表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/50

27・一撃必殺

 カツカツカツと私のヒール音が鳴り響く夜道に、もう一つコツコツと違う靴音が重なるように鳴り響く。人の声は一切しない真っ暗な裏道は、まるで異世界にでも繋がっている暗闇のトンネルのようだ。ポツリポツリと間隔を大きくあけて灯っている街灯以外は、住宅からも明かりが漏れていない。雨戸を閉めてしまっているのか眠っているのか、誰一人としてこの住宅街には住人がいないような寂しい通りに、言いようのない緊張感がじわりじわりと湧き上がる。すっかり忘れていたけれど、行きにも同じような靴音が私と同じような歩調で後ろからつけてきていた。別に狙われるようなことはしていないし、誰かに恨みを買った覚えもない。自分のマンションまでの道のりの途中にある街灯に照らされた町内の掲示板、それを何気なく見た時に自分の息をすぅっと呑みこんだ。その掲示板にある張り紙には『最近痴漢による被害が後を絶ちません』と書かれていた。結構な数の痴漢による被害者が続出しているのだろうか。警察は何をしてるんだー! と思いつつ、後ろからの靴音がその痴漢ではないかと思ったら、冷や汗が止まらなくなってしまった。手にもじんわりと汗が滲み、言いようのない恐怖感が私を襲う。まさか私に限って……そう思いたいけれど、頭の中には『痴漢』という二文字が何度も過ぎっては私を恐怖から解放してくれない。


「うぅ……まさか、ね」


 どうしようもなく怖くなって私は一気に駆け出した! すると同じように、いや、もしかすると私よりも速く走っているような乱暴な靴音が一緒になって走り出した!


「い……いやぁー!」


 なんとか叫び声は挙げたものの所詮女の足、遅いことには変わりない。じわじわと背後の靴音が近づいてくるとぐいっと腕を掴まれてしまった。こんな時、怖さで人間とは声が出せないものだ。喉の奥で言葉が止められてしまったように、ただ口をパクパクと動かすことしか出来ない。怖くて振り向けないけれど掴んだ腕は男の腕のようだ。私は夢中になってジタバタと動き、渾身の一発をその腕の持ち主にぶつけてやった。掴まれた反対側の腕で大きくバッグを振り落とし、男の頭にガツンと大きな一発をくれてやったのだ。すると掴まれていた腕が緩くなり、その場で跪く背後の男。私はそのまま走り去ろうとしたけれど、あまりにも怖かったので足が竦んで動けなくなってしまった。目の前に蹲る男はニット帽を目深に被りマスクをしている。必要以上に着込んだ服装からは誰なのかはわからないけれど、最近ここらで痴漢行為を働いている男に間違いはなさそうだ。肩で息をしながら男を見下ろすと遠くから声が飛んできた。


「香澄ちゃん!! 大丈夫!?」


 遠くから聞こえてくるその声は、先輩の弟の樹くん。汗をいっぱいかきながら私のところへと駆け寄ると、私の足元で蹲っている男を見て目を見開いた。


「この人、もしかして香澄ちゃんがぶっ倒したの?」

「たまたまバッグがクリティカルヒットしたみたい……」

「そ、そっか。最近この辺よく警官が見回りしてるから引き渡さないと……て、あ! おまわりさーん!」


 樹くんが大声で向こうの通りを巡回しているお巡りさんを呼び寄せた。お巡りさんは慌ててこちらに向かい蹲っている男を見て、樹くんと同じように目を見開いた。そして蹲っていた男も警察の姿を見て観念したのか、がっくりと肩を落として連行されていった。私はというと、とりあえず連絡先や名前などを警察に教えてそのまま帰宅することを許されたのだった。夜道には樹くんと私の二人だけ、そのまま樹くんに送ってもらう事になった。


「いや、まさか香澄ちゃんにそんなパワーがあるなんてねぇ」

「だからあれはたまたまで」

「それにしても一撃は凄いよー。いや、なかなかできないよ」

「もうっ! それより樹くんはどうしてここに来たの?」

「兄ちゃんが心配してたから。本当はやっぱり送りに行ってくるって何度も玄関に向かってたんだけどね、締め切り明日だったから押し留めて、で、俺が来たってわけ」

「ふぅん……そっか。先輩が心配して……そっかそっか。ふふ」


 先輩が心配してくれて何度も玄関に向かったなんて、締め切りが明日なのに私の為に……そう思ったら先輩の優しさが嬉しくてつい笑みも零れてしまう。さっきまでの恐怖はどこにいった? そう自分に問い掛けたいくらい今の私はにやけている。それは鏡を見なくても十分よくわかっている。樹くんも呆れたように溜息を吐き、私のおでこを指で弾いた。


「いったー!」

「全く……何もなかったから良かったけど、何かあったらどうするつもり? ちょっと警戒心なさ過ぎるんじゃない?」

「うっ……それは、ごめん、なさい」

「これじゃあ兄ちゃんが心配するのも無理ないか。ほんっとに隙だらけ!」

「うぅぅ……」


 年下に負けそうだ。でも、今まで生きてきた中で警戒しなくてはいけないことが何一つなかったのだ。警戒心など生まれるはずもなくて……でも、確かに私はもう少し警戒心を持たなくてはいけないかもしれない。内海先輩のことにしても深夜に一人で裏道を歩くにしても、警戒心は必要だ。渋沢先輩の言葉に浮かれすぎていたのかもしれない。私は己の行動を深く反省した。しゅんとしてしまった私を宥めるように樹くんが私の顔を覗き込む。思わず樹くんの切れ長の綺麗な瞳に吸い込まれそうになってしまい、うっかり見つめ合う形になると、私を真っ直ぐ見つめている切れ長の瞳が微笑みの形に変わる。優しい瞳の樹くんはやっぱり先輩には似ていないけれど、先輩と同じように優しい瞳を持っていた。


「行こうか。ちゃんと送るからね」

「うん、ありがとう……樹くん」

「何赤くなってるの? あ、俺に惚れちゃったか?」

「ううん、それはないから」

「……即答かよ」


 樹くんとの楽しい会話をしながら夜道を歩くと、そこにはもう怖さはない。楽しい話題は主に渋沢先輩のことばかり。樹くんは何も言わないけれど、きっと私が渋沢先輩の事が好きだと気付いているんだろうな……。まぁ、あからさまに喜んだりしてたからね。すると樹くんがすっと携帯を私の前に出して構えている。何かと思ったらアドレスの交換を申し込まれた。私もバッグから慌てて携帯を出すと、樹くんと赤外線でアドレス交換をした。無事、お互いのアドレスを交換した後、樹くんがニッと笑って私に携帯を翳した。


「家での素顔の兄ちゃんの写メ、送ってやるよ」

「ほ、ほんと!?」

「うん。仕方ないから協力してあげる」

「い、樹くん~! 可愛い写メ期待してるからっ」


 ずうずうしいかもしれないけれど、嬉しくて嬉しくて……その日から携帯が手放せなくなってしまった。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ