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2話:神代 小夜

黎明27年、場所は天御影。季節の巫が冬をもたらし、世界は音を失ったように静まり返った。

冷たい風が吹き付け、空が茜色に変わりゆく。そんな中、白い息を吐きながら1人の巫が険しい霊山の道を歩いていた。

 

「小夜様」


後ろで従っていた鎮守人が、少女の名前を呼んだ。小夜と呼ばれた彼女は、足を止めて振り向く。艶のある黒髪がさらりと揺れ、猫のように大きい目が瞬かれる。顔立ちは幼さを残しつつも凛としており、巫としての威厳を漂わせていた。


「足元ぬかるんでますのでお気をつけください」

「朧もな」


一方、朧と呼ばれた青年は、切れ長の目が冷たく映える、端正な顔立ちをしている。がっしりとした体格をしておりながら、巫女を見守る背中にはどこか柔和な落ち着きがある。しかし、腰に差した一振りの剣が、彼が「ただの青年」ではないことを静かに物語っていた。

小夜は感情のない声でそう一言答えると、足を踏み込んだ。しかし、その瞬間だった。昨夜の雨でぬかるんでいた岩にズルリとシューズが滑り、小夜の体が傾く。


「小夜様!」


朧は、慌てて腕を差し伸べる。傾いた小夜の体は、朧の腕の中にすっぽりと包まれた。


「……悪い」

「いえ、ご無事で良かったです」

「言っとくが、安易に触れない方がいい」

「……失礼しました」


朧は頭を下げて、小夜をゆっくりと離した。

無言で登頂をめざし、1時間ほど経った後ようやく山頂にたどり着いた。

山頂に立つと、天御影全体を見回すことができ、茜色の空と相まって絶景となっている。しかし、小夜はそんな絶景に感嘆の声もあげることなく、近くの岩に腰を下ろした。息を整えながら朧を見上げる。


「今何時だ」

「17時55分です」

「そろそろだな。やるぞ」

「ええ」


小夜は立ち上がった。


「小夜様、今日もよろしくお願いします」

「うん」


朧は恭しく神楽鈴を手渡した。小夜は受け取り、空に向けて一度だけ鳴らす。しゃらんと辺りに鈴の音が響き渡り、空気が変わった。


─ああ、始まった。


小夜の後ろ姿を見て、朧はその時が来たのだと確信した。彼女の体が傾き、倒れそうになる─しかし、瞬きをした次の瞬間には、まるで別の者が宿ったかのように凛と佇んでいた。


「掛けまくも畏き天つ神に白す─」


小夜、いや違う者が彼女の唇を使って囁いた。"彼の者"は、神楽鈴を持って舞い始める。


─現し世の縁を解きて天つ風

─迷える御霊をここに集わん

─罪も穢れも悉く祓い浄めて

─常世の国へ安らけく送り奉らん


鈴の音が山頂に響き渡ると、天御影の街の明かりの向こうで、微かに揺れる光の粒が見えた。

鈴の音に導かれるように、魂たちは街からひとつ、またひとつと立ち上がり、空気を漂いながら山頂へと向かう。道の途中で迷う者も、苦しみを抱えた者も、全てが光の帯に吸い込まれるように集まる。


─小夜様。


小夜の印が風を切り、空気が震えるたび、魂たちの光は濃くなり、帳のように山頂を覆った。

朧は息を止め、悲しげにその光景を見つめた。守ることも、触れることもできず、ただ彼女の後ろ姿と魂たちが出す淡い光を、胸に刻むしかない。


「常世の国へ、いざ還れ─」


祝詞と共に光の帯が、ゆっくりと、しかし確実に天へと伸びていった。青白い魂の帯が山頂から天へと伸び、空に溶けていく。

小夜の後ろ姿を中心に、光と影が渦巻き、山頂は神秘的な異界のように変わった。

夜の帳が深く降りて茜色の空は藍に染まり、街と山頂、魂の光が混ざり合った幻想の世界が広がった。


「小夜様!」


神祇が終わった。"彼の者"は彼女の体から消え去り、小夜は体制を崩す。朧は慌てて駆け寄り、彼女を支えた。今度は小夜は何も言わなかった。


「終わった、か」

「ええ、終わりました。お務めご苦労様です」

「うん」


小夜はそう答えて目を閉じた。朧は荷物を体の前に抱えると、小夜をおぶって立ち上がる。手が軽く触れ、神力を使い果たした彼女の冷たさに心臓が震えた。


「朧……」

「……はい」

「お前、いつでもこんな仕事やめていいからな……」

「……やめませんよ」


小夜からの返事はなく、代わりに寝息が聞こえてきた。

朧が鎮守人になってから一年。最初は一緒にいることを拒絶していた彼女だが、体を預けるまでには信頼してくれるようになった。


常世の巫。それは、死者の魂を集め、月夜海へと送り届ける者。民が生活をしている中、死に近い場所で孤独に命を削り使命を全うしている。

しかし、魂を集め、神へと捧げる故、民からは"穢れ"と蔑まれ、大切な人を失った民からは罵倒される。巫に仕える鎮守人である朧もこの一年間、ありとあらゆる罵詈雑言を投げつけられた。


─逃げてしまえばいいのに。


せめて自分だけは、彼女を巫ではなく一人の少女として大切にせねば。

藍色の闇の中、二人の重なった影が静かに山を下りていった。 

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