第二章 彼女達と村
ゼクディウスがパークウェル孤児院へやってきた翌日。彼の行う最初の授業が始まった。もっとも、内容は初等科で行われるような程度のものなのだが。
「じゃあ、ここの主人公の心情はどんなものだったか。みんなは想像できるか?」
言いながらみなの様子に目を配らせるゼクディウス。
アオイはやはりまじめだ。ゼクディウスが昨日プリントを作り上げながら説明した部分と同じにもかかわらず、目を輝かせるという表現がぴったりな様子でゼクディウスの説明を聞いている。
ミウメとサクラはある程度ゼクディウスが想像していたとおりの様子だ。遊びだす様子こそ見られないが、とても授業に集中しているとは見えない様子だ。時折、二人で何かを言い合ったりしている。
そして、想像をいい意味で裏切ったのはローザだ。昨日の無関心な様子からは想像できないような集中力を見せている。もっとも、授業態度がいいとは言えないのだが。
しかし、そのようなことは問題ではないと感じるほど問題なのはサーシャ・シロツメだ。
昨日の様子からもある程度想像は出来ていたのだが、授業に出席すらしていない。アオイの話によると、部屋の中に閉じこもっているらしい。
「じゃあ、授業は以上だ。これからちょっと簡単なアンケートに――」
サーシャをどうしたものか、その思いでため息をつきたい気分のゼクディウスの心にローザが止めを刺す。アンケートに協力してもらいたい、そういい終える前に立ち上がり、どこかへ行こうとしたのだ。
「おい、ローザ。ちょっと待ってくれ」
「・・・私はあんたに家庭教師以上のことは要求しない。だからあんたもそれ以上の干渉をしてくるんじゃない。それと、アンケートなんて余計なことをやる暇があるなら授業を進めろ・・・以上だ」
それ以上、ゼクディウスが何か言おうとする前にローザはどこかへと立ち去って行った。おそらく、自分の部屋へ戻ったのだろう。
「・・・はぁ、とりあえず、ミウメ、サクラ。それとアオイ。アンケートに協力してくれ。授業内容に関することだから、必要以上に背伸びをした回答はしないようにな」
言いながらみなにアンケート用に作ったプリントを配るゼクディウス。
適当に回答をしているミウメとサクラ、まじめに回答しているアオイ。その様子が対照的だとゼクディウスは感じた。
「はい、先生。書いたよ」
「授業も終わったし、私たちは遊びに行こうよ!」
「いいわね、何をする? ミウメ」
「サクラのしたいことでいいわよ」
言いながら孤児院の外へと走り出すミウメとサクラ。
「お疲れ様でした、ゼクさん。すいません、みんな態度が悪くて・・・」
「アオイが謝ることじゃないよ。ところで、サーシャの分のプリントだけど、どうすればいい?」
「シロちゃんの分ですか・・・そうだ、一緒に届けに行きませんか? 私が一緒ならシロちゃんもそんなに警戒しないでしょうし、ゼクさんも少しはシロちゃんと仲良くなれるかもしれませんし・・・」
「そうだな・・・悪いな、何から何まで。俺の癒しはアオイだけだよ・・・」
「もう、ゼクさん。あまり弱気にならないでください。きっとみんなまじめに授業を受けてくれるようになりますから!」
冗談を言い合いながらサーシャの部屋へ向かう二人。その様子をアカネが見ていたらきっとまた軽口を叩いたことだろう。
「シロちゃん、ゼクさんが作ってくれたプリントを一緒に持ってきたんだけど・・・入っていいかな?」
ノックしながらそういうアオイ。
「・・・どうぞ」
その数秒後、部屋の中からか細い声が返ってくる。
「それじゃあ、ゼクさんと一緒に部屋の中、入るね。シロちゃん」
アオイが扉を開け、ゼクディウスに入るよう促す。それにしたがって部屋の中へ入る。
「プリントもってきたけど・・・どこにおけばいい?」
「・・・その、机の上に・・・」
昨日の苦い記憶を思い返しながら慎重に歩みを進めるゼクディウス。そのかいあってか、サーシャのほうも特に反応をみせない。
「・・・あの、ゼクディウス・・・? さん」
ちゃんと覚えていないのか、名前をやや疑問形にしながらゼクディウスに呼びかけるサーシャ。
「なんだい? サーシャ」
サーシャのほうから声をかけてくれたのに若干おどろきながら返事を返すゼクディウス。
「・・・昨日は、申し訳ありませんでした」
「ああ・・・まあ、気にしないでくれ。君のことをよく知らないで近づきすぎた俺が悪いんだからさ」
対人恐怖症というわりにはあまり近づかなければちゃんと話が出来るんじゃないか? 思いながらゼクディウスは言葉を返す。
「一応、プリントだけでもある程度出来るように作ったつもりだけど・・・分からないところがあったら言ってくれ。教えるから・・・それじゃあ」
とはいえ、あまり居座っても問題があるだろう。そう考えたゼクディウスはそういい残して部屋を出ようとした。
「・・・あの、ゼクディウス? さん」
「なんだい? サーシャ。それと、名前はゼクディウスであっているぞ」
疑問形で呼びかけてくるサーシャに言葉を返すゼクディウス。
「・・・少しだけ、教えてください。勉強を・・・」
その言葉に多少おどろくゼクディウス。まさか、教えてくれ、と言い出すとは想像もしていなかったからだ。
「・・・だめ、でしょうか?」
「いや、そんなことはない! じゃあ、まずは明かりをつけるぞ。暗いままじゃ、文字も見えないだろうからな」
言いながら照明をつけるゼクディウス。雨戸を開けなかったのは、サーシャが本当にアルビノだった場合のことを考えてだ。アルビノの人間は日光に弱いらしい、ということはゼクディウスも知っていた。
明かりをつけると、今までよく見えなかったサーシャの部屋の中の様子が明らかになる。しかし、ゼクディウスが見た限り、生活感というのだろうか。その部屋の中で人が暮らしているという様子はほとんど見られない。家具の上には埃が積もって、下手に息をすれば埃がまって大変なことになりそうだ。しかし、よくみると本の上には埃が積もっていない。どうやら、普段彼女はベッドの上に毛布をかぶって座っているか、本を読んでいるかのようだ。
「さて、それじゃあ、始めようか。じゃあ、まずはこのプリントを見て」
そう言ってプリントをサーシャに渡そうとするゼクディウス。サーシャは一瞬おびえた様子を見せたが、ゼクディウスの柔和な微笑をみると、恐る恐る手を伸ばしてプリントを受け取った。
「それじゃあ、授業を始めるよ・・・と、言っても、まずはプリントに書かれていることを読んでもらわないといけないんだ。ゆっくり読んでくれ」
「・・・はい」
小さな声で返事をするとプリントに目を落とすサーシャ。
サーシャがプリントを読んでいる間やることがないゼクディウスは、サーシャの様子をそっと観察してみることにした。
美しい顔は表情が少なく、ミステリアスな雰囲気をかもし出している。
そっとプリントをめくっていく指は真っ白で細く、少し触れれば折れてしまいそうな繊細さを感じる。もっとも、指だけではなく全身がそのような雰囲気があるため、サーシャ自身が何かの絵画から抜け出してきたような儚い美しさをまとっているのだが。
「・・・ゼクディウス先生、読み終わりました・・・」
そして、か細いその声もまた全体の雰囲気に似合ったもので、結果として全体が調和した生きた美術品のような印象を与える。それがサーシャという少女だった。
「お、はやいな」
サーシャの声を聞いてプリントの解説を始めるゼクディウス。サーシャの表情は相変わらずの無表情で内心が読み取れないものではあったが、ゼクディウスのほうをじっと見る赤い瞳は話に集中していることを想像させる。
「と、言うわけだが・・・何か質問はあるか? サーシャ」
「・・・いえ。大丈夫です・・・」
「そうか・・・じゃあ、二枚目のプリントの問題を解いてくれ。今日はそれでおしまいだ」
ゼクディウスの言葉にそっと頷くサーシャ。よろよろと頼りない足取りで机のほうへ歩み寄ると、椅子に座り問題を解き始めた。
「まさか最初から授業を受けてくれるとは思わなかったよ・・・よかったけど」
ドアのほうに立っていたアオイの方へ歩いていき、小声でそう呟くゼクディウス。
「そうですね・・・シロちゃんも私と同じくらい家庭教師さんが来るのを楽しみにしていましたから。きっと、授業を受けたくてしかたなかったんですよ」
多分ですけど、と呟くアオイ。
「そうか・・・これをきっかけに、仲良くなれるといいんだが」
「なれますよ。ゼクさんは優しいですから」
「・・・ゼクディウス先生、終わりました」
二人が笑いあっていると、早くも問題を解き終わったサーシャが声をかけてくる。
「そうか、じゃあ答え合わせをするから、プリントをこっちにくれ」
「・・・はい、分かりました」
若干ではあるが、おびえているように体を震わせながらゼクディウスにプリントを渡すサーシャ。
――なるほど、対人恐怖というよりは、人に近づかれるのが苦手なんだな。
サーシャの様子からそう分析するゼクディウス。出来る限り近づかないで接するようにしよう。そう考えをめぐらせる。
「えっと・・・ここがこうで、こうだから・・・うん、大丈夫だ。全問正解。なかなかやるな」
「・・・問題が、簡単でしたから」
「確かにこれは初等科の問題だけど・・・いままで学校に行ったことがないんだから、十分凄いさ。誇っていいぞ」
ゼクディウスは本心からそういう。問題をどの程度のレベルにするか悩んだため、簡単なものから難しいものまでさまざまな問題を作っておいたのだ。そして、サーシャはその中で最も難しい問題も短時間でこなしていた。いままでに学校に行ったことがない人間とは思えないものだった。
「・・・以上でしょうか?」
「あ・・・うん、そうだな。今日はこれで終わりだよ・・・また、明日も届けに来るからよろしく」
「・・・はい、かしこまりました」
そういいながらお辞儀をするサーシャ。その様子を見ながらゼクディウスは部屋を後にする。
「ふぅ・・・とりあえずは、昨日みたいに吹っ飛ばされずによかった・・・」
「シロちゃんも昨日は反射的にやってしまったんだと思います。あのとおり、人に近づかれることを極度に怖がりますから・・・」
「大丈夫、分かってるよ。悪意があったらあんなふうに謝ったりしないさ」
話をしながらリビングへと戻る二人。
「さて、今日はこれからどうしようかな・・・プリントは昨日まとめて作ったから今日はやることないんだよな・・・」
リビングの椅子に座るとゼクディウスはそうもらした。
「そうだ、アオイ。この村を案内してくれないか? 昨日は何もないところ、なんてアオイは言っていたけど・・・これから暮らすところなわけだし、大体の様子を知っておきたいと思うんだ」
「私がですか? うーん・・・うまく出来る自信はありませんが、それでもいいのなら、喜んでお引き受けします」
「本当か! 助かるよ」
大声でそういいながら椅子を立ち上がるゼクディウス。彼は、美しいと感じたこの村の自然をもっと感じたい、そう昨日から思っていたのだ。
「そうと決まれば、早速行かないか! もう夕方なんだ、日が暮れるまでの一分一秒が惜しい!」
「わ、分かりました! 分かりましたから、少し落ち着いて!」
「あ、ああ・・・悪い。だけど、早く行かないか? 日が落ちてからじゃあ、この村の自然を十分に楽しめない」
まるで子供のようにその場で足踏みまで始めるゼクディウス。彼がどれだけこの村の自然を堪能したいと思っているのか、その様子を見れば想像がつくというものだ。
「分かりました。特にみるところはないと思いますが・・・これからゼクさんが使うかもしれない場所を案内しますね」
「わかった、早速案内してくれ!」
この上なく嬉しそうな表情で孤児院の外へと向かうゼクディウス。アオイもあわててそのあとを追う。
「うーん・・・やっぱり、自然が美しい・・・こんな自然は、ラ・クラディアじゃあ公園でもお目にかかれなかった・・・」
「私にしてみれば、何もない村なんですが・・・ゼクさんはずいぶんお気に召したみたいですね」
「当然さ。アオイもラ・クラディアを見ただろう? 夜だって言うのに明るすぎて星の一つも見えやしない・・・あんなの、不自然にもほどがある」
「ああ・・・そういう考え方もあるんですね」
なるほど、というように頷きながらゼクディウスの前に出るアオイ。
「でも、私は夜になると何も見えないこの村よりラ・クラディアのほうが好きです。星なんて、生まれてからいやというほど見ていますから」
「うーん・・・そういう気持ちも分からなくはないんだが・・・」
頬をかきながらそういうゼクディウス。
「では、まずはパン屋にでも行きましょうか。小腹がすいた時に最適なものもいろいろ売っているんですよ」
そう言って案内を始めるアオイ。村は大して広くないため、すぐにパン屋にたどり着いた。
「いらっしゃいませー! お、姉御! 見知らぬ男と一緒に・・・さては、旅人さんとデートですかい!?」
店に入るなり威勢よく話しかけてくる少年の威勢に、ゼクディウスは多少たじろぐ。
「違うよ。この人はゼクディウス・カルーレンさん。昨日から私たちの孤児院に家庭教師としてきてくれている人なの」
「おや、そうでしたかい! これは失礼しやした! あっしはガレイ・インパチェンスと申しやす。齢は十三。みてのとおりの男でさあ! あっしもダンナの授業を受けたいですが・・・日中はこちらのパン屋で働かせていただいているので、ダンナさえよろしければ夜中に個人レッスンをつけてくだせぇ! って、こんな言い方じゃ意味深ですかねぇ! はっはっは!」
「お、おう・・・まあ、俺も昼間は授業を受けられない連中のために夜中の授業をやろうと思ってるから・・・よろしくな」
ガレイの勢いに気圧されながら自己紹介をし、手を差し出すゼクディウス。ガレイは勢いよくその手をとり、ブンブンとふった。
「ところでダンナ・・・アオイの姉御、美人でやんしょ? よかったら嫁にもらってやってくださいよ。おふくろも心配していろんな男とくっつけようとするんでやんすが、姉御ったら全部無視しちゃって・・・」
「ちょ、ちょっとガレイ!? 何を言っているの!」
ガレイの言葉にあわてた様子を見せるアオイ。
「姉御、あっしはいつも言っていやすぜ? 鬼も十八、番茶も出花。若いうちが花なんでさぁ。まだ大丈夫、まだ大丈夫といっているうちに嫁に行き遅れる・・・そうなるのが心配で、あっしもおふくろも姉御を男とくっつけようとするんでさぁ。そのへんをわかってほしいですねぇ」
「う・・・そ、そんなことにはならないもん。それに、私はこの魔方陣のおかげで老化も遅くなるし・・・」
額の魔方陣を指差しながらそういうアオイ。たしかに、彼女の言うとおり魔術師が体の一部に刻む魔方陣には老化の抑制、魔力の増強などさまざまな効果がある。
「そうは言いますけど・・・姉御だって、もう二十になろうってんですから・・・ダンナと年のころもあっているようですし、いっそくっついちまえばいいと思うんですよ」
「た、たしかにゼクさんはいい人だけど・・・! ゼクさんも何とか言ってください!」
返し方に困ったのか、ゼクディウスに話をふるアオイ。しかし、ゼクディウスもなれぬ話題に戸惑い、顔が上気しているのを感じるばかりだった。
「ほら、ダンナだってまんざらじゃない様子ですし・・・ここは一つ、お友達から、ということではどうでやんしょ?」
「いい加減にしなさい! ガレイ! ゼ、ゼクさん! もう店を出ましょう!」
あわててゼクディウスの手を引いてパン屋を後にするアオイ。その背中にはガレイのヒューヒューという声が浴びせられていた。
「まったくもう、ガレイは・・・ごめんなさい、ゼクさん。私と恋仲になればいい、なんていわれても迷惑ですよね・・・」
「いやそんなことはない! 気にしないでくれ!」
なれぬ話題に、ゼクディウスもまた戸惑っていた。そのため、なんとなくでしか答えを返せない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「と、とりあえず・・・次の場所へ向かいましょうか」
「あ、ああ・・・そうだな」
気を取り直したように口にするアオイと、それを機会に妙な空気を取り去ろうとするゼクディウス。
「はぁ、おやつ買おうと思ってたのに、ガレイのせいで買いそびれちゃった・・・」
「他に食べるものが買える所はないのか?」
「ないわけではありませんが・・・今日はパン屋さんのラスクの気分だったもので」
先ほどまでの気まずい雰囲気を払拭するためにか、どこか意識したように話す二人。その様子はアカネでなくともからかいたくなるものがある。
「まあ、過ぎたことをいっても仕方ありませんね。次の場所へ向かいましょう、ゼクさん」
「ああ、そうだな。次はどこに案内してくれるんだ?」
「そうですね・・・そうだ、雑貨屋さんに行けば何かお菓子くれるかもしれません。雑貨屋さんに行ってみましょう。ゼクさんも、何か必要な物があったときいくことになるでしょうから」
「そうだな・・・うん、頼むよ」
そう話し終えると、再び歩み出す二人。二人は気付いていなかったが、その背中をパン屋の窓からガレイが静かに見守っていた。
「そういえば・・・昨日の夜はすいませんでした。お手伝いをするつもりが、手を煩わせてしまったみたいで・・・」
「ああ、別に大丈夫だよ。アオイが寝ているころにはもう全部終わっていたからな。手伝ってもらって助かったよ」
「そうですか、ならよかったのですが・・・体調を崩したりはしていませんか?」
「心配しないで大丈夫。重ね着をして寝たから、暑いぐらいだったよ」
アオイのまじめさは理解していたつもりのゼクディウスだが、わざわざ謝ってくるのを見て本当にまじめなのだな、と再認識する。また、体調を心配してくるところから、彼女の優しさも同時に理解する。
「ん、雑貨屋っていうのはあれか? 看板が出ているが」
「そうです、そうです。おばあちゃーん! こんにちはー!」
大声で言いながら雑貨屋の扉を開けるアオイ。ゼクディウスも後について店の中に入る。
「いらっしゃい、アオイちゃん。おや、今日は男の子といっしょなんだねぇ・・・見覚えのない子だけど、どちらさまかねぇ?」
店の中にいる一人の老婆が、柔和な笑みを浮かべゼクディウスたちを迎える。
「この人はゼクディウス・カルーレンさん。私たちの家庭教師としてここにきてくれたんだよ」
「それはそれは・・・こんな田舎までご苦労様です、ゼクディウスさん。私はアーバ・オーバと申します。ご覧のとおり、老い先短い老いぼれですが、みなからはおばあちゃんと呼ばれて親しまれておりますじゃ。ゼクディウスさんも、よろしければ私のことを実の祖母だと思って、接してくださいな」
「ありがとうございます、おばあさん。俺のことも、よろしければ孫だと思って何でも言いつけてください」
そう言ってアーバと握手を交わすゼクディウス。
「ありがとうねぇ・・・そうだ、二人とも。お菓子があるんだ・・・よかったら食べていかないかい?」
「ありがとうございます! では、お言葉に甘えさせていただきますね、おばあちゃん。ほら、ゼクさんも一緒に!」
よっぽど小腹がすいていたのだろう。授業を受けているときと同等か、それ以上に目を輝かせるアオイを見て思わず苦笑するゼクディウス。彼の中でアオイの評価はおしとやかな食いしん坊へと変化していった。
「今日はお饅頭があるんだよ・・・若い子にはあわないかねぇ?」
「そんなことないですよ。私、お饅頭大好きです。ゼクさんはどうですか?」
「ああ・・・俺も食べ物の好みが年寄りくさいと言われるような人間だからな。うまい饅頭と茶。それに春のうららかな日差しでもあれば、縁側でしばらく過ごせる。それくらいには饅頭が好きだ」
答えを返しながらアーバの手伝いをするゼクディウス。アオイも茶を入れる準備をしている。
「二人とも、ありがとうねぇ・・・私ももう年だねぇ。体が動きゃしないんだよ」
「気にしないでください。お茶もうちょっとで入りますよ、おばあちゃん」
「饅頭はこれでいいのですか?」
「うん、うん・・・すまないねぇ」
微笑みながら椅子に戻ろうとするアーバ。それを見たゼクディウスはいったん饅頭を茶棚に戻すとアーバを支えた。
「食べていかないかいといっておいて、このざまだよ・・・やれやれ、本当に年はとりたくないものさ・・・」
「お気になさらず。俺の祖母は俺が生まれる前に亡くなってしまったので・・・こうして手を貸せると実の祖母に出来なかったことが出来て、なにやら嬉しい気分です」
そう言って笑いながらアーバを椅子に座らせると、ゼクディウスはあらためて饅頭を手に取った。
「そうかい・・・それじゃあ、婆も少しは甘えさせてもらおうかねぇ」
「ええ。遠慮なんてすることはありません。最初に言ったとおりに俺のことは孫だと思ってください」
「ありがとうねぇ。それじゃあ、思い切ってゼクちゃんなんて呼ばせてもらおうかしら」
「ふふ、いいと思いますよ。私もゼクさんと呼ばせていただいていますし・・・いいですよね?」
「ああ。じゃあ、俺も思い切って・・・ばあちゃんとでも呼ばせてもらおうかな」
そう言ってみなで笑う。その様子は本当に祖母と孫達のようであった。
● ●
茶を飲みながらみなで談笑すること数分後。ゼクディウスは外を見るとあわてた様子で立ち上がった。
「ゼクちゃん、どうかしたのかい?」
「もしかして、プリントのことで何かあるのですか?」
その呼びかけにゼクディウスは何も応えない。ただ呆然とした様子で窓の外を眺めている。
「夕暮れ・・・」
ゼクディウスは呆然とした様子でそう口に出す。
「・・・夕暮れがどうかしましたか?」
「夕暮れだよ! この村には小高い丘があっただろう? あそこから日が沈む様子を見たら・・・ばあちゃん、ごめん! ちょっと行ってくる!」
そう叫ぶように言うとゼクディウスは村の一点へと駆け出した。
「ちょっと、ゼクさん!? おばあちゃん、私も行ってくるね!」
「はいはい、行ってらっしゃい。片付けはやっておくから心配しないでね」
その声を背中に受けながらゼクディウスは走る。その目的は、ただ夕暮れの村を見るためだけに。
「おぉ・・・!」
「ゼクさん、どうかしましたか?」
呼びかけるアオイ。しかし、その声もゼクディウスの耳には届かない。
それほどにゼクディウスの眼前に広がる景色は美しい。
茜色の夕日は、眼下に広がる村を染め、それにより生み出される影は長く伸び、村を二色に塗り分けている。太陽の茜と影の黒が生み出す色彩は、どこか妖しい魅力を感じさせる。
徐々に沈み行く夕日はほんの少しずつ色彩を変えていく。そのあいだに、村の麦畑や、あたり一面の草原は黄金に染まる。それは、本物の自然でなければなりえない美しさを放っている。
夕日の中を横切る黒い影は巣へと戻ろうとする鳥達だろう。のんびりと空を横切る様子をゼクディウスはぼんやりとながめている。
「・・・なあ、アオイ」
どれほど手間をかけて描写してもしきれない美しい光景。
「この村に何もないって・・・本当にそう思うか?」
それを、ゼクディウスはその言葉で表現した。その言葉はたったの一言だが、その夕日の美しさを何よりも表しているといえた。
「・・・そうですね。この景色だけは、ラ・クラディアより優れているかもしれません」
アオイもゼクディウスの言葉に改めて比べたのか、そういう。
そのまま二人は、しばらく夕日を眺めていた。そして、日が沈む間際・・・すなわち、逢魔が時となった。
その間際、光と闇が入れ替わる瞬間・・・そのさまはまさに言葉では言い表せないという感想をゼクディウスに与えるのだった。
「・・・いけない! みんなのご飯作らないと!」
しかし、その幻想的な空気もアオイの現実的な言葉に崩される。
「そうだな・・・俺も手伝うよ」
「本当ですか! 助かります! さあ、母さんが不満を言い出す前に作り出さないと!」
そう言って走り出すアオイのあとをあわててゼクディウスも追いかける。
そんな二人を眺めるように、丸い月が空へと昇るのだった。
二章END