掌編小説/恋がはじまるレシピ
「とにかく、君はネガティブオーラが濃厚なんだ。いちいち溜め息をついては、寒い・暑い・疲れた・つまんない・なんかいや、あのときこうしてればよかったのに・だからいったじゃないが口癖だよな。なんとかしなきゃならないときに、私にはできない、といって逃げる。そのくせ、僕がなにかやろうとすると、でも貴男にはできっこないって否定する」
「レストランに呼び出したかと思ったら、いったい、なんなの?」
「つまり別れたいってことだ」
「えっ?」
「あ、勘定は俺がだしておくから」
彼はレジにいって、それから席に戻ってこなかった。
あっけない別れの瞬間、涙はでてこなかった。
フレンチレストラン。繁華街の片隅にある目立たない店だ。古びた五階建てビルの二階で外付け階段を昇ってゆくとある。店内の壁にはロココ風の壁紙が貼られていて、噴水池の縁に座る貴族のカップルが愛を語り合う絵が描かれていた。
彼が帰ってからどのくらい経ったのだろう。席で眠ってしまったようだった。
腕時計をみると二時を回っている。ラストオーダーの時間からはだいぶ過ぎている。もちろん、五席ばかりある机には、私のほかには客はいなかった。
オーナー・シェフがカウンターからでてきた。若い。しかもイケメンだ。ジャニーズ系というのではない。明治時代を舞台にした映画にでてくる軍人さんみたいな、凛としたタイプ。その人がいった。
「終電時間は過ぎましたね。良かったら家まで送って差し上げますよ。その前に、なにか食べませんか? さっき、お相手の方と込み入った話があって、ろくに食べてなかったでしょ? まかないですけどね」
皿は片付けられている。
私はカウンターに移った。
その向こう側にいるシェフは、冷蔵庫からタッパ―を取りだす。ズッキーニが入っていた。それを薄切りにして小麦をまぶす。
私は黙って彼の指をみつめた。繊細だ。そうピアニストのように細く長い。
フライパンで焼き、塩・胡椒をふりかけ、皿に盛り、パセリの微塵切りを散らす。
手際がよいというよりも、これは指先がなす芸術で、舞いをみるようだった。
香ばしいオリーブオイルに塩みが重なったハーモニー、私一人のためになされたコンサート。酔ってしまったのはいうまではない。
微笑むシェフがカウンターに料理をだす。
「はい、召し上がれ」
目があった。
きゅん♡
.
「おい、先生がきてるぞ!」
黒縁眼鏡をずりあげて耳打ちしたのは委員長だ。
ランチタイムが終わって午後の授業が始まる直前、中・高一貫校の高等部校舎三階にある教室だった。
僕は、川上愛矢それから委員長と例のごとく「妄想劇」をやっていた。恋人を捨てる男の役を演じたのが委員長。シェフ役を演じたのがのっぽな親友・愛矢だ。
――田村恋太郎。ふーん、ヒロイン役もこなすのね。
いつのまにきていたのだろう、観客である女子の群れの中に、その人が混じっていた。
長い髪、切れ長の双眼、白衣を着ている。机の一つに座って頬杖をつき、優しく笑っていた。
塩野麻胡、化学教師。憧れの人だ。
みられてしまうだなんて……。
ぽっ♡
了
参考文献/猪本典子ほか『修道院のレシピ』朝日出版社2002年「ズッキーニのソテー」より
ノート20131019




