第三章 サーシャ・シロツメ 下
「さすがはアオイ。今日の朝食もいい出来だったよ」
「喜んでもらえてよかったです、母さん」
話しながらもアオイは手際よく後片付けを始める。ガレイたちのように朝から仕事があるものたちは既に出発してしまったため、その分もとなると結構な量だ。
「さて、それじゃあ私はもう一眠りさせてもらおうかね。至福の二度寝・・・」
「あいやまたれい」
自室へと戻ろうとするアカネの襟元をがっしりと掴みながらゼクディウスはそういう。
「な、なんだい?」
わざとらしくそう口に出して見せるアカネ。しかし、ゼクディウスはそれに何を感じるでもなくアカネを引きずり寄せる。
「朝食は全部アオイに任せたんですから・・・片付けぐらい手伝っても罰は当たりませんよ」
「おや・・・それもそうかねぇ。だけど・・・寝るのも悪くないと思うんだよねぇ」
「あなたはそれでもみんなの母親役なのですか・・・?」
思わずつっこみを入れるゼクディウス。
「やれやれ・・・まあ、手伝うとしようかね。どうせやることないし」
「やることがないなら最初から手伝っていただきたい」
「まあいいじゃないか。やらなきゃならないという決まりがあるわけでもなし」
やれやれ、と呟きながらアオイのほうをみやるゼクディウス。
アオイは相変わらずテキパキと食器の片づけを行っているが、その視線に気がつくと苦笑いを返して台所へと大量の食器を持って入っていった。
サーシャはその後について台所の中へと入っていった。手がぬれているところを見ると、食器洗いをしているらしい。
「それにしても・・・あの子を部屋から連れ出すとはね。一体どんな手を使ったんだい?」
「サーシャなら、自分の意思で出てきたんですよ。話を聞く限り、自分を変えたいという感情は前からあったようです。それで、俺がやってきたのを機会にしよう、ということではないかと」
「なるほどねぇ・・・来てすぐなのに、ずいぶん信用されたものだね」
「ええ。身近な成人男性というところがサーシャの気に入ったようです」
それに頷くアカネ。
「確かに、大人の男ってのは頼りがいがあるってあの子は考えていそうだからね。おまけにちょっと話せばお人よしだと分かる性格のあんただ。あの子が頼ってみようと思ったのも、当然かもしれないね」
そういいながら片目を閉じるアカネ。
「身近な年上の男・・・兄か父かはともかく、しっかり守ってやっておくれ。私には出来ない分までね」
そういうと、ゼクディウスの肩に手を置き、アカネは食堂を後にした。
「アカネさんには出来ない分まで、か・・・」
そう呟くと、ゼクディウスはアカネに手を置かれた肩に己の手を当て、自分に何が出来るものか、と考え始める。
「異性だからこそ出来ること・・・それが俺にしか出来ないことのはずだ。だったら・・・精一杯、それをしてやろう」
自分の決意を言葉にして確認するゼクディウス。しかし、そのとき彼はあることに気がついた。
「アカネさん結局何もせずに自分の部屋に・・・! やられた・・・」
それに気がついたゼクディウスは、とりあえずはサーシャの分まで皿洗いをするところから始めよう、と考えるのだった。
「次からはごまかされないようにしよう・・・気をつけよう・・・」
そうぶつぶつと呟きながら台所へと向かうゼクディウス。
そんな彼を待ち構えていたのはあまりにもありがちな展開であった。
「あ・・・」
「ゼクさん! 危ない!」
台所に入ると、皿を持ったサーシャがゼクディウスのほうへと転んできたのだ。
「く・・・っ!?」
とっさの判断でサーシャの体を抱きとめることに成功するゼクディウス。しかし、皿のほうまではどうしようもない。
「つっ!」
サーシャを抱きとめたゼクディウスの足に痛覚が走る。
「ゼクさん! 大丈夫ですか!?」
「ああ、平気だ・・・これくらいなら、なんともない」
ゼクディウスの足には、床に落ち、割れた皿の破片が刺さっていた。
「ごめん、なさい・・・私の、せいで・・・」
転びそうになった驚き、抱きとめられた戸惑い、そして自分のせいで怪我をさせてしまったという罪悪感からか、途切れ途切れにそう口にするサーシャ。
「心配するな。これぐらいの怪我、すぐに治るさ・・・しかし、俺って本当に運がないな。偶然皿が刺さるように飛んでくるなんて・・・」
「・・・私が、結界で守ればこんなことには・・・私の、唯一の特技なのに・・・いざというときに、役に立たないなんて・・・」
ゼクディウスのごまかしも聞かず、サーシャは自分のせいだと落ち込み続ける。
「心配するな! 小さな怪我だからすぐ治る。痛くもない。だから、お前は気にする必要はないんだよ」
「私のせい・・・私のせいで、お兄様に・・・」
何とかその思いを打ち消させようとするものの、サーシャは自分の世界に入り、どんどん落ち込んでしまう。
「サーシャ・・・おい、サーシャ!」
肩をつかみサーシャの体を軽くゆするゼクディウス。
「んだよ、うるせぇな・・・なんかあったのか?」
そのとき、台所に一人の少女が入ってきた。
「お前・・・ローザ?」
「そうだけど・・・何があったわけ? その白いの、例の引きこもり?」
ローザは明らかに不機嫌そうにサーシャのほうを見る。それと同時に、周りに散らばっている皿の破片と、微量ながら血が流れているゼクディウスの足もローザの目に入る。
「はぁ・・・なるほどね。めんどくせー」
そう呟くと、ローザはゼクディウスのほうまで歩み寄り、しゃがみこむと、ゼクディウスの足に刺さっている皿の破片を勢いよくぬいた。
「いてっ! 何するんだよ!」
「うるせえ。黙ってろ」
そういうと、ローザはゼクディウスの足の傷口に手をかざす。
すると、ローザの手から光が発せられた。その光はゼクディウスの傷口をてらす。すると、ゼクディウスの傷口がたちまち治りだす。
「お前・・・治癒術が使えるのか?」
治癒術はかなり高度な呪文のはずである。少なくとも、ゼクディウスはそう記憶していた。
「・・・まあな。ほら、白いの。こいつの怪我はもう治ったんだ。いつまでもうじうじしてんじゃねぇぞ」
ローザがそういうころには、ゼクディウスが怪我をしたというのは、ズボンにあいた小さな穴とかすかについている血でしか分からなくなっていた。
「あ、ありがとう」
「てめーのためにやったんじゃねぇ・・・白いのが泣き出しそうだったからその原因をなくしただけだ。さっさと片づけをすませてオレにも朝飯を出してくれ」
そういい残すと、ローザは台所をあとにした。あとには、呆然とした様子のサーシャたちが残される。
「・・・お兄様、もう、平気なのですか・・・?」
その場の沈黙を打ち破ったのは、意外にもサーシャの言葉だった。
「ん、ああ。もう平気だよ。だから、もう落ち込むんじゃないぞ。それにしても、ローザに感謝しないといけないな」
「ローザ・・・あの方の名は、ローザとおっしゃるのですね」
そう呟くと、サーシャはそっと胸に手を当てた。どことなく頬が赤くなっているようにも見える。
「・・・シロちゃん? ローザは女の子だよ? 確かに胸ないし、背も高いし髪も短くて男の子みたいだけど・・・」
「・・・心配しなくても、声で分かります。外見は確かに男性的でしたが、声はまちがいなく女性のものでしたから・・・それに、女色の気は私にはありません」
どこか別の意味で心配そうなアオイの言葉に失礼な、と言う表情で答えるサーシャ。
「そ、そうだよね! 私ったら何言ってるんだろう・・・」
自分の言葉を恥じてかうつむくアオイ。しかし、その口元はどこか緩んで見えた。
「アオイ・・・?」
なぜにやけているのかを聞こうとしたとき、食堂のほうから騒がしい声が聞こえた。
「あ、ミウメとサクラも起きてきたみたいですね。早く朝食を出さないと」
「あ、ああ・・・そうだな・・・」
戸惑いながらも返事を返すゼクディウス。しかたなく、朝食の準備へと戻る。
「割れたお皿は私が掃除しておきます。だから、二人はみんなに朝食を出してあげてください」
いいながらもほうきとちりとりを持ち出し、割れた皿の処理を始めるアオイ。慣れもあるのか、実に手際がよい。
「分かった。それじゃあこっちは任せるぞ。サーシャ。今度はパンを持っていってくれ。サラダは俺が持っていくから」
「・・・はい、分かりました」
ゼクディウスの言ったとおり、パンを入れた袋を持つサーシャ。おずおずとゼクディウスの後について多少ふらつきながら歩く。
「おはよーございます、先生! アオイさんのお手伝いですか?」
「おはよーございます、先生! アオイさんの下僕中ですか?」
互いに声を重ねてそう口にするミウメとサクラ。その挨拶に苦笑いを返すゼクディウス。
「誰が下僕だ、誰が・・・俺はアオイの手伝いをしているだけだよ。それとも、男が食事の準備を手伝っているのがそんなに珍しいか?」
「えー、だって・・・ねぇ? ミウメ」
「お母さんだってそんなに手伝わないよ?」
その言葉を聞いてゼクディウスは後でアカネに一言物申すことに決めた。この二人はイタズラ好きだから言葉を真に受けないほうがいいのだろうが、言葉半分と見てもアカネがアオイに朝食の準備をほぼ全てやらせているであろうことは想像できる。
「あの人は・・・まったく」
ゼクディウスがそういうのを聞いてクスクスと笑う二人。
「とりあえずは、朝食だ。サラダボウルおくから、ローザのほうにまわしてくれ」
「うー・・・野菜嫌いー」
「私だって嫌いだけど・・・よく考えて、サクラ? これはアオイさんが一生懸命作ってくれたサラダなんだよ? そう考えたら、ちゃんと食べなきゃ、って気にならない?」
「本気でそう思うんだったら自分の分をローザの皿にうつすのをやめるんだな」
ゼクディウスに注意をされると、ばれたか、といってうつそうとした分を元に戻すミウメ。
「ちぇー、ばれないと思ったんだけどな・・・はい、ローザさん」
「どうも・・・それと二人とも。野菜は体にいいからな。ちゃんと食べたほうがいいぞ」
そういいながらサラダを受け取るローザ。それを言われた双子はどちらもいやそうな顔をしている。
「ローザさんって・・・俺とはじめてあったときはローザお姉さまなんていっていなかったか?」
「そんな堅苦しい喋り方いつもしてるわけないでしょー?」
「いたずらしたってばれないようにいいこの振りしただけだよー」
そう言って双子は笑い出した。
「なるほど、俺は二人の罠にまんまとはまったってわけだ・・・ちくしょう」
「「私たちみたいな小さな子供の罠にかかるなんてブザマねー!」」
完全にタイミングを合わせてゼクディウスを馬鹿にする双子。
「大人の力ってもんを見せてやろうか? ガキども」
悪そうな笑みを作りながら冗談半分でそう言い返すゼクディウス。
「きゃー! こわーい!」
「ローザさん助けてー!」
「うるせぇ。メシくらい静かに食え」
冷たくそう言い放つローザ。その瞳は双子達のほうに向けられてすらいない。
「つめたーい! でも・・・」
「そんなところがキュンキュンしちゃうー!」
「・・・やかましい、クソガキども。泣かすぞ」
「「きゃー! かっこいー!」」
騒がしい双子を前に、サーシャは少しひるんでいるようだ。パンを無言でゼクディウスのほうに突き出しているあたりから想像しても、二人の近くに行きたくないというのはまちがいないだろう。
しかし、そこでふと気がついたようにローザのほうを見ると、とことこと歩み寄り、パンを皿の上においた。
「・・・オレには近づいても平気なんだな。騒がしいのが苦手なのか?」
「人が苦手だけど・・・あなたは、お兄様に優しくしていたから・・・」
「オレはあいつに優しくしたつもりはない。お前が泣き出せばグスグスうるさいだろうからオレの得意な治癒術を使ってやっただけだ」
「・・・やっぱり優しい」
その言葉に舌打ちをすると、ローザはあっちに行けといわんばかりに手を振った。
「・・・この二人にはお兄様から」
「ああ、やっぱり人が平気になったわけじゃないんだな・・・まあ、それくらいなら任せとけ」
そっとパンを差し出すサーシャから受け取り、パンを二人の皿に置くゼクディウス。
「しかし、意外だな。二人はサーシャを見れば騒ぎ出すかと思ってたよ」
「その子はここにやってきたところを見たもの。そんなに騒ぐことじゃないわ」
「それに・・・私たちは私たち以外がどうなろうと別に知ったことじゃないもの」
静かな気迫が込められたその言葉にたじろぐゼクディウス。
「なあ、二人とも。それって一体どういう・・・」
「みんなー! 卵が焼けたよ。今日も半熟オムレツに出来てるはずだから、あったかいうちに食べて食べて!」
ゼクディウスが話を聞こうとしたそのとき、台所からアオイがやってきて中断させられる。
「早いな・・・皿の片づけして、そのあと卵を焼いたんだろう?」
「あらかじめ卵の準備しておきましたから。あとは魔術でやりたいように」
「さすが一級魔術師・・・この程度どうということもないということか」
なんでもないことのように言ってみせるアオイに苦笑を返すゼクディウス。少なくとも魔術で料理などということは誰にでも出来るものではなかった。
「ん、それじゃあ最初からほうきとちりとりなんて手動での掃除をする必要もなかったんじゃあ・・・?」
ふと疑問に思い、そう口に出すゼクディウス。確かに、最初から魔法を使えばよさそうなものだ。
「気にしないでください。魔術ばっかり使っているとたまに手を動かしたくなるだけですから」
それが彼女の考えらしい。ゼクディウスは知る由もないが、実際に彼女は普段魔術をあまり使わない。今回のような日常のことに魔術を使うケースのほうが珍しいのだ。
「なるほど・・・俺は魔術が使えないから分からないけど、そういうものなんだな」
「ええ。それに、手動で掃除をしている間に魔術で卵を焼いたので・・・どちらに手間がかかったとか、そういうのはないんですよ」
そう言ってなんでもないように笑ってみせるアオイ。しかし、その背後には並々ならぬ努力があるのだ。片方は魔術を使っているとはいえ、二つ同時に物事を処理しているのだから。常人にはそうそう出来ないことだ。
もっとも、そういう努力も結果も鼻にかけないところがアオイのよいところなのだが。
「うん、おいしいよー、アオイさん」
「ご苦労さん、アオイ。悪いな、いつも手伝えなくて」
「気にしないで。私は料理好きだし・・・それに、お皿持ってきてくれる分誰かさんよりはいいかなー?」
そう言って双子のほうを見るアオイ。その目は笑っているものの、ちゃんと手伝ってね、と言っているのが見て取れる。
「うー・・・だって、大変なんだもん・・・」
「面倒くさーい・・・」
「お前らなぁ・・・アオイは毎日がんばって飯を作ってくれてんだ。後片付けぐらいするのが義理だと思え。オレだって毎日やってることだぞ」
ローザは双子に注意をしながら食事を進める。その姿はどことなく男のような雰囲気がある。
それに文句を言いたげな様子ではあるものの、しばらくすると二人は頷いた。明らかにしぶしぶ、と言った表情ではあるが。
「もう、二人ともそんな顔しないの。洗ってとは言って無いんだから」
「いいんだよー? 別に・・・いいんだけどさー・・・」
「まあ、今日からがんばろっかー・・・」
そう言って互いの手を合わせるミウメとサクラ。そのさまはまるで悲劇の主人公のようであった。
「あ、いけない。わたしたちの分も作ったの持ってきてなかった・・・・今もって来るからちょっと待っててくださいね、ゼクさん、シロちゃん」
そう言ってアオイは台所へ戻っていった。
あとにはやたらと暗い空気を放つ双子と、無言で食事を続けるローザ。そして、その状況にやや戸惑うゼクディウスとサーシャが残される。
「なあ、二人とも・・・そんなにいやなのか?」
「んー、いやってわけじゃないんだけど・・・」
「いやってわけじゃないけどいいってわけじゃあ・・・」
そう言ってこれ以上ないほどに沈み込む双子。
「ようするにいやなんだな・・・まあ、どうしてもって言うんだったら俺が運んでやってもいいが・・・」
あまりにも双子が沈んでいるため、思わずそう口にするゼクディウス。その直後、双子の目が光る。
「「それじゃあ、これお願いしまーす!」」
そう言ってゼクディウスに食べ終えた皿を重ねて押し付ける双子。その直後、双子はどこかへと駈け出していった。
「・・・しまったな。また罠だったか」
「・・・お兄様は人がよすぎるから」
淡々と会話を交わす二人。
「あの双子の言葉の大半には罠があると思っておけ。白いの」
その様子を見てぼそりと口にするローザ。
「・・・今の言葉はお兄様にむけて言ったのですか?」
「お前に言ったんだよ、白いの。あるいは引きこもり。あのガキどもにお前みたいな無垢なやつが接したらどうなるかなんてなんとなく予想はつく」
「・・・私は無垢ではないと思いますが。それと、今日を区切りに引きこもりの呼び名は返上したいと思います」
そう言い返すサーシャ。それを聞くとローザは口の端を歪ませ、台所へと食べ終わった皿を持っていった。
「すいません、遅くなっちゃって・・・あ、あの二人もしかしてゼクさんに片づけを押し付けたんですか?」
言いながら先ほどもみせた超絶と言っても過言ではないバランス感覚でゼクディウスたちの皿を持ってくるアオイ。
「いやぁ、あそこまで落ち込まれるとなんかな・・・そんなにいやならやってもいいって言ったらこのざまさ」
「はぁ・・・あの二人は本当に・・・気をつけてくださいね、よく言葉の裏に罠を隠しているので」
「ああ。さっきローザも言ってたよ」
そういうと、アオイは首をかしげた。
「ローザがゼクさんに言ったのですか・・・?」
「ああ、いや。サーシャに言ってるところを俺が聞いたというか・・・」
「あ、なるほど・・・」
そういうと納得したように頷くアオイ。
「おっと、それよりなによりまずは私たちの朝ごはんですね。さ、持ってきたんですから、食べましょう!」
「ああ、そうだな。サーシャ。あとの準備は俺たちがするから、座って待っているといい」
「・・・分かりました」
頷いて席に着くサーシャ。ゼクディウスたちの朝食がようやく始まる。
● ●
朝食を終えてしばらくのち。今日もゼクディウスの授業が幕を開ける。
「それじゃあ、プリントを配るぞー。今日もがんばってやっていこう」
しかし、昨日とは異なる点がある。それは、授業を受けている人数だ。
ゼクディウスの授業は椅子が多くあるという事で、食堂で行われている。ゼクディウスと生徒達は机を挟んで向かい合う形になっている。正面にローザが座り、その右側に双子が、左側にアオイが座っている。
昨日はそれで全員だった。しかし、今日はゼクディウスの座っている側、アオイの正面に一人の少女が座っている。
「・・・はい、がんばります」
少女、すなわち、サーシャだ。彼女は、朝食の準備を手伝った結果偶然とはいえ、共に授業を受けるものたち全員と顔を合わせた。そのことを知ると、彼女は自分も授業に出ることを決心したのだ。
もっとも、アオイとゼクディウス以外の近くにはまだ近寄りがたいらしく、席の位置はゼクディウスの隣となったのだが。
「白いの、本当に大丈夫なんだろうな? 無理してんだったら部屋に帰ってくれ。途中でおかしなことになったとして、迷惑をこうむるのはオレたちのほうなんだからな」
そっけなく言い放つローザ。しかし、その視線はサーシャに対して真摯に向けられており、本当はサーシャのことを心配しているのだと感じさせる。
「・・・平気です。お兄様もお姉様もいらっしゃいますから。それに、あなたも・・・」
それをなんとなく感じているのか、サーシャはそう口にする。その瞳はおずおずとしてはいるものの、ローザのほうへとむけられている。
「ふん、いざって時にオレに何か求められてもしらねぇからな」
そう言って目を背けるローザ。しかしその表情がどこか気恥ずかしそうなものであることをゼクディウスは見逃さなかった。おそらく彼女なりの照れ隠しなのだろう。
「さて・・・それじゃあ、始めようか」
「はいはい、白いのがおかしくなる前に終わらせてくれ」
明らかに不機嫌そうに言うローザ。しかし、先ほどの言葉が照れ隠しなのだから、今の言葉にも裏にはサーシャを心配する気持ちがあるのかもしれない。きっとローザは素直に気持ちを話すことができないのだろう。
「そうだよ、せんせー。早く終わらせてー?」
「私たち、早く遊びにいきたーい・・・」
しかし、何らかの思いが込められているであろうその言葉も双子にしてみれば自分達の要望を口に出すためのきっかけにしかならないらしい。
「そう思うんだったら授業が早く終わるように、がんばって問題を解くんだな。残念ながら、愚痴っても問題は減らないぞ」
「はぁーい・・・」
「面倒くさ―い・・・」
双子のその様子を見て苦笑するゼクディウス。双子はどうも勉強は嫌いらしい。
だが、抜け出そうと思えば抜け出せるはずなのに、二人は席から逃げ出そうとはしない。おそらくアカネからも何かを言われているのだろう。
「さあ、ゼクディウス先生。始めてください」
授業という時間の中で、改まった呼び方をしてくるアオイをみて、なんとなく笑いそうになるゼクディウス。
「ああ、分かった、アオイ。じゃあ、まず一枚目のプリントの部分だが・・・」
その笑いをかみ殺しながらゼクディウスは授業を始める。
本日の授業内容はア・クアリアの歴史についてだ。
この世界に存在する三つの大国の過去。かつて、ク・マキナとムル・クアリアスは戦争状態にあった。魔術と科学という相容れぬ知識。互いに理解しあおうとせず、自分の理解できるものを押し付けようとした結果起こった悲劇。その悲劇は長く続いた。
しかし、その悲劇は第三者の介入により終わりを迎える。第三者、すなわちルア・メクルイデス。戦争を愚かな行為、神の嘆く行為だとしたルア・メクルイデスは”神の意思”と呼ばれる特殊な力によってこの戦争に介入し、両者を和平させるに至った。それはもちろん簡単なことではなかった。しかし、ルア・メクルイデスの使う神の意思、そして事実としての神の意思によってこの和平はとげられたのだ。
「神の意思、ねぇ・・・オレにはルア・メクルイデスの連中の考えにしか思えねぇけど・・・」
「確かに、そう思う奴もいるのも確かだ。だけど、俺は神の存在を信じている。事実、ルア・メクルイデスの法王は神と会話が出来る存在といわれているしな」
神が実在するか否か、その事はいまだに明らかになっていない。ローザのようにルア・メクルイデスの上層の人間の総意ではないか、とするものもいれば、ゼクディウスのように神、あるいはそう呼ばれる存在が実在すると思うものもいる。事実はルア・メクルイデスのごく一握りの人間にしか分からない。
「本当に神がいるってんなら、実際に姿をあらわせばいいだけの話じゃねぇか。それとも、法王様としか話せねぇってか? 一般人は汚らわしいとでも言いたいのかよ」
「そういうわけではないだろうが・・・まあ、神の意思は戦争をやめさせるほどの力があるわけだし、それをやたらめったら使わせるわけにはいかない、ってことだろう。神の意思を使えるのは神様とあったことのある人間だけって話だし」
「ふーん・・・よくわかんねぇな。会っただけでそんな力が使えるなんて、信じられねぇし」
そういうとローザはプリントに目を戻した。聞きたいことは聞き終えたらしい。
「さて、それじゃあ続きにいこうか・・・ミウメ、ちゃんと内容は分かっているか?」
「ふぇ!? わ、分かってますよー? 何をいきなり・・・」
そういうミウメは明らかに狼狽している。内容を理解できていないのはあきらかだ。
「ミウメ、もしかして理解できていないの?」
サクラも心配そうに問いかける。すると、ミウメは両手を握り締め、うなりだした。
「うぅ・・・分かってないよ・・・でも、それいったら授業が長引いて遊べるのが遅くなっちゃうから・・・」
そう悔しそうにこぼすミウメ。その理由を聞いてサクラも納得した様子になる。
「もう・・・いいのよ、ミウメ。遊ぶ時間はいっぱいほしいけど、それよりもミウメがちゃんとご飯を食べられるほうが大切だもの。分からないところは分からないって言って、ちゃんと教えてもらいましょう?」
「うぅ・・・ごめんね、サクラ・・・遊ぶ時間が・・・」
「お前ら・・・というか、どうして逃げないのかと思ってたが、ちゃんと受けないと食事なしとでも言われてたのか」
「「そのとおり。お母さんひどいでしょう?」」
そういいながら、双子は互いの両手を合わせてゼクディウスのほうを見た。
「やれやれ・・・だが、授業はちゃんと受けてもらわないとな。かわいそうだとは思うが、それが俺の仕事なんだ。やることはやらないといけないんだ。わるいな」
そう言ってにんまりと悪そうに笑うゼクディウス。
「わかってますよー、お仕事ですもんねー」
あからさまな棒読みで返すミウメ。
「ああ。仕事だ・・・だが、必要に応じて形式は変える。分からない部分があるんなら分かるまで教えてやるぞ。個人レッスンでな」
「うぅ・・・分かりました、分からないところは個人レッスンでお願いします! こんなこと言っていても、サクラの時間が減っちゃう! 早く続きをしてくださーい!」
「うん、双子とはいえ自分以外に気を使えるのはいいことだ」
そういうと、ゼクディウスは先ほどの悪人の笑みではなく、教師らしいまじめな笑みを浮かべた。
「できれば、サクラに対してだけじゃなく、他の皆にも気を使えるようになってほしいけどな・・・少なくとも、雑巾の絞り汁と洗剤を混ぜたお茶は勘弁してほしい」
「分かった・・・じゃあ、次は毒草を煎じた汁を入れてあげる」
本気でゼクディウスをにらみながらそう呟くミウメ。そのさまはそれが冗談であるということを感じさせないほどであった。
「待て、悪化してる・・・そんなに勉強したくないのか?」
「当たり前じゃない! そんな時間があったら遊びたいわ」
「確かに俺も子供のころはそう思っていた・・・だがな、社会に出てみると知識というのは案外役に立つものだぞ。だから、勉強しておくといい」
「ラ・クラディアみたいな都会だったら役に立つだろうけど・・・この村ではそうでもないと思いまーす。だって・・・きっと生まれてから死ぬまで、知ってる顔しか見ないもの。旅人すら訪れないこの村じゃ、小粋なトークをするための知識なんて意味がない。それなのに、勉強しないといけないの?」
その疑問に言葉をつまらせるゼクディウス。単純でありながら多くの教師を悩ませる子供の疑問。どうして勉強しなくてはならないのか。それに対して子供が納得できる理由を返せる教師はなかなかいないだろう。
「あー・・・それは・・・だな・・・」
所詮ちょっといい学校を出ただけに過ぎないゼクディウスもまた、教師の大半をしめるであろう子供が納得できる理由を答えられない教師となってしまったらしい。
「まあ、先生の授業をちゃんと受けないとご飯抜き、ってお母さんから脅されてるからちゃんと受けますけどねー」
そういいつつも、そっぽを向いているその様子はまじめに受けようとしているようには見えない。
「やれやれ・・・俺は教師として未熟だな。生徒の疑問に答えてやれないんだから」
そういうと、ゼクディウスはうつむく。
「だが、一生懸命考えるよ、ミウメが納得してくれる勉強する理由。だから、それまでは勉強しろなんていわないよ」
しかしながら、彼なりの答えを導き出そうと努力する程度の心はあるらしい。顔を上げ微笑みながらミウメに告げるゼクディウス。
「授業はちゃんと受けろって言っておいて・・・矛盾してませんかー?」
「それもそうだな・・・だが、授業はちゃんと受けてくれ。そうしないと食事を抜かれてしまうのだろう? 代わりといってはなんだが、個人レッスンはしないことにしよう」
「・・・それでいいの?」
「やりたくもないことをやらされても身につかない。俺の実体験だよ。俺は子供のころから勉強していたから勉強は習慣になってしまったようなものだが、それでも苦手な教科はあった。苦手だと、出来ない。出来ないと、楽しくない。楽しくないからやりたくなくなる。そういうことだ。お前が知ることを楽しいと思えるようになるまで俺は待つ」
そう言って笑うゼクディウス。それをみて、ミウメは不思議そうな顔をする。
「先生なのに勉強しろって言わないのね・・・変なの」
「やれって言われるとかえってやりたくなくなるだろ?」
「それもそうね・・・」
そういうと、ミウメは静かに笑った。
「わかった。先生の授業、ちゃんと受けるわ。サクラも受けてみましょう。ゼクディウスさんは、私たちが思うような先生ではないかもしれないわ」
「うーん・・・まあ、ミウメが言うならそうしてみましょう。どうせ、授業は受けないといけないのだし」
そういう双子を見てゼクディウスは満足げに頷く。
「あなたは私の思っていた”先生”というものとは違っているみたい。あなたがどんな人なのか・・・それを見極めるまでぐらいなら、あなたに付き合ってもいいわ」
「ああ、分かった。サクラにも多少は認めてもらえたようで、何よりだ」
「ふんだ。私はミウメがすこし認めた人間だからほ~~んのちょびっとだけ認めてあげるだけよ。勘違いしないでよね!」
「分かった・・・それじゃあ、授業を再開しようか」
双子とゼクディウスの様子をアオイがほほえましげに見つめる。一見言い争うように見えたからかサーシャは少し不安げにしている。その様子をじっとローザが見ている。
そうして、彼の授業は進んでいく。ゆっくりと、しかし、確実に。
● ●
「はい、それじゃあ今日はここまでだ。皆、お疲れさん」
ゼクディウスがそういうと、ローザは誰よりも早くその場を立ち上がる。
「なあ、ローザ。少しぐらい話をしていっても・・・」
そうゼクディウスが呼びかけるのもむなしく、ローザは扉を開け食堂から出て行ってしまう。
「なんというか・・・無口だよな、ローザって。もうちょっといろいろ話したいところだが」
その気まずさを何とか打ち消そうとしてか、そう口に出すゼクディウス。それを聞くと、双子はあきれたような表情をみせた。
「当たり前じゃない。ローザさんは男嫌いだもの」
「まあ、最近来たばかりのあなたが知らないのは無理もないけどね」
「男嫌い? そうなのか・・・何か理由とかあるのか?」
それを聞くと、双子はどちらも首をかしげた。分からない、ということらしい。
「二人とも分からないのか・・・アオイは何か知らないか?」
「うーん・・・ローザは自分のことを話したがらないので・・・私もよく分からないです。付き合いは長いのですが・・・すいません」
「そうか。いや、ありがとう」
そう言って授業の後片付けに戻るゼクディウス。しかしその表情はどこか曇っている。
「どうにも気になるようなら聞いてきましょうか? それなりに付き合いが長いので、少しくらい聞かせてくれるかもしれません」
「いや、かまわないよ。嫌いになるってことは、それなりに話したくないような理由があるんだろうからさ。しかし、アオイは気が利くな」
「これくらい当然ですよ。私、これでも二十三歳ですから」
「二十三歳!? 魔方陣で老化が抑制されているとはいえ、そんな年だとは・・・」
そう言っておどろくゼクディウス。たしかに、アオイの外見は十歳と少し程度に見える。ゼクディウスがおどろくのも無理はないことだ。
「俺、二十四なんだよ。そうか・・・ガレイのやつが年頃も近いといっていたが、実際に一つしか違わなかったわけか・・・」
「そうなんですか! ガレイったら、そういうところを見る目は確かですね・・・」
そう言って笑うアオイ。それにつられ、ゼクディウスも少し笑みを浮かべる。
「仲がいいようで、何よりですなぁ、お二人とも」
「邪魔になる前に私たちは遊びに行きましょー」
そんな二人をちゃかしながら、双子は外へと駆け出して行った。
「あの二人、こういうところだけませて・・・! まったくもう。すいません、私となんか噂を立てられたら、ご迷惑ですよね」
そう言ってどこかしょんぼりとした様子を見せるアオイ。それをみて、異性と触れ合った経験があまり無いゼクディウスはあわてた様子を見せる。
「いや! そんなことはない! むしろ、アオイはかわいいから・・・って、そうじゃなくて! す、少なくとも・・・迷惑ではない!」
言ってから恥ずかしいことを言っていると気がついたゼクディウス。ゼクディウスも、それを耳にしたアオイも、頬を赤らめている。
「す、すまん・・・だ、だが、とにかく迷惑ではない。気にしないでくれ」
「は、はい・・・」
二人とも顔を真っ赤にし、互いに顔を合わせることが出来なくなっている。うつむいたり、関係のない方向を見たり。アオイは”かわいい”といわれたのがよほど恥ずかしかったのか、うわごとのように何かを呟いている。
それを見てゼクディウスはますます顔を赤らめる。もちろん、”かわいい”といってしまったことが恥ずかしいということもある。それにくわえ、そのことをアオイがそれを気にしているということを把握し、ますます恥ずかしくなったのだ。
「あー・・・その、なんだ・・・アオイのほうこそ迷惑だろう? 俺なんかと噂を立てられたら・・・」
「いえ! そのようなことは・・・!」
それだけ話をすると、再びうつむく。その様子をサーシャがじっと見ている。
「・・・私は邪魔でしょうか?」
「いやいや! 何を言っているんだ! そんなわけないだろう! なあ、アオイ!?」
「そ、そうだよ! そもそも、邪魔されるようなことをしていないし・・・!」
「・・・なら、よいのですが」
そう言って、自分の分の教材を片付けだすサーシャ。
「「ちっ」」
その直後、物陰からそんな舌打ちが聞こえた。
「ミウメにサクラ・・・お前ら、もしかして今のずっと見てたのか!?」
「見てたけど・・・がっかり」
「私たちの期待するような展開にならなかった・・・・」
見るからに落ち込んだ様子で物陰から姿を現す双子。外へ駆け出したのは見せ掛けだったらしい。
「期待って・・・一体何のこと?」
アオイがそういうと、双子は口元を緩め、向かい合った。
「”ごめんなさい、ゼクさん。私なんかと噂を立てられたらご迷惑ですよね・・・”」
「”そんなことはないさ、アオイ。アオイはかわいいから、むしろ望むところだ!”」
「”ゼクさん・・・嬉しい。実は私も、ゼクさんのこと、いい人だなって・・・”」
「”そうか・・・アオイ。頼みがある。俺と付き合ってくれ”」
「”ゼクさん・・・! 私、嬉しい・・・!”」
二人の口調を真似ながら双子はそういう。すると、双子は互いに顔を寄せ合い、抱き合うと・・・キスをした。
「なーんて、いちゃいちゃを期待したのに・・・がっかりよ。ねぇ、ミウメ?」
「本当よー。一つ屋根の下で男と女が暮らすとなれば、過ちの一つもないと」
双子の演技を見た二人は、再び顔を赤くしている。
「お、おまっ・・・お前らなぁ・・・!」
「・・・お姉様とお兄様が、そのような関係になるとは思えません」
何かを言い返そうともがくゼクディウスを見て、サーシャはそう呟く。
「あら、何か根拠でもあるのかしら?」
「・・・女のカンです。それに、お兄様は恋人までは行かないような気がするのです。いい人でとどまりそうというか」
「ぐふっ!?」
「・・・優しいのだけれど、全部を任せられるかといったらそこまででもないというか」
「がはっ!?」
「・・・それ以前に、恋愛ごとに疎いお姉様を振り向かせるほどの甲斐性があるとも思えません」
「・・・サーシャ。フォローしてくれているのなら、もういいよ・・・十分だ。ありがとう」
サーシャの言葉の刃(無意識)に三連続で男としての尊厳を傷つけられたゼクディウス。しかし、それによって冷静さを取り戻したらしい。
「まあ、それ以前に人の目があったらいちゃいちゃなんてしにくいわよねー」
「もしも次があったら、あなたも部屋を出て、二人きりにしてあげてね!」
そういうと、双子は今度こそ外へと駆け出して行った。
「やれやれ・・・あの二人はどうしようもないな」
「そうですね・・・手に余ります」
そう話をしながら目が合うと、先ほどのことを思い出してか再び目をそらす二人。
「・・・いつまで恥ずかしがっているのですか。今後一切目を合わせないおつもりですか? お二人とも性に目覚め始めた子供ではないのですから、あの程度のことで恥ずかしがることはないとおもうのですが」
サーシャの言葉に二人は再び視線を交わす。
「確かに・・・そうだな」
「そうですね・・・それに、子供相手にからかわれるて負けるようじゃ、いけませんしね」
そう言って二人は笑い出した。
その様子を見て、サーシャはどこか満足げに頷くのだった。
三章 END