49・まもちゃん
「ふぅ……なんか緊張してきた」
「どうして香澄が緊張するの?」
私の田舎に渋沢先輩と向かう為に、私達は新幹線に乗り込んでいた。新幹線の中で駅弁を買い、お茶とみかんと景色を楽しむ私達は楽しくお喋りしていたのだけど……田舎が近づくにつれ、私の緊張が高まっていった。
今日、たろちゃんの手作り結婚式に参加することになった私と先輩は朝一番の新幹線に乗り込んだ。たろちゃんと彼女のために先輩は二人の似顔絵を描いたウェルカムボードを持ってきてくれて、今からたろちゃんや彼女の喜ぶ顔が浮かんでくる。先輩に二人の写真を渡してお願いしたら、笑顔で快諾してくれた先輩。忙しいのに私ったら、すっかり先輩に甘えてしまって……。
「先輩、体大丈夫ですか? 無理してませんか?」
「大丈夫だよ。そんなに心配そうな顔しないで。それより……『先輩』?」
「あ、そっか……えっと、まもちゃん」
「うん、合格」
にっこり笑って満足そうに頷くまもちゃんを見てると、それだけできゅうっと心臓を鷲掴みされてしまう。まもちゃんの笑顔は、私にとって笑顔の素であり毒でもある。心臓を鷲掴みされてばかりで寿命が縮みそうだ。
私はずっと「渋沢先輩」と彼のことを呼んでいたけれど、あの晩、結局朝まで私の家で過ごした時に名前で呼んで欲しいなぁと、上目遣いでお願いされてしまった。そんな可愛らしい仕草の先輩のお願いを断る事ができる女子は、この世のどこに存在するというのだろう。少なくとも私は断るなんてできない。ただ、呼び捨てはちょっと……という私は、親しみを込めて「まもちゃん」と彼を呼ぶことにしたのだ。その呼び名に彼は一瞬頬を染めたけれど、すぐに嬉しそうに照れくさそうに微笑んでくれた。二人で名前を呼び合って手を繋いで、朝までベッドで抱きしめあって眠ったあの日は夢のようだった。勿論、ただ隣で眠っただけで何があったわけでもなく……と、大急ぎで全否定する必要はないけれど、とにかく私達はお互い離れていた時間を埋めるようにぎゅっと抱き合っていた。服の上からでも伝わってくるまもちゃんのぬくもりは、私の心を穏やかにする。ようやく私の『居場所』を見つけた気分だ。
新幹線の中でも私達の手は、しっかりと繋がれたままだ。私達はこのままの状態で、目的地まで向かったのだった。
「やっと着いたぁ……」
「ここが香澄の育ったところなんだね。自然がいっぱいで長閑なところだね」
「いや、何もないだけですけどね」
「僕は年取ったらこういうところで、のんびり住みたいなぁ。スローライフってやつ? 凄く憧れる」
「そうなんですか? じゃあ老後は一緒に田舎で……て、あ……」
うっかりまもちゃんにプロポーズしてしまった。老後は一緒に、なんて結婚してくださいと同義語じゃない! 付き合ってそんなに経っていないのに、いきなり結婚の話なんて先輩が重荷に感じてしまうかもしれない。ここは避けといたほうが無難だ。そう思った私は、今日の結婚式の話を始めることにした。
「そ、そういえば、今日の花嫁さんのメイク、私がするんですよ!」
「香澄が? メイク好きなんだね、前も俺にメイクしてくれたもんね」
「あれは楽しかったですー。またメイクしてもいいですか?」
「僕はもう結構です! それより、花嫁さん仕様のメイクなんてできるの?」
「それは……うーん……」
私の煮え切らない返事に、まもちゃんが溜息を吐く。もしかして、呆れられたかな……。あまりに無計画な私に、幻滅してしまったかもしれない。人生で一番輝ける花嫁姿なのに、メイクの腕が未熟じゃ輝きも失われてしまうかもしれない。そんな思いが頭を過ぎり、私は一気に不安を胸に抱えてしまった。そんな私の姿を見て、先程まで溜息を吐いていたまもちゃんが、優しく私の頭に手を乗せて微笑んだ。その微笑みは何処か自信に満ち溢れていて、私の不安を拭い去ってくれるような、そんな安心できる笑顔だ。
「仕方ないな……僕にまかせてくれる?」
「まもちゃんに?」
「そう。楽しみにしてて」
「う、うん……」
私の実家までは駅からバスで二十分ほどだ。私達はバスに乗り込み、ガタガタと揺れる道を行く。
先輩が、果たして何をしてくれるのか……どうやらそれは、ついてからのお楽しみにようだ。
目的地である小さな町の貸しホールには、懐かしい面々が揃っていた。彼らが私を見つけた途端近寄ってきて、懐かしみながら私を抱きしめる。もみくちゃにされた私はすでにボロボロにされ、今はまもちゃんに視線と質問が集中していた。相当困った様子の彼を庇うように、腕にぎゅっとしがみ付いた。
「ダメですよ! まもちゃんは私のか、か、彼氏ですからっ」
きっぱりと噛まずに言えないところがまだまだ未熟なのかもしれない。胸を張って「彼氏です」と言えるくらいの度胸が欲しいものだ。まだね、ちょっと照れくさくて、なかなか素直に口にすることができないのだ。
とりあえず、私達は周りの友人に挨拶を済ませて花嫁さんが待機している別室へと向かった。扉をノックすると笑顔でたろちゃんが迎えてくれた。その奥には、どうしてこんなことになったのかと言わんばかりにオロオロしている今日の花嫁・晴菜ちゃんが窓辺で行ったり来たりを繰り返していた。その様子が可愛らしくて私はつい、くすっと笑ってしまった。
「晴菜ちゃん! おめでとう!」
「香澄ちゃん……来てくれてありがとう!」
私は両手を広げて晴菜ちゃんの胸に飛び込んだ! すでに着替えは済んでいるのでウェディングドレスの裾を踏まないように気をつけながら晴菜ちゃんを抱きしめた。嬉しそうに笑顔を零す晴菜ちゃんは、とても綺麗だ。すっぴんでも輝いて見える。そして私は晴菜ちゃんを椅子に座らせて、メイクを始めようと準備を始めたけれど、そのメイク道具を手にしたのはまもちゃんだった。
「メイクは僕がやる」
「で、できるんですか!?」
「……父親に、無理矢理教えられたからね。前に君のメイクを落としていたことがあったでしょ? 肌を痛めないメイク落としのやり方も全部父親から教えられたからね。普通の人よりはうまくできる自信があるよ」
「そうだったんですか……まもちゃんは何でもできるから、ますます惚れそうです!」
冗談めかして言ったつもりが、本人はすっかり私の言葉に頬を真っ赤に染めてそそくさとメイクを始めてしまった。照れ屋なところはずっと変わらないかもしれない。でも、それが凄く可愛いからいいんだけど。まもちゃんはそのまま真剣な表情を崩さずにメイクに集中していた。その手際の良さや、丁寧なメイクの手法に惚れ惚れしてしまう。華やかなカラーが顔に乗せられ、花嫁さんの表情は一気に主役の顔に変化していく。細部まで手を抜かずにメイクを進めること四十分。ようやく花嫁の完成だ。晴菜ちゃんが瞳を開き椅子から立ち上がると、その姿はもう、忘れられないくらいの美しさを纏っていた。晴菜ちゃんのために作ったようなドレスに、幸せな表情を引き立たせるメイク、そして華やかさをプラスする友人からの手作りブーケ。何もかもが手作りの結婚式が、今、始まろうとしていた。