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ネットミーム探偵と『虚無の目』の呪い

作者: 月影の書記
掲載日:2025/10/22

現代の怪異は、ネット(ここ)に棲む。

情報が伝染し、ミームが『呪い』と呼ばれる時代。

『エモい』を追求する大学生たちを襲った、Z世代には解読不可能な『呪いのミーム』。

その正体を、引きこもり探偵が『特定』する、デジタル・ミステリー。

モニターの青白い光が、万年床の埃を照らし出している。


俺、神崎かんざきケイの城、六畳一間のアパート『メゾン・ド・未来』の二〇三号室は、今日も今日とてデジタルな喧騒けんそうに満ちていた。


壁一面に増設されたモニターには、いくつものタイムラインが滝のように流れ落ち、秒単位で更新される『世界の今』を映し出す。


トレンド一位、『#猫ミーム無限増殖バグ』。二位、『#某政治家の失言まとめ』。三位、『#今日の夜食テロ』。


無数の情報が生まれ、消費され、忘れ去られていく。


人々はそれを『バズ』と呼び、あるいは『炎上』と呼んで刹那せつなの興奮に身をゆだねる。


だが、俺の仕事はそこじゃない。俺は、その流れの源流、あるいはおりみを覗き込む。


自称、『ネットミーム探偵』。それが俺の肩書きだ。


警察手帳もなければ、探偵業の許可証もない。


あるのは、人より少しだけ発達した情報収集能力と、平均よりやや低いとされる社会性だけだ。


主な業務は、企業のステマ(ステルスマーケティング)疑惑の調査、デマ情報の拡散経路特定、あるいは、ネットの海に沈んだ『元ネタ』のサルベージ。


まあ、実態はフリーターと何ら変わらないが、俺はこの仕事に誇りを持っている。なぜなら、現代いまの怪異は、ネット(ここ)にむのだから。



「ピーンポーン」


間の抜けたチャイムの音が、ヘッドフォン越しに微かに届いた。


無視だ。どうせ新聞の勧誘か、怪しげな宗教のパンフレットだろう。


俺はクリックの手を休めず、新たな『ネタ』の気配がする匿名掲示板のスレッドを深掘りしていく。


「ピーンポーン! ピーンポーン!」


しつこい。宅配便ウーバーなら置き配指定のはずだ。


俺は舌打ち一つ、ノイズキャンセリング機能のレベルを最大に引き上げた。これで物理世界リアルの雑音は遮断される。


「神崎さーん! ケイさーん! いるんでしょ! 開けてくださいよぉ!」


ドンドン、と安物の合板ドアが悲鳴を上げる。


この声は……。


俺はため息とともに立ち上がり、積み上げられたエナジードリンクの空き缶を蹴散らさないよう、慎重に玄関へと向かった。


ドアスコープを覗くまでもない。この、やたらと声量ボリュームだけがでかい女は一人しか知らない。


「……何の用だ、水野みずの


ドアを数センチだけ開けると、隙間から湿度の高い空気と共に、焦った表情かおが飛び込んできた。


「何の用だ、じゃないですよ! 緊急事態です! 大至急、助けてください!」


水野ユカリ。


俺の数少ない『リアル』の知人であり、近所の大学に通う女子大生だ。


自称、インフルエンサー志望。フォロワー数は三千弱。実に中途半端な数字だが、彼女の自己評価だけは常に天井知らずだ。


「依頼なら、まずはメール(DM)で概要を送れと言ったはずだ。俺は今、世紀の『#踊るタピオカ大発生』の震源地を特定するのに忙しい」


「タピオカなんてどうでもいいんです! それより、呪いです! 呪い!」


「呪い?」


俺は眉をひそめた。オカルトは専門外だ。


俺が扱うのは、あくまでデジタルの領域に存在する、論理ロジックで解体可能な事象のみ。


「私たちのサークルの動画が、『呪いのミーム』に汚染されました!」


……ミーム、だと?


その単語に、俺のアンテナがピクリと反応した。


「……入れ。ただし五分だ。手短に説明しろ」


ユカリは「お邪魔します!」と威勢よく言いながら、俺の聖域サンクチュアリに足を踏み入れた。


彼女は床に散らばるカップ麺の容器を一瞥いちべつし、「うわ、相変わらず『オワコン』な部屋……」と失礼な呟きを漏らしたが、今はそれをとがめている暇はない。



ユカリは俺の定位置であるゲーミングチェアの横に立ち、自分のスマートフォンを突きつけてきた。


「これです! 私が所属してる動画制作サークル『キャンクリ』で作った、大学のオープンキャンパス用のPR動画!」


再生された動画は、いかにも『Z世代』が好きそうな、キラキラとしたキャンパスライフを描いたものだった。


フィルターの効いた映像、耳障りの良いインディーズバンドのBGM、そして「#アオハル」「#最高の仲間」といったテロップ。


正直、三分も見続けるのは苦痛な代物だ。


「……で? これがどう『呪われた』んだ?」


「最初は、すごく評判良かったんです。『エモい』『この大学行きたい』って。それが、昨日のお昼頃から、急にコメント欄が荒れ始めて……」


ユカリがコメント欄をスクロールして見せる。


『1:32に変なもの映ってる』 『これ、もしかして「アレ」じゃないか?』 『呪いのミームだ……。終わった』 『サブリミナル草』


「呪いのミーム?」


「そうなんです! うちの大学で、ここ一ヶ月くらい前から噂になってる都市伝説で……。『虚無きょむの目』っていうんですけど」


「虚無の目」


聞いたことがない。俺のデータベース(脳内)にはないミームだ。


「なんでも、『それ』をちゃんと認識してしまうと、三日後に、ありとあらゆる『エモい』と感じる感情を失う、っていう呪いなんです!」


「…………は?」


馬鹿馬鹿しい。なんだ、その現代的な呪いは。感情のデトックスか何かか。


「笑い事じゃないんですよ! 実際、その『虚無の目』が映り込んでるって指摘されてから、動画の評価はダダ下がり。『呪いを拡散するな』『不謹慎だ』って。サークルの公式アカウントも炎上しちゃって……」


「落ち着け。まず、その『1:32』とやらを俺の環境モニターで確認する」


俺はユカリから動画のURLを送信させ、メインモニターに表示させた。


高解像度のディスプレイで、問題のシーンを再生する。


そこは、大学の中庭にある掲示板の前を、サークルの仲間たちが笑顔で通り過ぎる、ありふれたカットだった。


「……何も映ってないぞ」


「コマ送りしてください! 一瞬なんです!」


言われるがまま、一フレームずつ送っていく。


……あった。


確かに、ほんの数フレーム、掲示板のポスターの一枚に、奇妙なものが映り込んでいる。


それは、落書きのようにも見えた。同心円状に描かれた無数の『目』のような図形。


その中心には、一見意味不明な文字列が並んでいる。


『草超森雨土www』 『釈迦しゃかって、マ?』 『wktkワクテカ禁止令』


「なんだ、これは……」


支離滅裂だ。だが、俺には分かる。


これらは、すべてネットスラング、あるいは特定のコミュニティで使われる隠語やミームのコラージュだ。


『草超えて森、森超えて雨、雨超えて土』は『笑いすぎ』の最上級表現。 『釈迦って、マ?』は『それ、本当?(マジ?)』の意。 『wktk』は言わずもがな。


だが、問題は中央の『目の図形』だ。これが『虚無の目』だというのか。


「どう見ても、ただのイタズラ描きだ。こんなもので『エモい』感情が失われるなら、世の中の大半の人間は今ごろ真顔まがおだ」


「でも! でも、実際に被害者が出てるんです!」


ユカリが顔を青くして叫んだ。


「この動画を編集した、サークルの先輩……高橋たかはしさんが、昨日の夜、倒れたんです! 今、入院してます! お医者さんは過労だって言ってますけど、私たち、絶対『呪い』のせいだって……。だって高橋さん、倒れる直前まで『エモくない……何もかもエモくない……』って、うわ言みたいに言ってたって……!」


高橋……。


俺はサークルのメンバーリスト(ユカリが無理やり見せてきた)を思い出す。


確か、今回の動画の監督兼編集を担当していた男だ。


「……状況は理解した。だが、なぜ俺なんだ? 警察か、あるいは本物の探偵、それこそ『お祓い』でも頼んだ方が早いんじゃないか?」


「警察に『呪いのミーム』なんて言っても信じてもらえません! それに、私たち、犯人ほしを突き止めたいんです!」


「犯人?」


「はい。こんなの、誰かが意図的に仕込んだに決まってます。これは、私たちの『エモい』作品に対する、卑劣なテロです! 神崎さん、ネットの『特定』が得意だって聞きました。お願いします! この『呪いのミーム』を仕込んだ犯人を、『特定』してください!」


ユカリは、深々と頭を下げた。彼女のインフルエンサー志望とは思えない、必死な形相ぎょうそうだった。


俺は、モニターに映る『虚無の目』と意味不明な文字列を睨みつけた。


『呪い』。非科学的で、非論理的だ。俺の最も嫌う概念だ。


だが、『ミーム』。それは俺の専門分野だ。


情報は伝染する。ときに、それは『呪い』と呼ばれるほどの破壊力を伴って。


高橋という男が倒れたのは、過労か、あるいは集団ヒステリー(ノセボ効果)の類だろう。


だが、この動画に『意図的に』この気味の悪いミームを混入させた人間がいるとしたら?


その目的は? 単なるイタズラか、それともサークルへの怨恨えんこんか。


神崎ケイの、探偵としての血が騒ぐ。いや、ネットミーム探偵としての『特定』欲が、だ。


「……いいだろう。その依頼、受けてやる」


俺は、いつもの決め台詞を口にした。


「だが、覚えておけ、水野。ネット(ここ)で起きる怪奇現象は、いつだって人間の仕業ヒューマンエラーだ。その『呪いのミーム』の正体、俺が『特定』し、白日の下に『さらして』やる」


ユカリが「本当ですか!?」と顔を輝かせる。


「ああ。ただし、報酬ははずんでもらうぞ。まずは着手金として、そこのコンビニで最高級のエナジードリンクを十本。話はそれからだ」


「ええーっ!? 恩着せがましい!」


「うるさい。クライアントなら探偵(俺)の指示に従え。……さて」


俺はキーボードに指を走らせ、新しいフォルダを作成した。フォルダ名は、『虚無の目(笑)事件』。


「まずは現場検証だ。その『エモい』動画が作られたキャンパスと、サークルの部室ぶしつ。案内しろ、水野。呪いの『ネタ元』を炙り出してやる」


六畳一間の薄暗い部屋で、ネットミーム探偵の、実にアナログな捜査が始まろうとしていた。



降り注ぐ太陽光が、俺の網膜を無慈悲に焼いた。


アパートの遮光カーテンに守られた聖域サンクチュアリから一歩外に出た俺は、カタコンベから引きずり出された吸血鬼同然だった。


「うっわ、日差し『エグい』……。紫外線、マジまんじ


「何言ってるんですか、こんなに『チル』い天気なのに。ほら、神崎さん、シャキッとしてください! 白衣それじゃないですよね、パーカー(それ)ヨレヨレですよ!」


ユカリが俺の数年来の戦友である、フード付きのパーカーを指差して非難する。これが俺の戦闘服だ。文句を言うな。


彼女に引きずられるようにして着いた大学のキャンパスは、まさに俺が最もみ嫌う『リア充』の巣窟そうくつだった。


芝生の上ではしゃぐ男女。異様にデカい音でBGMを流すカフェテラス。


すべてが『え』を意識した、構築コンストラクトされた『アオハル』だ。


「……吐き気がする。情報の密度が低すぎる。この芝生で寝転がる時間リソースがあるなら、新作ミームの派生を三つは特定できる」


社会不適合者ネクラの発想……。あ、あそこです! 問題の掲示板!」


ユカリが指差したのは、動画の『1:32』に映っていた、あのいまわしき中庭だった。


実物オリジナルは、動画で見るよりも色彩がせている。


俺は問題の掲示板の前に立ち、スマートフォンに表示させた動画のキャプチャ画像と、目の前の現実リアル比較検証クロスチェックした。


「……フン。予想通りだ」


「え? 何がですか?」


「これを見ろ」


俺は、動画で『虚無の目』が映り込んでいたポスターを指差す。そこには、どこかの演劇サークルの公演告知が印刷されているだけだ。


「落書きが……ない?」


「ああ。物理的なイタズラじゃない。この『呪いのミーム』は、編集段階で、意図的に挿入インサートされたデジタルデータだ」


これは、単なる事故や偶然の産物ではない。明確な『悪意』を持った人間の仕業だ。


「つまり、犯人は、この動画の編集に関わった人間……。私たち『キャンクリ』のメンバーの中にいる……?」


ユカリの顔が青ざめる。彼女の『最高の仲間』とやらは、どうやら一枚岩ではないらしい。


「案内しろ。お前たちの『聖域』とやらを。編集に使ったPCブツ押収かくほする」


「お、押収って……。部室ぶしつですね。こっちです!」



サークル棟の一室、『動画制作サークル キャンクリ』のプレートが掛かったドアは、不気味なほど静かだった。


『エモい』を追求する集団の拠点アジトとは思えない、重苦しい空気が廊下まで漏れ出ている。


「……失礼します」


ユカリがおずおずとドアを開けると、そこには、想像していたキラキラした空間とは程遠い、雑然とした機材部屋が広がっていた。


そして、二人の学生が、陰鬱いんうつな表情で編集用のデスクトップPCを睨みつけていた。


「あ、ユカリ……。それに、そちらは?」


声をかけてきたのは、眼鏡をかけた、神経質そうな女子学生だった。目の下には濃いクマが張り付いている。


「この人は神崎ケイさん! 私の知り合いの……ええと、ITスペシャリスト! 今回の『呪い』を解明してもらうために来てもらったの!」


「呪いって……」


もう一人の、体格の良い男子学生が、あからさまに不機嫌な声を出した。


「まだそんなオカルト信じてんのかよ。高橋さん(たかはしさん)が倒れたのは、あいつが『エモ』に固執しすぎて勝手に自爆しただけだろ」


江口えぐちくん! なんてこと言うの!」


「事実だろ、里美さとみ。あいつ、ここ一週間、まともに寝てなかった。『最高のPR動画にするんだ』って、俺たちの修正案リテイクも全部突っぱねて。……あんな、意味不明なミームが映り込むなんて、単純な編集ミスだ。呪いなんかじゃねえよ」


吐き捨てるように言う江口。


彼が、ユカリの言っていた『もう一人の編集担当』か。高橋に監督の座を奪われた、と噂の。


対照的に、里美と呼ばれた女子学生は、震える声で反論した。


「ミスなんかじゃない……。だって、私……見ちゃったもん。『虚無の目』……。あの動画をチェックしたとき、はっきりと……。それから、なんだか、胸がザワザワして……。昨日、自分の『推し』のライブ映像見ても、何も感じなかったの……。いつもなら、号泣ごうきゅうするくらい『エモい』のに……」


彼女は、本気で『呪い』を信じ込んでいる。これが集団ヒステリーというやつか。


「くだらん」


俺は沈黙を破り、部屋の中央に鎮座する、最もスペックの高そうなデスクトップPCの前に立った。


「これが高橋の使っていた編集用端末か」


「はあ、そうですけど……。って、うわ、何するんですか!」


俺が無断で電源を入れたことに、江口が目くじらを立てる。


「捜査だ。黙って見てろ」


起動音と共に、ログイン画面が表示された。パスワードが要求される。


「チッ。ロックされてる。おい、お前たち、高橋のパスワードを知ってるか?」


「知るわけないだろ、個人のプライバシーだ」


「私、知らない……」


江口も里美も首を横に振る。


「使えねえな……」


俺は、高橋のデスク周りを観察した。


典型的なクリエイターの作業場だ。付箋ポストイットがディスプレイの縁にびっしりと貼られている。


『#バズる構成』『#エモの法則』『#Vlog風』。意識の高い単語が並ぶ。


俺はキーボードに手を伸ばした。


こういう『エモ』信者が設定しがちなパスワードは決まっている。


e-m-o-i_s-a-i-k-o-u


『パスワードが違います』


チッ。


1-2-3-4-5-6-7-8


『パスワードが違います』


p-a-s-s-w-o-r-d


『パスワードが違います』


「あの、神崎さん……」


ユカリが、あきれたような、申し訳なさそうな顔で俺を見ている。


「もしかして、総当たり(ブルートフォース)攻撃してるつもりですか? そんな原始的な……」


「うるさい。ハッキングの基本は、まず最も単純な脆弱性ぜいじゃくせいを突くことだ。……だが、こいつ、意外とリテラシーが高いらしい」


俺が腕を組んで唸っていると、ユカリが「あ!」と何かを思い出したように声を上げた。


「高橋先輩のパスワード、私、知ってるかもしれません!」


「……は?」


「以前、編集データが壊れたときに、緊急用だって教えてもらったんです! えっと、確か、先輩が飼ってる猫の名前……。『ちゃちゃまる』だったかな?」


俺は、三十秒ほど無言でユカリの顔を見つめた。


「……水野。お前、なぜそれを最初に言わん」


「え? だって、聞かれませんでしたし……」


この女、致命的に『報告・連絡・相談』が欠落している。


俺は深いため息とともに、キーボードを叩いた。


c-h-a-c-h-a-m-a-r-u


カチッ、と軽い音を立てて、ロックが解除された。


画面には、例の『エモい』大学PR動画の編集プロジェクトファイルが、デカデカと表示されている。


「……ビンゴ」


俺はニヤリと笑い、自分のカバンからUSBメモリを取り出した。


「さて。ここからは俺の専門分野ステージだ」


「な、何する気です!?」


「デジタル・フォレンジック(デジタル鑑識)だ。このPCハコに残された痕跡ログを解析し、誰が、いつ、どのようにして『虚無の目』を仕込んだのか、『特定』する」


俺はユカリたちを睨みつけた。


「お前たち三人も、容疑者グレイだ。俺の作業が終わるまで、この部室から一歩も出るな。……いいな?」


俺の視線に押され、三人はこくりと頷いた。


不機嫌そうな江口。怯える里美。そして、何も分かっていないユカリ。


呪いのミーム。倒れた編集者。そして、三人の容疑者。


役者は揃った。あとは、このデジタルという名の舞台裏を暴くだけだ。


俺は、高橋のPCに、自作の解析ツールをインストールし始めた。



サークル部室の空気は、サーバーの冷却ファンが立てる単調な唸り声だけで満たされていた。


俺の指が、高橋のキーボードをリズミカルに叩き続ける。


ユカリ、江口、里美の三人は、まるで裁判の判決を待つ被告人のように、俺の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく固唾かたずを飲んで見守っていた。


「……なるほど。ログは綺麗クリーンだ」


俺はまず、基本的なアクセスログと操作履歴を洗い出した。


高橋が倒れたとされる前日までの数十時間、ログインしているのは高橋本人のアカウントのみ。外部からの不正アクセスの形跡は、今のところ見当たらない。


「そ、それじゃあ、やっぱり高橋先輩が自分で……?」


おずおずと尋ねる里美に、江口が苛立いらだたしげに反論する。


「あり得ないだろ! あの人、今回の動画に命賭けてたんだぞ! 『これでバズらなきゃ、俺の大学生活は無意味ゼロだ』って。そんな作品に、自分で呪いだかなんだか仕込むわけが……」


「黙れ。集中できん」


俺は江口の言葉を遮り、さらに深く掘り進める。


編集ソフトのプロジェクトファイル。タイムラインの構成。そして、レンダリング(動画書き出し)の履歴。


高橋は、確かに江口の言う通り、異常なまでの執念でこの動画を制作していた。


一つのカットに数十パターンの修正リテイクを加え、BGMのタイミングをコンマ一秒単位で調整している。まさに『エモ』の亡者だ。


「……ん?」


俺の指が止まった。


最終レンダリングが実行されたのは、高橋が倒れる約一時間前。


その、わずか三分前。プロジェクトファイルに、一つの『画像素材』がインポートされている。


ファイル名は、『EMO_fix_ver04.png』。


「これだ」


「これって……なんですか?」


ユカリが身を乗り出す。


「問題の『虚無の目』のデータだ。ご丁寧に『エモい修正パッチ最終版』みたいな、それらしいファイル名で偽装カモフラージュしてやがる。……だが」


俺は、そのファイルが保存されていたはずのディレクトリを開く。


……空だ。


「チッ。削除済みか。犯人ホシは、挿入インサート後、即座に証拠隠滅を図ったらしい。……だが、甘い」


俺は、カバンから取り出したUSBメモリに仕込んである、自作のデータ復元ツールを起動させた。プログレスバーが、ゆっくりと右へと伸びていく。


「……さて。復元サルベージには少し時間がかかる。その間に、お前たちに『事情聴取』だ」


俺はゲーミングチェアを回転させ、三人の容疑者と対峙した。


「おい、江口。お前、高橋のやり方が気に入らなかったそうだな」


「……だから、なんだって言うんですか」


江口は、腕を組んでふて腐れている。


「この『虚無の目』のコラージュ……『草超森雨土www』『釈迦って、マ?』『wktk禁止令』。……お前たち、このミーム、知ってるか?」


俺の問いに、三人は顔を見合わせた。


「『wktk』は、ギリ分かりますけど……『ワクワクテカテカ』ですよね? でも、今どき使う人、います?」


「『釈迦って、マ?』……仏教系のサークルかなんかですか?」


「『草超森雨土』……? エコ活動……?」


ユカリ、里美、江口が、それぞれ的外れな解釈を口にする。


「……そうだろうな。これが『ジェネレーションギャップ』というやつだ」


俺は、忌まわしい記憶を呼び覚ますように、目を細めた。


「これらは、すべて十年以上前……お前たちがまだ小学生だった頃に、特定の匿名掲示板や、黎明期れいめいきの動画サイトで局地的に流行バズった、いわば『インターネット老人会』御用達ごようたしのミームだ」


「老人会……?」


「そうだ。今のお前たちZ世代が『エモい』『チルい』『それな』と言うのと同じノリで、当時の俺たち(おれたち)は『wktk』し、『釈迦マジ』かよと驚き、『草』どころか『森』を超えていた。……つまり、このミームを仕込んだ犯人ホシは、お前たちサークルの『エモい』ノリを、心の底から『寒い』と思っている、センスの古い(ふるい)人間である可能性が高い」


俺は、江口の目を真っ直ぐに見た。


「江口。お前は、高橋を『エモに固執しすぎ』と批判していた。お前が、高橋の独善的な編集を妨害し、その『エモ』を嘲笑あざわらうために、あえて『クソ寒い』ミームを仕込んだ。……違うか?」


「ふざけるな!」


江口が立ち上がった。


「俺は! あいつの独りよがりな作品エゴが許せなかっただけだ! サークルはみんなで作るもんだろ! なのにあいつは、俺たちの意見を全部『エモくない』の一言で切り捨てて……! だが、だからって、こんな卑劣な真似はしねえよ!」


「江口くん……」


里美が不安そうに江口を見上げる。


「じゃあ、里美。お前はどうだ。お前も高橋に編集案を全ボツにされて、泣いていたそうじゃないか」


「ひっ……!?」


里美がビクリと肩を震わせる。


「わ、私は、ただ……高橋先輩の体調が心配で……。あんなに根を詰めてたら、いい作品なんて作れないって……。呪いだなんて、そんな……」


「じゃあ、水野。お前だ」


「えっ!? 私!?」


突然話を振られ、ユカリが素っ頓狂な声を上げた。


「お前は、インフルエンサー志望だと言ったな。このPR動画が『呪い』で炎上すれば、世間の注目は集まる。話題性は抜群だ。お前が、サークルを踏み台にして『バズる』ために、自作自演マッチポンプを仕組んだ。……あり得る話だ」


「そ、そんなわけないじゃないですか! 私がそんな『オワコン』な炎上商法するわけないでしょ! もっと『バフ』のかかるやり方します!」


三者三様。全員に動機があるようでない。


だが、誰も『古いミーム』の出所は知らない。仲間割れと疑心暗鬼が、部室の湿度を上げていく。


その時。


「ピコン」


軽い電子音と共に、モニターに『復元完了』の文字が表示された。


「……ビンゴ」


俺は、復元された『EMO_fix_ver04.png』のアイコンをダブルクリックした。表示されたのは、間違いなく、あのいまわしき『虚無の目』の画像データだった。


「これで、この画像の『出所』が分かる」


俺は画像のプロパティ(メタデータ)を開いた。


作成日時、使用ソフトウェア、解像度……そして。


作成者アーティスト』の欄。


そこに記されていたのは、高橋でも、江口でも、里美でもない、見知らぬハンドルネームだった。


『Tako_Luka_Master_2009』


「……タコ……ルカ……マスター?」


ユカリが首を傾げる。


俺は、その文字列を見た瞬間、すべてのピースが組み上がっていくのを感じた。


「……そういうことか。ああ、最悪だ。実に『エモくない』結末だ」


俺は、ゆっくりと高橋のデスクを見回した。


そして、ディスプレイの隅に、ほこりをかぶって打ち捨てられている、ある『ガジェット』を指差した。


それは、USBケーブルでPCに接続された、紫色の、タコ(たこ)の形をした、古臭いウェブカメラだった。


「こ、これ……なんですか? 高橋先輩の趣味?」


「趣味……いや、呪物じゅぶつだ」


俺は、そのタコ型カメラを掴み上げ、三人に突きつけた。


「犯人は、高橋だ。いや……高橋と、こいつ(こいつ)だ」


「「「えええええっ!?」」」


三人の驚愕きょうがくの声が重なる。


「高橋先輩が、自分で!? なんで!?」


「意図的じゃない。こいつは『事故』だ。そして、お前たちの言う『呪い』で間違いなかった。ただし……」


俺はタコ型カメラをいまわしげに振った。


「オカルトじゃない。『デジタル』の呪い……。こいつは、十年以上前に大流行した『デスクトップ・マスコット型マルウェア』の感染源だ」


「マル……ウェア?」


「コンピュータ・ウイルスだ。『Tako_Luka』……当時、『ぼうボーカロイド』の亜種として、一部の『インターネット老人会』で熱狂的に支持された非公式キャラクターだ。こいつは、PCに接続すると、画面上を可愛く(かわいく)動き回るマスコット機能と同時に、特定のコミュニティサイトに自動接続する機能を持っていた。……そして、そのコミュニティこそが、『草超森雨土』だの『釈迦って、マ?』だのといった、内輪の古いミームの発生源グラウンド・ゼロだったんだ」


江口が、何かに気付いたように目を見開く。


「まさか……。高橋さんは、このタコをPCに繋いだまま、動画編集を……?」


「その通りだ。そして、このマルウェアは、非常に悪質な『呪い』を内包していた。それは、『特定の画像編集ソフトで「レンダリング」を実行した際、ランダムな確率で、コミュニティにアップロードされている「内輪のミーム画像」を、レイヤーの最上層に強制的に挿入インサートする』という、クソみたいな機能きのうだ」


俺は、モニターに映る『虚無の目』を指差した。


「高橋は、知らなかったんだ。自分のPCが、十年前の『呪い(マルウェア)』に汚染されていたことを。そして、不眠不休で完成させた『最高にエモい』作品が、書き出しの瞬間に、この『最高にダサい』ミームで上書き(うわがき)されたことに」


「「「………………」」」


三人は、言葉を失っていた。


「想像してみろ。命を削って追求した『エモ』の結晶が、ボタン一つで『草超森雨土www』に化けたんだ。……高橋が『エモくない……』とうわ言を言って倒れるのも、無理はない」


呪いのミーム。


その正体は、過労のクリエイターを襲った、いにしえのネットミーム・ウイルスの悲劇的な誤爆だったのだ。



タコ型ウェブカメラが、まるで自らの罪を告白するかのように、部室の床に転がった。


ケイが語った『デジタルの呪い』の真相は、ユカリたちが想像していたオカルトや、愛憎渦巻く人間ドラマとは、あまりにもかけ離れた、技術的テクニカルな悲劇だった。


「マル……ウェア……。じゃあ、犯人ホシは、このタコ……?」


ユカリが、信じられないものを見る目で、プラスチックの残骸を指差した。


「ああ。高橋は、おそらく十年以上前に面白半分でインストールしたこの『呪物ウイルス』の存在を、完全に忘れていたんだろう。そして、最新の『エモ』を追求するPCマシンに、知らずに旧世代オールドタイプ悪意あくいを接続し続けていた。……間抜けな話だ」


俺は、USBケーブルをPC本体から引っこ抜いた。これで、物理的な『呪い』の源は断たれた。


「そ、そんな……。じゃあ、高橋先輩は……」


「過労と、絶望。そのダブルパンチだろうな。心血を注いだ作品が、理解不能な『クソコラ』に汚染されたんだ。彼が失った『エモい』と感じる感情というのは、呪いなんかじゃない。単純な『燃え尽き症候群バーンアウト』だ。あまりのショックに、脳が『エモ』の回路をシャットダウンしたんだろうさ」


「じゃあ、里美は?」


江口が、青ざめた顔で立ち尽くす里美に視線を送った。


「私が『推し』を見ても何も感じなくなったのは……?」


「ノセボ効果。あるいは、ただの寝不足だ」


俺は、里美の目の下のクマを指差した。


「お前は、高橋が倒れたことと、動画に映った『虚無の目』に、勝手に因果関係を見出した。そして、『自分も呪われたかもしれない』という自己暗示にかかった。……ミーム(情報)は、そうやって伝染うつる。今回の『呪い』は、デジタル(マルウェア)とアナログ(噂)のハイブリッド型だったというわけだ」


俺は解析ツールを終了させ、自分のUSBメモリを抜き取った。


「さて。真相ネタは割れた。呪いのミームの正体は『懐古かいこちゅうウイルスの誤爆』。犯人は『十年以上前の高橋』と『タコ』。これで、依頼ミッションは完了だ」


俺が立ち上がると、江口が慌てて声をかけてきた。


「ま、待ってください! これから、どうすれば……。高橋さんは……いや、サークルは……」


彼の声には、それまでの不貞腐ふてくされた態度は消え、純粋な混乱がにじんでいた。


高橋をライバル視し、その独善を憎んでいたはずの男が、その高橋が直面したあまりにも理不尽な悲劇を前に、立ち尽くしている。


「知るか。俺は探偵だ。カウンセラーじゃない」


俺は部室のドアに向かった。


「だが、一つだけ言っておく」


俺は、三人を振り返った。


「お前たちの言う『エモ』も、俺たちがかつて使った『wktk』も、本質は同じだ。刹那せつなの感情を切り取り、共有し、消費する。その『フォーマット』が違うだけだ。……高橋は、その『型』に固執しすぎた。そして、古い『ウイルス』に足をすくわれた」


「…………」


動画ブツは、どうする。このまま『呪いのミーム』として、お蔵入りか?」


俺の問いに、最初に口を開いたのは、意外にも江口だった。


「……修正します」


彼は、高橋のPCの前に座り、マウスを握りしめた。


「高橋さんの……あいつの『エモ』は、気に食わなかった。だが、あいつが注ぎ込んだ熱量カロリーは本物だ。こんな、訳の分からない『呪い』のせいで、あいつの努力を無駄ゼロにはさせない」


「江口くん……」


「里美、ユカリ。手伝え。高橋さんが編集した元データ(プロジェクトファイル)は生きてる。問題の『虚無の目』が挿入される直前のバージョンに戻せばいい。……高橋さんが戻ってくる場所サークルを、俺たちが守らなくてどうする」


江口の目には、先ほどまでの陰鬱いんうつさとは違う、静かな闘志が宿っていた。


「……はい!」


「当たり前じゃないですか!」


里美とユカリも、江口の隣に駆け寄る。


「ふん。やっと『エモい』展開になってきたじゃないか」


俺は、鼻で笑った。


「神崎さん!」


ユカリが、俺を呼び止めた。


「ありがとうございました! あの……報酬、エナドリ十本で足りましたか……?」


「足りるか。今回の特定ディグは、俺の精神メンタルを著しく消耗させた。……出世払いだ。お前がフォロワー百万人のインフルエンサーにでもなったら、今日の『エモい』話の独占インタビュー権でも寄越せ」


「ひゃ、百万!?」


「じゃあな。『虚無の目』に食われないよう、せいぜい『える』大学生活アオハルを送るんだな」


俺は、今度こそ背を向け、リア充の巣窟そうくつから撤退を開始した。



六畳一間の薄暗い聖域サンクチュアリに戻った俺は、まず買ってきたエナジードリンク(戦利品)を流し込んだ。


カフェインが、疲弊した脳神経に染み渡っていく。


モニターの群れが、俺の帰還を歓迎していた。


タイムラインは、俺が不在だった数時間の間にも、無数のミームを生み出し、消費し続けている。


『#猫ミーム』は、いつの間にか『#犬ミーム』にその座を奪われかけていた。


俺は、自分のメインPCの隅に、古くから設定しているデスクトップ・マスコットを表示させた。


それは、白黒のドット絵で描かれた、小さなイルカ(いるか)だった。


「……お前も、いつか『呪い』になるのかね」


イルカは、何も答えず、ただ画面の端でジャンプを繰り返している。



数日後。


俺のスマートフォン(社会との唯一の接点)に、ユカリからDMダイレクトメッセージが届いた。


『神崎さん! やりました!』


添付されていたのは、一本の動画URL。タイトルは、『【修正版】〇〇大学PR動画 ~私たちの『エモ』は、呪えない~』。


再生してみる。


内容は、俺が最初に見せられたものと大差ない、キラキラとした大学生活のダイジェストだ。


だが、例の『1:32』。掲示板のカットは、差し替えられていた。


そこには、『虚無の目』ではなく、江口、里美、ユカリの三人が、高橋の見舞いに行った際に病室で撮ったらしい、ぎこちない笑顔の四人の写真スナップショットが、一瞬だけ挿入インサートされていた。


コメント欄は、以前の炎上が嘘のように、好意的なもので埋め尽くされていた。


『修正版、キタ!』 『「呪い」って、あのタコ型ウイルスのことでしょ? ネットニュースで見た』 『高橋さん、お大事に……』 『なんか、色々あったみたいだけど、逆にエモい』 『友情、草超えて森』 『wktkが止まらん』 『↑インターネット老人会の人、いますねwww』


どうやら、ユカリが今回の顛末てんまつを、うまく『美談ストーリー』に仕立て上げて発信バズらせたらしい。


あのタコ型マルウェアの件は、一部のガジェット系ニュースサイトが『懐かしの呪い』として取り上げ、ちょっとした話題になっていた。


『虚無の目』は、その正体が暴かれたことで『呪い』の力を失い、ただの『懐かしいネタ画像』として消費され始めている。


「……フン」


俺は、ブラウザを閉じた。


『エモ』だの『呪い』だの、結局は人間が意味を付与した、ただの情報データだ。


だが、その情報ミームが、人を倒れさせ、人を怯えさせ、そして、人を再び立ち上がらせる。


ネットの海は、今日も深く、広大だ。


俺はヘッドフォンを装着し、新たな『怪異』の気配を探して、タイムラインの濁流へと意識を沈めた。


「さて。次の『特定』を始めるとするか」


ネットミーム探偵の戦いは、まだ始まったばかりだ。

短編クラフトです。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

あなたのPCにも、忘れた頃に起動する、懐かしい『呪い』が眠っていませんか?

『wktk』したあの頃と、『エモい』今。形は変われど、熱量は同じ。

もし、あなたの身の回りで『バズ』や『炎上』の裏に潜む『怪異』に遭遇したら……ご一報を。

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