東への道
風牙の村を出て五日。
俺たちは東へと続く街道を、着実に進んでいた。
景色は日ごとに変化していった。針葉樹林から広葉樹林へ。そして、徐々に竹林が増えていく。空気も、どこか湿度を帯びて、甘い花の香りが漂うようになった。
「ああ……この匂い、懐かしいです!」
リンが深呼吸をして、嬉しそうに言う。
「もうすぐ、神楽連邦ですね!」
「随分と雰囲気が変わったわね」
エリスが周囲を見回す。
街道の両脇には、赤い鳥居が立ち並んでいる。そして、道端には小さな祠が点在していた。
「これは……?」
「道祖神です」
リンが説明する。
「旅人の安全を祈って建てられたものです。神楽連邦では、こういう信仰が根強いんですよ」
「へぇ……」
セキエイが興味深そうに祠を覗き込む。
「信仰、か。俺たちの村にも、似たようなものがあったな」
「村?」
俺が訊くと、セキエイは少し懐かしそうな顔をした。
「ああ。前世での話だ。俺――いや、私は、小さな村の出身だった」
セキエイは空を見上げる。
「山奥の、名もない村。そこでは、山の神様を祀っていた」
「それで、戦士になったんですか?」
リンが興味津々で訊く。
「ああ。村を守るために、剣を学んだ。そして、いつしか禍ツ神にスカウトされた」
「スカウト? 誰に?」
「レイゼンだ」
セキエイは微笑む。
「あの人は、全国を回って、才能のある者を集めていた。俺もその一人だった」
「レイゼン……」
その名前を聞くたびに、胸が疼く。
記憶の中の、絶対的なリーダー。
白銀の髪と、鋭い銀の瞳。
「早く、会いたいな」
俺は呟く。
「レイゼンに。そして、残りのみんなにも」
「ああ。必ず会える」
シュンソウが力強く言った。
「刻印が導いてくれる。俺たちがこうして再会できたように」
その日の夕方、俺たちは街道沿いの宿場町に到着した。
「茜の宿場」と呼ばれる、小さいが活気のある町だった。
「わぁ、提灯がいっぱい!」
リンが目を輝かせる。
町の通りには、赤い提灯が無数に吊るされていた。夕暮れの光を受けて、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「綺麗ね……」
エリスも感嘆の声を漏らす。
「東の文化って、本当に独特だわ」
「でしょう? 私の故郷は、もっとすごいんですよ!」
リンが胸を張る。
「天ノ京には、もっと大きな祭りがあって、もっと綺麗な建物があって――」
「分かった、分かった」
シュンソウが苦笑する。
「まずは宿を探そう。今夜は、ここで休むぞ」
「はい!」
宿は「紅葉亭」という、東洋風の旅館だった。
畳の部屋に、障子の扉。床の間には掛け軸が飾られている。
「うわぁ……落ち着きますね」
リンが畳に寝転がる。
「やっぱり、こういう雰囲気が一番です!」
「リン、はしたないわよ」
エリスが苦笑する。
「でも、確かに居心地はいいわね」
俺とシュンソウは、隣の部屋に荷物を置いた。
「なあ、ミコト」
シュンソウが窓の外を見ながら言った。
「この平和な光景を見ていると……本当に、終焉の獣が復活しようとしているのか、信じられなくなる」
「……ああ」
俺も窓の外を見る。
町の人々は、笑顔で日常を過ごしている。子供たちが遊び、商人が商売をし、老人が茶を飲んでいる。
「でも、だからこそ守らないとな」
「ああ」
シュンソウは拳を握る。
「この平和を。この笑顔を。前世では、守れなかった」
「今度は、守る」
俺も拳を握った。
「絶対に」
夕食は、旅館の大広間で取ることになった。
出されたのは、東の料理だった。白米、焼き魚、味噌汁、漬物。
「美味しい……!」
リンが幸せそうに食べている。
「やっぱり、故郷の味は最高です!」
「確かに、美味しいわね」
エリスも箸を器用に使いこなしている。
「この魚、何という種類なの?」
「鮎です。川魚ですね」
リンが説明する。
「東では、川魚をよく食べるんですよ」
「へぇ……」
セキエイも興味深そうに食べている。
「俺の村でも、似たような料理があったな」
食事をしていると、隣のテーブルから声が聞こえてきた。
「聞いたか? 天ノ京で、また不思議な事件が起きたらしいぞ」
「不思議な事件?」
「ああ。夜な夜な、黒い影が街を徘徊しているんだと」
「黒い影……?」
「それだけじゃない。影を見た者は、記憶を失うらしい」
「記憶を……?」
俺は思わず聞き耳を立てた。
「おいおい、そんな馬鹿な話があるか」
「いや、本当らしいぞ。俺の知り合いの商人が、実際に被害に遭ったんだ」
「で、どうなった?」
「一晩の記憶が、すっぽり抜け落ちていたそうだ。自分が何をしていたのか、全く思い出せないと」
「怖いな……」
二人の会話は、そこで途切れた。
俺は、仲間たちの方を見た。
「聞いたか?」
「ええ」
エリスが頷く。
「黒い影と、記憶喪失……」
「まさか……」
シュンソウが険しい顔をする。
「虚無の使徒か?」
「可能性はある」
セキエイも真剣な表情だ。
「それに、天ノ京はリンの故郷でもある。行く予定だったんだ」
「なら、急ぎましょう」
リンが立ち上がる。
「もしかしたら、私の知り合いも被害に遭っているかもしれません!」
「そうだな。明日、早朝に出発しよう」
俺が決断を下す。
「天ノ京まで、あとどれくらいだ?」
「順調に行けば、三日です」
リンが答える。
「でも、急げば二日で着けます」
「じゃあ、急ごう」
「はい!」
その夜、俺は眠れなかった。
窓の外を見ると、満月が浮かんでいる。
その月を見ていると、不思議な感覚に襲われた。
まるで、何かが呼んでいるような――
『――ミコト』
声が聞こえた。
「!?」
誰だ?
『――久しぶりね、ミコト』
女性の声。
どこか、懐かしい声。
「お前は……誰だ?」
『――忘れたの? ひどいわね』
声が、笑う。
『――でも、仕方ないか。あなたたち、記憶を封印されていたものね』
「記憶を封印……?」
『――そう。転生の法には、副作用があるの。記憶の封印』
「なぜ、そんなことを……」
『――世界の法則よ。魂は転生できても、記憶まで完全に持ち越すことはできない。だから、封印されるの』
「じゃあ、なぜ俺たちは思い出せた?」
『――刻印のおかげよ。刻印は、魂に刻まれた記憶の鍵。仲間同士が近づくと、共鳴して記憶を解放する』
「そういうことか……」
『――ええ。そして、私もそろそろ会えそうね』
「お前は……もしかして」
『――ユウナギよ。禍ツ神、第三席』
「ユウナギ……!」
記憶が鮮明に蘇る。
淡い紫の長髪。神秘的な紫紺の瞳。幻術を操る術師。
「お前、どこにいる!?」
『――天ノ京よ。魔法学術都市アルカナムから、調査に来ているの』
「調査?」
『――黒い影の事件。私も、気になっていたから』
「まさか、虚無の使徒が……」
『――おそらくね。だから、急いで来て』
「ああ、分かった!」
『――それと、ミコト』
「何だ?」
『――気をつけて。敵は、私たちの刻印を狙っている』
「分かってる」
『――じゃあ、また。天ノ京で会いましょう』
声が消えた。
俺は窓の外を見つめる。
「ユウナギ……会えるんだな」
胸が高鳴る。
五人目の仲間との再会が、すぐそこまで来ている。
翌朝、早朝。
俺たちは宿を出発した。
「みんな、ユウナギから連絡があった」
歩きながら、昨夜のことを話す。
「本当ですか!?」
リンが驚く。
「はい。天ノ京にいるそうです。黒い影の事件を調査している」
「やはり、虚無の使徒が関わっているのか……」
シュンソウが険しい顔をする。
「急ぎましょう」
エリスが言う。
「ユウナギさんが危険に晒されているかもしれない」
「ああ!」
五人は、駆け出した。
急いだ甲斐があって、二日後の午後には天ノ京が見えてきた。
「あれが……!」
丘の上から見下ろすと、巨大な都市が広がっていた。
中央には、巨大な宮殿のような建物。その周りには、無数の木造建築が立ち並んでいる。
そして、街全体を囲むように、高い城壁が築かれていた。
「すごい……」
エリスが感嘆の声を漏らす。
「エクリプスより大きいわ」
「ええ。神楽連邦の首都ですから」
リンが誇らしげに言う。
「人口は五十万人。この大陸で、三番目に大きな都市です」
「五十万……!」
セキエイが驚く。
「それだけの人がいるのか……」
「さあ、行きましょう!」
リンが先導する。
「私の故郷、案内しますよ!」
天ノ京の門は、巨大だった。
高さ十メートルはある、朱塗りの門。両脇には、獅子の石像が鎮座している。
門の前には、警備兵が立っていた。
東洋風の鎧を着て、槍を持っている。
「止まれ。入京の目的は?」
「冒険者です。ギルドの依頼で来ました」
俺が答えると、兵士は頷いた。
「冒険者プレートを見せろ」
五人がプレートを提示する。
「……よし、通れ。ギルドは中央区にある」
「ありがとうございます」
門をくぐると――
そこは、別世界だった。
「わぁ……!」
リンが歓声を上げる。
石畳の道。両脇に立ち並ぶ、瓦屋根の建物。そこかしこに、桜の木が植えられている。
人々は、着物のような服を着ている。そして、街のあちこちに、神社や寺が見える。
「すごい……本当に、異世界みたい」
エリスが目を輝かせる。
「いや、ここも異世界なんだけどな」
シュンソウが苦笑する。
「でも、確かに……西とは全然違うな」
「ほら、あれ見てください!」
リンが指差す。
街の中央に、巨大な塔が見える。
五重塔だ。朱色に塗られた、美しい塔。
「あれが、天ノ京のシンボル、『天照の塔』です」
「天照……」
「ええ。神楽連邦の守り神、天照大神を祀っています」
リンが説明する。
「あの塔の地下には、封印の祭壇があって――」
その時、街の中央から、悲鳴が聞こえてきた。
「きゃああああ!」
「何!?」
俺たちは、声のした方へ駆けた。
街の広場に着くと、人だかりができていた。
「どうした!?」
人々をかき分けて前に出ると――
そこには、倒れている男がいた。
「しっかりしろ!」
周囲の人々が、男を揺すっている。
「だめだ、意識がない……」
「医者を呼べ!」
俺は男の様子を見た。
外傷はない。呼吸もしている。
だが――
その顔からは、表情が消えていた。
まるで、魂が抜けたような――
「これは……」
エリスが呟く。
「記憶喪失……?」
「いや、それだけじゃない」
シュンソウが険しい顔をする。
「この男、魔力が吸われている」
「魔力を……?」
「ああ。まるで、何かに生命力ごと奪われたような」
その時、広場の隅に、黒い影が見えた。
「!?」
影は、人の形をしている。
だが、輪郭がぼやけていて、実体があるのかないのか分からない。
「あれが……!」
「追うぞ!」
俺たちは、影を追いかけた。
影は、驚くほど速かった。
路地を抜け、屋根を飛び、人混みをすり抜ける。
「くそっ、速い!」
「待て!」
シュンソウが疾風のように駆ける。
だが、影はさらに加速した。
「させるか!」
俺も全力で駆ける。
影は、街の外れの神社へと逃げ込んだ。
「あそこか!」
神社の境内に入ると――
影は、消えていた。
「くそっ……逃げられた!」
「いえ、違います」
リンが周囲を見回す。
「この神社……気配がおかしい」
「気配?」
「ええ。まるで、結界が張られているような……」
その時、神社の本殿から、声が聞こえた。
「よく来たわね、刻印の継承者たち」
女性の声。
本殿の扉が開き、一人の女性が姿を現した。
「……!」
淡い紫の長髪。神秘的な紫紺の瞳。
東洋風の装束を纏い、手には幻術扇を持っている。
「ユウナギ……!」
俺は思わず叫んでいた。
「久しぶりね、ミコト」
ユウナギは微笑んだ。
「待っていたわ。あなたたちが来るのを」
「ユウナギ!」
シュンソウも駆け寄る。
「無事だったか!」
「ええ。おかげさまで」
ユウナギは優雅に一礼した。
「セキエイも。元気そうね」
「ああ……お前も、変わらないな」
セキエイが笑う。
「相変わらず、神秘的で」
「ふふ、ありがとう」
ユウナギは俺たちを見回した。
「五人……いえ、七人ね」
「七人?」
「ええ。そこの二人も、紹介してもらえる?」
ユウナギがエリスとリンを見る。
「あ、はい! 私はリン・シャオメイです!」
「エリス・ルミナスです」
「よろしく。私はユメミ・ナイトシェード。魔法学術都市アルカナムの大賢者よ」
「ユメミ……?」
俺が訊くと、ユウナギは微笑んだ。
「ええ。この世界では、ユメミと名乗っているの。本名は、ユウナギだけど」
「そうか……」
「さて」
ユメミ――ユウナギは、真剣な顔になった。
「話したいことは山ほどあるけど、今は時間がない」
「さっきの影……」
「ええ。あれは、虚無の使徒の手下。人間の記憶と魔力を奪って、主に捧げている」
「主……?」
「虚無の使徒のリーダーよ。おそらく、終焉の獣を復活させようとしている」
ユウナギは神社の奥を指差した。
「そして、その儀式の場所が――この神社の地下にある」
「地下……?」
「ええ。ついてきて。今すぐ、止めないと」
ユウナギは神社の奥へと走り出した。
「待て!」
俺たちも後を追う。
神社の本殿の奥には、地下へと続く階段があった。
「こんなところに……」
「隠し通路よ。普通の人には見えない。結界で隠されているから」
ユウナギが先導して、階段を降りていく。
暗い、長い階段。
壁には、古代文字が刻まれている。
「この文字……」
リンが壁を撫でる。
「封印の文字……? でも、誰を封印しているの……?」
「かつて、ここには強大な魔物が封印されていたの」
ユウナギが説明する。
「でも、三百年前の大崩壊の時、封印は破られた」
「三百年前……!」
「ええ。私たちが、前世で戦っていた時期ね」
階段を降りきると、広い地下空間に出た。
そこには――
巨大な祭壇があった。
そして、祭壇の上には、黒い結晶が浮いている。
「また、虚無の結晶……!」
「ええ。でも、これはさっきの森のものとは違う」
ユウナギが警告する。
「これは、もっと強力。おそらく、終焉の獣の核の一部よ」
「核……?」
「終焉の獣は、七つの核に分かれて封印された。その一つが、ここにあるの」
その時、結晶が光った。
「!?」
結晶から、黒いローブの人影が現れた。
「……よく来たな、刻印の継承者たちよ」
低い声。
「お前は……!」
「俺は、虚無の使徒第一位。クロウ・ヘルシングだ」
人影がフードを下ろす。
そこにあったのは、青白い肌の青年の顔だった。
だが、その目は――
真っ黒で、瞳がない。
「お前たちの刻印……今日こそ、いただく」
クロウが手を掲げる。
結晶が激しく光り、無数の影が現れた。
「戦闘準備!」
俺が叫ぶ。
「みんな、陣形を組め!」
「はい!」
六人が戦闘態勢に入る。
禍ツ神五人と、新たな仲間二人。
そして、目の前には――
虚無の使徒と、終焉の獣の核。
「行くぞ!」
戦いが、始まった。




