4 拒否感
美咲は香織の鑑定シートを、3日かけて3パターン作った。
「軽く」と言われたところで、ついこだわっていろいろやってしまうのも、デザイナーあるあるなのだ。
<すっごくいい!ありがとう!でもちょっとだけ調整したいところがあるんだけど、お願いしてもいい?>
香織は鑑定シートのテンプレートを受け取った後、すぐにそうメッセージを送ってきた。
<文字の位置を調整したいのと、Aタイプの通変星のマークをもう少し大きくしたいなって>
画面越しの文字でも感じる軽やかさ。本人はまったく悪気がないのだろう。
だが、美咲は無性にイラついた。
<文字位置とイラストの大きさくらい、自分で直せるでしょう。デザインソフトがなくても触れる形式で作ってるんだから>
そう返信しそうになって、少し表現をやわらげる。
<ごめん、ちょっと忙しくて。そこだけなら自分でも簡単に直せると思うから、やってみてくれないかな。どうしてもできなさそうなら、また教えて>
香織からはすぐに、
<そっか〜、やってみるね。ありがとう!>
と返事が来た。
自分の感情とは相容れない軽い返信が、美咲の胃のあたりにモヤッとしたものを残す。
次の日、美咲は目のかゆみが止まらなかった。
(花粉症だ…ここ数年は軽くなってたのに…)
翌日、病院に行こうと玄関を出ると、香織がちょうど玄関先を掃いていた。
「おでかけ?」
「ちょっと花粉症の症状が出ちゃって。眼科行ってくるね」
「5月に花粉症?」
「私、スギじゃなくてイネ科なんだ。ここ数年マシになってたんだけど、何故か今日から急に」
香織はパッと顔を明るくした。
「それ、もしかしたら周波数が乱れてるせいかもしれないよ。私、波動治療できるから、やってあげるよ」
「波動…?」
「うん!ほら、周波数が乱れると免疫力も落ちるから。波動治療で周波数を基に戻すの」
美咲には理解できない話を、香織は嬉々として説明する。
美咲は、最初に香織に対して違和感を抱いたとき、香織が周波数やオーラを整える話をしていたことを思い出す。周波数と波動がどう違い、オーラやエネルギーとどう関係するのか、美咲にはさっぱりわからない。
理解できない話を聞いている間にも、目はますます痒くなる。
「え…いや…ありがとう。でも、ちゃんと病院で診てもらうから…」
「病院って、結局薬で押さえるだけじゃん?根本にある周波数の乱れを整えないと、また出るよ?私、この間のセミナーでね…」
「…ありがとう。でも、やっぱり私は病院に行くね」
美咲はさっと背中を向けて、車に乗り込む。
(「きっと香織さんが私の周波数とか波動を乱している原因だから、あなたに治療されたところで治らないと思うし」って言いたい!けど言えない…)
香織は「気が変わったらいつでも声かけてね。気をつけて」と、美咲を見送った。
病院で処方された薬でかゆみが少しおさまったあと、美咲は帰宅した俊介に今日の出来事を離した。
俊介は一瞬の沈黙の後、「やばくない?」と言った。
「占いとかはエンタメだからいいけど、身体とか病気のことでエネルギー治療とか言い出すと、ちょっと怖いっていうか…それで悪化したら責任とれんのって感じだし…」
美咲は「だよね」とため息をついた。
「明日香ちゃんに家に来てもらうのも、考えた方がいいんじゃない?璃子に変なこと吹き込まれたら困るよ」
「でも…明日香ちゃんはいい子だよ。俊介も言ってたじゃん。おかしいのは子どもじゃなくて香織さんかもって。そうなったら、由良ちゃんや明日香ちゃんは被害者だよ」
「璃子まで影響されて被害者になったらどうするんだよ。わかってから後悔しても遅いよ」
「明日香ちゃんが家に来るときには、見ているようにするから」
美咲は俊介をなんとかなだめたが、自分が発した「おかしいのは子どもじゃなくて香織。由良や明日香は被害者」という言葉…考えが頭から離れなかった。
美咲はスマホで「親がスピリチュアルにハマった 子どもへの影響」と検索した。
出てきた体験談や記事に、息をのむ。
《親が病院に連れて行ってくれなかったので、鼻水が溜まったままで、ちくのうになった。オーラで治るわけないだろ》
《「学校が怖いのは、悪霊が憑いているからだ」と言われて、繰り返し、親が崇めているスピリチュアルマスターみたいなおばさんのお祓いを受けさせられた》
《「今日はオーラの流れが悪いから」と言われて、友達と遊びに行かせてもらえなかった》
香織の言動と、カーテンから見えていた由良の目を思い出す。
(由良ちゃんは、私に何か言おうとしていた。大丈夫なんだろうか)
隣から子どもの泣き声が聞こえてきたことはないし、明日香は健康で清潔な服を着ている。
ときどき違和感があっても朗らかな香織が、子どもを虐待するような人だとはどうしても思えなかった。
(でも…)
香織はたぶん、本気で「由良や周りの人を救いたい」と思っている。けれどそれが、「自分の信じる方法以外は間違い」と思い込んでいないだろうか。
それはいくら愛情や優しさからのものであっても、押し付けになることがある。
病院で処方された薬を見つめながら、美咲は、香織と距離を置く決意を強くした。
(でも、もし由良ちゃんが助けを求めているんだとしたら…距離をとりながら、目は離さないようにしたほうがいいのかも)
「香織さんと子どもたちは別に考えないと」
(香織さんのやり方が間違っているかどうか、私にははっきりわからない。だけど、間違っている可能性があるのに誰もが気づかないふりをするなら、それはやっぱり危ういことだと思う)
美咲は目薬を差す。刺激のない目薬は、じんわりと美咲の目に広がった。