獣人の里
エクリプスを出発して三日。
俺たち四人――レン、エリス、リン、そしてシュンソウは、北へと続く街道を進んでいた。
街道の両脇には、徐々に針葉樹が増えていく。空気はひんやりとして、吐く息が白くなり始めていた。南の温暖な気候とは、明らかに違う。
「寒くなってきましたね」
リンが両腕を擦りながら言った。薄手の巫女装束では、さすがに心許ないようだ。
「次の村で、防寒着を買おう」
シュンソウが提案する。
「獣人領は、さらに寒くなる。今のうちに準備しておいた方がいい」
「獣人領って、そんなに寒いんですか?」
「ああ。北に行けば行くほど、雪が降る。俺も一度行ったことがあるが、冬場は過酷だぞ」
「今は秋の終わりだから、まだマシな方ね」
エリスが地図を確認しながら言う。
「地図によれば、あと半日で『風牙の村』に着くはずよ。そこが、獣人領への入口になる」
「風牙の村……」
俺はその名前を口にする。
何か、引っかかるものがある。聞いたことがあるような、ないような。
「レン、どうかした?」
エリスが不思議そうに訊く。
「いや……何でもない」
首を振って、その感覚を振り払う。
おそらく気のせいだろう。
午後、陽が傾き始めた頃。
俺たちは、目的地の村に到着した。
「あれが、風牙の村か……」
丘の上から見下ろすと、木々に囲まれた小さな村が見える。木造の建物が立ち並び、中央には大きな広場がある。そして――
「獣人が、多いな」
シュンソウが言う通り、村には獣人の姿が目立つ。狼、熊、虎、狐――様々な種族が、人間と共存しているようだ。
「境界の村なんでしょうね」
エリスが分析する。
「人間の領域と獣人の領域の、ちょうど中間にある。だから、両方が共存している」
「仲良くやってるみたいで、良かったです」
リンが安心したように笑う。
村に入ると、すぐに視線を感じた。
珍しい来訪者なのだろう。村人たちが、興味深そうにこちらを見ている。
「よそ者さんかい?」
一人の老人――狐の獣人が、声をかけてきた。
「はい。エクリプスから来ました」
俺が答えると、老人は目を細めた。
「そうかい。ようこそ、風牙の村へ。わしは村長のゲンゾウじゃ」
「村長……」
「おお、そんなに固くならんでもいい。この村は、旅人を歓迎する。特に、冒険者さんたちはな」
ゲンゾウは俺たちの装備を見て、理解したようだ。
「宿を探しておるんじゃろう? なら、あそこの『月光亭』がいい。清潔で、飯も美味い」
「ありがとうございます」
「それと……」
ゲンゾウは少し声を落とした。
「もし冒険者なら、一つ頼みたいことがあるんじゃが」
「頼み?」
「ああ。実は、村の近くの森に、最近魔物が増えてな。村人だけでは手に負えんのじゃ」
「魔物が……」
「詳しい話は、後でする。まずは宿で休んでくれ。夕食時に、月光亭で待っておる」
そう言って、ゲンゾウは去っていった。
月光亭は、村の中では大きめの建物だった。
二階建てで、一階が食堂、二階が客室になっている。
「いらっしゃい!」
扉を開けると、元気な声が響いた。
カウンターには、狼の獣人の少女が立っていた。年は十五、六歳くらいだろうか。銀色の髪と耳、そして尻尾。琥珀色の瞳が、好奇心に満ちている。
「わぁ、お客さんだ! 久しぶり!」
少女が目を輝かせる。
「部屋、空いてますか?」
エリスが訊く。
「はい! 二部屋、ありますよ!」
「じゃあ、それをお願いします」
「分かりました! えっと、男性二人と女性二人ですよね?」
「ええ」
「じゃあ、こっちです!」
少女が階段を駆け上がっていく。その尻尾が、嬉しそうに揺れている。
「元気な子ね」
エリスが微笑む。
「ああ」
部屋は清潔で、居心地が良さそうだった。窓からは村の広場が見える。
「それじゃ、夕食までゆっくりしてくださいね!」
少女が元気に言って、部屋を出ていった。
荷物を置いて一息ついた後、俺は窓の外を眺めていた。
村の広場では、子供たちが遊んでいる。人間の子供も、獣人の子供も、一緒になって。
「……平和だな」
呟いた言葉を、誰かが聞いていた。
「そうだな」
振り返ると、シュンソウが立っていた。
「こういう光景を見ると……守りたいと思う」
「ああ」
シュンソウは俺の隣に立ち、同じように窓の外を見た。
「前世では、こういう平和を守ろうとして……結局、世界を失った」
「……」
「今度は、失いたくない」
シュンソウの声には、強い決意が込められていた。
「この世界の平和を、守りたい」
「俺も、同じだ」
俺は拳を握る。
「前世の俺たちは、世界を救えなかった。でも、今度は――」
「ああ。今度こそ」
二人は顔を見合わせ、頷いた。
夕食時。
月光亭の食堂には、村人たちが集まっていた。
獣人が多いが、人間もいる。みな和気藹々と、食事を楽しんでいる。
「おお、来てくれたか」
ゲンゾウが、大きなテーブルに座っていた。
「さあ、座ってくれ。話をしよう」
俺たち四人が席につくと、先ほどの狼の少女が料理を運んできた。
「お待たせしました!」
テーブルに並べられたのは、豪華な料理だった。肉料理、野菜のスープ、焼きたてのパン。
「うわぁ、美味しそう!」
リンが目を輝かせる。
「村長のおごりじゃ。遠慮なく食べてくれ」
「ありがとうございます!」
食事を始めながら、ゲンゾウが話し始めた。
「さて……頼みたいことじゃが」
ゲンゾウの表情が、真剣になる。
「村の北、『幽霊の森』と呼ばれる場所がある。そこに、最近魔物が増えてな」
「幽霊の森……」
「ああ。もともと魔物はおったんじゃが、ここ一ヶ月、急激に増えた。しかも、凶暴化しておる」
「凶暴化?」
シュンソウが眉をひそめる。
「ああ。まるで何かに操られているかのように、村を襲ってくるんじゃ」
「それで、被害は?」
エリスが訊く。
「幸い、死者は出ておらん。じゃが、畑は荒らされ、家畜も襲われた。このままでは、冬を越せん」
ゲンゾウは深刻な顔をした。
「村の戦士たちも戦っておるが……数が多すぎる。それに、森の奥に何かおるような気がするんじゃ」
「森の奥に?」
「ああ。魔物を操っておる、何かが」
その言葉に、俺は直感した。
これは、ただの魔物騒ぎじゃない。
何か、もっと大きな――
「分かりました。引き受けます」
俺が答えると、ゲンゾウの顔がぱっと明るくなった。
「本当か!?」
「ええ。俺たちにできることなら」
「ありがとう……本当に、ありがとう!」
ゲンゾウは深々と頭を下げた。
「報酬は……あまり出せんが……」
「気にしないでください」
エリスが微笑む。
「私たちは、困っている人を助けるのが仕事ですから」
「そうじゃ! お金なんていりません!」
リンも元気に言う。
「……ありがとう」
ゲンゾウは目を潤ませた。
「では、明日、村の戦士長を紹介する。彼女が、森のことを詳しく知っておる」
「彼女?」
「ああ。この村で一番強い戦士じゃ。お前たちも、驚くぞ」
ゲンゾウは意味深に笑った。
その夜、部屋で休んでいると、窓の外から声が聞こえてきた。
何かの歌だろうか。低く、美しい声が、夜の闇に響いている。
俺は窓を開けて、外を見た。
村の広場で、一人の女性が立っていた。
月明かりの下、その姿がはっきりと見える。
長い銀色の髪。狼の耳と尻尾。そして――
筋肉質だが、美しいプロポーション。
年は二十代前半だろうか。
女性は月に向かって、何かを歌っている。
その歌声は、どこか哀しく、そして美しかった。
「……」
俺は、その姿に見入っていた。
何故だろう。
この人を、どこかで見たことがあるような――
いや、知っているような気がする。
その時、女性がこちらを向いた。
琥珀色の瞳が、月光を反射して輝く。
俺と目が合う。
女性は驚いたように目を見開き――
そして、何かを感じたような表情をした。
まるで、俺を知っているかのような。
「……」
女性は小さく頭を下げて、その場を去っていった。
「今の人……」
俺は呟く。
胸の奥が、ざわついている。
左肩の刻印が、微かに熱を帯びている。
「まさか……」
いや、そんなはずはない。
でも――
もしかしたら。
翌朝。
俺たち四人は、村の訓練場に呼ばれた。
そこには、既に多くの村人が集まっていた。
「おお、来てくれたか」
ゲンゾウが手招きする。
「紹介しよう。この村の戦士長、ルナ・ヴォルフじゃ」
人々が道を開ける。
そこから現れたのは――
昨夜、月に向かって歌っていた女性だった。
「……!」
俺は息を呑んだ。
近くで見ると、さらに美しい。整った顔立ち。凛とした佇まい。
そして、その目には強い意志が宿っている。
「初めまして。ルナ・ヴォルフです」
ルナが一礼する。
その声は、低く、落ち着いている。
「神代レンです。こちらは――」
仲間を紹介しようとして、ルナと目が合った。
その瞬間――
ルナの目が、大きく見開かれた。
そして、ルナの右肩が光り始めた。
「!?」
服の上からでも分かる。
それは――刻印だ。
「お前……まさか……!」
ルナが震える声で言った。
「あなた……その気配……」
ルナは俺の左肩を見つめる。
服の上からでも、刻印の存在を感じ取っているようだ。
「あなた……ミコト様……ですか?」
その言葉に、俺の心臓が跳ねた。
「ミコト……お前、俺を知っているのか?」
「……やはり」
ルナの目から、涙が零れた。
「私は……セキエイです。禍ツ神、第六席……」
「セキエイ……!」
記憶が鮮明に蘇る。
赤紫の髪。燃えるような赤い瞳。大剣を持つ戦士。
そして――
俺を弟のように可愛がってくれた、姉貴分。
「セキエイ姉さん……!」
俺は駆け寄った。
「本当に、セキエイ姉さんなのか!?」
「はい……」
ルナ――セキエイは、涙を流しながら頷いた。
「ミコト様……会いたかった……ずっと、ずっと……!」
セキエイが俺に抱きついてきた。
その腕は強く、温かい。
「セキエイ姉さん……!」
俺も抱きしめ返す。
「シュンソウ兄さん、ウツシミ、そしてセキエイ姉さん……四人目だ!」
「四人目……?」
セキエイが顔を上げる。
「他の、みんなも……?」
「シュンソウ兄さんとウツシミには、もう会った」
「本当ですか!?」
「ああ。シュンソウ兄さんは、ここにいる」
俺が示すと、シュンソウが前に出た。
「久しぶりだな、セキエイ」
「シュンソウ……!」
セキエイの目が、さらに大きくなる。
「あなたも、ここに……!」
「ああ。ミコトと再会して、一緒に旅をしている」
「そう、ですか……」
セキエイは、嬉しそうに笑った。
その笑顔は、記憶の中の彼女と同じだった。
「良かった……本当に、良かった……」
セキエイは再び泣き出した。
俺は、その頭を優しく撫でた。
「もう、大丈夫だ。俺たちは、また一緒だ」
「はい……」
周囲の村人たちは、何が起きているのか分からず、呆然としていた。
だが、ゲンゾウだけは、何かを理解したような顔をしていた。
「……そういうことか」
ゲンゾウは静かに呟いた。
「ルナの秘密……やっと、分かった」
その後、俺たちは村長の家に招かれた。
そこで、セキエイは自分のことを語った。
「私がこの世界で目覚めたのは、十年前です」
セキエイは静かに話し始めた。
「場所は、この村の近く。幽霊の森の中でした」
「森の中……」
「ええ。記憶は何もありませんでした。ただ、身体が戦い方を覚えていて……」
セキエイは自分の手を見つめる。
「最初は、獣のように生きました。森で狩りをして、魔物と戦って。人間の言葉も、最初は話せませんでした」
「……」
「ある日、村人に見つかりました。ゲンゾウ様が、私を保護してくれたんです」
「そうじゃ」
ゲンゾウが頷く。
「ルナ……いや、セキエイは、最初は野生児のようじゃった。じゃが、賢い子でな。すぐに言葉を覚え、文化を学んだ」
「ゲンゾウ様や村の皆さんが、優しくしてくれました。だから、私はこの村を守ろうと決めたんです」
セキエイは微笑む。
「戦士長になって、村を守る。それが、私の生きる意味だと思いました」
「でも……」
シュンソウが口を開く。
「記憶は、戻らなかったのか?」
「はい。ずっと、何も思い出せませんでした」
セキエイは俯く。
「でも、時々夢を見ました。誰かと一緒に戦っている夢。大切な仲間たちの夢」
「……」
「そして、昨夜……月を見ていた時、ふと感じたんです。誰かが来る、と」
セキエイは俺を見た。
「そして、今朝……ミコト様を見た瞬間、全てを思い出しました」
セキエイの右肩が、再び光る。
「刻印が、教えてくれたんです。あなたが、私の大切な人だと」
「セキエイ姉さん……」
「ミコト様……いえ、今はレン様、ですか?」
「レンでいい。昔みたいに、ミコトって呼んでくれ」
「……本当に?」
「ああ」
「では……ミコト」
セキエイは嬉しそうに笑った。
「これから、また一緒に戦えますか?」
「当たり前だ」
俺は拳を差し出す。
セキエイも拳を合わせた。
「今度こそ、誰も失わない」
「ああ」
その日の午後。
俺たちは、幽霊の森の調査に向かうことになった。
メンバーは、レン、シュンソウ、エリス、リン、そしてルナ――セキエイの五人。
「森の奥に、魔物の巣があるはずです」
セキエイが先導する。
「そこに、何かいる。それが、魔物を操っているんだと思います」
「何か、心当たりは?」
「いえ……でも、嫌な予感がします」
セキエイの表情が曇る。
「まるで、前世で感じたような……あの、虚獣に似た気配を」
「虚獣……!?」
俺とシュンソウが同時に驚く。
「まさか、この世界にも……?」
「分かりません。でも、可能性はあります」
セキエイは真剣な目をした。
「だから、気をつけてください。もし本当に虚獣なら……」
「ああ。分かってる」
俺は剣を握りしめた。
虚獣――
前世で、俺たちを苦しめた存在。
もし、この世界にもいるとしたら――
「行くぞ、みんな」
俺は前を向いた。
「何が待っていても、俺たちなら大丈夫だ」
「はい!」
「ええ!」
「任せてください!」
五人は、森の奥へと進んでいった。
そこで待ち受けるものが、何であろうとも――




