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20・もしかして、嫉妬?

 渋沢先輩のお陰ですっかり仕事が片付いて、うーんと大きく背伸びをした。その私の横で同じように背を伸ばす先輩。同時に同じ事をしている先輩と目が合うと、思わず二人して笑いが込み上げてしまう。深夜のオフィスに響く私と渋沢先輩の笑い声はなかなか収まる事がない。なんで笑ってるのかわからなくなって、さらに笑いが止まらなくなってしまった。先輩とはこうして笑うことが多くなった気がする。もしかしたら一歩二歩、先輩に近づいてるのかな。


「さて、帰ろうか。送ってくよ」

「先輩の帰り道の途中ですもんねー、遠慮せずに送ってもらいます」


 ようやく笑いが止まって先輩が送ると切り出してくれたので、私も先輩も帰り支度を始めた。そして素直に先輩の好意に甘えると、嬉しそうに笑う先輩。会社での冷たい先輩はまるで嘘のように思えて仕方がない。でも、あれは紛れもなく先輩だ。なぜ先輩は突然冷たくなったり優しくなったりするのか訊いてみたかったけれど、これを訊いたことがきっかけでまた冷たい先輩になってしまうのは嫌だった。こういう時は意気地なしの私の顔がひょこっと出てしまう。

 訊きたい、でも訊けない。

 いつもならべらべらとお構い無しに訊ける様なことも、先輩の表情を曇らせることになってしまうのではないか、嫌われてしまうのではないかと思うと、喉まで出かかった言葉を無理矢理飲み込んでしまう。好きだから怖くて訊けない、好きだから嫌われたくない、胸の内に秘めた想いを隠すように私は笑顔で渋沢先輩と歩き出した。その後、残業申請を出してあったので一階の入り口にいる守衛さんに声をかけて、部署内にはもう社員はいないことを告げて会社を後にした。先輩と肩を並べて夜のオフィス街を歩いていく。さっきから先輩はひと言も喋らずに、ただひたすら駅までの道をてくてくと歩いていた。二人の間に流れる沈黙が重くて、自分から喋りかけようとした矢先のこと、渋沢先輩の静かな低い声が私に向けられた。


「……もしかして、部長に何か聞いた?」

「う……」

「やっぱり。あの人は本当におせっかいなんだから」


 はぁっと溜息を吐く先輩の姿を見て、私もおずおずと遠慮がちに訊いてみた。


「先輩の家族のことと、先輩がアルバイトだってことを聞きました。家族のことは……その、私が口を挟むべきことではないと思うんですけど、アルバイトっていうのはどうしてですか?」


 訊いてはいけない、そう思ったけれど、どうしても訊かずにはいられなかった。どうしても気になるし、社員にならないかと言われているのに首を縦に振らない理由も知りたい。勿論、関係ないと言われてしまえばそれまでなんだけど。もう五年くらいこの会社で働いているというし、仕事もできる先輩がなぜ、社員にはならないのか。私にはそれが不思議でたまらない。すると先輩は私の質問に対して拒絶することもなく、きちんと答えてくれた。


「実は、僕には他にしてる仕事があるんだ」

「もう一つ、仕事してるんですか?」

「うん。本当はこのもう一つの仕事をするのが夢で……ようやく夢が叶ったところ。まぁ、だから会社はいつでも辞められるんだけど……その仕事だけでも食べていけるし」

「もう一つのお仕事ってなんですか?」

「……ごめん、それはちょっと。でも、時が来たら、君にはちゃんと話すよ。だから、それまで待っててくれる?」

「はい。先輩が話してくれるまで、私待ってます」


 ……とは言ったものの、気になる。もしかしたら危ない仕事なのだろうか? 食べていけるほどの収入を得られている……て事は、もしかして自分で会社を興しているとか? ああ、先輩の事もっと知りたいよ。でも、今は「ちゃんと話す」と言ってくれた言葉を信じて、先輩を待ってよう。隠さないで話してくれる日が来ると思ったら、ほんの少しだけ自分は先輩にとって特別なような気がしてしまう。それは自分勝手な思い込みかもしれないけど、やっぱり嬉しい。先輩がいずれ会社を辞めるつもりだと私に打ち明けてくれたことは嬉しくても、辞めてしまうのは寂しい。毎日会社で会えるから寂しくないけど、会社から先輩の姿が消えてしまった時、一体私はどうなるのだろう。辞めて欲しくない、でも私の気持ちを先輩に告げるのは、先輩の夢を邪魔してしまうことに繋がるかもしれない。夢だったと言った先輩の仕事を、私は応援しなくちゃいけない。自分にそう言い聞かせて、グッと言葉を飲み込んだ。せめて、先輩が会社を辞める頃までには、彼にとって一番近い存在になっているといいな。


「あのさ……」

「はい?」


 突然、言いづらそうに先輩が問い掛ける。何の気なしに先輩に返事をしたが、先輩から続く言葉が出てこない。不思議に思い彼の顔を覗き込むと、ちょっと口をもごもごさせながらもようやく口を開いた。


「……あれから内海には何もされてない?」

「内海先輩、ですか」

「うん。アイツ結構君のこと気に入ってるみたいだったし」

「……実は、社内メールでお詫びに食事に行こうと誘われてます」

「そ、そっか。……行くの?」

「正直、内海先輩と二人になるのは……怖いです」


 そう、内海先輩のお誘いには、まだ返事をしていない。会社の先輩の誘いを断るのはどうなのだろうという気持ちと、二人になった時、またあんな風にキスをされてしまったら……という気持ちがごちゃまぜになっている。あの時はお互い酔っていたし、もしかしたら内海先輩もついうっかりキスしてしまったのかもしれない。でも、もしもまた同じ事が起こってしまったら、私にはあの力強い腕を振り払う力はない。そのままずるずると、流されるように唇を重ねてしまうかもしれない。そう思ったらやっぱり二人で会う事に、どうしても抵抗があった。憂鬱に感じてしまう私に、先輩が声を掛ける。その言葉は、力強くて、何かを期待してしまうような……そんな言葉だった。


「断りなよ、内海からの誘いなんて」

「そうしたいですけど……会社の先輩だし」

「内海と外食するなら、僕が君に作るよ。今度作りに行ってあげるから、だから!」

「……だから?」

「そんな誘いに、乗らないで」


 あまりにも真剣に先輩が言うものだから、私は首を縦に振るしか出来なかった。そして、これはもしかしたら先輩が妬いてくれたのかもしれない、そう思ったら急に体中が熱くなってしまう。そしてそのまま、私に背を向けて私の手を引いて歩いていく先輩。繋がれた先輩の掌が少しだけ頼もしく感じられて、ほんのり私の中に芽生えた期待の芽が、すくすくと成長していくのだった。



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