ネットミーム探偵と『虚無の目』の呪い
現代の怪異は、ネット(ここ)に棲む。
情報が伝染し、ミームが『呪い』と呼ばれる時代。
『エモい』を追求する大学生たちを襲った、Z世代には解読不可能な『呪いのミーム』。
その正体を、引きこもり探偵が『特定』する、デジタル・ミステリー。
モニターの青白い光が、万年床の埃を照らし出している。
俺、神崎ケイの城、六畳一間のアパート『メゾン・ド・未来』の二〇三号室は、今日も今日とてデジタルな喧騒に満ちていた。
壁一面に増設されたモニターには、いくつものタイムラインが滝のように流れ落ち、秒単位で更新される『世界の今』を映し出す。
トレンド一位、『#猫ミーム無限増殖バグ』。二位、『#某政治家の失言まとめ』。三位、『#今日の夜食テロ』。
無数の情報が生まれ、消費され、忘れ去られていく。
人々はそれを『バズ』と呼び、あるいは『炎上』と呼んで刹那の興奮に身を委ねる。
だが、俺の仕事はそこじゃない。俺は、その流れの源流、あるいは澱みを覗き込む。
自称、『ネットミーム探偵』。それが俺の肩書きだ。
警察手帳もなければ、探偵業の許可証もない。
あるのは、人より少しだけ発達した情報収集能力と、平均よりやや低いとされる社会性だけだ。
主な業務は、企業のステマ(ステルスマーケティング)疑惑の調査、デマ情報の拡散経路特定、あるいは、ネットの海に沈んだ『元ネタ』のサルベージ。
まあ、実態はフリーターと何ら変わらないが、俺はこの仕事に誇りを持っている。なぜなら、現代の怪異は、ネット(ここ)に棲むのだから。
◇
「ピーンポーン」
間の抜けたチャイムの音が、ヘッドフォン越しに微かに届いた。
無視だ。どうせ新聞の勧誘か、怪しげな宗教のパンフレットだろう。
俺はクリックの手を休めず、新たな『ネタ』の気配がする匿名掲示板のスレッドを深掘りしていく。
「ピーンポーン! ピーンポーン!」
しつこい。宅配便なら置き配指定のはずだ。
俺は舌打ち一つ、ノイズキャンセリング機能のレベルを最大に引き上げた。これで物理世界の雑音は遮断される。
「神崎さーん! ケイさーん! いるんでしょ! 開けてくださいよぉ!」
ドンドン、と安物の合板ドアが悲鳴を上げる。
この声は……。
俺はため息とともに立ち上がり、積み上げられたエナジードリンクの空き缶を蹴散らさないよう、慎重に玄関へと向かった。
ドアスコープを覗くまでもない。この、やたらと声量だけがでかい女は一人しか知らない。
「……何の用だ、水野」
ドアを数センチだけ開けると、隙間から湿度の高い空気と共に、焦った表情が飛び込んできた。
「何の用だ、じゃないですよ! 緊急事態です! 大至急、助けてください!」
水野ユカリ。
俺の数少ない『リアル』の知人であり、近所の大学に通う女子大生だ。
自称、インフルエンサー志望。フォロワー数は三千弱。実に中途半端な数字だが、彼女の自己評価だけは常に天井知らずだ。
「依頼なら、まずはメール(DM)で概要を送れと言ったはずだ。俺は今、世紀の『#踊るタピオカ大発生』の震源地を特定するのに忙しい」
「タピオカなんてどうでもいいんです! それより、呪いです! 呪い!」
「呪い?」
俺は眉をひそめた。オカルトは専門外だ。
俺が扱うのは、あくまでデジタルの領域に存在する、論理で解体可能な事象のみ。
「私たちのサークルの動画が、『呪いのミーム』に汚染されました!」
……ミーム、だと?
その単語に、俺のアンテナがピクリと反応した。
「……入れ。ただし五分だ。手短に説明しろ」
ユカリは「お邪魔します!」と威勢よく言いながら、俺の聖域に足を踏み入れた。
彼女は床に散らばるカップ麺の容器を一瞥し、「うわ、相変わらず『オワコン』な部屋……」と失礼な呟きを漏らしたが、今はそれを咎めている暇はない。
◇
ユカリは俺の定位置であるゲーミングチェアの横に立ち、自分のスマートフォンを突きつけてきた。
「これです! 私が所属してる動画制作サークル『キャンクリ』で作った、大学のオープンキャンパス用のPR動画!」
再生された動画は、いかにも『Z世代』が好きそうな、キラキラとしたキャンパスライフを描いたものだった。
フィルターの効いた映像、耳障りの良いインディーズバンドのBGM、そして「#アオハル」「#最高の仲間」といったテロップ。
正直、三分も見続けるのは苦痛な代物だ。
「……で? これがどう『呪われた』んだ?」
「最初は、すごく評判良かったんです。『エモい』『この大学行きたい』って。それが、昨日のお昼頃から、急にコメント欄が荒れ始めて……」
ユカリがコメント欄をスクロールして見せる。
『1:32に変なもの映ってる』 『これ、もしかして「アレ」じゃないか?』 『呪いのミームだ……。終わった』 『サブリミナル草』
「呪いのミーム?」
「そうなんです! うちの大学で、ここ一ヶ月くらい前から噂になってる都市伝説で……。『虚無の目』っていうんですけど」
「虚無の目」
聞いたことがない。俺のデータベース(脳内)にはないミームだ。
「なんでも、『それ』をちゃんと認識してしまうと、三日後に、ありとあらゆる『エモい』と感じる感情を失う、っていう呪いなんです!」
「…………は?」
馬鹿馬鹿しい。なんだ、その現代的な呪いは。感情のデトックスか何かか。
「笑い事じゃないんですよ! 実際、その『虚無の目』が映り込んでるって指摘されてから、動画の評価はダダ下がり。『呪いを拡散するな』『不謹慎だ』って。サークルの公式アカウントも炎上しちゃって……」
「落ち着け。まず、その『1:32』とやらを俺の環境で確認する」
俺はユカリから動画のURLを送信させ、メインモニターに表示させた。
高解像度のディスプレイで、問題のシーンを再生する。
そこは、大学の中庭にある掲示板の前を、サークルの仲間たちが笑顔で通り過ぎる、ありふれたカットだった。
「……何も映ってないぞ」
「コマ送りしてください! 一瞬なんです!」
言われるがまま、一フレームずつ送っていく。
……あった。
確かに、ほんの数フレーム、掲示板のポスターの一枚に、奇妙なものが映り込んでいる。
それは、落書きのようにも見えた。同心円状に描かれた無数の『目』のような図形。
その中心には、一見意味不明な文字列が並んでいる。
『草超森雨土www』 『釈迦って、マ?』 『wktk禁止令』
「なんだ、これは……」
支離滅裂だ。だが、俺には分かる。
これらは、すべてネットスラング、あるいは特定のコミュニティで使われる隠語やミームのコラージュだ。
『草超えて森、森超えて雨、雨超えて土』は『笑いすぎ』の最上級表現。 『釈迦って、マ?』は『それ、本当?(マジ?)』の意。 『wktk』は言わずもがな。
だが、問題は中央の『目の図形』だ。これが『虚無の目』だというのか。
「どう見ても、ただのイタズラ描きだ。こんなもので『エモい』感情が失われるなら、世の中の大半の人間は今ごろ真顔だ」
「でも! でも、実際に被害者が出てるんです!」
ユカリが顔を青くして叫んだ。
「この動画を編集した、サークルの先輩……高橋さんが、昨日の夜、倒れたんです! 今、入院してます! お医者さんは過労だって言ってますけど、私たち、絶対『呪い』のせいだって……。だって高橋さん、倒れる直前まで『エモくない……何もかもエモくない……』って、うわ言みたいに言ってたって……!」
高橋……。
俺はサークルのメンバーリスト(ユカリが無理やり見せてきた)を思い出す。
確か、今回の動画の監督兼編集を担当していた男だ。
「……状況は理解した。だが、なぜ俺なんだ? 警察か、あるいは本物の探偵、それこそ『お祓い』でも頼んだ方が早いんじゃないか?」
「警察に『呪いのミーム』なんて言っても信じてもらえません! それに、私たち、犯人を突き止めたいんです!」
「犯人?」
「はい。こんなの、誰かが意図的に仕込んだに決まってます。これは、私たちの『エモい』作品に対する、卑劣なテロです! 神崎さん、ネットの『特定』が得意だって聞きました。お願いします! この『呪いのミーム』を仕込んだ犯人を、『特定』してください!」
ユカリは、深々と頭を下げた。彼女のインフルエンサー志望とは思えない、必死な形相だった。
俺は、モニターに映る『虚無の目』と意味不明な文字列を睨みつけた。
『呪い』。非科学的で、非論理的だ。俺の最も嫌う概念だ。
だが、『ミーム』。それは俺の専門分野だ。
情報は伝染する。ときに、それは『呪い』と呼ばれるほどの破壊力を伴って。
高橋という男が倒れたのは、過労か、あるいは集団ヒステリー(ノセボ効果)の類だろう。
だが、この動画に『意図的に』この気味の悪いミームを混入させた人間がいるとしたら?
その目的は? 単なるイタズラか、それともサークルへの怨恨か。
神崎ケイの、探偵としての血が騒ぐ。いや、ネットミーム探偵としての『特定』欲が、だ。
「……いいだろう。その依頼、受けてやる」
俺は、いつもの決め台詞を口にした。
「だが、覚えておけ、水野。ネット(ここ)で起きる怪奇現象は、いつだって人間の仕業だ。その『呪いのミーム』の正体、俺が『特定』し、白日の下に『晒して』やる」
ユカリが「本当ですか!?」と顔を輝かせる。
「ああ。ただし、報酬は弾んでもらうぞ。まずは着手金として、そこのコンビニで最高級のエナジードリンクを十本。話はそれからだ」
「ええーっ!? 恩着せがましい!」
「うるさい。クライアントなら探偵(俺)の指示に従え。……さて」
俺はキーボードに指を走らせ、新しいフォルダを作成した。フォルダ名は、『虚無の目(笑)事件』。
「まずは現場検証だ。その『エモい』動画が作られたキャンパスと、サークルの部室。案内しろ、水野。呪いの『ネタ元』を炙り出してやる」
六畳一間の薄暗い部屋で、ネットミーム探偵の、実にアナログな捜査が始まろうとしていた。
◇
降り注ぐ太陽光が、俺の網膜を無慈悲に焼いた。
アパートの遮光カーテンに守られた聖域から一歩外に出た俺は、カタコンベから引きずり出された吸血鬼同然だった。
「うっわ、日差し『エグい』……。紫外線、マジ卍」
「何言ってるんですか、こんなに『チル』い天気なのに。ほら、神崎さん、シャキッとしてください! 白衣じゃないですよね、パーカー(それ)ヨレヨレですよ!」
ユカリが俺の数年来の戦友である、フード付きのパーカーを指差して非難する。これが俺の戦闘服だ。文句を言うな。
彼女に引きずられるようにして着いた大学のキャンパスは、まさに俺が最も忌み嫌う『リア充』の巣窟だった。
芝生の上ではしゃぐ男女。異様にデカい音でBGMを流すカフェテラス。
すべてが『映え』を意識した、構築された『アオハル』だ。
「……吐き気がする。情報の密度が低すぎる。この芝生で寝転がる時間があるなら、新作ミームの派生を三つは特定できる」
「社会不適合者の発想……。あ、あそこです! 問題の掲示板!」
ユカリが指差したのは、動画の『1:32』に映っていた、あの忌わしき中庭だった。
実物は、動画で見るよりも色彩が褪せている。
俺は問題の掲示板の前に立ち、スマートフォンに表示させた動画のキャプチャ画像と、目の前の現実を比較検証した。
「……フン。予想通りだ」
「え? 何がですか?」
「これを見ろ」
俺は、動画で『虚無の目』が映り込んでいたポスターを指差す。そこには、どこかの演劇サークルの公演告知が印刷されているだけだ。
「落書きが……ない?」
「ああ。物理的なイタズラじゃない。この『呪いのミーム』は、編集段階で、意図的に挿入されたデジタルデータだ」
これは、単なる事故や偶然の産物ではない。明確な『悪意』を持った人間の仕業だ。
「つまり、犯人は、この動画の編集に関わった人間……。私たち『キャンクリ』のメンバーの中にいる……?」
ユカリの顔が青ざめる。彼女の『最高の仲間』とやらは、どうやら一枚岩ではないらしい。
「案内しろ。お前たちの『聖域』とやらを。編集に使ったPCを押収する」
「お、押収って……。部室ですね。こっちです!」
◇
サークル棟の一室、『動画制作サークル キャンクリ』のプレートが掛かったドアは、不気味なほど静かだった。
『エモい』を追求する集団の拠点とは思えない、重苦しい空気が廊下まで漏れ出ている。
「……失礼します」
ユカリがおずおずとドアを開けると、そこには、想像していたキラキラした空間とは程遠い、雑然とした機材部屋が広がっていた。
そして、二人の学生が、陰鬱な表情で編集用のデスクトップPCを睨みつけていた。
「あ、ユカリ……。それに、そちらは?」
声をかけてきたのは、眼鏡をかけた、神経質そうな女子学生だった。目の下には濃いクマが張り付いている。
「この人は神崎ケイさん! 私の知り合いの……ええと、ITスペシャリスト! 今回の『呪い』を解明してもらうために来てもらったの!」
「呪いって……」
もう一人の、体格の良い男子学生が、あからさまに不機嫌な声を出した。
「まだそんなオカルト信じてんのかよ。高橋さん(たかはしさん)が倒れたのは、あいつが『エモ』に固執しすぎて勝手に自爆しただけだろ」
「江口くん! なんてこと言うの!」
「事実だろ、里美。あいつ、ここ一週間、まともに寝てなかった。『最高のPR動画にするんだ』って、俺たちの修正案も全部突っぱねて。……あんな、意味不明なミームが映り込むなんて、単純な編集ミスだ。呪いなんかじゃねえよ」
吐き捨てるように言う江口。
彼が、ユカリの言っていた『もう一人の編集担当』か。高橋に監督の座を奪われた、と噂の。
対照的に、里美と呼ばれた女子学生は、震える声で反論した。
「ミスなんかじゃない……。だって、私……見ちゃったもん。『虚無の目』……。あの動画をチェックしたとき、はっきりと……。それから、なんだか、胸がザワザワして……。昨日、自分の『推し』のライブ映像見ても、何も感じなかったの……。いつもなら、号泣するくらい『エモい』のに……」
彼女は、本気で『呪い』を信じ込んでいる。これが集団ヒステリーというやつか。
「くだらん」
俺は沈黙を破り、部屋の中央に鎮座する、最もスペックの高そうなデスクトップPCの前に立った。
「これが高橋の使っていた編集用端末か」
「はあ、そうですけど……。って、うわ、何するんですか!」
俺が無断で電源を入れたことに、江口が目くじらを立てる。
「捜査だ。黙って見てろ」
起動音と共に、ログイン画面が表示された。パスワードが要求される。
「チッ。ロックされてる。おい、お前たち、高橋のパスワードを知ってるか?」
「知るわけないだろ、個人のプライバシーだ」
「私、知らない……」
江口も里美も首を横に振る。
「使えねえな……」
俺は、高橋のデスク周りを観察した。
典型的なクリエイターの作業場だ。付箋がディスプレイの縁にびっしりと貼られている。
『#バズる構成』『#エモの法則』『#Vlog風』。意識の高い単語が並ぶ。
俺はキーボードに手を伸ばした。
こういう『エモ』信者が設定しがちなパスワードは決まっている。
e-m-o-i_s-a-i-k-o-u
『パスワードが違います』
チッ。
1-2-3-4-5-6-7-8
『パスワードが違います』
p-a-s-s-w-o-r-d
『パスワードが違います』
「あの、神崎さん……」
ユカリが、呆れたような、申し訳なさそうな顔で俺を見ている。
「もしかして、総当たり(ブルートフォース)攻撃してるつもりですか? そんな原始的な……」
「うるさい。ハッキングの基本は、まず最も単純な脆弱性を突くことだ。……だが、こいつ、意外とリテラシーが高いらしい」
俺が腕を組んで唸っていると、ユカリが「あ!」と何かを思い出したように声を上げた。
「高橋先輩のパスワード、私、知ってるかもしれません!」
「……は?」
「以前、編集データが壊れたときに、緊急用だって教えてもらったんです! えっと、確か、先輩が飼ってる猫の名前……。『ちゃちゃまる』だったかな?」
俺は、三十秒ほど無言でユカリの顔を見つめた。
「……水野。お前、なぜそれを最初に言わん」
「え? だって、聞かれませんでしたし……」
この女、致命的に『報告・連絡・相談』が欠落している。
俺は深いため息とともに、キーボードを叩いた。
c-h-a-c-h-a-m-a-r-u
カチッ、と軽い音を立てて、ロックが解除された。
画面には、例の『エモい』大学PR動画の編集プロジェクトファイルが、デカデカと表示されている。
「……ビンゴ」
俺はニヤリと笑い、自分のカバンからUSBメモリを取り出した。
「さて。ここからは俺の専門分野だ」
「な、何する気です!?」
「デジタル・フォレンジック(デジタル鑑識)だ。このPCに残された痕跡を解析し、誰が、いつ、どのようにして『虚無の目』を仕込んだのか、『特定』する」
俺はユカリたちを睨みつけた。
「お前たち三人も、容疑者だ。俺の作業が終わるまで、この部室から一歩も出るな。……いいな?」
俺の視線に押され、三人はこくりと頷いた。
不機嫌そうな江口。怯える里美。そして、何も分かっていないユカリ。
呪いのミーム。倒れた編集者。そして、三人の容疑者。
役者は揃った。あとは、このデジタルという名の舞台裏を暴くだけだ。
俺は、高橋のPCに、自作の解析ツールをインストールし始めた。
◇
サークル部室の空気は、サーバーの冷却ファンが立てる単調な唸り声だけで満たされていた。
俺の指が、高橋のキーボードをリズミカルに叩き続ける。
ユカリ、江口、里美の三人は、まるで裁判の判決を待つ被告人のように、俺の一挙手一投足を固唾を飲んで見守っていた。
「……なるほど。ログは綺麗だ」
俺はまず、基本的なアクセスログと操作履歴を洗い出した。
高橋が倒れたとされる前日までの数十時間、ログインしているのは高橋本人のみ。外部からの不正アクセスの形跡は、今のところ見当たらない。
「そ、それじゃあ、やっぱり高橋先輩が自分で……?」
おずおずと尋ねる里美に、江口が苛立たしげに反論する。
「あり得ないだろ! あの人、今回の動画に命賭けてたんだぞ! 『これでバズらなきゃ、俺の大学生活は無意味だ』って。そんな作品に、自分で呪いだかなんだか仕込むわけが……」
「黙れ。集中できん」
俺は江口の言葉を遮り、さらに深く掘り進める。
編集ソフトのプロジェクトファイル。タイムラインの構成。そして、レンダリング(動画書き出し)の履歴。
高橋は、確かに江口の言う通り、異常なまでの執念でこの動画を制作していた。
一つのカットに数十パターンの修正を加え、BGMのタイミングをコンマ一秒単位で調整している。まさに『エモ』の亡者だ。
「……ん?」
俺の指が止まった。
最終レンダリングが実行されたのは、高橋が倒れる約一時間前。
その、わずか三分前。プロジェクトファイルに、一つの『画像素材』がインポートされている。
ファイル名は、『EMO_fix_ver04.png』。
「これだ」
「これって……なんですか?」
ユカリが身を乗り出す。
「問題の『虚無の目』のデータだ。ご丁寧に『エモい修正パッチ最終版』みたいな、それらしいファイル名で偽装してやがる。……だが」
俺は、そのファイルが保存されていたはずのディレクトリを開く。
……空だ。
「チッ。削除済みか。犯人は、挿入後、即座に証拠隠滅を図ったらしい。……だが、甘い」
俺は、カバンから取り出したUSBメモリに仕込んである、自作のデータ復元ツールを起動させた。プログレスバーが、ゆっくりと右へと伸びていく。
「……さて。復元には少し時間がかかる。その間に、お前たちに『事情聴取』だ」
俺はゲーミングチェアを回転させ、三人の容疑者と対峙した。
「おい、江口。お前、高橋のやり方が気に入らなかったそうだな」
「……だから、なんだって言うんですか」
江口は、腕を組んでふて腐れている。
「この『虚無の目』のコラージュ……『草超森雨土www』『釈迦って、マ?』『wktk禁止令』。……お前たち、このミーム、知ってるか?」
俺の問いに、三人は顔を見合わせた。
「『wktk』は、ギリ分かりますけど……『ワクワクテカテカ』ですよね? でも、今どき使う人、います?」
「『釈迦って、マ?』……仏教系のサークルかなんかですか?」
「『草超森雨土』……? エコ活動……?」
ユカリ、里美、江口が、それぞれ的外れな解釈を口にする。
「……そうだろうな。これが『ジェネレーションギャップ』というやつだ」
俺は、忌まわしい記憶を呼び覚ますように、目を細めた。
「これらは、すべて十年以上前……お前たちがまだ小学生だった頃に、特定の匿名掲示板や、黎明期の動画サイトで局地的に流行った、いわば『インターネット老人会』御用達のミームだ」
「老人会……?」
「そうだ。今のお前たちZ世代が『エモい』『チルい』『それな』と言うのと同じノリで、当時の俺たち(おれたち)は『wktk』し、『釈迦』かよと驚き、『草』どころか『森』を超えていた。……つまり、このミームを仕込んだ犯人は、お前たちサークルの『エモい』ノリを、心の底から『寒い』と思っている、センスの古い(ふるい)人間である可能性が高い」
俺は、江口の目を真っ直ぐに見た。
「江口。お前は、高橋を『エモに固執しすぎ』と批判していた。お前が、高橋の独善的な編集を妨害し、その『エモ』を嘲笑うために、あえて『クソ寒い』ミームを仕込んだ。……違うか?」
「ふざけるな!」
江口が立ち上がった。
「俺は! あいつの独りよがりな作品が許せなかっただけだ! サークルはみんなで作るもんだろ! なのにあいつは、俺たちの意見を全部『エモくない』の一言で切り捨てて……! だが、だからって、こんな卑劣な真似はしねえよ!」
「江口くん……」
里美が不安そうに江口を見上げる。
「じゃあ、里美。お前はどうだ。お前も高橋に編集案を全ボツにされて、泣いていたそうじゃないか」
「ひっ……!?」
里美がビクリと肩を震わせる。
「わ、私は、ただ……高橋先輩の体調が心配で……。あんなに根を詰めてたら、いい作品なんて作れないって……。呪いだなんて、そんな……」
「じゃあ、水野。お前だ」
「えっ!? 私!?」
突然話を振られ、ユカリが素っ頓狂な声を上げた。
「お前は、インフルエンサー志望だと言ったな。このPR動画が『呪い』で炎上すれば、世間の注目は集まる。話題性は抜群だ。お前が、サークルを踏み台にして『バズる』ために、自作自演を仕組んだ。……あり得る話だ」
「そ、そんなわけないじゃないですか! 私がそんな『オワコン』な炎上商法するわけないでしょ! もっと『バフ』のかかるやり方します!」
三者三様。全員に動機があるようでない。
だが、誰も『古いミーム』の出所は知らない。仲間割れと疑心暗鬼が、部室の湿度を上げていく。
その時。
「ピコン」
軽い電子音と共に、モニターに『復元完了』の文字が表示された。
「……ビンゴ」
俺は、復元された『EMO_fix_ver04.png』のアイコンをダブルクリックした。表示されたのは、間違いなく、あの忌わしき『虚無の目』の画像データだった。
「これで、この画像の『出所』が分かる」
俺は画像のプロパティ(メタデータ)を開いた。
作成日時、使用ソフトウェア、解像度……そして。
『作成者』の欄。
そこに記されていたのは、高橋でも、江口でも、里美でもない、見知らぬハンドルネームだった。
『Tako_Luka_Master_2009』
「……タコ……ルカ……マスター?」
ユカリが首を傾げる。
俺は、その文字列を見た瞬間、すべてのピースが組み上がっていくのを感じた。
「……そういうことか。ああ、最悪だ。実に『エモくない』結末だ」
俺は、ゆっくりと高橋のデスクを見回した。
そして、ディスプレイの隅に、埃をかぶって打ち捨てられている、ある『ガジェット』を指差した。
それは、USBケーブルでPCに接続された、紫色の、タコ(たこ)の形をした、古臭いウェブカメラだった。
「こ、これ……なんですか? 高橋先輩の趣味?」
「趣味……いや、呪物だ」
俺は、そのタコ型カメラを掴み上げ、三人に突きつけた。
「犯人は、高橋だ。いや……高橋と、こいつ(こいつ)だ」
「「「えええええっ!?」」」
三人の驚愕の声が重なる。
「高橋先輩が、自分で!? なんで!?」
「意図的じゃない。こいつは『事故』だ。そして、お前たちの言う『呪い』で間違いなかった。ただし……」
俺はタコ型カメラを忌わしげに振った。
「オカルトじゃない。『デジタル』の呪い……。こいつは、十年以上前に大流行した『デスクトップ・マスコット型マルウェア』の感染源だ」
「マル……ウェア?」
「コンピュータ・ウイルスだ。『Tako_Luka』……当時、『某ボーカロイド』の亜種として、一部の『インターネット老人会』で熱狂的に支持された非公式キャラクターだ。こいつは、PCに接続すると、画面上を可愛く(かわいく)動き回るマスコット機能と同時に、特定のコミュニティサイトに自動接続する機能を持っていた。……そして、そのコミュニティこそが、『草超森雨土』だの『釈迦って、マ?』だのといった、内輪の古いミームの発生源だったんだ」
江口が、何かに気付いたように目を見開く。
「まさか……。高橋さんは、このタコをPCに繋いだまま、動画編集を……?」
「その通りだ。そして、このマルウェアは、非常に悪質な『呪い』を内包していた。それは、『特定の画像編集ソフトで「レンダリング」を実行した際、ランダムな確率で、コミュニティにアップロードされている「内輪のミーム画像」を、レイヤーの最上層に強制的に挿入する』という、クソみたいな機能だ」
俺は、モニターに映る『虚無の目』を指差した。
「高橋は、知らなかったんだ。自分のPCが、十年前の『呪い(マルウェア)』に汚染されていたことを。そして、不眠不休で完成させた『最高にエモい』作品が、書き出しの瞬間に、この『最高にダサい』ミームで上書き(うわがき)されたことに」
「「「………………」」」
三人は、言葉を失っていた。
「想像してみろ。命を削って追求した『エモ』の結晶が、ボタン一つで『草超森雨土www』に化けたんだ。……高橋が『エモくない……』とうわ言を言って倒れるのも、無理はない」
呪いのミーム。
その正体は、過労のクリエイターを襲った、古のネットミーム・ウイルスの悲劇的な誤爆だったのだ。
◇
タコ型ウェブカメラが、まるで自らの罪を告白するかのように、部室の床に転がった。
ケイが語った『デジタルの呪い』の真相は、ユカリたちが想像していたオカルトや、愛憎渦巻く人間ドラマとは、あまりにもかけ離れた、技術的な悲劇だった。
「マル……ウェア……。じゃあ、犯人は、このタコ……?」
ユカリが、信じられないものを見る目で、プラスチックの残骸を指差した。
「ああ。高橋は、おそらく十年以上前に面白半分でインストールしたこの『呪物』の存在を、完全に忘れていたんだろう。そして、最新の『エモ』を追求するPCに、知らずに旧世代の悪意を接続し続けていた。……間抜けな話だ」
俺は、USBケーブルをPC本体から引っこ抜いた。これで、物理的な『呪い』の源は断たれた。
「そ、そんな……。じゃあ、高橋先輩は……」
「過労と、絶望。そのダブルパンチだろうな。心血を注いだ作品が、理解不能な『クソコラ』に汚染されたんだ。彼が失った『エモい』と感じる感情というのは、呪いなんかじゃない。単純な『燃え尽き症候群』だ。あまりのショックに、脳が『エモ』の回路をシャットダウンしたんだろうさ」
「じゃあ、里美は?」
江口が、青ざめた顔で立ち尽くす里美に視線を送った。
「私が『推し』を見ても何も感じなくなったのは……?」
「ノセボ効果。あるいは、ただの寝不足だ」
俺は、里美の目の下のクマを指差した。
「お前は、高橋が倒れたことと、動画に映った『虚無の目』に、勝手に因果関係を見出した。そして、『自分も呪われたかもしれない』という自己暗示にかかった。……ミーム(情報)は、そうやって伝染る。今回の『呪い』は、デジタル(マルウェア)とアナログ(噂)のハイブリッド型だったというわけだ」
俺は解析ツールを終了させ、自分のUSBメモリを抜き取った。
「さて。真相は割れた。呪いのミームの正体は『懐古厨ウイルスの誤爆』。犯人は『十年以上前の高橋』と『タコ』。これで、依頼は完了だ」
俺が立ち上がると、江口が慌てて声をかけてきた。
「ま、待ってください! これから、どうすれば……。高橋さんは……いや、サークルは……」
彼の声には、それまでの不貞腐れた態度は消え、純粋な混乱が滲んでいた。
高橋をライバル視し、その独善を憎んでいたはずの男が、その高橋が直面したあまりにも理不尽な悲劇を前に、立ち尽くしている。
「知るか。俺は探偵だ。カウンセラーじゃない」
俺は部室のドアに向かった。
「だが、一つだけ言っておく」
俺は、三人を振り返った。
「お前たちの言う『エモ』も、俺たちがかつて使った『wktk』も、本質は同じだ。刹那の感情を切り取り、共有し、消費する。その『型』が違うだけだ。……高橋は、その『型』に固執しすぎた。そして、古い『型』に足をすくわれた」
「…………」
「動画は、どうする。このまま『呪いのミーム』として、お蔵入りか?」
俺の問いに、最初に口を開いたのは、意外にも江口だった。
「……修正します」
彼は、高橋のPCの前に座り、マウスを握りしめた。
「高橋さんの……あいつの『エモ』は、気に食わなかった。だが、あいつが注ぎ込んだ熱量は本物だ。こんな、訳の分からない『呪い』のせいで、あいつの努力を無駄にはさせない」
「江口くん……」
「里美、ユカリ。手伝え。高橋さんが編集した元データ(プロジェクトファイル)は生きてる。問題の『虚無の目』が挿入される直前のバージョンに戻せばいい。……高橋さんが戻ってくる場所を、俺たちが守らなくてどうする」
江口の目には、先ほどまでの陰鬱さとは違う、静かな闘志が宿っていた。
「……はい!」
「当たり前じゃないですか!」
里美とユカリも、江口の隣に駆け寄る。
「ふん。やっと『エモい』展開になってきたじゃないか」
俺は、鼻で笑った。
「神崎さん!」
ユカリが、俺を呼び止めた。
「ありがとうございました! あの……報酬、エナドリ十本で足りましたか……?」
「足りるか。今回の特定は、俺の精神を著しく消耗させた。……出世払いだ。お前がフォロワー百万人のインフルエンサーにでもなったら、今日の『エモい』話の独占インタビュー権でも寄越せ」
「ひゃ、百万!?」
「じゃあな。『虚無の目』に食われないよう、せいぜい『映える』大学生活を送るんだな」
俺は、今度こそ背を向け、リア充の巣窟から撤退を開始した。
◇
六畳一間の薄暗い聖域に戻った俺は、まず買ってきたエナジードリンク(戦利品)を流し込んだ。
カフェインが、疲弊した脳神経に染み渡っていく。
モニターの群れが、俺の帰還を歓迎していた。
タイムラインは、俺が不在だった数時間の間にも、無数のミームを生み出し、消費し続けている。
『#猫ミーム』は、いつの間にか『#犬ミーム』にその座を奪われかけていた。
俺は、自分のメインPCの隅に、古くから設定しているデスクトップ・マスコットを表示させた。
それは、白黒のドット絵で描かれた、小さなイルカ(いるか)だった。
「……お前も、いつか『呪い』になるのかね」
イルカは、何も答えず、ただ画面の端でジャンプを繰り返している。
◇
数日後。
俺のスマートフォン(社会との唯一の接点)に、ユカリからDMが届いた。
『神崎さん! やりました!』
添付されていたのは、一本の動画URL。タイトルは、『【修正版】〇〇大学PR動画 ~私たちの『エモ』は、呪えない~』。
再生してみる。
内容は、俺が最初に見せられたものと大差ない、キラキラとした大学生活のダイジェストだ。
だが、例の『1:32』。掲示板のカットは、差し替えられていた。
そこには、『虚無の目』ではなく、江口、里美、ユカリの三人が、高橋の見舞いに行った際に病室で撮ったらしい、ぎこちない笑顔の四人の写真が、一瞬だけ挿入されていた。
コメント欄は、以前の炎上が嘘のように、好意的なもので埋め尽くされていた。
『修正版、キタ!』 『「呪い」って、あのタコ型ウイルスのことでしょ? ネットニュースで見た』 『高橋さん、お大事に……』 『なんか、色々あったみたいだけど、逆にエモい』 『友情、草超えて森』 『wktkが止まらん』 『↑インターネット老人会の人、いますねwww』
どうやら、ユカリが今回の顛末を、うまく『美談』に仕立て上げて発信らせたらしい。
あのタコ型マルウェアの件は、一部のガジェット系ニュースサイトが『懐かしの呪い』として取り上げ、ちょっとした話題になっていた。
『虚無の目』は、その正体が暴かれたことで『呪い』の力を失い、ただの『懐かしいネタ画像』として消費され始めている。
「……フン」
俺は、ブラウザを閉じた。
『エモ』だの『呪い』だの、結局は人間が意味を付与した、ただの情報だ。
だが、その情報が、人を倒れさせ、人を怯えさせ、そして、人を再び立ち上がらせる。
ネットの海は、今日も深く、広大だ。
俺はヘッドフォンを装着し、新たな『怪異』の気配を探して、タイムラインの濁流へと意識を沈めた。
「さて。次の『特定』を始めるとするか」
ネットミーム探偵の戦いは、まだ始まったばかりだ。
短編クラフトです。最後までお読みいただき、ありがとうございます。
あなたのPCにも、忘れた頃に起動する、懐かしい『呪い』が眠っていませんか?
『wktk』したあの頃と、『エモい』今。形は変われど、熱量は同じ。
もし、あなたの身の回りで『バズ』や『炎上』の裏に潜む『怪異』に遭遇したら……ご一報を。




