22・内海先輩からの衝撃
怖いくらいの眼差しで見つめられ、私は金縛りにあってしまった様に動く事ができなかった。射抜くような内海先輩の視線は、私が動くことを許してくれない。そんな内海先輩の視線に恐怖を感じていた次の瞬間、何事もなかったかのように内海先輩がにっこりと微笑んだ。女子社員を魅了する笑顔が向けられると、強張っていた体からふっと力が抜けてホッと胸を撫で下ろした。すると内海先輩はにっこり微笑んだまま私に近づいてきて、耳の傍に唇を寄せた。百八十センチという身長の内海先輩は少し屈んだ状態で私の耳に近づいてきて、こそっと何かを口にした。
「香澄ちゃんって、渋沢のことが好きなんでしょ?」
それはあまりにも唐突で衝撃的な言葉だった。誰一人として渋沢先輩に私が想いを寄せているとは思わないだろうと高をくくっていたので、内海先輩の言葉に驚きを隠せない。まるでその言葉を認めたかのように赤くなっていく私の顔からは、きっと湯気が立っているに違いない。くすっと笑う内海先輩が私の頭をポンッと乗せて、あやすように撫でる。
「やっぱりそうか。実は俺、渋沢とは高校の同級生なんだ」
「同級生!?」
「そう。だから渋沢の高校時代の話……興味ない?」
「先輩の、高校時代……き、興味あります!」
「じゃあその話をするから、今からメシ行こうか。ね? 俺は香澄ちゃんを応援するから」
微笑みを絶やさない内海先輩の笑顔は、どんな言葉よりも武器になる。魅力的な笑顔に吸い寄せられてしまいそうだ。そして、渋沢先輩の高校時代のお話を聞かせてくれるなんて言われたら、嫌でも首を縦に振るしかない。渋沢先輩に訊いても、きっとはぐらかされて訊けずじまいになることは目に見えている。それに……私の知らない渋沢先輩の高校時代のお話は、とても興味がある。私は内海先輩とご飯を食べに行くことにしてしまった。渋沢先輩には断ってと言われていたのに、これは私の我が儘だ。どうしても知りたい……そう思ったのは、先輩が明るかったのにいきなり暗くなってしまった理由がわかるんじゃないかなと、思ったから。内海先輩と二人になるのは怖いけれど、この時はそんな恐怖心などすっかり吹き飛んでいたのだ。とにかく知りたい、その思いばかりが先行していた。
結局、このまま会社を出てから内海先輩と並んで歩くと、どうやらお気に入りのお店があるらしく、そこへ案内された。案内されたお店は、イタリア料理のこじんまりしたお店だ。店内も落ち着いたシンプルな造りで、置いてある調度品や絵画などもイタリア製で埋めつくされている。暗めの照明の店内は高級そうな雰囲気で、私は自分が浮いているのではないかと思い心配していたけれど、内海先輩は驚くほどこの店に馴染んでいて不安がっている私をあくまでも自然にエスコートしてくれる。それが優しくてなんだかくすぐったかった。そして内海先輩が女性にモテるのも納得だ。女性に気を遣わせない、でもあくまでも自然にエスコートしては安心させるように微笑む彼は、やっぱり完璧。女性とこういう店に来るのは初めてではないだろう。あまりにも手馴れている。憧れていた内海先輩なのに、今こうして二人でいても何も感じない。確かにかっこいいし、優しいし、完璧かもしれないけれど、私はやっぱり渋沢先輩の方がいい。彼と一緒にいる時間は、こんな風に緊張しない。ゆったりと穏やかな空気が流れる渋沢先輩の隣が、私には一番心地良いようだ。
「一杯だけ飲まない?」
「えと、今日はお酒は……」
「軽く一杯だけ。折角のデートなんだし」
「デ、デート!?」
「こうして女性と二人きりで食事なんて……デートじゃなくて何ていうの?」
「う、う~ん……」
「ま、要は楽しめばいいんじゃないかな」
アルコールはこの前の事があるから断るつもりだったのに、気がつけばスプモンテが運ばれてきていた。イタリア料理のことはさっぱりな私は、内海先輩にスプモンテとは何かと尋ねたところ、スプモンテというのはイタリア料理の食前酒になることが多いらしく、発泡性白ワインだと教えてもらった。これでまた、一つ知識が増えた。満足そうに笑みを浮かべると目の前の内海先輩はグラスを掲げ、私のグラスに控えめに傾ける。軽快な音が鳴った後、二人でスプモンテを喉に流した。
「美味しいですね、これ」
「気に入ってもらえてよかったよ。女性ならミモザとかの方が飲みやすいかなって思ったから」
「これで十分ですよ。凄く飲み口がすっきりしてるから、飲みやすいですよ」
「そう言ってもらえると頼んだかいがあったよ」
にっこりと微笑んで内海先輩はそのまま、店員さんにコース料理を頼んだ。テーブルには順番に美味しそうな料理が運ばれてきた。前菜から運ばれてきて、次第にお腹にたまるものが運ばれてくる。メインはミラノ風カツレツ、代表的な料理が運ばれてきた。色とりどりの野菜と美味しそうな匂いが私達を包むと、それだけでなんだか少し幸せな気分になってくるから不思議だ。美味しい物は自然に人を笑顔にする、私の顔もきっとほころんでいるだろう。それを見ていたのか、内海先輩は私を見つめてにこにこと微笑んでいる。
「美味しそうに食べる女の子って、可愛いね」
突然そんなことを言ってきた。あまりにもサラリと言うので、私は普通に「どうも」と返すだけ。今思えば、先輩になんて言い方をしたのか!? とか、サラリと口説き文句みたいなこと言うな! とか、とにかく私の脳内は忙しく動いていた。イタリア料理に舌鼓を打ちながら内海先輩がようやく本題である渋沢先輩の高校時代の話を始めた。話の内容は、『とにかく顔が可愛くて誰からも好かれていた』『人に壁を作らないので、すぐにみんなに慕われていた』『人気があって男にも女にもモテていた』などなど。つまりは高校時代の渋沢先輩は明るくて人気者、そしてムードメーカーだったということだ。なんだろう、今の先輩はまったく逆の人格になってしまっているのだはないか、その頃の渋沢先輩を見たかったなぁ……そう思っていた時、内海先輩の話にはまだ続きがあった。今までは笑顔で話していた内海先輩の表情が途端に硬くなり、私から笑顔を奪う。
「渋沢は、俺の彼女を奪った男」
ポツリと低い声で呟く内海先輩の言葉は、にわかに信じ難い内海先輩の話だった。だけど寂しそうに揺れる瞳が真実だと私に告げているような気がする。渋沢先輩が内海先輩の彼女を略奪したということだろうか。
あの、渋沢先輩が……?
『略奪』という言葉が結びつかなくて、私の頭はどうもその話には否定的だ。だけど、内海先輩は悲しげな表情で……私は次に続く言葉を、ごくりと唾を飲み込んで待っていた。




