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第五章 7


 聖司よりも先を歩いている聖美が立ち止まって、早く行こうと手招きをする。

「聖ちゃん。こっち、こっち」

「恥ずかしいから、やめろ」

 聖美は昨日、阿部先生と話した後、すぐに聖司へ電話をした。

 まだ本当の気持ちは分からないが、夏休みに入ってから一度も会っていなかったから寂しかったし、キャンプに持っていく物を買いたいからと言って誘ったのだ。

「キャンプの用意って、何を買うんだよ」

 せっかくの休みに何だよと言わんばかりの表情で、聖美を見る。

「今更、文句を言わないで。こんな人混みの中を、か弱い女の子一人で買いに行かせる気?」

「誰が、か弱いって?」

 聖美は隣に追い付いてきた聖司を、口を尖らせて睨んだ。

「分かった、分かった。どこに行くんだ?」

「あそこよ」

聖美はスポーツ用品店を指差し、下ろした手で、さり気なく聖司の手を取ろうとした。しかし、さっさと追い越して行ってしまったので、空振りに終わった。

―――あれ?もうっ。

 試しに友達から一歩、踏み出してみようかと思い手を繋ごうとしたのに、幸先の悪いスタートとなった。

 店の中に入ると、聖美はキャンプ用品コーナーへと直行した。

「何を買うんだ?」

「え〜と。シュラフっていうの?寝袋がいるでしょ」

 初めて見る商品を一つ一つ、物珍しそうに眺めながら言う。

「あのな。そういうのは先生が持ってきてくれるから良いんだよ。それに夏はタオルケットで十分なの」

「そうなの。じゃあ、炭は?薪は?」

「炭も持ってきてくれるし、薪はその場で集めるよ」

「なんだ。じゃあ、特に買う物ってないのか」

 聖美は頭の後ろに手をやり、残念そうにする。

「まったく。初心者なんだから、任せれば良いんだよ」

「なによ。聖ちゃんが何も教えてくれないからでしょ」

「まあ、そうだな」

「認めたな。じゃあ、お詫びに何かおごってよ」

 聖美は、ここぞとばかりに突っ込んでくる。

「あのなぁ。貧乏中学生に、たかるなよ。安い物で勘弁してくれよ」

 フィルム代で小遣いの殆どが消えていく今は、本当に苦しかった。たまたま今月は、父親にボーナスが出たからというので、聖司にも臨時収入があったから良かった。

「やった。じゃあねぇ。パフェが良いな」

「それでいいのか?どこに行けば良いんだ?」

「そうねぇ。よしっ、あそこにしよう」

 陸上部の友達が自慢げに話していたのを思い出すと、聖司の手を取って店を出た。

―――今度は成功ね。

「聖ちゃんは甘いの、大丈夫だよね」

「ん?嫌いじゃない」

 何気ない会話をしながらも、聖美の胸は高鳴っていた。こうやって手を繋ぐのは久しぶりで緊張していたのと、聖司が嫌がっていないかと気になった。

 横目で聖司の横顔を伺うが、感情を見抜くことが出来ない。聖司も緊張はしていたが、顔に出さないように必死だった。

「ちゃんと朝、ジョギングしてる?私がいないからって、サボっちゃダメだよ」

「してるよ」

「何で突然、走る気になったの?」

 聖美は、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。

「深い意味はないよ。ちょっと体力を付けようと思っただけで」

「ふう〜ん」

そんな無難な理由は、ちょっと不満が残る回答だった。

「梨々菜さんと楽しく走っているのに悪いけど、朝練がなくなったら、また私も一緒に走るからね」

「なっ。梨々菜は関係ないだろう」

「そう言えば。聖ちゃんは何で、梨々菜さんのことを呼び捨てにしてるの?」

「え?親戚なんだから、いいだろう」

「でも、年上なんだし」

 運動部に所属している聖美は、上下関係に敏感だった。陸上部は、先輩後輩の仲が良いことで有名だったが、さすがに先輩を呼び捨てにすることはない。

「それは。あっ、あそこじゃないのか」

「あっ、うん」

 話を濁された聖美は、また真衣香の言葉が頭をよぎった。

 評判のフルーツパーラーは、壁がレンガ風で落ち着いた雰囲気も好評だった。こんな店に中学生の男女が二人で入るなんて、これがデートと言わずになんと言おうか。

 店内は流行っているというだけあって、女子中高生でいっぱいだった。カップルで来ている客もいたが、殆どが女同士で来ているらしく、八割以上が女の子だった。これは男の聖司からすると、かなり異様な雰囲気だろう。

「ご注文はお決まりでしょうか」

 店の入口近くに座った二人のテーブルに、ウエイトレスの女性が注文を取りにきた。

「私はフルーツパフェ。聖ちゃんは、どうする?」

「う〜ん」

 聖司はメニューを見て、目を細めた。フルーツパフェの千円(税抜き)という値段を見て、財布と相談していたのだ。

「もしかして、高い?」

 それを察した聖美は心配そうに尋ねたが、聖司は「大丈夫」とだけ言って、プリン・ア・ラ・モードを頼んだ。

―――こういう時って、何を話せばいいのかな。

 デートなんてしたことがない聖美は、会話に困って俯き加減に聖司を見ていた。

「聖美」

「な、なあに」

 突然、話し掛けられて声が裏返ってしまった。

「最近、変だぞ」

「変って、私が?そうかな」

 何だかんだ言っても、自分のことを見ていてくれているのが分かって、ちょっと嬉しく思った。

「もしかして、俺が原因なのか」

 聖美は少し考えた上で、あまり深刻にならずに、冗談っぽく切り出した。

「そうだよぉ。去年の秋から、よそよそしかったし。ジョギングだって黙って始めちゃうし。なんか聖ちゃんに、悪いことでもしたのかなって考えたりして。私のこと嫌いになったのかと思ったんだから」

 笑いながら切り出したのに、当時の気持ちを思いだした聖美の目に、うっすらと涙が浮かんできたのを見て、聖司は慌てて理由を説明した。

「そ、それは。あの写真が原因で聖美の近くにいると、からかう奴がいたから面倒だったんだ。だから距離を置いたんだけど、今度は元に戻すタイミングが分からなくて」

 写真が雑誌に載るまでは、普通に話したりしていたのだが、心ない者達の冷やかしには聖美もウンザリしていた。当然、聖司も同じ思いだろうというのは感じていたが、元に戻ろうという気持ちがあったことを、本人の口から聞くことが出来て安心していた。

「そっか。でも、それならそうと私に一言、言ってくれればいいじゃない」

「そんなこと出来るかよ。恥ずかしい」

「わかった。それについては許してあげる」

 そんなものかなと男心を理解した聖美は、指で涙を拭うと口元を緩めて微笑んだ。

「俺の方も気になっていたから、スッキリしたよ」

 胸の支えが取れたからか、聖司の表情がグッと和らいだ。

 その表情を見た聖美は、もう一歩、踏み込んだ。

「ねえ。聖ちゃんは、元に戻りたかったんだよね。ということは、私のこと嫌いじゃないんだよね」

「それはそうだ」

「じゃあ。好き?」

 自分の気持ちには迷いがあるにもかかわらず、聖司の気持ちを確認すると言うことに負い目を感じつつも、小さい声で、ぼそぼそっと言った。

「あっ。来たぞ」

 さっきとは違うウエイトレスが、フルーツパフェとプリン・ア・ラ・モードを持ってきた。

「お待たせしました。フルーツパフェとプリン・ア・ラ・モードでございます」

 そう言って、それぞれを目の前に置いて下がると聖司は、すぐにスプーンを手に取った。

「ささ。食べようぜ。んっ。旨い。どうした聖美、食べないのか?」

「食べるよ」

聞こえないフリをされたようにも見えたが、もう一回、聞くことなど出来ず、渋々と食べ始めた。不満一杯の聖美だったが、美味しい物を口に入れると、そんなことは忘れてしまうのが、悲しい性だった。

「美味しいね」

 その変わりように苦笑した聖司だったが、そんなことには気が付かなかった。それくらいフルーツパフェは美味しかった。

「なあ、聖美。なんで光画部のキャンプに一緒に行こうと思ったんだ」

「う〜ん。楽しそうだったから」

 真衣香との仲が気になったなんて、口が裂けても言えなかった。

―――聖ちゃんの気持ちを確かめようとしたのにね。私って、ズルイ女だな。

「私にも撮り方を教えてよ」

「ああ。いいよ」

 聖司がコップの水を飲むために一端、スプーンを置いた。かなり甘かったようだ。

「聖ちゃん。プリン美味しい?」

 言うが早いか、聖司のスプーンを取ってプリンをすくうと、パクッと口に入れた。パフェの甘みが残っていたのに、その上を行く甘味が、口いっぱいに広がった。

「美味しい〜。ホッペが落ちちゃうね」

 頬をおさえながら、生きていて良かったと言わんばかりに。

「そ、そうだな」

 聖司が動揺しているのを見て、聖美は上気した。

―――これって、間接キスだよね。わあ〜。私ってば何やってるのよ。変な女だって思われたかな。

 それから二人は、お互いの顔を見ることが出来ずに黙々と食べ続けた。

 そんな気まずい雰囲気の中、聖司が顔を上げた。誰か知っている人でもいたのかと、聖美も顔を上げると、話し掛けてくる人がいた。

「あら。どうも」

「ど、どうも」

 話し掛けてきたのは、白のワンピースを着た美しい女性だった。後ろには黒服の、背の高い男性が立っていた。いかにも格闘技をやっていますという出で立ちだ。

「お久しぶりです。お仕事は順調ですか?」

「はい。今のところは」

―――誰なの?綺麗な人だな。お仕事って何?

「あら。逢い引きの最中でしたか」

「逢い引きって。違うよ」

「ふふふ。照れなくても良いですよ。また会うときまで、ごきげんよう。行きましょう」

「はい。お嬢様」

 黒服は畏まった口調で答えると、女性の後について店を出て行った。

「なに、今の」

「ちょっとした知り合いだ。気にするな」

 そう言われても、気になる。明らかに年上に見える美人と話す聖司なんて、今まで見たことがないのだから。梨々菜も美人だけど、それとこれとは話が別だ。

「誰なの?」

「まあ、いいじゃないか。忘れてくれ」

「嫌。教えて」

いまの女性が、聖司の秘密に繋がっていると推測した聖美は、怒られるのを覚悟で粘った。聖美の頑固な所を知っている聖司は、仕方なく名前だけ教えた。

「確か、菊間千代だ。食べ終わったし、行こうぜ」

「確かって何?親しいんじゃないの?」

「親しいのとは、ちょっと違うな」

「じゃあ、何なの?」

 ジッと見つめる目は、教えてくれないと一歩も動かないと言っているようだった。

「秘密なの?」

「困ったな」

 いくら頼まれても教えるわけにはいかない聖司は、注文書を持つと席を立った。

「ほら行くぞ」

「嫌」

「置いていくぞ」

「それも嫌」

「ああもう。この通り、全てが終わったら、ちゃんと教えるから」

 聖司はテーブルに手を置き、頭を下げた。傍目から見ると、痴話げんかをして男が謝っているようにしか見えない。

「この通りだ。聖美のことが心配だから話せないんだ。頼む」

「私のことが心配?危ないことなの」

「それも終わったら話すよ」

 聖司の意志も固く、真正面から聖美の目を見た。

「わかった。ちゃんと話してね。約束だよ」

「約束だ」

 それから帰るまで、聖美は一切、このことについて触れることはなかった。

 何か大変なことに巻き込まれているのを感じたが、聖司がそう言うのなら従うしかない。自分のことを大切に思ってくれている、ということを確認出来たので、不安の一つは解消され満足していた。

 ただ、未だ自分の気持ちに答えが出ていなかった。

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