38・砕けた二文字
い……言ってしまった……!
いや、ちゃんと自分の口から気持ちを打ち明けたいとは思っていたけれど、よりによってなぜお酒の席で私は告白してしまったのだろう。自分の頭の中で思い描いていたのは、二人きりで良い雰囲気の中、可愛らしく告白しよう、という予定を立てていたのだ。それなのに、気がつけばこれって雰囲気に流されたというか勢いというか……計画を立てるのは得意なのに計画倒れしてしまうことが殆どの私、まさにそれを今ここで証明してしまった。
「あぅ……」
どうしたらいいかわからなくて、変な言葉が出てきてしまった! 一応計画倒れとはいえ、精一杯の想いを込めて一言一句しっかりと伝えたつもりだ。でも渋沢先輩はポカンとこちらを見ているだけで何も言葉を発さないまま時間だけが流れていく。渋沢先輩は、私の告白をどう思ったのだろうか。告白してから恥ずかしくなって俯いてしまった私は、ゆっくりと顔を上げ、先輩を見つめた。おそるおそる先輩の顔を見ると、視線は膝に落とされていて拳をぎゅっと硬く握っている。しかもその拳は少しだけ震えていた。
「先輩……?」
声をかけると、ビクッと大きく肩が震えた。
その反応を見て、私はなんとなく怖くなってしまった。もしかしたら、ここで先輩から拒絶されてしまうのではないか、と。返事を待っている時間はとても長く、なんだか裁判の判決を待っているような気分になる。渋沢先輩が、私を少しでも気に掛けてくれているのであれば、それほど嬉しいことはない。でも、少しでも私という存在を隣に置くことに抵抗があるのなら、もう、先輩と前みたいに仲良くお喋りしたりできないだろう。先輩の口からどんな言葉が飛び出すか、大きな不安と少しの期待を抱えながら待っていた。すると、ゆっくり渋沢先輩の口が開きだしたが、それは……
「香澄ちゃんには、僕よりももっといい男が相応しいと思う。僕じゃ……君には釣り合わない」
「それ……本気で言ってるんですか?」
「本気だよ。僕じゃ君を支えられない」
目の前が真っ暗になってしまった。僅かに膨らんでいた『期待』の二文字。その二文字が粉々になり無残な姿に変わっていった。
確かに聞いた『好き』という言葉、先輩の口から発されたのにそれは私へ向けての言葉ではなかったのか。突然立てられてしまった先輩と私の間の壁は、もう私の力では打ち崩せそうもない。近かった先輩が、また遠くなる……『拒絶』にも近いその言葉に、私は思わず涙した。
私が一度でも先輩に、支えて欲しいなどと言っただろうか? 釣り合う釣り合わないなんて誰が決めたのだろうか? 私を遠ざける為に並べられたその言葉達は、単なる上辺の言葉ではないだろうか。本当は、私の事が煩わしい、そう思っていたけれど傷つけないように適当な言葉を並べて、体よく私の告白を断っただけではないだろうか。だったらはっきり言って欲しい。『嫌い』と。
「嫌いなら、嫌いと言ってくれればいいのに!」
先輩にそれだけ言って、私は個室から出て行った。何もかもを振り切ってただひたすら走る私は、息が乱れてもただ走っていた。走りながらそっと後ろを振り向いても、渋沢先輩の姿はなかった。追いかけてきて欲しかった。拒絶されてもどこかで望んでいたのだ。「嘘だよ」って言って欲しかった。もう、走らずにはいられないくらい、心が悲痛な悲鳴をあげていた。声を出して泣きたい、でも街中では泣けない。滲み出る涙を何度も拭いながら、ひたすら走っていった。
無我夢中で走り、電柱に手をついて乱れた呼吸を整えていた。肩は大きく揺れ、顔は俯いたまま。ただ止まらない涙だけが地面を濡らしていた。そんな時、私の背中の前で、ピタリと靴音が止まった。
「……香澄?」
後ろから私の名前を呼ぶ、懐かしい声。そっと振り向くとそこにいたのは、大好きな頼れる人。
「たろちゃん……」
安心できるその顔を見た途端、私の涙は滝のように溢れ出た。
甘えちゃいけない、だってもう大人だもん。そう自分に言い聞かせて上京した私が、久しぶりの再会にも関わらずたろちゃんに甘えてしまった。思わずたろちゃんの胸に飛び込んだ私を、たろちゃんは優しく頭を撫でてくれる。私が落ち着くまでいつも優しく頭を撫でてくれるのは昔から変わらない。
少しの間でいい。
もう少しだけ、泣かせて……。