11・ひ弱なヒーロー
先輩を引き摺って自分の部屋に上げた時、私の部屋にいる先輩はとても浮いていた。いい年して少女趣味と思われたかもしれない。私の部屋はビタミンカラーの家具やファブリックで溢れていて、地味な瓶底眼鏡の先輩はなんとも言えないくらい浮いているのだ。その空間に先輩もなんとなく落ち着かない様子で、無理矢理引っ張ってきてしまったことを急に申し訳なく思う。
「先輩、ごめんなさい。なんか無理矢理……」
「いや、いいよ。どうせ暇だし」
「そういえば、なんであんなところにいたんですか?」
「あ、いや、その……買物?」
「財布も持たずに?」
「えっと、散歩だったかな」
何かを隠しているようだ。それくらい、先輩の焦り方を見れば一目瞭然だ。気になるけど、とりあえず先輩にクッションを手渡して、テーブルの前に座ってもらうことにした。
私は簡易キッチンでお茶の準備を始め、最近買ったお気に入りのティーカップを出し、これまたお気に入りのアールグレイを淹れた。茶葉に熱湯を注ぐとアールグレイの香りが漂う。それはとても心を落ち着かせてくれた。先程の乱暴な行為を封印したくて、大好きなアールグレイを淹れたのだ。好きなものは自分に平常心と幸せな気持ちを運んでくれるから。
先輩にアールグレイの入ったティーカップを差し出し、砂糖とミルクを添えた。先輩はお砂糖をスプーンに三杯。どうやら甘党のようだ。
「甘いのが好きなんですか?」
「……あ、うん。甘い物は何でも好きなんだ」
「それにしても三杯もお砂糖入れたら、太りますよ?」
「それがね、僕はどうやら太らない体質らしいよ」
確かに。甘い物が好きだなんて言ってるけど、先輩はちっとも太ってない。むしろ細い。私の方がよっぽど太っているような気がする。先輩の細い手首を見ていると、私の手首が太く見えるのが恥ずかしくなってしまった。袖を引っ張り、ささっと手首を隠すと、それを見た先輩が首を傾げる。
「どうかした?」
「いいえ、別にっ」
「ふぅん? あ、この紅茶美味しいね」
「アールグレイです。最近のお気に入りなんです」
「アールグレイかぁ。僕はあまり紅茶に詳しくないけど……あ、昨日の喫茶店にもアールグレイあるんだよ」
「あれ? メニューには載ってなかったような……」
「裏メニューだよ。マスターが紅茶党のお客さんには出すようにしてるんだ」
「そうなんですか。今度頼んでみようかな」
先輩との他愛ない会話が楽しくて仕方がない。気構えずにお喋りを楽しめる先輩なんて、彼くらいのものだ。もっと人と線を引いているような気がしたけれど、こうしてちゃんと向き合って話していると、そんな感じはちっともない。むしろ他の友達とのお喋りより楽しいくらいだ。
紅茶を飲んでいた先輩が、ふと、真面目な表情になり、私はドキッとした。そして先輩が神妙な顔付きで話し出す。
「……落ち着いた?」
心配そうに眉を下げ、私の顔を覗き込むように訪ねる。その気持ちがとても嬉しかった。
私の気持ちとしては落ち着いたのだろう。怖い思いをしたことは忘れることはできなくても、先輩の優しさが嬉しかった。ひ弱そうな草食系男子の先輩。だけど、今の私にとって彼はヒーローだ。他の誰でもない、先輩が私を助けてくれた。ひ弱なヒーロー。
先輩の心配を拭うように私は笑顔を見せる。すると先輩の表情も笑顔に変わった。二人でにこにこと笑顔を見せあうこの時間が、少しでも長く続けばいいとそう思っていた。
「あのさ、ちょっと変なお願いしても……いいかな」
「変なお願い?」
「うん。実は手を繋いで欲しいんだけど」
「手を繋ぐって……さっきも繋いでましたけど」
「ああいう繋ぎ方じゃなくて、こう……」
そう言って先輩は私の手を取り、指を絡めた。細い指が私の手を包み、しっかりと握られている。それは俗に言う『恋人繋ぎ』というやつだ。細いのに骨ばっていてゴツゴツした関節が、先輩を男だと認識させる。意識すると急に恥ずかしさが込み上げてきて、変に手に汗を握ってしまいそうだ。
「……うん、わかった。どうもありがとう。参考になったよ」
「あ……」
笑顔で納得した先輩が、私の手から離れていく。先輩のぬくもりが離れてしまって、私はなぜだか寂しい気持ちになった。そんな私に気付かずに、先輩は立ち上がりティーカップをキッチンへと運んでいく。
「ごちそうさま。それじゃ、僕は帰るね」
「……はい。あの、ありがとうございました」
「ん。今日はあったかいお風呂にでも入って、ゆっくり眠るんだよ」
そう言って私の頭を撫でてくれる先輩。あまり目線が変わらない、背の低い先輩のぬくもりが頭にも落とされて、小さく胸が鳴る。「おやすみ」とひと言残して、私の部屋から去っていく。
絡めた指にも、撫でられた頭にも、優しい先輩のぬくもりが私に幸せな気持ちを運んでくれた。このぬくもりを、今日はずっと忘れずに過ごしたいなぁ……あったかくて穏やかな、それでいてちょっとドキドキする。こんな気持ちを抱きしめて、今日は幸せな眠りにつくことができたのだ。