表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第一章 孤独と三毛猫の出会い


1話  入学式の朝

 四月の空は、やけに澄んでいた。 冬の冷たい空気を引きずった風が、まだ少し肌を刺す。 大和近代芸術学園の正門前は、真新しい制服に身を包んだ高等部一年生たちであふれ返っていた。 笑い声。シャッター音。新しい人間関係を築くための、ぎこちない会話の応酬。

 ——その喧騒の中で、又旅来玖またたび らいくはただ、俯いて歩いていた。

 ネクタイは少し曲がっている。靴は磨きこまれていない。 髪は整えてはあるが、寝癖を無理やり水で押さえつけただけだ。 目の奥に覇気はない。

 別に遅刻しそうだから急いでいるわけではない。 むしろ、早く着いてしまった。人の波に混ざりたくなくて、早く来て、早く教室に入っておこうと思ったのだ。

 ——新しい友達? そんなもの、作る気はない。

 中学で散々学んだ。 「才能を失った天才」なんて、周囲からすれば面白いおもちゃにしかならない。 あの冷ややかな視線と、裏で笑い合う声を、もう二度と味わいたくなかった。

 校門をくぐると、左右に広がる並木道。 桜はすでに満開を少し過ぎ、花びらがひらひらと舞っている。 それは美しい光景だった。——本来なら、スケッチブックを取り出し、色鉛筆を握っていたかもしれない。 だが今の来玖に、その衝動は湧かない。 花びらはただ、視界をかすめて地面に落ちるだけだった。


2話 「孤独の三毛猫」

 入学式が始まるまでの待ち時間、来玖は教室の隅の席に座っていた。 カバンを机の横にかけ、ただ窓の外をぼんやりと眺めていた。 教室には、もうちらほらと新入生が入ってきており、自己紹介や中学時代の話で盛り上がる声が響く。

 そんな中、突然ドアが開いた。

 カツ、カツ、カツ。 規則正しいヒールの音が廊下から近づき、やがて一人の少女が姿を見せた。

 こげ茶色、オレンジ色、黄土色——三色の髪が、ツインテールとして左右に揺れている。 やや吊り目気味の瞳は琥珀色に輝き、その視線はまっすぐ前を射抜くようだった。 整った顔立ち。背筋の通った姿勢。 彼女が一歩教室に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が微かにざわめいた。

 ——双尾三夢ふたお みゆ

 入学前から噂になっていた少女だ。 美貌はもちろん、成績もそこそこだが、その性格はかなり気まぐれで、誰にでもツンとした態度をとるらしい。 だから、中等部時代から友達と呼べる存在はほとんどいなかった。 その日から一部の生徒の間では、彼女はこう呼ばれている。

 ——孤独の三毛猫。

 まさに今、その三毛猫が獲物を探すように教室を見回し、空いている席へと向かってきた。 その視線が、一瞬だけ来玖の方で止まった気がしたが、すぐに逸れた。


3話  話しかけられる

 入学式が終わり、午後はホームルームだけが残っていた。 クラスのあちこちで連絡先を交換する声が聞こえる中、来玖は一人で机に突っ伏していた。 「早く終わってくれ」と心の中で念じながら。

 その時——。

「ねぇ、アンタ」

 不意に声がかかった。 顔を上げると、そこには双尾三夢が立っていた。

 至近距離で見る彼女は、やはり人形のように整っている。 しかし、その表情は笑顔でもなく、むしろ不機嫌そうだった。

「……何?」「アンタ、なんで誰とも喋らないの?」「別に……そういう気分じゃないんで」「ふーん。つまんないヤツ」

 彼女は勝手に来玖の机の横に立ち、腕を組んだ。 その視線は挑発的で、少し面白がっているようにも見える。

「……君は僕の何?どうして声をかけるの?」 我ながらぶっきらぼうな言い方になったと思う。だが、これが精一杯だった。

 すると三夢は、口の端をわずかに上げて言った。

「アンタの友達になってあげてもいいわよ!!」

 ——その瞬間、来玖は言葉を失った。


4話  放課後の教室

 午後三時を回り、ホームルームが終わった。 教室の中は部活動の勧誘で賑やかだ。運動部の先輩たちが声を張り上げ、文化部の勧誘も負けじとビラを配っている。 そんな喧騒の中、来玖は静かにカバンを持ち上げて立ち上がった。 すっと出口へ向かう。誰とも視線を合わせず、気配を消すように。

「ちょっと、待ちなさいよ」

 まただ。あの声だ。

 振り返ると、三夢が机の上に腰をかけて、こっちをじっと見ていた。 普通なら女子がそんな仕草をしていたら男子から冷やかされるが、周囲は遠巻きに見ているだけ。 どうやら、彼女に口を出す勇気のある者はいないらしい。

「帰るの?」「……ああ」「ふーん、一人で?」「他に誰かいるように見える?」「そうね。じゃあ私も一緒に帰ってあげる」

 この唐突さに、来玖は一瞬だけ固まった。 その間に、三夢はヒラリと机から飛び降り、当然のように彼の横を歩き始める。


5話 廊下の視線

 二人並んで廊下を歩くと、周囲の視線が刺さるのを感じた。 小声で何かを囁く声が耳に入る。

「え、あの二人……?」「またたび君と双尾さん?」「なんで一緒に?」「孤独と孤独……?」

 来玖は無言で前を向いたまま歩く。 だが三夢は、そんな視線など全く気にしていない様子だった。 むしろ堂々と胸を張り、ヒールの音を響かせて歩く。

「……こういうの、好きじゃない」「なにが?」「注目されるの。僕は……」「慣れなさいよ。どうせ避けられてるんだから、変わらないでしょ?」

 簡単に言う。だが彼女の言葉には、どこか重みがあった。 それは、同じく“孤独”を知っている者の声色だった。


6. 校門前で

 校門を出ると、春の風が少し冷たく感じられた。 通学路は二手に分かれている。左は駅方面、右は住宅街へ。

「で、アンタはどっち?」「右」「じゃあ今日はそっちまで送ってあげる」「送る……って、その感じだと逆方向なんじゃないのか?」「気にしない。暇だし」

 来玖は何も言い返せなかった。 暇だというなら、わざわざ付き合う理由はないはずだ。 なのに彼女は、当たり前のように隣を歩く。


7. すれ違うクラスメイト

 住宅街へ向かう途中、同じクラスの男子二人とすれ違った。 その時、彼らの視線がチラリと来玖を刺す。 笑っているわけでもないが、あきらかに不満げだ。

「……あの二人、なんかあったのか?」「さあな。でも双尾さんがあんな風に誰かと並んで歩くとか、見たことねぇ」

 聞こえてくる声に、来玖は無意識に眉をひそめた。 これだから関わりたくなかったのだ。 だが隣の三夢は、全く気にした様子もなく、むしろ上機嫌だった。


8. 初めての笑顔

 学園が所有する来玖のアパートの前に着くと、三夢は立ち止まった。

「じゃ、今日はここまでね」「……わざわざありがと」「別に。気まぐれよ」

 そう言って、彼女はほんの少しだけ口元を緩めた。 それは、教室でも廊下でも見せなかった、柔らかな笑顔だった。

「じゃあね、マタタビ君」「……その呼び方、やめてくれないか」「嫌。だって似合ってるもの」

 くるりと背を向け、三夢は去っていった。 来玖はその背中をしばらく見送っていた。 ——あの笑顔が、なぜか頭から離れなかった。

9. 翌朝の教室

 翌朝、教室に入ると妙な空気を感じた。

 何かの話題がクラス中を駆け巡っているらしい。

 来玖が自分の席に向かうと、周囲の数人がちらりとこちらを見る。

 ——嫌な予感がした。

 机にカバンを置くや否や、後ろから軽く肩を叩かれた。

「おはよ、マタタビ君」

 振り向けば、三夢がそこにいた。

 その笑顔は、昨日の帰り際と同じく柔らかい。

 だが、その距離感の近さが、クラスメイトの視線をさらに集める。

「……おはよう」

「今日は一緒にお昼食べよ」

「いや、僕は……」

「決まりね。じゃ、あとで屋上で」

 有無を言わせぬ調子で言い残し、三夢は自分の席へ戻っていった。

 その背中を見ながら、来玖はため息をついた。

 この時点で、すでに周囲の空気は「二人は特別な関係なのか?」という疑念で満ちていた。

10. 嫉妬とざわめき

 午前の授業の合間、廊下で同じクラスの男子二人組が話しているのが耳に入った。

「おい、双尾さん、なんであんな地味な奴と……」

「マタタビだろ? 昔はすげー有名だったらしいけど、今はただの落ちこぼれだぞ」

「そういうの、双尾さんの趣味じゃないだろ」

 来玖はその会話を聞かなかったふりをして通り過ぎた。

 しかし、胸の奥に何かが引っかかる。

 自分の過去は、こうやって半端な形で噂にされるのが一番嫌だった。

11. 屋上の昼食

 昼休み、渋々屋上へ向かうと、三夢が既にベンチに腰かけていた。

 手には手作りらしい弁当箱がある。

「遅い」

「いや、屋上に来るのは……初めてで」

「ふーん。じゃあ今日は記念日ね」

 勝手にそんなことを言いながら、彼女は弁当を開く。

 色鮮やかな卵焼き、ミニトマト、照りのある鶏の照り焼き。

 どれも意外と丁寧に作られている。

「自分で作ったのか?」

「そうよ。料理は好きなの」

「意外だな」

「アンタに言われたくない」

 そのやり取りの最中、三夢はふいに箸で卵焼きを摘み、来玖の方へ差し出した。

「はい、あーん」

「……え?」

「何、恥ずかしいの?」

「いや、そういう問題じゃ……」

「いいから」

 周囲に誰もいないとはいえ、なぜか顔が熱くなる。

 仕方なく口を開けると、ほんのり甘い卵焼きの味が広がった。

「……うまい」

「でしょ? もっと褒めてもいいのよ」

 この瞬間、来玖は気づいた。

 彼女はただの気まぐれで絡んでいるわけではない。

 少なくとも、自分にだけは「特別」を見せている。

12. 小さな秘密

 放課後、三夢は再び来玖の帰り道に付き合った。

 アパートの前に着くと、彼女はふと立ち止まり、声を潜めた。

「ねぇ、マタタビ君。……アンタ、もう絵は描かないの?」

 その問いに、来玖の心臓が一瞬だけ跳ねた。

 誰もが避けて通るはずの話題を、彼女は真っ直ぐに聞いてきた。

「……描けないんだ。描こうとすると、怖くなる」

「……そっか」

 彼女はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、小さく笑ってこう言った。

「じゃあ、その怖いの、私が消してあげる」

 そして、背を向けて去っていった。

 その背中は、夕日の光を受けて金色に縁取られていた。

 来玖はその場に立ち尽くしながら、自分の中にほんの小さな灯が灯ったのを感じていた。

 ——これは、秘密だ。

 まだ誰にも言わない。彼女と自分だけの、小さな秘密。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ