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39・電源はオフ


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。長い時間たろちゃんの腕に甘えていた私は、ようやくその暖かな胸から顔を上げる事ができた。ふと見上げると優しく微笑むたろちゃんの笑顔に出会い、途端に恥ずかしさで顔が赤く染まってしまった。


「ご、ごめんねたろちゃん。突然泣きついて」

「いいよ。それよりも香澄……偶然だな、会うのは明日の約束だったのに」

「そうだね、それよりたろちゃんはどうしてここに?」

「俺はほら、仕事の帰りだよ。今日はこちらの会社の人間と付き合いがあったから、今からホテルに戻るんだ」

「そっか。ごめんね、疲れてるのに」

「香澄が俺に気を遣うなんて、らしくないな」


 くすっと笑うたろちゃんは昔と全然変わらない。変わらず優しい微笑みを私に向けてくれた。

 たろちゃんとは明日、日曜という事でお互い仕事がないので会う約束をしていた。それが前日の今日、偶然出会ってしまったわけだけど……。たろちゃんは泣いている私を見ても何も聞かなかった。聞かれてもどう言えばわからないから、聞かないでくれるのはありがたい。それもたろちゃんの優しさの一つだ。無理に聞き出したりしない、話したければ耳をちゃんと傾けてくれる。それがたろちゃんの思いやりだ。


「たろちゃん、今日は帰るよ。明日、約束どおり会おうね」

「……香澄、よかったら俺のホテル泊まっていくか?」


 たろちゃんの言葉に、ついドキッとしてしまった。

 いつまでも、たろちゃんの中では私は「可愛い妹」というポジションなのだ。仮にもいい年齢の女性だというのに、たろちゃんはちょっとデリカシーが足りない。


「たろちゃん、私もう子供じゃないから」

「あ……そ、そうだよな。ごめんごめん。それじゃ、送ってく」

「うん、ありがとう」


 その晩は素直にたろちゃんに送ってもらい、ずっと昔話に華を咲かせていた。フラれてしまったショックはまだ拭いきれないけれど、こうやって昔の話をしているとその時だけは、辛い気持ちが薄れていく。だから私も無理なく笑っていられた。だけど、そんな私達を渋沢先輩が見ているなんて、私は全く気付いていなかったのだ。

 電車に揺られて最寄り駅に着いた私は、たろちゃんと別れ家に入った。真っ暗な部屋の窓から外の月明かりだけが部屋に注がれている。私は電気は点けず、そのままベッドへ倒れこんだ。そして思い出したように頬を伝う涙が、少しずつシーツを濡らしていく。声を上げず、ただひたすら零れ落ちる涙は、今晩はもう止められそうもない。儚く散ってしまった私の恋心……。月曜日から、一体どんな顔して先輩に会えばいいのだろう。


「……田舎に帰ろうかな」


 あの会社は、もう長くはいられないだろう。慣れてきた仕事だけに名残惜しい気もするけれど、先輩と顔を合わせるのは辛い。公私混同するつもりはないけれど、どうしたって先輩の顔を見てしまえば傷は抉られるだけだ。仕事とプライベートを分けるだけの技量が私にはまだ足りない。だから私はあの会社を去るしかない……。


「辞めなくちゃ……」


 自分に言い聞かせるように目を閉じて、涙が乾かないまま眠りの淵に落ちていった。

 

 翌朝、目覚めたのは随分早い時間だった。太陽がまだ昇ってきたばかりの時間に目覚めた私は、鏡に映る自分の姿にがっかりした。泣きながら寝てしまったので目が真っ赤になって腫れている。冷やしたタオルを瞼に乗せて少しだけ横になると、こんな朝早い時間に誰かから電話が掛かってきた。バッグにいれたままの携帯を取り出しタオルを瞼に乗せたまま電話に出ると、電話の相手は樹くんだ。


『朝早くごめん。あの、変なこと聞くけど……昨日兄ちゃんと何かあった?』

「昨日……」

『なんか兄ちゃん変だからさー。家に帰ってから何本も酒空けちゃってさ。なんか知らない?』

「……フラれた」

『え?』

「私が先輩に告白して、フラれたの。それだけ」

『……マジで? それ、ありえないだろ』

「ありえたんだけど。ごめん、まだ辛いから……切るね」

『ちょ……! 香澄ちゃ』


 ブツッと電話を切った私は、そのまま携帯の電源もオフにした。これ以上は昨日のことを穿り返されたくない。今はまだ、触れて欲しくないから。

 樹くんはありえないなんて言ってたけど、先輩の気持ちは先輩にしかわからないんだから、あまり期待を持たすようなことを言って欲しくなかった。もういいよ。もう……忘れなくちゃ。あまりにも渋沢先輩の存在が、私の中で大きく膨れすぎてしまった。だから忘れるにはちょっと時間がかかるかもしれないけれど、もう忘れなくちゃ。これは終わった恋なのだから。


 先輩、ありがとう。

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