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47・カラフル


 長い長いキスの後、間近にある先輩と目が合うと二人で恥ずかしそうに笑い合った。ようやく想いが届いたことで、私達の間に流れる空気もなんだか優しい気がする。本当はこのまま先輩とイチャイチャした~いなんて頭の中では甘いことを考えていたけれど、ふと思い出した事が一つ。


「あっ! 資料持って行かなきゃ!!」

「あ……」


 二人して今が仕事中だということをすっかり忘れてしまっていたのだ。資料を手にして私達は慌てて資料室から出て行った。甘さもへったくれもないけれど、渋沢先輩の隣にいられることを思えば辛いことなんて何もなかった。資料ファイルを先輩と半分こして一階までの階段を駆け上がり、タイミングよく来たエレベーターに飛び乗った私達。エレベーターの奥の壁にもたれかかって一度大きく息を吐く。そのタイミングも二人一緒で、気付けばまた一緒に笑っていた。私達以外に誰もいないエレベーターという密室で、再びキスをしたのは言うまでもない。もう……蕩けそうだ!

 部署に戻った私達は真っ直ぐ部長のデスクへ向かった。会議で席を外すと言っていたので、軽くノックだけして部屋に入るとそこにはいないはずの部長が座っていた。


「おー、悪かったな」

「部長、もう会議終わったんですか?」

「会議? ……さて、なんのことやら」


 ふんっと鼻で笑いながら私を見る部長。その様子を見てピンときたのは渋沢先輩だ。


「もしかして、部長。謀りましたね?」

「何のことだ?」

「僕に資料室に向かわせたのも前園さんを資料室に向かわせたのも、全部部長の差し金ですね?」

「守、勘ぐりすぎだ」


 あくまでも肯定しない部長だったけれど、晴れやかに笑うその様子から見ても絶対に部長の差し金だとわかってしまった。部長は渋沢先輩を息子のように可愛がっているからか、どうしてもほっとけないのだろう。そして鋭い部長の目が私に向けられちょっとドキッとした。何か言いたげな部長の視線から外れるのは難しくて、思わずたじろいでしまう。


「さて、前園。これは、無効でいいか?」

「あ……」


 差し出されたのは私が書いた辞表だった。

 渋沢先輩を忘れたくて書いた辞表、今では確かに会社を辞める理由もなくなった。でも、一度言ったことを撤回するのはなんとなく恥ずかしい。「辞めるの止めます!」なんて元気に言えるはずもなく、私は口ごもってしまった。すると横からスッと手を伸ばす渋沢先輩が、徐に辞表を手に取り勢いよく破きだした。


「せ、先輩!? なにしてるんですかぁ!」

「必要ないよね?」


 そう言ってにこりと笑う先輩は、紙くずとなってしまった私の辞表をゴミ箱へ捨ててしまう。その様子を見て可笑しそうに笑う部長、呆気にとられている私、ちょっと勝気な渋沢先輩の表情、三者三様の部長室は、そのまま笑いに溢れていった。

 部長が私達に与えてくれた僅かな時間、そのお陰で私と渋沢先輩は晴れて両想いになり、部長には感謝しても足りないほどだ。

 やがて部長が突然渋沢先輩に問い掛けた言葉が、私にとって新しい渋沢先輩の情報に繋がった。それは驚きで、ちょっと興味が湧いた。


「守、感謝しろよ? 前園と付き合う事になったんだろ?」

「……まぁ、機会を与えてもらったことは否定しませんけどね」

「可愛げのないやつだなぁ。ま、感謝の印として、親父さんと少しは会ってやれ」

「父さん……たまに覗きに来てますよ。本人はバレてないつもりでしょうけど」

「お前と話をしたがってるぞ」

「……また人形扱いされるのは嫌なんですけど」


 渋沢先輩が言うには、先輩のお父様はヘアメイクという職業の方のようで、渋沢先輩は相当メイクの練習台にさせられたらしい。それが嫌で父親とは距離を置いてるんだと言っていたけれど、最後に先輩はポツリと「別に会ってもいいけど」と照れくさそうな表情で言った。その様子が可愛くて思わず抱きつきたくなってしまった私を阻むように、部長が渋沢先輩の頭をくしゃくしゃに撫ではじめた。


「何可愛いこと言ってんだ! お前はー!」

「ぶ、部長! いつまでも僕を子ども扱いしないでくださいって……何度も言ってるじゃないですか!」

「すまんすまん。……ま、それはともかく、前園とうまくやっていけよ?」

「言われなくてもわかってますよ。じゃあ、失礼します!」


 そのまま踵を返しドアに手を掛けた先輩に、部長の声が飛んでいった。


「唇のグロス、拭っとけよー」

「……!」


 真っ赤になって口元に掌を当てたのは先輩だけではなく、私もだ。真っ赤になった二人が同じような動きをして、部長はガハハと豪快に笑った。渋沢先輩は急いでハンカチを取り出してゴシゴシとグロスを拭き取ると、慌てて部長室から飛び出していった。一人残されてしまった私も、ひとまず部長に頭を下げて退室すると、真っ赤な顔を掌で扇ぎながらデスクに戻っていった。そのまま仕事に戻り、何事もなかったかのように仕事をしていたけれど、渋沢先輩と目が合う機会はとても増えた気がする。お互いが意識しては、つい目が合う。それだけで嬉しくて私の顔は緩みっぱなしだ。

 モノクロだった景色が、突然カラフルに変わる。

 ぼやけた世界がくっきりと浮き上がった。

 私の胸に、七色の綺麗な虹が掛かる。それくらい幸福感と満足感に満ち溢れている私が、今日ここに誕生した。そんな一日だった。

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