仲間との戦い
準決勝まで、三十分の休憩時間が与えられた。
控室に戻った俺たちは、それぞれ黙って座っていた。言葉を交わすことはなかった。交わす必要もなかった。四人とも、次に何が起こるか分かっている。
リンは膝の上で符札を数え直している。いつもの明るさはそこにはなく、その小さな背中には、年齢に似合わぬ覚悟が宿っているように見えた。
エリスは目を閉じて瞑想している。呼吸は深く、規則的だ。騎士としての訓練が染み付いているのだろう。その横顔は凛として美しく、そして――少しだけ、寂しげだった。
シュバルツは壁に寄りかかり、双剣の手入れをしている。その動作は機械的で、まるで何かを思い出そうとするかのように、刃を見つめていた。
そして俺は――自分の剣を膝に置き、左肩に手を当てていた。
刻印が、微かに疼いている。
まるで、これから起こることを予期しているかのように。
「……なあ」
沈黙を破ったのは、シュバルツだった。
「レン。お前、どこか……」
シュバルツは言葉を選ぶように間を置いた。
「どこかで会ったことがあるような気がするんだ」
その言葉に、俺の心臓が跳ねた。
「俺も……同じことを思ってた」
「そうか」
シュバルツは小さく笑った。どこか寂しげな、懐かしむような笑みだった。
「不思議だな。初めて会ったはずなのに、お前と剣を交えると……何かを思い出しそうになる」
「思い出す……?」
「ああ。夢の中で見た光景のような、曖昧な記憶だ。誰かと背中合わせで戦っている。その誰かが……お前のような気がするんだ」
俺の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
背中合わせ――
その言葉が、記憶の断片を揺さぶる。
『――シュンソウ兄さん、背中、任せます!』
『――ああ、任せろ。お前も油断するなよ、ミコト』
脳裏に浮かぶ光景。若い自分と、黒髪の青年。二人で、無数の敵と戦っている。
「シュバルツ……お前は……」
言いかけた時、係員が入ってきた。
「準決勝、まもなく開始します。準備をお願いします」
言葉は、そこで途切れた。
再び、闘技場に向かう通路を歩く。
リンとエリスが、並んで歩いている。俺とシュバルツは、少し後ろを歩いていた。
「ねえ、エリスさん」
リンが小さな声で言った。
「はい?」
「私……本当に、エリスさんと戦わなきゃいけないんですよね」
「ええ」
エリスの声は、いつもより優しかった。
「でも、リンちゃん。これは試験よ。私たち、全力でやらなきゃいけないの」
「分かってます……分かってるんですけど……」
リンの声が震える。
「私、エリスさんのこと、大好きなんです。レン先輩と同じくらい、大切な人なんです」
「私もよ」
エリスが立ち止まり、リンの肩に手を置いた。
「私も、あなたのことが大好き。だからこそ――全力で戦うわ」
「え……?」
「中途半端な戦いは、相手への侮辱だと思うの。あなたを大切に思っているからこそ、私は本気であなたと向き合いたい」
エリスは優しく微笑んだ。
「そして、あなたも本気で来て。それが、お互いを尊重するということだから」
「……エリスさん」
リンの目に、涙が滲んだ。
「はい……分かりました。私も、全力で行きます!」
「ええ」
二人は抱き合った。
その光景を見て、俺の胸が温かくなった。
同時に――強い決意が芽生えた。
この二人を、守りたい。
そのためにも、俺は強くならなければならない。
闘技場に出ると、観客席は満員だった。
準決勝ともなれば、注目度は桁違いだ。歓声が、雷のように轟いている。
「さあ、お待ちかねの準決勝だ!」
ガロンの声が響く。
「準決勝第一試合! エリス・ルミナス対リン・シャオメイ!」
二人が闘技場の中央に進み出る。
エリスは堂々としている。金髪が陽光を浴びて輝き、その姿はまるで騎士の絵画から抜け出してきたようだった。
リンは緊張しているが、その目には強い意志が宿っている。小さな身体だが、そこから発せられる気配は、決して侮れるものではなかった。
「準備はいいか?」
ガロンが二人を見る。
「はい」
「準備万端です!」
二人が頷く。
「では――」
ガロンが手を上げる。
闘技場が、静まり返る。
そして――
「開始!」
その瞬間、エリスが動いた。
一瞬で間合いを詰め、レイピアを突き出す。
「速い!」
リンが横に飛んで回避する。だが、エリスの剣先は既に次の軌道を描いていた。
「光剣舞・一の型!」
連続突き。五つの光の軌跡がリンを追う。
「風符障壁!」
リンが符札を投げる。風の壁が展開され、攻撃を防ぐ――
だが、エリスの剣は止まらない。
「二の型!」
回転斬撃が風の壁を切り裂いた。
「きゃっ!」
リンが後退する。
エリスは追撃をかけようとして――止まった。
「……」
その一瞬の躊躇。
リンもそれに気づいた。
「エリスさん……手加減、してますか?」
「……してないわ」
エリスは首を横に振った。
「でも、本気でもない……そうでしょう?」
リンの言葉に、エリスの表情が歪んだ。
「私……エリスさんの本気が見たいです」
リンが小太刀を構え直す。
「だって、エリスさんは私の憧れなんです。強くて、綺麗で、かっこよくて……そんな人に、手加減されたくないんです!」
その叫びに、エリスの目が見開かれた。
そして――
エリスは静かに笑った。
「……そうね。ごめんなさい、リンちゃん」
エリスが剣を構え直す。その構えは、先ほどとは明らかに違っていた。全身から発せられる気配が、段違いに濃密になる。
「あなたが望むなら、見せてあげる。私の全力を」
エリスの剣が、淡い光を纏い始めた。
「光剣舞・奥義」
その言葉と共に、エリスが消えた。
いや、消えたのではない。速すぎて見えないだけだ。
「!?」
リンが慌てて周囲を見回す。
だが、エリスは既に――
「光乱舞」
リンの周囲、八方向から同時に光の軌跡が走った。
残像だ。いや、それすらも幻影かもしれない。だが、全ての斬撃は本物だ。
「くっ……!」
リンが符札を連続で投げる。
「火符! 水符! 雷符! 全方位展開!」
リンの周囲で爆発と雷鳴が轟く。
煙が立ち込める。
その中から――
「甘いわ」
エリスの声が響き、煙を切り裂いて剣が飛んできた。
「きゃあっ!」
リンの符札が吹き飛ばされ、剣先がリンの喉元に――
止まった。
「……ここまで、ね」
エリスが優しく微笑む。
「勝負あり! 勝者、エリス・ルミナス!」
ガロンの宣言。
観客席から、惜しみない拍手が送られる。
「エリスさん……すごい」
リンが息を切らしながら笑った。
「ありがとうございます。本気、見せてもらえて……嬉しかったです」
「こちらこそ。あなたも、とても強かったわ」
エリスがリンの頭を撫でる。
「もう少し経験を積めば、きっと私を超えるわ」
「本当ですか?」
「ええ。約束する」
二人は抱き合った。
その光景に、観客席からさらに大きな拍手が起こった。
控室に戻ってきた二人を、俺は迎えた。
「お疲れ様」
「レン先輩……私、負けちゃいました」
リンが申し訳なさそうに俯く。
「いや、お前は良く頑張った。あの状況で、よく対応できてた」
「本当ですか?」
「ああ。俺が保証する」
リンの表情が明るくなる。
「エリスも、お疲れ」
「ありがとう。でも、まだよ」
エリスが俺を見つめる。
「あなたが勝ってくれないと、決勝で会えないから」
「……ああ。必ず勝つ」
「約束よ」
エリスが小指を差し出す。
俺はその小指と、自分の小指を絡めた。
「約束だ」
そして、準決勝第二試合。
俺とシュバルツの番が来た。
「準決勝第二試合! 神代レン対シュバルツ・ヴィント!」
ガロンの声が響く。
俺は剣を握りしめ、闘技場に出た。
対するシュバルツも、双剣を抜いて現れる。
二人が闘技場の中央で向かい合う。
観客席は、静まり返っていた。
誰もが、息を呑んで見守っている。
「……やっと、戦えるな」
シュバルツが静かに言った。
「ああ」
「正直に言う。お前と戦うのを、ずっと楽しみにしていた」
「俺もだ」
「お前からは……不思議な気配を感じる。懐かしくて、でも新しい。まるで、失くした何かを取り戻せるような気がするんだ」
シュバルツの目が、真剣に俺を見つめる。
「だから、本気で行く。お前も、全力を出せ」
「……ああ」
俺も剣を構える。
ガロンが手を上げる。
「準備はいいか?」
俺たちは頷いた。
「では――開始!」
動いたのは、シュバルツが先だった。
いや、正確には同時だった。だが、シュバルツの速度は俺の予想を遥かに超えていた。
黒い風――そう形容するしかない速さで、シュバルツが迫る。
双剣が交差する。
「速い!」
俺は剣で受ける。
ギィン!
衝撃が腕に走る。
だが、シュバルツの攻撃は止まらない。
右剣、左剣、蹴り、右剣、左剣――
まるで嵐のような連続攻撃。
俺は防御に徹する。受ける、受ける、受ける――
「くそっ!」
一撃が防御を抜けた。頬を掠める。
血が一筋、流れる。
「……やはり、強いな」
シュバルツが距離を取る。
「お前もな。今の連撃、普通なら五発目で終わってる」
「まだまだこれからだ」
俺は左肩に手を当てる。
刻印が熱を帯びる。
「解放、第三階層」
力が溢れ出す。
視界が鮮明になる。筋力が増強される。思考速度が上がる。
「その力……何だ?」
シュバルツが驚いたように目を見開く。
「教えたいが……俺にも分からない」
俺は駆けた。
今度は、俺から仕掛ける。
「はっ!」
剣を振り下ろす。
シュバルツが双剣で受ける。
「重い……!」
「まだだ!」
連続攻撃。斬撃、突き、薙ぎ払い――
俺の剣技が、シュバルツを押す。
「くっ……!」
シュバルツが後退する。
だが――
「俺も、本気を出すか」
シュバルツの双剣が、黒い光を纏い始めた。
「疾風迅雷」
その言葉と共に、シュバルツの速度が更に上がった。
「!?」
見えない。
いや、見えるが――反応できない。
シュバルツの剣が、四方八方から襲ってくる。
「ぐっ!」
左腕に斬撃が走る。
「はっ!」
右肩に一撃。
「くそ……!」
防戦一方だ。
このままでは――
その時、頭の中に声が響いた。
『――ミコト、思い出せ』
誰かの声。
『――お前は一人で戦ってきたんじゃない。俺たちがいた』
「俺たち……?」
『――シュンソウの速さを、お前は知っている』
シュンソウ――
その名前を聞いた瞬間、記憶が鮮明に蘇った。
黒髪の青年。双剣使い。神速の剣技。
そして――
何度も、何度も、一緒に戦った仲間。
「シュンソウ……兄さん!」
思わず、叫んでいた。
その瞬間、シュバルツの動きが止まった。
「……今、何て?」
シュバルツが呆然とした顔で俺を見る。
「シュンソウ……お前は、シュンソウ兄さんなのか!?」
「シュンソウ……その名前……」
シュバルツが頭を押さえる。
「くっ……頭が……!」
シュバルツが膝をつく。
「シュバルツ!」
俺が駆け寄ろうとした――その時。
シュバルツの右手の甲が、光り始めた。
「これは……!」
そこには、複雑な紋様が浮かび上がっていた。
刻印だ。
俺の左肩と同じような――いや、違う。形は違うが、同じ種類の刻印だ。
「お前も……刻印を……!」
「刻印……? これが……?」
シュバルツが自分の手を見る。
そして――
その目が、見開かれた。
「思い出した……」
シュバルツが震える声で言った。
「俺は……シュンソウ。禍ツ神の第二席……」
「シュバルツ……いや、シュンソウ兄さん!」
俺が叫ぶ。
「お前は、本当に……!」
「ミコト……お前、ミコトなのか?」
シュバルツ――シュンソウが、俺を見つめる。
その目には、涙が滲んでいた。
「ああ……俺だ。俺は、ミコトだ!」
二人の間に、長い沈黙が流れた。
観客席も、静まり返っている。
何が起きているのか、誰も理解できていない。
だが、俺たちには分かっていた。
三百年の時を超えて――
仲間が、再会した。
「……ミコト」
シュンソウが立ち上がる。
「すまない。俺は……お前のことを忘れていた」
「いや、俺もだ。俺も、つい最近まで思い出せなかった」
「そうか……」
シュンソウが小さく笑った。
「でも、身体は覚えていたんだな。お前と戦うと、何かを思い出しそうになった」
「ああ……俺もだ」
二人は向かい合った。
剣を構える。
「続けよう、ミコト」
「ああ、シュンソウ兄さん」
「試合の後で、ゆっくり話そう。今は――」
シュンソウが笑う。
「お前の成長を、見せてもらう」
「ああ!」
二人は、再び駆けた。
剣と剣がぶつかり合う。
だが、今度は違った。
互いの動きが、読めるようになっていた。
シュンソウの剣を、俺は予測できる。
俺の剣を、シュンソウも見切っている。
まるで、何百回、何千回と戦ってきたかのように。
「やはり、お前は強くなった!」
シュンソウが笑う。
「昔のお前なら、今ので終わってた!」
「当たり前だ! 俺は、もう子供じゃない!」
俺も笑い返す。
そして――
「融合術式・紅蓮氷刃!」
炎と氷を纏った斬撃が飛ぶ。
「融合術式だと!? お前、まだ使えたのか!」
シュンソウが驚く。
「ああ! これが、俺の力だ!」
「なら、俺も!」
シュンソウの双剣が、黒い風を纏う。
「疾風迅雷・奥義!」
二人の技が、ぶつかり合った。
轟音。
衝撃波が闘技場を揺らす。
観客席からは、悲鳴に近い歓声が上がる。
煙が晴れると――
二人とも、立っていた。
だが、双方とも限界だった。
「……はぁ、はぁ」
息が上がる。
「まだ……やれるか?」
シュンソウが訊く。
「ああ……まだだ」
「そうか。なら――」
シュンソウが剣を構える。
俺も構える。
これが、最後の一撃だ。
二人は、同時に駆けた。
「うおおおおっ!!」
「はああああっ!!」
剣と剣が――
交差した。
ガロンが、呆然としていた。
いや、観客全員が、呆然としていた。
闘技場の中央で、レンとシュバルツが倒れていた。
二人とも、意識がない。
「こ、これは……」
ガロンが困惑する。
「両者、戦闘不能……?」
係員たちが駆け寄り、二人の状態を確認する。
「どちらも、限界のようです」
「しかし、どちらが勝者か……」
「……相討ち、ということでしょうか」
ガロンは悩んだ末、宣言した。
「この試合、引き分けとする! よって、決勝戦は――」
ガロンが観客席を見回す。
「エリス・ルミナスの、不戦勝とする!」
観客席が沸いた。
だが、それは祝福の歓声ではなかった。
二人の戦いに対する、敬意と感動の歓声だった。
医務室で目が覚めた。
身体が重い。全身が痛い。
「……ここは」
「目が覚めたか」
隣のベッドから、シュンソウの声が聞こえた。
「シュンソウ兄さん……」
「ああ。俺も、今起きたところだ」
二人とも、ボロボロだった。
だが――
二人とも、笑っていた。
「……久しぶりだな、ミコト」
「ああ、本当に……久しぶりです」
「『です』なんて他人行儀な。昔みたいに話せ」
「……じゃあ、遠慮なく」
俺は笑った。
「久しぶりだな、シュンソウ兄さん」
「ああ」
長い、長い沈黙の後――
シュンソウが口を開いた。
「お前は……本当に、あの時のミコトなのか?」
「ああ。記憶は完全じゃないが……確かに、俺はミコトだった」
「そうか……」
シュンソウの目から、涙が零れた。
「良かった……本当に、良かった……」
「シュンソウ兄さん……」
「お前が、生きていてくれて……本当に……」
シュンソウは泣いていた。
俺も、涙が溢れてきた。
「俺も……兄さんに、会えて……」
二人は、しばらく泣いた。
三百年分の、再会の涙を。




