5話:想ってはいけない
「……様、小夜様」
自分を呼ぶ声が聞こえてきて、小夜はうっすら目を開けた。気付けば辺りは暗く、夜となっていた。
意識が戻ったのを見て朧はほっと息をつく。
「終わったか……?」
「ええ、終わりました。お務めご苦労様でした」
「……うん」
朧は荷物を手に取ると、小夜を背負った。
「すぐ下山しますからね」
「……ごめんな」
「何で謝るんですか……」
切なげな声が聞こえた。本当は朧に言ってやりたい。
─お前には未来がある。私のことを忘れてくれ。こんな仕事やめてくれ。幸せになってくれ。
けれど、そんなことを言ったら朧が困るのは目に見えている。
─どうしたらお前は報われるんだろうな。
小夜はずっとその問いを自分に投げかけている。
途端に睡魔が襲ってきた。小夜は目をつぶって朧の背中に身を任せる。そんな小夜に向けて、朧は呟いた。
「……あなたは知らないでしょうね」
しかし、眠りについた小夜には聞こえていない。
「俺が何を思ってあなたの側に仕えているのか……」
朧の言葉は誰にも届くことがなく、闇へと消えていった。
寒さを感じ、小夜がゆっくりと目を開けると再び霊山の山頂にいた。神祇が終わった後らしく、辺りはすっかり闇に包まれ、その中で小夜は倒れ込んでいた。
─あれ、何で。
「朧……?」
冷たい風が小夜の体温を奪っていく。
「朧、朧……」
おかしなことに自分の従者の名前を呼んでも返事が返ってこない。周りに人の気配がないことに気付いた。
─あ、これ夢だ。
気付きホッとしたものの、久しぶりの孤独に体が震える。
「朧、どこにいるんだ……?」
頑張って体を起こそうとすると、全身が痛んだ。
「何これ……」
右腕に大きな痣があった。
─あの子の記憶だ。
「い、や……」
─早く目を覚まさなきゃ。
しかし、頬をつねってもこの悪夢からは逃げ出せない。
─寒い。
小夜は自分の両腕を抱き抱えた。一人はこんなに寒かっただろうか。
「助けて朧、助けて……」
体を丸めて縮こまる。耐えようのない苦しみに心が張り裂けそうになった時─小夜の手を誰かの温かい手が包み込んだ。
「小夜様、しっかりしてください!」
目を開けると朧が覗き込んでいた。部屋のベッドで眠っていたらしく、布団の上で震える手を朧がぎゅっと握ってくれている。
「朧……」
ずっと呼びかけていたのだろう。朧は安心して息をついた。
「ずっとうなされてましたよ……大丈夫ですか」
「……うん」
体を起こすと、つーっと頬を涙がつたった。それを見て朧は目を見張る。
「一体どんな夢を……」
「大丈夫だ。ちょっと怖い夢を見ただけ」
すると、朧は眉をひそめた。
「大丈夫な訳ないですよね。俺がいくら声を掛けても目を覚まさなかったんですよ」
「……小さい頃の夢を」
そこで小夜は言葉を止めた。
─朧に言ってどうなる。もっと彼を苦しめてしまう。
「小夜様?」
小夜は涙を拭うと、そっと朧から手を離した。
「いや、もう落ち着いたから大丈夫……起こしてくれて助かった」
平気な顔を見せるが、朧の表情は晴れない。
「……小夜様は本当に何も」
そこで言葉は途切れた。
「何だ……?」
「いえ……何でもないです。夜ご飯出来てますけど、食べられますか?」
「うん。ありがとう」
「……先行ってますね」
朧はそれ以上は何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
─久しぶりにあんな夢を見たな……。
小夜は枕元に置かれてあるカレンダーをめくる。来月の11日に星マークが書かれていた。
─もうすぐだからか。
小夜は布団から出ると、朧の所へと向かった。
今日の夜ご飯は温かい蕎麦だった。ほかほかと温かい湯気を立てている。
「体冷えましたからね。どうぞ食べてください」
先程のことがなかったかのように朧はいつも通りだった。
「……ありがとう。いただきます」
手を合わせると蕎麦をふーふーと冷ましてすする。同時に体の芯まで温まった。
「……おいしい」
「良かったです」
朧も手を合わせてすする。
しばらく蕎麦をすする時間が過ぎ、少し気まずい沈黙に耐えきれなくなった小夜は話題を振った。
「……そういえば明日いない日だったよな」
途端に朧は申し訳ない顔になった。
「……はい」
「いやいいんだ。忙しいのに悪いな」
「いえ、忙しいというか……」
朧は語尾を濁す。
小夜は、朧が十六夜家の用事で木曜日に不在なことは知っているが、当主問題や縁談のことは何も知らないことになっている。そのため深く踏み込まず、気にしない振りをした。
「朧、十六夜家の皆さんによろしくな」
「……付き添えずすみません」
「毎週言ってんな。いいんだよ……剱持さん、いい人だから。」
少し小夜の顔が曇ったことに朧は気が付かなかった。その言葉に朧はほっとする。
「ならよかったです。剱持さんにまたお礼言っておきます」
「……うん」
小夜は手元に視線を落としたまま、頷く。
「先にシャワー浴びてこい。明日早いんだろ」
先に食べ終わった朧を見て、小夜は言う。
「ですけど、小夜様を早く寝かせないと……」
「だから言ってるだろ。子供扱いするなって」
小夜がそう言うため、朧は有難く先にシャワーを浴びることにした。
「いいですか。何かあったらすぐ俺を呼ぶんですよ」
「大丈夫だから早く浴びてこい」
過保護な朧を手で追いやると、小夜は手を止めた。
毎週木曜日。その日は一番嫌な日だった。
十六夜家は結界を扱う一門だ。神の世と人の世を隔てる“門”を閉じる役目を負っている。
半年前、当主が亡くなってからは、仮の当主として朧がその役を継いだ。"門"の安定のために毎週奉納に行かなければならず、その日は代わりの鎮守人である剱持という男性が来る。
─大丈夫、一日だけ。一日だけ耐えればいい。
小夜はそう自分に言い聞かせると、残りの数本をすすった。
23時になり、シャワーを浴びた小夜は布団に潜り込む。
「電気消しますよ」
朧が言い、パチンと部屋が真っ暗になった。
「あの……小夜様」
遠慮がちに朧が声を掛ける。
「どうした」
「今からでも連絡できます。もしその……不安でしたら明日の用事を一日くらいならずらせますけど」
さっきのことを思い出して言ってくれているのだろう。しかし、小夜は首を振った。
「大丈夫だ。久しぶりに見たからびっくりしただけ。もう怖くないよ」
「……そうですか」
「それより朧、明日行く時声掛けてな」
「本気ですか?5時に起きることになりますよ」
「いいから。黙って行くなよ」
朧は苦笑混じりに「分かりました」と答えた。
「おやすみ、朧」
「おやすみなさい、小夜様。いい夢を……」
パタンとドアが閉じられた。
さっきの悪夢のこともあり、途端に一気に孤独感が襲ってくる。朧が来てから小夜は、叩かれる痛みより失う痛みの方が恐ろしいことに気付いてしまった。
─ずっと一人だったんだ。想うな。一人で耐えろ。
知らなければ、失うこともなかった。
この温もりが消える時の絶望に耐えられる自信などないから、いっそ心を殺してくれと、孤独な少女は絶望とともに祈った。




