生活破綻研究者薬師と異世界の迷い人
生活破綻研究者薬師と異世界の迷い人
「ありがとうございましたー」
午前最後のお客さんを見送り、表の看板を【休憩中】に裏返した。帳簿と在庫をチェックして、うん、問題ない。ぐっと腕を上げて固まった身体を伸ばす。
さて、意味ないかもだけど声をかけようか。
「シグさーん、ご飯食べよー」
ノックをしてみても、相も変わらず返事はない。研究室に一度籠もると空腹で倒れるまで出てこないこともある仕様のない同居人だ。でもそろそろ引っ張り出さなきゃ。
なるべくそっと扉を開けると、何某かの液体が入ったフラスコを観察している横顔。一瞥もくれないところは流石の集中力だ。
ぶつぶつと呟きながら手元の紙に何か書き散らしている。ペンが止まったところを見計らって、シグさんの肩を叩いた。
「もう三日経つよ、倒れる前に休憩しよ」
「……おやヒカリさん、気が付きませんで」
ふうっと一つ息をつくと、シグさんは眼鏡を外して眉間を揉んだ。どうやらちょうどキリが良さそうだ。
数ヶ月前、私は気がつくと見知らぬ森の中にいた。間違いなく仕事帰りの電車に乗っていたと思ったのに。
宛もなく彷徨っていたところを素材を採集しにきていたシグさんに出会い、拾ってもらった。『行くところがないなら私の生活を管理してくれませんか』なんて言われて、私もよくついて行ったもんだ。
しばらく過ごしてわかったのは、ここはきっと今まで私のいた世界ではないということ。見知らぬ巨大植物に、夜の空には月っぽいものが二つ。遭遇したことはないけど魔物もいるらしい。よくあるファンタジーな物語みたい、かな?
シグさんは研究至上主義の変人だけど、必要なことは教えてくれたし、薬屋の店番という仕事ももらって本当にありがたい。彼の作る薬はよく効くけれど生活がまあ、アレなので、今までは来客にも気が付かないのが常だったらしく。店が店として機能していることにいたく感動される日々だ。近くの村から口コミが広がっているのか、少しずつお客さんも増えている。
「ヒカリさんのスープは食べやすくていいですね」
「ありがと」
軽く身支度を整えたシグさんがテーブルにつくと、いただきますをする。いつの間にかシグさんも私と同じように手を合わせるようになったな。それがなんだか嬉しいし、褒め言葉はずれているけどいつもしっかり全部食べきってくれる。……本当にこの人今まで、どうやって生活していたんだろうと思ってしまうけども。
寝床に仕事もなんとかなって、雇い主との関係も悪くはない。どうなることかと思った異世界生活、ひとまず滑り出しは順調のようです。