児たち、隣の家の綺麗なお姐さん、近所の将棋倶楽部のお爺ちゃんたち、商店街の小母さん、派出所の婦警さん……。ついでに小鳥やら犬、そして隣の家の猫までいた。
各家のパパやママたちが、クリスマス飾りのイルミネーションをつけるころだ。その子は庭先で薔薇に水やりをしていた。ほどなく茶の時間になるというころだ。
「お嬢様。よろしければ、私とも仲良くして戴けませんか?」
重苦しい霧が立ちこめる。
格子門前で脚をとめた訪問者は、大きな黒い犬だった。狼のような外見だが、とても礼儀正しい。首輪をつけていないところをみると、飼い犬ではないようだ。
童女は赤いリボンで飾った長い髪の童女だ。切れ長の眼をしている。両脚を長いスカートで完全に隠している。
「首輪をつけないと、保健所の人に連れてゆかれますよ。山奥の施設に一定期間・預けられ、引き取り手が現れないと、ガス室で処分されるのだそうです」
「これは一本とられた。詳しいのですね。ときに賢いお嬢様のお名前は?」
童女は名前をいわなかった。
「なぜ名乗らないのです?」
童女は小首を傾げた。
黒い犬は少し声を上ずらせてもう一度、「なぜ名乗らないのです」ときいた。
童女はまた小首を傾げた。
「だって黒い犬って悪魔の化身なんでしょ? 貴方に名前をいったら、奴隷にされてしまいますもの」
「うっ、読まれている」
黒い犬は困った顔だ。
シオサイ市の海岸通りから少し山間にいったところにあるのがタニゾコ駅だ。南側が市街地になっており、北側にある裏山が城跡になっている。北口から城跡を登るテイネン坂をどこまでも登ってゆくとシロヤマ大学のキャンパスに至る。テイネン坂は私立で停年というものが存在しない学園の講師たちが、登れなくなると、自主的に辞めてゆく。そのことに由来しているらしい。
坂の途中に、スペイン南部にあるグラナダ・アブハンブラ宮殿の一部を切りとったような屋敷があるのに気づかされる。平屋建築で、スパニッシュスタイルというのだそうだ。波のようにうねった形をした黄色い塀。通りに面した格子門をくぐると、むわっ、と薔薇の香りが漂ってくる。
〝SHIONO〟
郵便受けにはそう書かれている。
ローマ字表記された姓を漢字にすると塩野となる。だが家の人に詳しくきくと、何代か前のお爺さんが台湾からきた医師で、現地の看護師さんを奥さんにして日本国籍を取得し帰化したのだそうだ。
塩野。……それが童女の姓だ。
波のようにうねった塀の上には灰色の猫が一匹、先ほどから、黒い犬との様子をうかがっていた。あまり興味を持ってはいない様子。しかしながら、ときどき、大きな耳をたてたり、アーモンドみたいな双眼のうちの片方を開けたりしていた。
不意に童女が猫のほうを振り向く。
大きく伸びをした灰色の猫が、大義そうに、立ち上がる。
黒い犬の尻尾はふさふさしている。それが炎を上げた。疎ましいとでも考えているかのように、頭は咬まんとして、くるくる回りだす。
童女が跳び退いた。
灰色の猫の動きは、黒い犬が読めないほどに速い。いつの間にだか背後である通り側に回りこんでいた。
「四大呪文。……燃えろ、火の精ザラマンダー。うねれ、水の精ウンディーネ。消えろ、風の精ジュルフェ。勉めろ、土の精コーボルト。……四大を、その力を、そのさがを、知らぬ者は、霊どもを支配する力を持たぬ。……ザラマンダーは炎となって消えろ。ウンディーネは音を立てて流れ寄れ。ジェルフェは流星となって美しく輝け。コーボルト、コーボルト、家事を手伝え。さあ、姿を現して、けりをつけろ!」
ゲートが開く。
黒い犬を屋敷内に追いたてるかのように、猫は、こういった。
しかし、尾っぽがふさふさとした犬は動じない。
猫が舌打ちした。
「ほお、低級悪魔かと思っていたら、意外に一角の者だったか」
そして「敵」の背後にある郵便受けをみやった。するとどうだ。蓋が開いて、どういうわけだか中にあったパンが地面に転がり落ちたではないか。パンの表面には十字が刻まれている。
黒い犬が、「罠……というわけか!」とつぶやく。
灰色猫は答え、呪文をまじえた問いを敵に浴びせた。
「そういうことだ。魔界よりきたる者だな? ……パンに刻まれた『印』をみるがいい。妖しの者にあがなうことなどできはすまい。黒犬よ、総毛立ち、膨れ上がっておるな。魔性の貴様に、この『印』が読めるか? 生まれたことなく、語りつくされたということなく、無窮の点に注がれ、非道にも刺し貫かれた御方・キリストの『印』が!」
狼のような体躯で、ふさふさとした尻尾の黒い犬。そいつが、ゲート前で呪縛され、象のように膨れ上がっていた。大きくなった身体は半ばかすみ、やがては消え去ろうとしていた。
しかし灰色猫は許さない。「ドS」なのだ。
「『闇』に帰ることなど許さぬ。わが足元に平伏しろ。どうだ。ただの脅しではなかっただろう。神聖な火で貴様を焼いてやろうか。三位一体の形をとった炎の紋章をみよ。その炎で焼かれたかろう? 己の術の最後のものをくらいたいのか?」
深く立ちこめた霧が消え陽射しが戻ってきた。
するとだ。狼みたいな黒犬は、黒いタキシードを羽織った紳士の格好に姿を変えた。
童女が、耳の大きな灰色猫と黒タキシード紳士の間に割り込むように入ってきた。
「降参ですか?」
「降参です」
「ならば、御名をお教え下さい」
「メフィストファレス。……メフィストとお呼び下さい」
「メフィスト、私を訪ねた理由は?」
「至高なる神・上帝は懐深い。敵対する魔界の私が、天上界の庭で遊びにゆくことも許して下さる。上帝と私はチェスもします。それで敗けました。罰ゲームとして、『貴女様を誘惑してこい』といいわたされたのです」
勝負に勝った灰色猫が口を挟む。
「幼い彼女をみて、ちょろい、楽勝だと思ったのだな?」
「思わないほうが不自然というものでございましょう」
「上帝は根が優しい俺と違って本性が『ドS』とのことだ。気をつけた方がいいぞ」
「はい、以後・気をつけます」
黒タキシードの紳士・メフィストは、「勝負」に敗けた。先に自分の名前も告げた。これで、童女と灰色猫が、彼の術にかかるという危険は去った。
そこで、童女が自分と猫の名前をようやく名のったというわけだ。
「私は塩野麻胡。彼はお隣に住んでいるアンジェロよ」
メフィストは、再度、童女に語りかけた。
「麻胡様。もしよろしければ契約しませんか? なんなりとお申し付け下さい。アラブ王族あるいはジャーニーズ系アイドルと御結婚とか……どんな夢でもかなえましょう」
「私、大した夢なんかもってない。化学の先生になって、それから宇宙飛行士をやって、十歳以上離れた年下彼氏をお婿さんにするの……」
黒い紳士が、「十分に野望といえます」といって目を丸くした。そして、「さればその素敵な野望を現実にするお手伝いをせて下さい」とまたもちかける。
だが、長い髪に紅いリボンをつけた童女・麻胡は、「自分でやり遂げます」といって笑い、申し出をきっぱり断った。
メフィストはさらに目を丸くした。
――惚れた。貴女様の執事になりたい!
二人と一匹は、小春日和の薔薇庭園に置かれた丸テーブルを囲んでティーパーティーを始めた。固めの杯というわけだ。……とはいっても灰色猫は猫舌だから、ウエッジウッドの皿を満たしたミネラルウオーターでもてなされたわけだが。
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三十数年が経った。その間に、塩野麻胡は高校で化学の教鞭をとった後、筑波にゆき宇宙飛行士になった。そして森の小さな教会で結婚式をあげたのである。
新郎は、文字通りピチピチしていた。高校時代の教え子で田村恋太郎という青年だ。その親友である川上愛矢が牧師となって式に立ち会った。
父親役でエスコートをしたのが執事メフィスト、そして、新郎新婦をバージンロードで先導したのが灰色猫だった。
「元悪魔」は先をゆく灰色猫にきいた。
「そろそろ教えてくれませんかね? 麻胡様が魔女ではないところの仙女だったということは判った。残るはアンジェロ様だ。貴男様の正体が知りたい。御名は『天使』を意味する。実際のところ『天使』なのでしょうかな?」
彼は振り向いた。
――俺かい? 猫だよ。
了
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注釈・引用参考文献/
呪文及び悪魔との問答に関して、ゲーテ著 高橋義考訳『ファウスト』新潮社 1967年初版 2011年第79冊「悲劇 第一部・書斎」100-104頁を参考にした。
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ノート2013/12/09




