1・瓶底眼鏡の地味な先輩
「なんで彼なの?」
「どこがいいの?」
「もっとかっこいい男はたくさんいるじゃない?」
女友達は口々にそう言う。
でもね
私は知ってしまったから。
彼は……見た目はダサダサかもしれないけれど、凄く優しくて誰よりも大事にしてくれると思ったから。これはまぁ、私の勘なのだけど。
見た目も趣味もまるで違う彼と私。
どうすれば彼の目に、私の姿は映るのだろう。
その瓶底眼鏡の向こうは、一体どんな彼なんだろう?
……眼鏡の向こうの彼は、私の知らない彼がいる。
でも、一歩ずつ、彼に近づけるように頑張ってみよう。
だから、私のことを少しは見て欲しいな。
***
今日も鏡の前で自分の姿をチェックする。これは毎朝、出勤する前に必ずすることだ。姿見の鏡の前で前と後ろ、髪型、歯の汚れなどをチェックして最後に笑顔の練習。それで完璧。
私、前園香澄二十二歳は今年から社会人一年生になり、勤め始めて半年経った今、ようやく仕事に慣れてきたOLだ。会社では営業部に所属している。営業部と言っても、私は外回りの方を支える営業事務の方。まだ手伝いの域を超えられないけれど、先輩に色々教わりながら毎日四苦八苦していた。でも四苦八苦しながらも仕事のコツを覚え始めたら、なんだか仕事も楽しくなってくるから不思議だ。そして社会人になって楽しみだったのが仕事の他にもう一つ。それは『出会い』。実はもう、合コンの予定は沢山詰めていた。社会人の合コンはそれはそれは粒ぞろいで、学生との合コンとは一味違う楽しさがある。みんな大人で、凄くその雰囲気に酔いしれてしまう。あぁ、私はもう社会人なんだわ、と、なんだか一つ大人になった気分なのだ。
会社へはスーツで出勤しているので、ジャケットのインナーだけはなんとなく色々考えてしまう。これは社会人としては当たり前の行為なのかもしれないが、あくまでも仕事用のインナーを選ぶ。目立ちすぎず地味すぎず。会社の後に合コンの予定が入っている時などは、会社のロッカーに私服を潜ませておくのだ。そんな社会人ライフを私は楽しんでいた。
最近は、合コンばかりの週末。でも今日は違う。
実は部署内の親睦を深めよう! という根っからの体育会系の部長の提案で、毎月一回、みんなで飲みに行くことになっているのだ。普通なら皆会社の飲み会なんてつまらないだけだ、と言うのだけれど……この部署は違う。部署内の男性は優良物件ぞろいだし、女性社員も他の部署に比べて綺麗どころが揃っている。……課長もさわやかなスポーツマンタイプで、女性社員から人気があるのだ。だからみんな月一回のこの飲み会を凄く楽しみにしている。
私もこの飲み会が楽しみな一人だ。なんといっても会社の中でも大人気の内海亮平さんという男性が、この部署にいるのだから。他にもかっこいい人はたくさんいるけれど、彼はダントツで人気がある。彼の隣の席はいつだって争奪戦。ここで女同士のバトルが必ず始まるのだ。しかし入社一年目の私は、先輩に譲らざるを得なくていつだって最後に席を決めている。なぜなら女の先輩に逆らうと後が怖いのがわかっているからだ。
「じゃあ、かんぱーい!!」
部長の爽やかな声で始まった飲み会。和風居酒屋を会場に決め、人数が多いので個室を借りた。部署内の社員数は全部で二十名ほどいるので、個室の中はとても賑やかだ。内海先輩の隣は、部署内一の美人がしっかりキープしているのを確認すると、なんだか溜息が出る。所詮、美人な先輩には敵わないとわかってはいるものの、憧れの内海先輩とお話する機会はこんな時くらいなのに……と残念に思う。
私はというと……端っこの席に座っていた。端っこの席で、ビールをちまちまと飲んでいたのだ。遠目から、笑っている内海先輩をつまみに、ちびりとグラスに口をつける。その繰り返し。
それにしてもお座敷というのはスーツのスカートを履いている人間には辛いものがある。スーツのスカートが正座をすると上に上がってしまうから。正座するとどうしてもスカートが上に上がってしまう。太腿が半分ほど露になった状態でずっと飲み続けていると、気がついたらもっと上にあがっていたなんてことはザラにある。なんとか太腿を隠したいのに、今日はハンカチを汚してしまってかけるものがないのだ。ジャケットを膝にかけるわけにはいかないし……スカートを気にかけながら、もじもじと体を揺らしてビールを飲んでいた。
そんな私の隣に座っている男性社員は、実はこの会社で一番ダサくて目立たない男。体もあまり大きくないし、スーツもなんとなくよれよれしている。瓶底のような眼鏡をかけて髪の毛はボサボサ。あ、後ろに寝癖ついてる。寝癖くらい社会人なら治してこいよ! と内心思いながら彼と距離を空けて座っていた。なんとなく彼との共通点を見出せないし、もそもそとお通しを食べている彼は、この中でも目立たない。しかし、ビールのグラスが空いてしまったのを見てしまったので、仕方なく彼に声をかけたのだ。
「渋沢先輩、ビールどうぞ」
渋沢守、私よりも五年先輩の彼は年も二十五歳で私とは三歳離れている。それなのに、彼は私よりも子供っぽく見えるのだ。笑顔を彼に向けるが、どうやら私の顔は引きつっているみたい。でも今はこれ以上、笑顔を出す事ができない。渋沢先輩がこちらをちらりと見ると、無言でグラスを傾けた。でも何も言葉も無く注がれたビールをただひたすら見つめているのだ。
……なによ! お礼くらい言ったらどうなの?
内心私は怒っていた。いくら後輩だからと言って、こういう時にお礼の一つも言えないのか! と思ったのだ。「ありがとう」と「ごめんなさい」は人として基本だろう。だからというわけではないが、彼の印象はあまり良くない。
でもこの日、彼と私の距離は少しだけ縮んだ。
「……君もどうぞ。ええと……」
「前園香澄です!」
「ああ、ごめんね。じゃあ、はい。前園さん」
信じられない! と思った。忘れるかなー、社員の名前。それくらい覚えてくれてると思っていたのに、名前を知られていないことに小さくショックを受けてしまった。それからグラスに波々ビールをつがれて、私はそれをくいっと一気に喉に流し込んだのだ。それを見て初めて渋沢先輩が笑った。
「いい飲みっぷりだね。この部署の女の子では珍しいくらいの飲みっぷりだ」
「……あはは……」
先輩と共通の話が見つからなくて、もう酒を飲んで酔っ払うしかないと思ったのだ。ビールを流し込めば必ず酔いはやってくる。そう思って何度もビールを喉に流し込んだ。しかし、やっぱり気になるスカート。どんどん上に上がってくるのが気になって仕方がない。すると渋沢先輩が自分のスーツからハンカチを取り出し、私の膝に掛けてくれた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
素っ気無い言い方だったけれど、彼の横顔はほんのり赤い。それはお酒のせいなのか、それともあまり見せない優しい部分を晒してしまったからなのか。会社での渋沢先輩はあまり仕事以外のことを話したりしない。黙々と黙って仕事だけする、がり勉タイプの人だ。そんな先輩が見せた優しい一面に、不覚にも少しだけ胸がきゅんっと刺激されてしまった。
これはきっとお酒のせいだ。
気のせい、気のせい。
そのまま私と渋沢先輩は、騒がしい中で、ただ黙々とお酒を飲み続けたのだった。
新連載始めました。
ラブコメですが、途中でシリアスもある……かもです。
元気でお洒落好きな香澄、地味で瓶底眼鏡の渋沢先輩、そんな二人の恋模様をお届けいたします。
謎多き瓶底眼鏡の渋沢守、彼を香澄が追いかける!……そんな二人をどうぞ宜しくお願いします。