山上徹也は控訴するのか?
本日、奈良地裁にて、求刑通りの「無期懲役」の判決が下された山上徹也被告。この判決を妥当と見るか、重いと見るかは人それぞれだが、地裁が地裁である以上、まずは求刑どおりといったところか。
問題は、山上が控訴するのか、否かだ。
即日控訴をしていない以上、弁護側がどう山上を説得するかだが、正直なところ、望み薄か。
山上は、安倍晋三を政治家として狙ったわけではない。しかしながら「思想的なテロ」として語りたがる人間も多数存在する。通常、このレベルの事件の初犯で無期懲役が言い渡されるケースは、ごく稀だとされるが、いわゆる「社会システムを壊す意図」に近いものまでをも裁判官が加味し、判決を下した可能性が高い。
控訴し続ければ、減刑となる可能性も高いと筆者は考えている。しかし、山上を完全に疲れ果てている。それは取りも直さず、母親が統一教会の信者であることを続け、山上の心を殺し続けているからだ。
山上の母は、統一教会に入信する前にも、地元の別の宗教団体にいたとされる。彼女は彼女で、心に何らかの欠損を抱えながら生きている人物のようなので、致し方ない面もあるが、彼女に必要なのは宗教の力ではなく、心療内科でのカウンセリングなのではないのかと、個人的には考えている。
しかし、そういったサポートの動きも周囲には見当たらない。それゆえに山上は、今後も救われる可能性が低く、生きることに希望を見出せないでいる。
罪は完全に認めているが、射殺したことにも後悔はしていない山上。後悔があるとすれば、安倍晋三ではなく、教祖や幹部を銃撃出来なかったことか。
殺害は達成したが、虚しさしか得るものの無かったこの事件は、勝者はひとりも存在せず、敗者のみが生まれる事件となった。
だが、時間を巻き戻せたとしても、やはり誰も救われず、狂った歯車の停止の作用としては、また別の形でも起こり得た事件である。
山上への同情の念は禁じ得ないが、その行動は褒められたものではなく、何とも言えぬ後味だけが、ずっと口に残り続ける。
山上の自作銃の作成にしても、最初から安倍晋三を狙って、製作されていたわけではない。安倍の奈良での遊説は突発的なスケジュールの変更によって生まれ、山上はそれを天啓と感じ、偶発的に事件を起こしたに過ぎない。
しかし、本件では「用意周到に計画された犯行」と評価されている。これは違和感でしかない。




