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2・危機感ゼロ女

「ほら、ちゃんと歩かないと」

「歩いてましゅっ」

「語尾おかしくなってるよ?」

「なってましぇん!」

「……困ったな」


 不覚にも、私は相当酔っ払ってしまった。挙句の果て、渋沢先輩が家まで送ってくれたのだ。

 その送ってもらっている帰り道、ふらふらの私の体を支えながら一所懸命私の家まで送ってくれたのだ。マンションの前に着くと、先輩が私の顔を覗き込んだ。


「ここで平気?」

「平気れすっ! せんぱぁい、ども、ありがとれす!」

「あぁ……心配だなぁ」


 先輩はこんな私の姿を見て頭を悩ませているようだが、私はというとご機嫌だった。

 酔っ払ってスッカリ気分が良くなった私は、夜中にも関わらず大声で歌ってしまうくらいご機嫌だ。しかしマンションの前に着いたことで、どこか安心したのだろうか。私はそこからぷっつりと記憶を失くしてしまったのだ。

 翌朝目覚めたのは午前九時。今日は土曜日で仕事はお休み。目覚めたのはベッドの上で、スーツのジャケットはちゃんとハンガーにかけてあるし、メイクもしっかり落ちている。そしてちゃんと保湿もしてあったようで、翌朝の肌のコンディションは悪くなかった。


「……酔っ払ってもメイクとか落とせるんだなぁ」


 独り言を言いながら、頬を両手で包んだ。しっとりと潤いが残っている肌が、荒れていない何よりの証拠だ。

 うーんと大きく伸びをして、ベッドから起き上がった私はカーテンを大きく引いた。差し込む太陽の光が、朝のさわやかな時間を充実させる。私はこの時、メイクを落としたり保湿したり、すべて自分の手でやったと思っていたのだ。しかし、その事実はすぐに崩されることになった。

 それは午後のこと。あまりにも天気が良いのと、最近あまり調子が良くない炊飯器を新調したいという思いがあり、午後から買物にでかけることにした。行き先は家電量販店の激戦区と言われている場所だ。そこならなんでも揃うのでそこに行くことにした。

 しかし休日ということもあって、とても人が多い。変わった格好の女の子が歌っていたり、それを全身全霊をかけて応援する男の子がいたり、あとは外国人がたくさんいる。色々な人がいて、そんな意味でもこの場所は楽しいのだ。

 なんとなく人間観察も楽しみながら、家電量販店をはしごした。とにかく良い物で一円でも安く売っているものを探すことに集中だ。

 沢山のお店を回っていたが、結局良いと思える炊飯器は見当たらなかった。最新式の炊飯器ばかりを店員に薦められ、ゲンナリしてしまった。最新式は高い。それこそ一人暮らしの安月給OLには分不相応というものだ。一人暮らしをしているので、あまり家具にお金をかけすぎると、後々痛い目を見るのは自分だとわかっている。だからこそ、値切りに値切って買いたいのに。

 

「なかなかないもんだな……」


 ふぅっと一つ溜息を吐くと、散々歩いたせいか足が痛くなってきた。なるべくローヒールの靴を選んだつもりだったけれど、やはり足は痛くなる。仕方ないので近くの喫茶店に足を伸ばしたのだ。

 人混みの中をかきわけて行くと、目の前には静かに佇んでいる一軒の喫茶店がある。私は迷わずその喫茶店に足を伸ばした。

 

「いらっしゃいませ」


 来店を知らせるベルが、ちりんと涼しげな音を立てる。こじんまりとしたレトロな雰囲気の喫茶店は、店内も静かでとても居心地がよい。かかっているBGMもジャズなのか、どこかホッとできることも気に入った。簡単なメニューを見ると、ここは本当に最小限のものしか置いていないようだ。ケーキでも食べようかなと思っていたけれど、ケーキが無い。ケーキが無い喫茶店は初めてだ。しかも大好きな紅茶もない。その代わりコーヒーだけはこだわりがあるのか、数種類選べるようだ。仕方がないのでアイスコーヒーを頼むことにした。季節は秋になろうとしているのに、まだまだ暑い。ホットよりもアイスで、火照った体を冷やしたかったのだ。

 注文したアイスコーヒーがテーブルに置かれると、私はガムシロップとたっぷりのミルクを入れてストローでちゅうっと吸い始める。喉に心地良い快感が流れ込む。ようやくカラカラに乾いた喉に潤いが満たされて、私はホッとした。そして何気なく店内を見回しながら内心、良い店見つけちゃった! と喜んでいたのだ。

 しかし、そんな私の思いを壊すように隣に見知った人物が座った。

 ぼさっとした黒髪。瓶底眼鏡、リュックサック、その姿は紛れも無く……


「渋沢先輩!?」


 大声で先輩の名前を叫んでしまった。当然、渋沢先輩は驚きを隠せず、私を吃驚した顔で見上げている。うっかり先輩の名前を呼ぶ時に、勢いで立ち上がってしまったのだ。しかも先輩に向けて指を刺すという悪態をついて。しかし、そんな私に渋沢先輩は優しく話かけてきた。


「……びっくりした。前園さん、だよね? 私服だと綺麗になるからわからなかった」


 イキナリ渋沢先輩に会ったことにもびっくりしたけれど、その先輩が私に『綺麗』などと言うことに驚きを隠せなかった。しかも、この手の言葉に私は慣れていないので、すぐに顔が熱くなってしまう。

 渋沢先輩は知っているのだろうか。私はこういう褒め言葉に弱いということ。そして、あまり無邪気に微笑まれると、変な庇護欲が出てしまうので止めて欲しい。母性本能を擽られる行動などをされると、私はとても弱いのだ。

 そんな私などは気にもせず、先輩はお店のマスターに「いつもの」と注文している。私は首を傾げながら先輩に訊いてみた。


「先輩ってこのお店の常連さんですか?」

「え、うん。ここはしょっちゅう来るんだよ。だって凄く落ち着くでしょ? 好きなんだ、この雰囲気が」


 先輩はそう言うと、お店のマスターが近寄ってきて「いつもの」やつを持ってきた。マスターのお盆に載っていたのは、昔懐かしいナポリタン。素朴でホカホカのナポリタンが運ばれてきて、先輩は嬉しそうにフォークを手にした。そしてちゃんと顔の前で手を合わせて「いただきます」と言いながらフォークをくるくると動かし始めたのだった。

 嬉しそうに、美味しそうにナポリタンを頬張る先輩の姿は可愛らしい。その姿を見てつい、くすっと笑ってしまった。そんな私を見て、先輩がフォークに巻き付けたナポリタンをこちらに向ける。


「美味しいよ? どうぞ」


 こちらに向けられたナポリタンを私は……思い切ってぱくっと口に含んだ。しかしその行動に驚いたのは私ではなく先輩。どうやらフォークごと手渡してくれていたようだ。自分の行動に恥ずかしさを覚え、みるみる私の顔は真っ赤に染まる。恥ずかしくて、先輩の顔を見る事ができなかった。


「あの、えっと……昨日は大丈夫だった?」


 唐突に先輩が話題を振ってきたので、少しずつ先輩の方を向きながら、こくんと頷いた。すると先輩がホッとして息を吐く。その後に続く言葉で、ようやく昨日の記憶が飛んだ部分が明らかになったのだ。


「昨日は悪いとは思ったけど、マンションの前で眠ってしまった君を置いてはいけなくて。バッグから勝手に鍵を出して、郵便受けの表札で部屋を調べさせてもらったよ。それで君を部屋に運んでね、起きないもんだからジャケットだけを脱がせて、部屋にあったメイク落としを使ったんだけど……スキンケアはあんな感じで良かったのか気になって」

「せせせ先輩が、メイクを落としたりベッドに運んでくれたりしたんですか!?」

「そうだよ。ごめんね、僕が勝手なことをして……怒ってるよね」

「いえ、怒ってないです。それより、醜態を晒してしまって、ごめんなさい」


 あまりにも情けなくて涙が出てくる。

 田舎にいるお父さん、お母さん。どうやら私は、危なっかしい娘のようです。これからはもうちょっと危機感を持って生活します。

 心の中で、両親に謝る自分がいた。口に入っているナポリタンの素朴な味すら忘れてしまうほどの衝撃的な事実に、苦笑いしか浮かばなかったのだ。

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