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4・日本茶と羊羹と土砂降りと

 先輩と並んで歩き続けている間も、私たちのお喋りは止まらない。本当に他愛ないことを話しているだけなのに、先輩とのおしゃべりの時間がとても楽しいのだ。できればもっともっと喋りたいくらい。

 そんな楽しいお喋りも一旦終了。先輩が指差した一軒家、そこが先輩の家だと言う。兄妹で住んでいるというからてっきりマンションか何かかと思っていたのに、思ったより大きな一戸建てに住んでいるようだ。


「こ……ここですか!?」

「そう。どうぞ入って」


 にこにこ微笑みながら門扉を開けると、玄関先まで石畳になっていて、庭には家庭菜園のような小さな畑があり、芝が敷き詰められている。よく見ると縁側もあるようだ。サザエさんの家が二階建てになったような家だった。そして玄関を開けると大きな声で先輩が「ただいま」と言う。そんなに大きな声を出している先輩は初めてだったので少々驚いてしまった。玄関も広くて、ついつい見てしまう。するとそんな私の様子を気にしたのか、先輩が少々申し訳なさそうに私に言った。


「ごめんね、なんか古臭い家でしょう? 前園さんのマンションみたいな最近の若者の感じは全くなくて……」

「そんな。素敵なお宅じゃないですか! 好きですよ、こういう雰囲気のお宅。羨ましいくらい」

「そう? そう言って貰えると嬉しいな。さ、どうぞ」


 スリッパを出されたのでそれを履くと、玄関のすぐ脇にある部屋へと通された。そこは外装からはあまり想像できないほど洋風な雰囲気が漂っている。大きなソファーが部屋の壁際に置かれていて、そこには結構な人数が座れそうだ。そして吃驚するほど大きなテレビがリビングボードの中に納まっており、こざっぱりした空間になっていた。


「どうぞ、ソファーに座ってて。お茶用意してくるね」

「いえ、そんなお気になさらず」

「そんなにかしこまらなくてもいいよ。どうぞ寛いでね」


 先輩は相変わらず自分のペースでキッチンへと消えていった。私はこの、リビングの独り占めするには大きすぎるソファーの端っこにちょこんと座って部屋を見回した後、庭に目をやった。畑には野菜がなっていてもう少しで収穫できそうな感じになっている。あれも先輩が世話しているのだろうか。先輩に家庭菜園が似合いすぎていて、ちょっとだけ笑ってしまった。すると、一人で先輩がもくもくと畑仕事をしている姿を想像しながら笑っている私の背後に、そっと忍び寄る影が一つ。気がつけば、勢いよく背後から抱きしめられていた。


「ぎゃあぁぁぁっ!」


 色気もクソもない悲鳴をあげて、肩から胸の前に回された腕を振り払おうとした。しかし頑丈な腕はがっしりと私を抱きしめていて、振りほどく事ができない。一体何事なのか、先輩はどうして急に私を抱きしめたのかわからなくて、パニックを起こしかけていた。そんな時、そんな私の様子を見て「こら!」と背後で叱る声がこちらに飛んできたのだ。

 そっと振り返ると、私を抱きしめているのは先輩ではなく……もっと大きくて金髪のスレンダーな男性だった。ロックテイストのその男性と目が合うと、にっこり微笑んで抱きしめている腕に力を篭めた。


「ちょ、ちょっと! 離して下さい!」

「え、なんで?」

「なんでって!」

「抱き心地良いから離したくないなぁ」


 なんというすっとぼけたことを! もがもがと一人でもがいている私を、背後で抱きしめる彼は楽しそうに見ている。そんな私からこの男性を剥がしてくれたのは、先輩だ。ばりっと私たちの体を引き剥がして私の顔を覗き込む。その表情は心配そうな、哀しそうな子犬のようにも見えるから不思議だ。


「大丈夫? ごめんね、うちの馬鹿な弟が不貞を働いて」

「いえ、大丈夫です……て、弟さんですか!?」

「そうなんだ。ホントに体ばかり大きくなって、邪魔なだけなのにね」


 溜息を吐きながら弟さんを呆れたような目で見つめると、弟さんは悪びれることなく笑顔を返した。


「だってさー、兄ちゃんが女の人連れてくるなんて珍しくって! しかも彼女綺麗だしさー。ついね、つい手が伸びちゃって」

「……まったく、油断も隙も無いんだから」

「兄ちゃんの彼女に手は出さないよ」

「彼女じゃない。うちの会社の新入社員さんだ。彼女に失礼なこと言うなよ」

 それは私が先輩の『彼女』と言われたことが失礼だというのだろうか。そんなに気にしてないからいいのに……。先輩は変なところで気を遣うなぁ。まぁ、そこが先輩の良いところだろうけど。それどころか『彼女』扱いをされて、私はちっとも嫌ではなかったのだ。でも、それってまるで私が先輩を好きだから気にしないみたいで……いやいや、それはないでしょう。好きって、先輩が好きって……! ありえない! 

 一人でひとつの小さな可能性に鼻で笑っている私を余所に、先輩は淡々とお茶を用意してくれていた。目の前には日本茶と羊羹が用意されている。二人分のお茶と羊羹を見て弟さんが「俺のは?」と呟いていたが、先輩がそれを軽くあしらう。部屋に戻りなさい、といかにもお兄ちゃんらしい言葉に弟さんも「ちぇ」と唇を尖らせつつも部屋に戻って行ったのだ。

 弟さんをこの場所から追い出した後、ふうっと一つ溜息を吐いて私に視線を戻した。


「ごめんね騒がしい弟で。あ、羊羹食べられる?」

「はい、大好きです」

「お中元の残りで悪いんだけど」


 照れくさそうに頭をかく先輩。どうしてこんなに所帯じみているのだろうか。でもそれが凄く可愛く見える。

 先輩が用意してくれた日本茶と羊羹はとても美味しくて、先程の自分のまさかの気持ちにもやもやとしていたことなどを忘れさせてくれる。ほっと一息ついたところで小さく先輩が「あ」と声を上げた。


「雨だ」


 気付くとぽつんぽつんと雨粒が下りてくる程度だった雨が、どんどん酷くなり、あっというまに土砂降りになってしまった。そしてこの部屋から飛び出して、縁側から庭に出て行く先輩。どうしたのだろうかと思ったが、先輩が駆け寄った先には大量の洗濯物がかけられていたのだ。

 雨を気にせず駆け出した先輩の後を、私も追いかけるように雨の中に飛び出した。

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