初めての依頼
翌朝。
俺は街の門を出て、依頼書に書かれた森へと向かっていた。
エクリプス近郊の「翠緑の森」――街から徒歩で一時間ほどの場所にある、比較的安全とされている森だ。
依頼内容は、森に出没するゴブリンの群れの討伐。最近、数が増えて商人たちが襲われる被害が出ているらしい。
「ゴブリンか……」
村にいた頃、何度か退治したことがある。小型で知能は低いが、群れで襲ってくるから油断はできない。
森に入ると、木々が日光を遮り、薄暗くなった。湿った土の匂い。鳥のさえずり。風に揺れる葉の音。
五感を研ぎ澄ませる。
不思議なことに、森に入った途端、身体の感覚が鋭くなった。気配を読む、音を聞き分ける――まるで、ずっとこうしてきたかのように。
「……二十メートル先、右手」
呟いた瞬間、茂みがガサガサと揺れた。
飛び出してきたのは、緑色の肌をした小型の人型――ゴブリンだ。身長は一メートルほど。粗末な棍棒を握り、ギャアギャアと鳴き声を上げている。
一体、二体……五体。
「五体か。ちょうどいい」
腰の短刀を抜く。
ゴブリンたちが一斉に襲いかかってきた。
「遅い」
最初の一体が棍棒を振り下ろす。それを軽く横に避け、刀を一閃。ゴブリンの首が飛んだ。
二体目が横から飛びかかってくる。身体を捻って回避し、カウンターで胴を斬る。
三体目、四体目が同時に来た。
「っと!」
後ろに飛びのき、距離を取る。そして――
「はっ!」
地面を蹴って突進。低い姿勢から二体をまとめて斬り上げた。
残る一体は恐怖で固まっている。
「……悪いな」
止めを刺す。
五体全てが倒れ、静寂が戻った。
「……はぁ」
息をついて、刀を振って血を払う。
やはり、身体が勝手に動く。考えるより先に、最適な動きが出てくる。まるで、何千回、何万回と繰り返してきたかのように。
「俺は一体……」
その時、また左肩の刻印が熱を帯びた。
「また……?」
刻印に手を当てる。熱い。そして――
『――後ろだ!』
声が聞こえた。
「!?」
反射的に振り返り、横に飛ぶ。
次の瞬間、俺がいた場所に巨大な斧が振り下ろされた。地面に深々と突き刺さる。
「なっ……!?」
そこにいたのは、ゴブリンの三倍はある大型の個体だった。筋骨隆々とした緑の身体。鋭い牙。そして、人間の大人が使うような大斧を軽々と持っている。
「ホブゴブリン……!」
ゴブリンの上位種。村でも一度しか見たことがない、危険な魔物だ。
「グルルルル……」
ホブゴブリンが唸り声を上げながら、再び斧を構えた。
「くそ……Eランク推奨の理由はこれか」
警戒しながら、短刀を構え直す。
ホブゴブリンが地面を蹴った。巨体に似合わない速さで迫ってくる。
「っ!」
横に転がって回避。斧が地面を抉る。
すかさず反撃――短刀で足を斬りつけた。
手応えがあった。だが――
「硬い!?」
浅い。皮膚が分厚すぎる。
「グオオオ!!」
ホブゴブリンが怒りの咆哮を上げる。横薙ぎの一撃が飛んでくる。
バックステップで距離を取るが、攻撃範囲が広い。
「このままじゃ……」
考える。短刀では威力不足だ。致命傷を与えるには、急所を狙うしかない。
でも、どうやって?
その時――頭の中に、映像が流れ込んできた。
同じような巨体の敵と戦う、誰かの記憶。いや、自分の記憶?
『――大型相手は、懐に入れ。リーチを殺せば、こっちのものだ』
誰かが教えてくれている。知らない声。でも、懐かしい声。
「……そうか」
ホブゴブリンが再び斧を振り上げる。
俺は――逃げずに、正面から駆けた。
「うおおおっ!!」
斧が振り下ろされる。それを、紙一重で避けながら懐に潜り込む。
ホブゴブリンの目の前。この距離なら、斧は使えない。
「せりゃあああ!!」
短刀を逆手に持ち替え、全力で首に突き立てた。
ズブリと、深く刺さる。
「グ……ガァ……」
ホブゴブリンの身体が震え、そのまま後ろに倒れた。地響きがする。
「……やった」
息が上がる。額に汗が流れる。
だが、勝った。
「今の記憶……誰だ?」
頭の中に浮かんだ映像。誰かが俺に戦い方を教えてくれていた。
これも、失われた記憶の一部なのか。
ふと、倒れたホブゴブリンの向こうに、何かが見えた。
「あれは……?」
近づくと、それは洞窟の入口だった。木々に隠れて見えにくくなっている。
中から、微かに光が漏れている。
「ゴブリンの巣か?」
依頼は討伐だ。巣を潰さなければ、また増える。
「……入るか」
短刀を構え直し、洞窟に入った。
洞窟の中は、予想以上に広かった。
壁には光る苔が生えていて、微かな明かりを提供している。奥へ進むと、広間のような空間に出た。
そこには――
「うわ……」
無数のゴブリンがいた。少なくとも三十は超える。そして、奥には巨大な個体が座っている。
ホブゴブリンよりさらに大きい。身体には傷跡が無数にあり、片目が潰れている。間違いなく、この群れのリーダーだ。
「ゴブリンキング……」
最悪だ。こんな大物がいるとは聞いていない。
ゴブリンたちが、俺の存在に気づいた。
「ギャア! ギャア!」
一斉に鳴き声を上げる。
ゴブリンキングが立ち上がった。三メートルを超える巨体。手には、人間の骨で作られたような大剣。
そして――睨みつけてきた。
「……まずい」
逃げるべきか。でも、背を向けたら確実に追いかけてくる。
それに――
「ここで逃げたら、また誰かが襲われる」
ソフィアのような、無力な人たちが。
「……やるしかない」
短刀を構える。
ゴブリンキングが咆哮を上げた。それを合図に、ゴブリンたちが一斉に襲いかかってきた。
「くそっ!」
最初の数体を斬り倒す。だが、数が多すぎる。
爪で引っ掻かれる。棍棒で殴られる。
「ぐっ……!」
痛みが走る。だが、止まれない。
動き続ける。斬って、避けて、斬って。
身体が熱くなる。視界が狭まる。
そして――
左肩の刻印が、強烈に光り始めた。
「!?」
刻印から、黒い光が溢れ出す。それは俺の身体を包み込み――
『――解放、第一階層』
誰かの声。
次の瞬間、身体の中から力が溢れてきた。
「これは……!」
速度が上がる。力が増す。視界が鮮明になる。
まるで、リミッターが外れたような感覚。
「はあああああっ!!」
駆ける。ゴブリンたちを次々と斬り倒していく。
十体、二十体――数えるのをやめた。
気づけば、周りのゴブリンは全て倒れていた。
残るは――
「ゴブリンキングだけ!」
巨体が大剣を振り下ろす。
今度は――避けない。
「せりゃああああ!!」
短刀で、受け止めた。
ギィィィンと、金属音が響く。
ありえない。この細い短刀で、大剣を受け止めた。
「ぐ……押し返す!」
力を込める。ゴブリンキングの大剣が、押し返される。
「なっ……!?」
自分でも信じられない。こんな力、今まで出せなかった。
ゴブリンキングが驚愕の表情を浮かべる。
「終わりだ!」
大剣を弾き飛ばし、一気に間合いを詰める。
そして――
「融合術式・紅蓮断!」
口から勝手に言葉が出た。
短刀が赤く輝く。いや、炎を纏っている。
「はああああっ!!」
振り抜く。
炎を纏った斬撃が、ゴブリンキングの胴体を切り裂いた。
「グ……オォォォ……」
ゴブリンキングが膝をつき、そのまま崩れ落ちた。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
力が抜ける。刻印の光が消え、身体が重くなる。
「何だ……今の……」
融合術式? 俺が、使ったのか?
でも、そんな術、知らない。習ったこともない。
なのに――身体が、勝手に。
「俺は……一体……」
その時、洞窟の奥から、微かな光が見えた。
「あれは……?」
ふらふらと、光の方へ歩く。
そこには、小さな祭壇のようなものがあった。そして、その中央に――
黒い球体が浮いていた。
手のひらサイズの、不思議な球体。中で何かが蠢いている。
「これは……」
手を伸ばした瞬間、球体が光を放った。
『――見つけたぞ、刻印の継承者よ』
声が、頭の中に直接響く。
「誰だ!?」
『我は封印されし者。汝の刻印に反応し、目覚めた』
「刻印……俺の、刻印に?」
『その刻印は、古き時代の証。汝は選ばれし者の末裔』
「何を言って……」
『時が来れば、全ては明らかになる。だが今は――これを受け取れ』
球体が輝きを増し、俺の左肩に吸い込まれていった。
「うわっ!?」
刻印が熱い。焼けるように熱い。
そして――頭の中に、大量の情報が流れ込んできた。
映像。声。感情。
燃える街。戦う人々。七つの影。
『――ミコト、行け!』
『――お前だけでも、生き延びろ!』
『――必ず、また会おう!』
「ぐ……ああああっ!!」
頭を抱える。痛い。頭が割れそうだ。
だが、同時に――
少しだけ、思い出した。
俺には、仲間がいた。
大切な、大切な仲間たちが。
名前は思い出せない。顔もぼんやりとしている。
でも、確かにいた。
「俺は……ミコト……?」
その名前を口にした瞬間、意識が遠のいていった。
「……い。おい!」
誰かの声で目が覚めた。
ぼんやりと目を開けると、見慣れない天井。いや、これは――洞窟の天井か。
「気がついたか。おい、大丈夫か?」
横を見ると、男が一人立っていた。
二十代半ばくらいか。黒い短髪に、鋭い目つき。軽装の鎧を身につけ、腰には双剣。
「あなたは……」
「俺はシュバルツ。冒険者だ。洞窟の入口で気配を感じて入ってきたら、お前が倒れてた」
シュバルツと名乗った男は、周囲を見回した。
「それにしても……すげぇな。ゴブリンキングを一人で倒したのか?」
「……ああ」
記憶がぼんやりとしている。でも、確かに倒した。
「お前、新人だろ? ギルドで見かけたぞ。昨日登録した」
「……覚えてたんですか」
「ああ。俺は人の顔を忘れない」
シュバルツは手を差し出してきた。
「立てるか?」
「……はい」
手を取り、立ち上がる。身体が重い。
「無茶したな。一人でこんな場所に来るなんて」
「依頼だったんです」
「依頼? ……ああ、森の魔物討伐か。まさかゴブリンキングがいるとはな」
シュバルツは肩を竦めた。
「帰るぞ。報告しなきゃならん」
「はい……」
洞窟を出る。外はすっかり夕方になっていた。
どれくらい気を失っていたんだろう。
「なあ」
歩きながら、シュバルツが言った。
「お前、どうやってゴブリンキングを倒した?」
「……分かりません。気づいたら、倒してました」
「気づいたら?」
「はい。身体が勝手に動いて……それで」
シュバルツは不思議そうな顔をした。
「変な奴だな。でも、才能はある。それは間違いない」
「……ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。事実だ」
街への道を歩く。
俺は、チラリとシュバルツの横顔を見た。
なぜだろう。初対面なのに、どこか懐かしい気がする。
左肩の刻印が、微かに温かい。
「……あの」
「ん?」
「あなたの名前、もう一度教えてもらえますか?」
「シュバルツだ。シュバルツ・ヴィント」
その名前を聞いた瞬間――
頭の中で、何かが弾けた。
『――シュンソウ兄さん!』
誰かの声。幼い、自分の声。
「!?」
立ち止まる。
「どうした?」
「いえ……何でも」
違う。これは――
でも、まさか。
「行くぞ。日が暮れる」
「……はい」
シュバルツの背中を見ながら、俺は思った。
この人を、知っている気がする。
前世で――
「……いや、そんなはずない」
首を振って、その考えを追い払った。
でも、胸の奥の疼きは、消えなかった。
街に戻ると、ギルドに直行した。
ミラが驚いた顔で迎えてくれた。
「レンくん! 無事だったのね!」
「はい。依頼、完了しました」
「ゴブリンキングまで倒したって本当!?」
「……はい」
証拠として、ゴブリンキングの耳を見せる。これが討伐の証明になる。
「すごい……本当にやったのね」
ミラは感心したように頷いた。
「報酬は銀貨五十枚。それと、特別ボーナスで銀貨三十枚。合計八十枚になるわ」
「八十枚……!」
予想以上の額だ。
「それと――ランクアップね」
ミラは新しいプレートを取り出した。
【神代レン / ランク:E】
「おめでとう。これで、もう少し難しい依頼も受けられるわ」
「ありがとうございます」
プレートを受け取る。
「でも、無理はしないでね。死んだら意味がないんだから」
「……はい」
ミラは本当に心配してくれている。それが嬉しかった。
「今日はもう休みなさい。宿は決まってる?」
「いえ、まだ……」
「じゃあ、紹介するわ。安くて清潔な宿よ」
紹介された宿に泊まり、その夜。
ベッドに横になりながら、今日の出来事を思い返していた。
融合術式。
謎の球体。
流れ込んできた記憶の断片。
そして――シュバルツという男。
「俺は……何者なんだ」
天井を見つめながら、呟く。
答えは出ない。
でも、少しずつ――
真実に近づいている気がした。




