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苦手な方はご注意ください。

廃嫡王子と竜の母

作者: 4103〜hk

「従いまして、国王様はヴァーミリオン王子の第一王位継承権を剥奪し、王都と王領の立入禁止を履行するよう国内外に向けて言い渡されました。またヴァーミリオン王子の実母であられるローザヴィ様には国王様からお言づけを預かっております」


今日の空模様と同じ灰色の軍服を身に纏った大男が一段と声を張り上げた。


「王子をお返しするので責任を持って面倒をみるようにとのことです!」

「……………」

「加えて王子が問題を起こした場合は連帯責任としてローザヴィ様にも重い刑罰が科されます!」

「……………」

「それではヴァーミリオン王子をお連れします」

「寒い! ここはどこだ? こんなうらびれた場所に俺様を連れてきてどういうつもりだ!!」


豪奢な外装の馬車から出てきた赤毛の青年は周囲を見回して怒鳴った。兵士は慣れた様子で聞き流し、ヴァーミリオンを取り囲むと大男の方へ行くように促す。


「押すな、無礼者! 俺様は王子だぞ!! おい、ラスト! 奴らに命令しろ!」

「……………」

「ヴァーミリオン様、こちらが貴方の実母であられるローザヴィ様です。今後はこの方に従っていただきます」

「何? 俺の母だと? このような薄汚い格好をした女が母親と言うのか?」

「はい。正真正銘貴方様の御母上でございます」

「俺の実母は出産後に死んだと聞いた。なにより貧相な体をした子供が産めるわけあるか!」

「……………」


ラストのそばにいた赤毛の少女を指差して、ヴァーミリオンはシミ一つない端正な顔を歪めた。


「帰る! こんな僻地に連れてきて、きさまの冗談に付き合えるか! 城に帰還したらここにいる全員を即解雇してやる!!」

「お待ちください、ヴァーミリオン様! 国王様の命令で貴方だけは王都に戻れません」

「ふざけたことを言うな!! 王子である俺様を置いていく気か?! 父上は何を考えておられるのだ!」

「ここまでの道中で何度もご説明したとおり、大罪を犯されたヴァーミリオン様はすでに王位継承権を失われ、実質このシャルトルーズに幽閉となりました。我々はそれを見届けるために同行したのです」

「あれは違う! 俺は嵌められたのだ!!」

「……………ねぇ」


ヴァーミリオンとラストが言い争いをしている最中にローザヴィが声をかけた。その小さくも脳を揺さぶる魅惑的な声音に二人は沈黙し、周りは息をのんだ。


「私は忙しいの。喧嘩するなら他所でして。じゃあね」

「お、お待ちください。ローザヴィ様! まだ話は終わっておりません!」

「終わってるわ。私は無関係、そこの坊やは家に帰りたい。あなた達はそれを王に報告すればいいだけ」

「いいえ、我々はヴァーミリオン様を連れて帰ることができないのです」

「なぜ?」

「もしローザヴィ様に受け入れてもらえない場合は、我々が……」


ローザヴィの問いかけにラストは意気消沈して口ごもる。それは先程まで無表情で直立していた兵士達も同じで徐々に不穏な空気が漂い始めた。


「何? はっきり言って」

「……………」

「苦労性なとこは変わってないね。あの男の尻拭いは大変でしょ」

「………そのようなことは」

「嘘つき。あんなに毛並みが綺麗だった尻尾が色褪せて薄くなってるじゃない」


彼女の記憶にある黄金色のつややかな尻尾は見る影もなく、赤茶けた毛先がちぢれている。


「顔しか取り柄がないクズ、早く死ねばいいのに」

「ローザヴィ様、それ以上仰ってはいけません」

「ふふ、この坊やと同じ目に遭うと?」

「まさか貴方様に勝てる者などこの地上にはおりません」

「うん。だから帰って。二十年前、一方的に取り上げて一度も会わせなかった子供を今さら連れてきても迷惑なだけだから」

「よろしいのですか?」

「いいよ。坊やも早くおうちに帰りたいって言ってるし」

「しかし………それでは、」

「育て方を間違えたから私に押しつけるなんて、最低なクソ男って伝えといて」

「おい! さっきから何の話をしている? 俺様にも説明しろ!!」


二人の会話に割って入ってきたヴァーミリオンはローザヴィの胸倉を乱暴に掴んで顔を寄せた。と同時に腹を殴られたヴァーミリオンは後方の馬車に激突して前のめりにくずおれた。


「ヴァーミリオン様!!」

「意外と頑丈ね。私の血かな?」

「っ、んぐぅ」


バラバラになった馬車の残骸を押し退けて這うように出てきたヴァーミリオンにラストが駆け寄る。

近くにいた兵士達は王子を殴り飛ばしたローザヴィの細腕を見て愕然と立ち尽くした。


「だ、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

「大丈夫なわけあるか! 体中が痛い!! 早く治療師を呼べ!」

「その必要はないよ、ラスト。この坊やは私がもらうから」

「はっ?!」

「本当ですか?! ローザヴィ様」

「うん、気が変わった。骨折する程度の力で殴ったけど掠り傷で済むなら、ここで暮らしていけるでしょ」

「良かったですね。ヴァーミリオン様!」

「ふざけるな! 俺様を殴ったきさまはころブッ!!」

「煩い。あとで構ってあげるから今は黙ってて」


今度はヴァーミリオンの顎を蹴り上げて鎮めたローザヴィは後ろに転回して軽やかに着地した。仰向けに倒れたヴァーミリオンは脳震盪を起こして起き上がれない。


「じゃ、ラスト。今の内に終わらせよう」

「かしこまりました。こちらが誓約書になります」


ヴァーミリオンの介抱を部下に任せて、ラストは懐から取り出した竜皮紙をローザヴィに手渡した。


「嫌味な男。…………………やっぱり都合がいいことしか書いてない。これは駄目ね」

「ローザヴィ様?」


ローザヴィから受け取った誓約書を黙読したラストは露骨に嫌悪感を滲ませた。


「坊やの世話にかかる費用はこっち持ち。何か問題があればシャルトルーズ領を没収と私の国外追放及び坊やの処刑……面倒なら即処分してもいいなんて………うん、これは駄目」

「酷すぎます」

「だから……………はい、これを代わりに見せて署名してきて。この内容以外は受け付けないから」


何もない空間から深緑色の紙と七色の羽ペンを出したローザヴィは素早く文字を書き込んで、ラストに渡した。


「見ていいよ」

「……………これは、……ローザヴィ様。ふっふふ」

「どう?」

「宜しいと思います。これに王の署名を頂ければよいのですね?」

「うん。本物なら紙は燃えてあの男の首に蔓草の模様が現れるから確かめてきて」

「承知しました」

「終わったら、これ使って」

「はっ!」

「じゃ、よろしく」


ローザヴィが笑顔で敬礼するラストに触れた直後、目の前から大きな体が掻き消えた。

「瞬間移動の魔法よ」と言って騒ぐ兵士達の前を横切り、ヴァーミリオンのそばに歩み寄ったローザヴィは未だに目覚めない息子の尻を蹴飛ばした。


「ロ、ローザヴィ様!?!」

「手加減したから大丈夫。あなたも余計な魔力を使う必要はない」


王子もとい息子に対する雑な扱いにヴァーミリオンを介抱していた治癒魔法師は呆気にとられた様子でローザヴィを見た。

外見は見窄らしい格好をした痩躯の少女が、王国屈指の強さを誇るヴァーミリオンを三度も負かした事実に兵士達は冷や汗をかく。


「あ、起きた」

「おのれぇ、この俺様を馬鹿にしやがって! 絶対に許さん!!」

「威勢だけはいいね、坊や。ラストが戻ってくるまで遊んであげる」


プチッとヴァーミリオンの血管が切れる音を聞いたのは誰か。

全身から迸る魔力は知覚できるほど真っ赤になり、淡い朱色の瞳が深紅に染まる。多くの女性を虜にした美しい顔は醜く歪んで別人のようだ。


「一瞬で殺してやる!」


ヴァーミリオンが消えたと兵士が認識した時には、すでにローザヴィと殴り合っていた。その凄まじい動きに誰一人ついていけず爆音と風圧に巻き込まれないよう必死に抵抗する他ない。


「基礎はできてる。魔法はどう?」


ヴァーミリオンの攻撃を右手であしらいながら、左手の平に炎を出したローザヴィは躊躇なく息子の顔面に押し当てた。


「ぐああぁぁあ!!」

「早く消さないと自慢の顔が爛れるよ?」


グゥウと獣のような呻き声を発しながら両手で顔を覆ったヴァーミリオンは痛みに耐えて治療魔法をかける。


竜人族の驚異的な回復力と耳長人族が得意とする複合魔法で瞬く間に傷が消えていく様子を食い入るように見ながら、ローザヴィはほんの少しだけ息子に対する認識を改めた。

どうやら無能な坊やではないらしい。


「ぅう、おまえは誰だ?」

「母親」

「違う! 今この国で俺が一番強い。強いはずだ……だがっ」


痛みは消え身体が回復しても流れた血や破れた服は戻らない。魔力の消耗も激しく、かろうじて立っている有様だ。


「答えろ。おまえは何者だ?」


王国で歴代最強の王子と讃えられた自分が目の前の子供に手も足も出ない。この信じ難い現実がヴァーミリオンを冷静にした。


「知りたい?」

「……ああ」

「分かった。全部教えてあげる。でも覚悟して。中途半端は嫌いだから諦めたら消すわよ?」


脅しとも取れる母親の言葉にヴァーミリオンは口角を上げて笑った。

そして息子の爛々と燃えるような深紅の両眼を見てローザヴィもほくそ笑む。まるで新しい玩具を手に入れた時のような表情だ。


「その前に……………あの男、さっさと署名すればいいのに往生際が悪い」

「ローザヴィ様、どうかしましたか?」

「ラストに渡した誓約書を破棄しようとしてる」

「こ、ここから分かるのですか?」

「うん。……ああ、馬鹿な男。破棄できないのに………けど、このままじゃラストが危ないかも」

「隊長が? まさか……」


ラストの実力を熟知している治療魔法師はヴァーミリオンの魔力を回復させながら王都の方を見て動かないローザヴィに問いかけた。


「王宮内は例外。あそこは無数に古代魔方式が刻まれていて王以外は自由に活動できないようになってる」

「知りませんでした」

「そうか……だから俺はあの時、」


本来は秘匿されている王宮の内部構造を喜々として暴露するローザヴィの傍らで、ヴァーミリオンは苦々しい思いで同じ方角を睨んだ。


「隊長は大丈夫でしょうか?」

「ここで待ってて。すぐに終わらせる」

「どういう意味ですか?」

「死にたくなければ絶対に動かないで」


そう言ってローザヴィは軽く地面を蹴ると上空へ飛んだ。土埃が舞う中、突然の行動に驚くヴァーミリオン達は顔を上げて更に驚愕すべき光景を目撃する。


「ぁあ、あ、あれは竜?」


治療魔法師のかすれた声がヴァーミリオンの耳に届いた。

灰色の空を巨大な緋色の竜が飛翔している。王宮を覆い隠せるほどの大きな両翼と深紅の双眸、宝石のように輝く紅い角が特徴的な炎竜。

古い書物や絵画でしか見る機会がない竜族の一柱を目の当たりにしたヴァーミリオンは、その圧倒的な存在感と神々しい姿に魅入られて熱い溜め息を吐いた。


『……………ゥ、グゥ、ググッ』


上空から低くくぐもった唸り声が聞こえてきた。

いったい何をするつもりなのか、ヴァーミリオン達が固唾を呑んで凝視していると炎竜は王都を向いて口を開けた。

次の瞬間、空を一直線に光が走る。耳をつんざく音と同時に吹き下ろす熱風の衝撃から咄嗟に防御魔法で兵士を囲い込むヴァーミリオン。想像を絶する炎竜の咆哮にビリビリと肌を刺すような痛みが走る。


「気合いを入れろ! 吹き飛ばされるぞ!!」


ヴァーミリオンは後ろを振り返って大声を上げた。その真横を暴風が地鳴りを起こして通り過ぎていく。膝をつき顔を伏せて耐える兵士や防御魔法を強化する魔法師の青ざめた形相が視野に入る。

そのあと凄まじい衝撃が二度続き、風塵で空は一層陰ると炎竜さえ見えなくなってしまった。


「どうなっている!? 王都は無事か?」

「大丈夫」

「うおっ!? え、あ、えぇ、炎竜は?」

「全部終わったから、ラストもすぐに戻ってくる」


炎竜の姿で上空にいたローザヴィがいつの間にか少女に戻って、自分の真後ろにいたことに驚いたヴァーミリオンは飛び退った。兵士の緊張感が高まる。


「さ、先ほどの炎竜はおまえか?」

「そう。吃驚したでしょ」

「ああ、初めて見た」

「凄い?」

「素晴らしかった!!」


ヴァーミリオンの素直な称賛にローザヴィはにっと笑って薄い胸を張った。その子供じみた仕草に張りつめた空気が和む。


「俺も竜になれるか?」

「生まれた時はどうだった?」

「どうとは?」

「竜人族は卵を産むの。そして周囲の環境に適した状態になると卵が割れて赤ん坊が出てくる。その時の姿が竜なら可能性がある」

「そうか……おい、そこの治療師! 俺はどうだった?」

「存じません。ヴァーミリオン様が誕生した頃を知る者はここにおりません」

「ラストは知っているのか?」

「残念ながら小官も存じ上げません」


ヴァーミリオンの質問に王都にいたはずのラスト自身が答えた。

通常シャルトルーズ領までは馬車を使っても片道一ヶ月かかる。その距離を短時間で移動させるローザヴィの非常識な力の使い方に兵士達は呆れて閉口した。


「二十年前、フォレスト王がまだ王子だった頃にローザヴィ様の妊娠が分かりました。そして急遽王位を継がれたフォレスト王は隣国と戦争を開始され、我々も戦場に赴くことが増えました。ローザヴィ様がご出産された時も前線にいて、小官が王都に戻ったのは半年後でした。申し訳ございません」

「ラストのせいじゃない。竜人族は出産後が一番弱い。それを知っててあのクソみたいな魔方式がある部屋で生んだ私が悪かった」

「ローザヴィ様……、いいえ違います。出産後の貴方様を労らずに、王太后様の命令とはいえ臣下に下げ渡した王の所業は、ヒィン!」


ラストの尻尾を強く掴んで話を遮ったローザヴィは頭を振って顔色が悪いヴァーミリオンを横目で見た。


七年前に他界した王太后は政務に忙しい父親と出産直後に死亡した母親の変わりに、ヴァーミリオンを育てた言わば親変わりだった。美しく優しい祖母は父親が再婚し弟が生まれてからも変わらずにヴァーミリオンを慈しみ愛した。いつも自分を一番に想ってくれる祖母が大好きで、彼女を事故で亡くした時は泣いて悲嘆に暮れた。

ローザヴィにとっては憎悪を抱く相手でもヴァーミリオンには唯一かけがえのない理解者だったのだ。


「昔のことはいい。それより署名はもらえた?」

「はい。王の首に蔓草模様が刻まれたところを確認しました」

「ありがとう。坊や、こっちへ来て」


ローザヴィは手招きしてヴァーミリオンを呼ぶと首を見て一息吐いた。


「うん、ちゃんと契約できてる。これで無茶な要求はしてこないでしょ」

「どういう意味だ?」

「ヴァーミリオン様は誓約書の内容をご存じですか?」

「いや?」

「これ見る?」


ローザヴィから竜皮紙の誓約書を受け取って読んだヴァーミリオンは怒りで小刻みに体を震わせた。


「なっ、んだ、そのふざけた内容は?!」

「だから書き換えた。それをラストに渡して王都に送ったわけ」

「ローザヴィ様が用意された誓約書は竜皮紙よりも貴重な世界樹の根で織った紙と鳳凰の羽ペンを使って竜血で書かれていました。その内容はヴァーミリオン様を引き取る対価として今後一切ローザヴィ様と彼女が庇護する者に関わらないことが記されておりました」

「もし破ったらクソ男の首はゴロン」

「よく父上が署名したな」

「初めは激昂されて誓約書を破棄されようとしておりましたが右塔が破壊されたことで書いて頂けました」


ラストの何気ない一言にヴァーミリオンを含む周りの兵士が息を止めた。それを気にする様子なくローザヴィは不満げに唇を尖らせた。


「中央塔を狙ったのに外れた? むぅ~あそこの魔方式と魔晶石はほんと頑丈ね」

「しかし王は腰を抜かして青ざめていましたよ」

「ふふ、それならいい。死人は出てないでしょ?」

「はい。城下は大騒ぎでしたが」

「それ、弁償しなくていいよねぇ?」

「シャルトルーズ伯爵閣下!」

「旦那様、どうしたの?」

「外が騒がしいって報告があったから来たんだよ」


いきなり現れた白髪の長身痩躯の優男に全員の目が向く。

アッシュ・フォン・シャルトルーズ。シャルトルーズ伯爵領の当主でローザヴィの夫だ。白に近い灰色の瞳と耳長人族でも滅多にいない先端が尖った耳を持つ男は、ゆっくりとした歩調で近づいてくる。

その後ろに走り寄ったローザヴィは背中をよじ登り、アッシュの肩に乗ると耳打ちして笑った。


「そっか、弁償しなくていいならローザの好きにしていいよ」

「ありがとう、旦那様」

「でも無茶はしないでね」

「わかってる」

「ん、ラスト隊長も久しぶり。けど元気とは言い難いかな」

「閣下こそまたお痩せになりました」

「ふふ、奥さんが元気だから休む暇ないよ。それよりきみの方が重症だ」


ラストの左右に揺れる赤茶けた尻尾を見てあからさまに嘆息すると、ローザヴィも「うんうん」と頷いた。夫婦揃って彼の尻尾はお気に入りなのだ。


「ね、温泉に入って行けば?」

「それはいい。きっと元の毛並みに戻るよ」

「ありがとうございます。ご厚意は大変嬉しく思いますが、我々はこのまま帰ります」

「急ぐのかい?」

「申し訳ございません」

「そう、残念」


丁寧に頭を下げたラストの向こう側にいる存在に気づいて、ローザヴィは興ざめした振りをしてぞんざいに言った。


「もう帰るのか?」

「はい、ヴァーミリオン様。どうか無理をせずご自愛ください」

「……………」

「閣下とローザヴィ様は貴方を必ず守ってくださいます。安心して健やかにお過ごしください」

「ラスト………今までご苦労だった。おまえに習った武術は絶対に忘れない」


ヴァーミリオンの前で跪き、その手に額を寄せたラストの目尻から一粒の涙が零れる。別れ際になって頭に思い浮かぶのは幼いヴァーミリオンの姿だ。

二人しか分からない会話を短く交わして、ラストはアッシュとローザヴィの前に立ち深く頭を下げた。


「閣下、ローザヴィ様、何卒ヴァーミリオン様をよろしくお願い致します」

「心配はいらないよ。任せて」

「ちゃんと鍛え直すから安心して」

「ほどほどにお願い致します」


そうして無人の馬車と兵士を引き連れてラストは去っていった。


「ヴァーミリオン様、よろしいですか?」


ラストが見えなくなるまで静かに佇んでいた青年の寂しそうな背中にアッシュが声をかけた。


「自己紹介は不要でしょう、ヴァーミリオン様。今回の件は残念でした。以前にお会いしたあなたはこのような過ちを犯す人ではなかった」

「…………………」


幼少時から神童と呼ばれ、王立学園で優秀な成績を収めたヴァーミリオンは王太后の後ろ盾もあり在学中に王位継承権を確立した。


七年前に大切な保護者を失っても自力で立ち直り、戦場では高い戦闘力で敵を圧倒し、指揮官としても類い稀な才能で自軍を勝利に導き戦い抜いた。また外交では自らの容姿を活かして王国に優位な交渉をまとめて見事な政治手腕をみせた。

そこで会ったヴァーミリオンを覚えているアッシュは今回の出来事を聞いたとき真っ先に疑惑の念を抱いた。

本当に弟を殺害しようとしたのか、と。


「旦那様は坊やを知ってたの?」

「王都や戦場で会ってるよ。きみの息子らしく強くて頼りになった」

「そう? 弱いけど」

「ははははは、きみと比べるのは可哀想だ」

「俺は、………」

「ですから僕はあなたから直接真実を聞きたかった。さあ、邸でお茶でも飲みながら話しをしましょう」


そう言って、アッシュはローザヴィを肩に乗せたまま丘の方へ歩き出した。

王国の最北端にあるシャルトルーズ領は一年の大半が氷雪に覆われる極寒地だ。今は短い夏が始まったばかりで南西から清涼な風が吹いている。


「何もない所だな」

「村さえありません。僕の邸だけです」

「どうやって生活しているのだ?」

「狩猟をしています。税金は免除されているので最低限の生活はできますよ」

「確かにこの荒れ地で作物は育たないか」


雑草が僅かに生えた砂利道を進みながらヴァーミリオンはこのシャルトルーズが罪人の流刑地になった理由を知る。

そして四年前にここへ送られたはずの彼女は今どうしているだろうと、丘の上に建つ古い二階建ての邸を見上げてヴァーミリオンは自嘲した。


「今日は殆ど何もできなかった」

「どのくらい残ってるんだい?」

「半分」

「じゃあ明日からヴァーミリオン様に手伝ってもらえばいいよ」

「何のことだ?」

「ここでの仕事です。夏の間しかできないことが多くありますので手伝ってください」

「分かった」

「あら、素直」


ローザヴィの茶化すような言い方にヴァーミリオンはムッとして顔を背けた。

ここで暮らさなければならないと決まった以上働かないと生きていけないことくらいは分かっている。王子でなくなった自分は二人にとって厄介事でしかなく、元々の契約書に従ってこの場で処分されてもおかしくないのだ。

しかしローザヴィはなぜか契約書を書き換え、アッシュは父さえ知ろうとしなかった真実を聞きたいという。

ヴァーミリオンは二人の真意を確かめたいと思った。


「……………」


三人は錆びついた鉄の門扉を通り、荒れ地に枯れ木しか立っていない庭を横切って邸の中に入った。

飾り一つない玄関から目の前の階段を登って、ヴァーミリオンはアッシュの書斎らしき部屋に案内された。

中は古びた家具と本棚しかなく、今は使われていない暖炉の上に色褪せた絵画が立て掛けられている。どうやら伯爵領の風景画らしい。グングニル霊峰が描かれている。


「どうぞ、そちらに座ってください。お茶を用意します。エンパク」

『……………』

「ただいま、エンパク。お腹空いた」

『……………』

「な、何だ?!!」


床板の隙間から立ち上るように出現した白く長細い煙に驚いて、ヴァーミリオンは咄嗟に身構えた。


「エンパクは旦那様の正妻。料理が得意で凄く美味しい」

「伯爵の妻? 透けているぞ?」

「ニ十五年前に病死した最初の妻です。正確には彼女の性格を模写した精霊ですが」

「精霊だと?!」


通常、魔素を製出する精霊は視認できない。それは魔臓器を持つ生物が常に魔素を吸収し使っているせいで存在が安定しないからだ。

だがエンパクという精霊は全身が真っ白であやふやな輪郭にもかかわらず目鼻立ちははっきりとした妙齢の女性に見える。


「どうやって……」

「その理由は後ほど説明しましょう。まずはあなたの話を聞かせてください。ローザも掛けて」


アッシュの肩から滑るように降りたローザヴィは黙ってそばの椅子に座った。そして忽然とエンパクは消えた。


「なぜこのような事態になったのか教えてください」

「分からない」

「は?」

「何も分からないから嵌められたと考えている」

「そういえばそう言ってたね。旦那様はどう聞いてるの?」

「第二王子の誕生日会でヴァーミリオン様が毒殺を試みたと聞いた。あなたがスプルース王子に贈られた水晶の腕輪に遅効性の毒が仕込まれていたそうです」

「ああ、俺もそう聞いている。水晶に反応する珍しい毒らしい」

「魚人族が住む一部の海域でしか捕れない貝の毒ですよ。皮膚に触れてもすぐに効果は出ませんし洗い流せば問題ない程度の毒です。しかし時間が経つと体温で毒性が高まり全身が硬直したのちに死亡します」

「へぇ~。で、第二王子は死んだの?」

「いや、彼の婚約者だったアンバー伯爵家のマロン嬢が亡くなったよ」

「なんで?」

「誕生日会のあとにスプルース王子が内緒でマロン嬢に貸したらしい。王子の瞳色に似た深緑水晶の腕輪だったからね」

「そうなの?」


ローザヴィの探るような目を正面から見返してヴァーミリオンは頷いた。


二ヶ月前、護衛を伴い王都の東にあるゼゼ湖に赴いたヴァーミリオンは、自ら湖底に潜って採取した深緑水晶を地元で有名な細工師に依頼して腕輪にした。

出来上がった腕輪は彼と魔法師長が安全を確認したうえで自室の机の引き出しに入れた。


「誕生日会まで誰も触れることなく、当日に俺が直接手渡した」

「だから坊やが犯人?」

「最初は腕輪を贈った張本人が犯人と考える者は殆どいなかったと思うよ。だけど日毎に彼を首謀者とする証拠が次々と見つかった」

「どんな?」

「一つは毒を入れた小瓶。従者はヴァーミリオン様に命令されて貝を入手したと証言した」

「………」

「一つは王立図書館で毒性学の書籍を借りていたこと。一つは毒を腕輪に塗布するところを使用人が見ていたこと。他にもあったけど下らなくて忘れてしまった」

「……………」


アッシュの軽い口調とは裏腹にヴァーミリオンの顔色がすこぶる悪い。てっきり怒り狂って暴れ出すかと思っていたローザヴィは拍子抜けした。


「動機は何?」

「誕生日会で急遽スプルース王子に王位継承権が与えられることになったから」

「それだけ?」

「それだけ。普通は短絡的な犯行にヴァーミリオン様が巻き込まれたと考えるだろうけど、実際はそうならなかった。王と王妃に三長官、そして二大筆頭貴族が彼を犯人と断定したからね」

「あらら」


第一王位継承権を持つ王族を処罰することは非常に難しい。特にヴァーミリオンの経歴を鑑みると更に不可能と思われた。

ところが各役職の最高権力者達が一度も議論することなく彼を重罪に処したことで、当初は懐疑的な見方をしていた多くの一般人も手の平を返したようにヴァーミリオンを非難した。


「それで坊やの意見は?」

「分からない」

「自分のことなのに?」

「俺は犯人じゃない。誰かに嵌められた。それは間違いないのに父上達は俺の言葉に耳を傾けてくれなかった。地下牢で無実を訴え、調査するように嘆願もしたが聞き入れてもらえず王都を追放された」

「「……………」」

「ここまでの道中、ラストだけは気遣ってくれたが結局何も分からない。なぜこのような事になったのか……なぜ」

「気持ちの整理がついていないのでしょう。ヴァーミリオン様、僕を見てください」


不安そうな表情で虚空に視線を彷徨わせていたヴァーミリオンにアッシュは穏やかな声で名前を呼んだ。


「ヴァーミリオン様、あなたは僕の質問に分からないと答えました。それはスプルース王子暗殺の事ですか?」

「そうだ」

「殺意を抱いたこともない?」

「無論だ。ルースは俺の大事な弟だぞ」

「ではあなたは首謀者ではない?」

「違う」

「分かりました。あなたを信じましょう」

「えっ?!」

「旦那様はそれでいいの?」

「ん、充分だよ。ヴァーミリオン様は無罪だ。何もしていない」

「な、ぜ?」

「理由ですか?」


あっさりとヴァーミリオンの言い分を信じたアッシュを、二人は目鼻口を大きく開けて食い入るように見た。その顔がそっくりでアッシュは思わず噴き出した。


「旦那様!!」

「ごめんごめん。でもやっぱり親子だね。とても似てるよ」

「むぅ~」

「ふふふ、彼を信じた理由を聞きたい?」

「うん」

「ローザには隠していたけど、きみの息子という訳もあって僕は彼を少なからず知っているんだ。ヴァーミリオン様は努力家で責任感が強くて、それを裏づける成果を出している。まぁ時々自信過剰でやり過ぎてしまうことはあるけど、基本は冷静沈着で家族思いの優しい青年だよ。その彼が大切な弟を王位継承権程度で殺害するなんてあり得ない」


最悪のはつ対面をしたローザヴィは変な表情をして首を捻り、息子の方は幼子のようにソワソワして落ち着かない感じだ。

そんな二人を交互に見て、アッシュはエンパクが用意した紅茶に口をつけると喉の奥で笑った。


「それに今回の件、彼女の時を思い出すね」

「!!」

「……彼女?」

「そう……そうね。そういうこと………」

「まだ確証はないけど調べる必要がある」

「私がやる」

「いや、僕がやろう。きみは少し暴れたから警戒されているかもしれない」

「いったい何の話をして……」

「ところでヴァーミリオン様、エンパクの紅茶はどうですか?」

「え? あ、あぁ、まだ飲んでいない」

「熱いうちにどうぞ。僕のお薦めはスプーン一杯の苺ジャムを入れて飲む方法です」

「私は蜂蜜檸檬が一番好き」

「お菓子もどうです? とても美味しいですよ」

「エンパクのお菓子は全部一級品」

「わ、分かったから。ちょっと待て」


気がつくと目の前にエンパクがいて色鮮やかな焼き菓子を並べた皿をテーブルに置いていた。その中の一つを口に放り込んだローザヴィは目を輝かせて別の皿に手を伸ばしている。

ヴァーミリオンはとりあえず一番近くにあったクッキーを取って食べた。サクッとした生地の軽い食感のあとに強烈な甘さが口内に広がる。


「……うまい」

「遊牧民だったエンパクは色んな国の色んなお菓子が作れる天才なの」

『……………』

「遊牧民……、獣の扱いに優れた民と聞いたことがある」

「エンパクは精霊を扱えました」

「精霊を? そのような事が可能なのか?!!」

「精霊は魔獣と同類。だからできる」

「精霊と言い始めたのは正光教です。それ以前は魔精蝶と呼ばれていました。個に意思はなく本能で数を増やし実体もないので捕獲が難しい魔物という認識でしたね」

「しかし精霊は消えないだろう?」

「いえ、魔素が急激に減少すると精霊は消滅します。殲滅級魔法が連発できない理由ですね。ローザの魔法は凄まじかったでしょう? おそらくあの直後のあの一帯に精霊は存在しませんでしたよ」

「そうなのか?」


菓子を両手に持って頬張るローザヴィにヴァーミリオンは好奇の目を向けた。


「ふふ、竜化については後でローザに聞くといいでしょう。話を戻します。遊牧民は自分が使役する獣を身内のように扱います。そして生まれた絆は誰よりも強くなる」

「それが彼女か?」

「はい、僕には精霊の真意は分かりません。しかし彼女はここに存在しています。紅茶も美味しいでしょう?」


ヴァーミリオンは城で飲んでいた紅茶と遜色ないエンパクの紅茶を口にして頷いた。


「よかった。まずはこの邸で気軽に魔法を使わないよう気をつけてください」

「分かった」

「あと地下階は行かないでください。見ての通り古い邸なので床が抜け落ちて崩れる可能性があります」

「承知した」

「食事は三回、昼間はローザの仕事を手伝ってください。それ以外の時間は自由に使って構いません。ただしあなたは名目上罪人ですからシャルトルーズ領を勝手に出ないでください」

「他には?」

「そうですね……これからローザの息子という立場になるヴァーミリオン様にとって僕は義理の父親となります。いきなり親子関係を築くのは難しいでしょうが伯爵と呼ばれるのは他人行儀で嫌なので、僕をパパと呼んでください」

「ブフッ!」

「ぱ、ぱ?」

「ローザはママと呼んであげてください。娘達もそうしているので」

「娘がいるのか?!」

「もうすぐ五歳になる双子の女の子です。あなたの義理妹になりますから可愛がってくださいね」

「ゲホ、ゲホッ……その呼び方は、ゲホッ!」


今まで一心不乱に食べていたローザヴィがアッシュのさり気ない一言に噴いて咳き込んだ。クッキーの欠片が気管に入ったのだろう。胸を叩きながらエンパクが差し出した水を一気に飲む。

そして一息ついたローザヴィは満面の笑みを浮かべると親指を立てて、「最高」と夫を称えた。


「パパ、ママ? 可笑しな呼名だな」

「小さな島国で使われている言葉ですよ。父親と母親の愛称みたいなものです。ヴァーミリオン様も僕らを父上母上とは言いにくいでしょう?」

「……ああ。その、やはりこの女が俺の実母なのか?」

「まだ疑ってたの?」

「真実ですよ。彼女があなたの母親です」

「そうか……」

「だからパパママです。それでヴァーミリオン様は何と呼ばれたいですか?」

「坊やで十分」

「その呼び方はやめろ」

「ちゃんと言ってほしいなら、せめて私に一撃当てて」

「今から試すか? さっきのようにはいかんぞ」


ローザヴィの挑発的な言動にヴァーミリオンがいきり立つ。カシャンと乱暴にカップを置いて自分を睨む息子を鼻で笑ったローザヴィは皿に残った最後のクッキーを上に放った。

一瞬ヴァーミリオンの視線がクッキーを追う。その直後爆発したような打撃音が室内に響き、ヴァーミリオンは壁を突き破って隣部屋の床に倒れていた。


「ローザ……」

「旦那様は坊やに甘い」

「やきもち?」

「違う」

「ふふ、ローザは可愛いね」

「揶揄ってるでしょ」

「本心だよ」

『……………』

「エンパクも笑わないで!」

「心配ないよ。僕はきみが一番大事だし愛してる」

「知ってる。けど、」

「ん、王家に深入りすることを危惧しているんだね?」

「あの女はいなくなったけど安心できないわ」

「分かってるよ。今度の事を含めて王都が……いや、王宮で何か起きているかもしれない」


辺境にいると世情に疎くなりがちで、今回アッシュが全容を知った時にはヴァーミリオンの権限は全て剥奪されたあとだった。その後シャルトルーズ領へ幽閉が決まり、内々に王命を受けたアッシュは一足先に戻ってきたのだ。


ローザヴィはそれら一切が気に食わなかった。

竜人族の力欲しさに自分から子供を奪った王太后、自分を離縁する際に子供は守ると約束して簡単に捨てたフォレスト、自分の血を引きながら下らない罠に嵌まったヴァーミリオン。争うならば勝手にやって勝手に傷つけばいいと思う。


「ヴァーミリオン様を引き受けるかはローザに任せるつもりだった」

「……………」

「きみが愛情深い人で僕は嬉しいよ」

「狡いわ」


初めはヴァーミリオンを切り捨てるつもりでいた。自分の子供とはいえ初対面同士で衝突したのだ。

ローザヴィが二十年かけて手に入れた愛する夫と娘達を害する危険性を秘めている者を近づけたくなかった。だが朱色の瞳を間近で見た時、引き取ると口を衝いて出た。


「大丈夫。こう見えて僕もきみと同じだから」

「だから心配。絶対に無理しないで」

『……………』

「ん、頼りにしてるよ」 


そう言ってアッシュは二人の妻に微笑みかけた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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