<2・睡魔>
中途半端な気温の時が、一番面倒くさいのだ。
何故ならエアコンをつけてもらえないから。この学校のルールによると教室のエアコンは、室温が29℃を超えないとつけないということになっているらしい。ゆえに、それまでは窓を開けて我慢しなければいけないそうな。今時の学校ではちょっと考えられないブラックぶりではあるまいか。
それはこの中学校が、超のつくド田舎にあるせいなのか。それとも単に校長がケチなのかは定かではないが。
――あぢー……。
中学二年生の衣笠梨華は、窓の外を見て思わず舌を出した。窓際の席なのでおかしく思われることもない。犬のように舌を出したらちょっとは涼しくなるんじゃないのか、という希望的観測故である。
大体、制服というものがまず暑いのだ。都会の学校にいた時とは違い、セーラー服なのは可愛いと思ったけれどそれはそれ。重たい襟がこんなに暑いとは思わなかった。しかも今日はやけにムシムシする。正直、気温よりも湿度がきついというのが本音だった。
「この焔ヶ町も、昔はもっと大きな街だったわけですね」
暑っ苦しい教室に辟易している生徒たちに気付いているのかいないのか、教壇で先生は淡々と授業を続けている。二十代後半の若い女性にしては少しやぼったい丸眼鏡におかっぱ頭が特徴の、大井真知子先生だ。
「ここに、電車を通す計画もかつてはあったそうなのです。ところが、大きな軍需工場があったため、この近隣も爆撃を受けて……結果、町は焼け野原になってしまいました。不便な土地だったこともあって、生き残った人達も都会に出ていってしまい、そのまま戻らなかったというわけですね。東京ほどではありませんが、空襲で亡くなった人も少なくはなかったとのこと。中には、防空壕の中に閉じ込められたまま死んでしまった人もいたとか……」
「先生、防空壕って空襲から身を護るためのものではないんですか?なんで中に閉じ込められたまま亡くなったんですか?」
「いい質問ですね。今と違い、昔の人は知識がありませんでしたから。ましてや防空壕を掘るのも突貫工事でしたから……構造上に欠陥があるものも少なくはなかったのです。特に、この焔ヶ町にあった防空壕は欠陥が多く、閉じ込められたまま出られなくなってしまった人もたくさんいたそうですよ」
それは悲惨な話だ、と思いつつ。正直なところ、梨華はあくびをかみ殺すので必死だった。
不思議なことに、暑さで頭がぼーっとしてくるとそのまま眠気も襲ってくるのである。ただでさえ勉強は苦手だし、社会科の授業なんて眠くて仕方ないというのに。
――い、いかん。眠くなってるのバレないようにしないと。起きてるふり、起きてるふり……。
突然指されることもあるし、なんとしてでも話を聞き続けなければ。机に肘をついて、くらくらする頭をどうにか叩き起こそうと努力する。
ああ、そもそもエアコンをつけてくれないのが悪いのだ。だから暑さでぼーっとしてしまうのである。
だいたい、30℃超えないとつけないってのは何なのか。25℃の時点で世間はそれを『夏日』と呼ぶというのに。いくら、田舎の学校でお金がないからって、ケチるところを間違えるべきではないと思うのだが。
この学校も町も好きだが――こればっかりは、都会の学校の方が良かったと思ってしまう点である。
「食料の備蓄も何もない防空壕に閉じ込められてしまえば、酸欠にならずともいずれ餓死してしまうことになります。ようは、生き埋めになってしまったわけです。しかも、電気も何もないし、当時の人はスマホなんてものも持ってませんから……真っ暗な闇に取り残されることになるのです。それがどれほど恐ろしいことだったか言うまでもありません」
心の底から気の毒そうに、真知子先生は言った。
「それ以前に、一酸化炭素中毒なんて言葉も知られていませんでしたからね。有毒なガスに巻かれてなくなる人も少なくなかったのです。さらに……外が灼熱の焔ともなれば、地下も相当熱くなるのは事実。場所によっては、地下に閉じ込められたまま蒸し焼きになってしまった人もいたとか」
「ひ、悲惨ですね、それ」
「ええ、その通り。ですから戦争は、決して繰り返してはいけないのです。多くの人々の死を無駄にしないために、この町には戦争に関する記念館が建てられているのです。皆さんもきちんと学んで、次の世代に戦争の悲劇を伝え、教訓としていきましょう」
戦争。
正直、少し前までは梨華も遠い世界の話だったのは確かだ。教科書で白黒の写真を見ても、原爆の悲劇がどうのという話をされても、いまいちリアリティがないと言えばいいだろうか。もちろん、リアルのグロ画像やグロ映像を見たいだなんて微塵も思っていないが、どうにもそれが現在の平和な世の中と繋がらないのである。
もちろん、繋がらない、ことが幸福だということはわかっている。
けれど今の日本が戦争をする日がくるなんてまったく思っていないし、自衛隊が海外に派遣される、されないなんて話になったところで自衛隊と無関係の自分達にはかかわりのない話だと思っていたのだ。冷たいと言われるかもしれないが、一介の中学生の認識なんてそおんなもんなのである。
だが。
――他人事じゃない、のかな。
ここ最近は、少しだけ危機感を持った人間も少なくないことだろう。だって少し前までは誰も想像していなかったはずだ――あの超大国が、いきなり戦争をおっぱじめるだなんて。
もちろん、その何年か前にはイラク戦争なんてのもあったようだが、あれはテロへの報復と撲滅が目的であり、戦争という言葉がついていても戦争だと認識していない日本人が少なくなかったのではなかろうか(それが本当に正しいかは別として)。しかし、今回は事情が大きくことなる。ましてや、相手は日本からさほど離れていない国の話なのだ。隣国のようなもの、と言っても過言ではない相手なのである。
その戦争の結果次第では、日本も危険にさらされるかもしれない。
こちらがいくら戦争放棄を謡っていたところで、侵略されてしまうことがあっては本も子もないのである。
――……嫌だなあ。そういうの。
とはいえ。少しだけ緊張感を持ったところで、一般人に何ができるというわけでもなし。精々、少しでも早く平和が訪れるようにとお願いしたり、ちょこっと募金に参加するのが精々なのだ。
――今までも、これからも。なーんも怖いことのない、平和な日々だけ続いていけばいいのにさあ。
ふわあ、とあくびをして、結局梨華はそのまま目を閉じてしまうことになったのだった。
自分はけして意志の強い人間ではない。いつまでも睡魔と退屈には勝てないのだ。
***
「いい度胸してんね、梨華ちゃんって」
休み時間。友人の五十鈴マイが声をかけてきた。おおう、と梨華は彼女の特徴的なおだんご頭をぽんぽんと撫でる。なんとなく、マイと話す時には触ってしまうのだ。可愛いし柔らかくて気持ちよいから、というのが理由である。
「いい度胸?私が?なんかしたっけ?」
「してるしてる。大井せんせーの社会の授業で寝るとかいい度胸すぎ。大井せんせー、元々怒ると怖いけど、特に社会の授業には力入れてんだかんね?特に、この町の歴史とか、そういうのに触れた時は真剣に聞かないとマジで怒る。梨華ちゃんも学んだ方がいいんだかんねー?」
「ういー。睡魔に勝てたら頑張る……」
「そこは『勝てるように頑張れ』っての」
まったく、と呆れるマイ。彼女は、ある意味で梨華の恩人と言っても過言ではなかった。この町に引っ越して一か月。早々に馴染むことができたのは、紛れもなく彼女のおかげである。
焔ヶ町はそれなりに面積は広いが、中学校は一つしかない。しかも、各学年、一クラスずつという状態。自分達の二年生のクラスも三十二人で一クラスなので、ギリギリの状態なのだった。
先生が説明していた通り、戦時中まではもっと大きな街だったという。軍需工場があったために、そこに働きに来る若い人やその家族、兵隊さんなんかも少なくなかったがためだ。
ところが工場が狙い撃ちされたことでまるっと町そのものが焼けてしまい。焼け野原になった町を復興するのものの、出て行った人達がほとんど戻ってこなかったというのが実情であるという。まあ、防空壕の中でたくさん人が死んだだの、というのは最近初めて知ったことだったが。
小さな町や村だと、排他的な雰囲気になりやすいのは事実。自分達も、父がこの町の銀行に転勤になったことで東京から引っ越してきたのだが、正直最初は馴染めるかどうか心配であったのだ。
それの不安を吹っ飛ばしてくれた一人が、目の前の五十鈴マイである。明るく元気いっぱい、クラスの中心人物の一人だ。彼女が真っ先に声をかけてくれたおかげで、梨華もなんとかこの学校とクラスに馴染むことができた。陽キャの代表のようなキャラの彼女には友人も多い。彼女経由で友達になった子は、年上や年下にも少なくなかった。
「戦争がどうの、過去の悲劇がどうのとか言われても実感ないのはわかるけどねえ」
ふう、とため息まじりにマイは言う。
「もうこの町にも、戦時中に生きてた人なんてちょこーっとしか残ってないし?だから、そう言う悲劇を忘れないようにしようって、拘ってるのもあるんだかんね、きっと」
「そういうもんかなあ。まあ最近はウクライナ進攻とかで、若干他人事ではない感はあるけども」
「そうそう。でも、それだけじゃないんじゃないかなーってあたしはちょっと思ってるんだかんね。なんていうか、時々町の人が、なんかに怯えてるんじゃないかなーて気配を感じるというか。なんでか知らないけど」
「ふうん……」
そういうものなのかなあ、とぼんやりと思った。そういえば、この学校があった場所にも防空壕があった、みたいな話をちらっと耳にしたことがある。そこで人が死んだかまでは知らないけれど。
防空壕のいくつかは、歴史を伝えるものとして保存されていると聞いている。崩落しかかっていて危ないものが多いため、中に踏み込むことはできないそうだが(万が一洞窟っぽいものを見つけても危ないから入るなよ、とこの町に引っ越してきてすぐ忠告されたことだった)。
「昨日の夜、行方不明になった子もそうだったのかなあ。どっかの防空壕とか、そういう場所に入って出られなくなった、とかだったら笑えないよね」
それは、なんとなくの思いつきだった。しかし梨華がその件を口にした途端、マイの顔が露骨にこわばることになるのである。
彼女は引きつった顔で、マジで笑えないんだかんね、と続けた。
「あたし、いなくなった一年生の……古鷹未散ちゃんだっけ?彼女とはそんなに親しくなかったけど、それでも顔くらいは知ってるっていうか」
そう。今朝、朝礼の時間に先生が告げたのだ。
一年生の女子が、昨日の夜から行方不明なのだと。古鷹未散、というのがその少女の名前であると。
「あの子なら、やりかねないなーってのはあるんだかんね。……なんていうかその、目立ちたがりだったし、SNSの影響受けまくってたしで」