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花鬼蝕 -融国関連短編集-  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
花喰らえる蟲共(人間サイド)
8/12

蒼蜜蜂の怕る夢

 お祖父様は仰った。(フォン)家に入るなら、私はただの娘であってはならない。




 (ロン)王家に仕えた刺客(あんさつしゃ)・鋒一族は、かの鬼帝国侵襲の際も陰ながら奮戦し、そのほとんどが命を落とした。人を殺すのには長けていても、鬼人相手では勝手が違ったのだ。

 本家で生き残ったのは当主の胡爵(フージュエ)様ただ一人。分家も全滅同然であったという。


 胡爵様は代々受け継がれてきた技術(わざ)を後世に繋がなくてはならなかった。

 その一部はどうしても鋒家の血筋しか会得できないため、婚姻などで暗殺家業から離れて市井に下りた縁者を辿り、何人かの孤児(みなしご)を見出した。

 私はそのうちの一人だ。


 修行は厳しい。あらゆる痛みに耐え、あらゆる暴虐の手段を教え込まれ、それを実行するに足る知識と精神を叩き込まれた。

 人を殺めるのが生業ならば、慈悲や躊躇は真っ先に捨てねばならぬもの。


 見込みのない者は切り捨てられ、耐えられなかった者は去った。

 未熟さゆえに生き延びられなかった者、自ら命を絶った者さえいる。もう誰の(かお)も思い出せないけれど。

 最後まで残ったのは私だけ。それが、それだけが私の誇りであり、責務である。


 他に候補がないなら、私が『鋒家』に為らねばならない。すべての技を会得し、胡爵様の教えと血を継いで、後に繋げることが我が使命。

 誰にもこの役目は託せない。渡すつもりもない。


 ――私は、(フォン) 瑠璃(リゥリィ)

 胡爵様の『孫女(まごむすめ)』。


「動きが鈍い。止まって見えるぞ。その体たらくで我が家の奥義が修められるものか」

「……はい! 頑張ります!」

「黙れ莫迦者。威勢は要らぬ、結果を出せ」

「はいッ」


 修行は厳しい。でも嫌だと思ったことは一度もない。こと暗殺術の修練に関しては、必ずお祖父様が正しいのだから、私の努力と技量が足りないのが悪い。

 お祖父様だって悪意や憎しみによって罵るわけではない、私の未熟さでご迷惑をおかけしているのだ。

 嘆く暇があるなら鍛錬せよ。ご期待に沿えられるその日まで、ただひたすらに腕を磨くのみ。


 その一念を胸に生きてきた。


 修練の成果は実戦で示さなくてはならない。お祖父様の命を受けて、私は幾度も夜を駆けた。

 暗殺の極意とはすなわち静寂。陰に交じりて己が身を隠し、音を消して忍び寄り、初手一撃にて必殺する――死すらも悟らせるな、とはお祖父様の口癖。


 殺せ。鬼人を恐れ、我が身かわいさに王家に背いた愚かな人たちを。

 滅ぼせ。融国の故地を我が物顔で占拠している薄汚い鬼どもを。


 あらゆる『王の敵』をすみやかに抹殺せよ。光の触れぬ影に潜み、闇のみを同胞(とも)とし、尊い方をお護りせよ。

 我らが王の道を阻むもの、総てを葬る(ほこ)であれ。

 それが我ら(フォン)家の役目――と。


「フーッ……」


 顔にはねた血痕を拭うことはない。そも、誰にも悟られずに始末を終えねばならないのだから、無用な動作は一つとして行わない。

 必要なら呼吸すら面紗(つらかくし)の下に吹き消した。そうする間、私は死んでいるのと大差がないのかもしれないと思う。

 元より――すでに私は『生きて』などいないのではないか。少なくとも鋒家に身を置いた瞬間から、この命は王のものだから。


 けれども一つ……もしも私に、私自身の生命があるとするならば。

 この胸にただ一言宿る、お祖父様ではない誰かの声を、時折思い出している。


『笑いなさい、瑠璃。つらいときでも。笑顔は、ずっと忘れちゃいけないよ』


 誰かは忘れた。そのとき私は幼くて、頬を包んでいる大人の手は温かかった気がする。

 随分と真剣に言うものだから、よほど大事なことなんだろう、と幼心に思ったのは覚えている。


 お祖父様は私にあらゆるものを捨てよとお命じになったが、微笑みはそこに含まれない。だからその言葉は今もまだ魂魄(ここ)に留まっていいる。

 ……けれど、いつからか、思い返しても意図が汲めなくなっていた。


 どうして笑わないといけないんだっけ?

 つらいときって、いつ?


 今や言葉も死にかけているに等しい。されど笑顔を絶やさずにいさえすれば、ひとまず誰かの遺言を違えることにはならないだろう。

 そう、笑ってさえいれば。

 意味なんてわからなくても。理由はなくても。


 ……。



「――ねぇ弁當(ビェンダン)、どうしてもっと早く言わなかったの?」



 ひたりと冷たい風が吹いた。川べりで鬼女を嬲っていたから、濡れたままの脚衣が肌に張り付く。


 私は困っていた。お祖父様は無益な労を厭われるのに、そして尋問は私の特技のひとつだったのに、今それは水泡に帰してしまったから。

 極寒の川に沈めても鬼は口を開かなかった。笑顔ひとつ崩さないで、いつもと何ら変わりなく、尊い王子様の御心を奪うに相応しいほど美しかった。

 あまつさえ、呪符一枚と(まじない)経文(ことば)はこの手の痛みより何倍も有益なのだと示された。


 でも、別にそれはいい。弁當が優秀なのはもともと知っているから。そういう者こそ雅鳳(ヤーフォン)様に必要だから。

 決して彼の才を妬んだわけじゃない。ただ私は、己の無能が耐え難かった。


 彼の垢だらけの顔をずいと覗き込んで尋ねる。浮浪者と同じ、不衛生で近寄りがたい臭いがする。

 彼ら蘭氏(らんし)は只人にはない力の代償に、穢れとやらを負うらしい。


「どうも何も、……俺が話聞いたときゃもう、おまえは麗花(リーファ)を沈めてたろ」

「でもそのあと、ずっと見てたでしょ?」

「……縛呪が解けたりしねぇか見張ってただけだ」

「本当?」


 弁當は眼を合わせない。彼の視線はいつも地を這う。

 おかしな話だ、彼は殿下の旅路にこんなにも貢献しているのだから、もっと胸を張って天を仰いで良いのに。


「私の不手際に気づいてたんじゃないの?」

「……」

「ねぇ弁當? 私より自分がやれば早く済むってわかってたでしょ? ねぇ、ねぇ、どうして言わなかったの?」

「……俺は老鋒(じいさん)の判断に口を挟める立場じゃねぇからだよ。……、あと距離、近ぇ」

「んー。そっか。なら仕方ないねぇ。なら、……あなたは雅鳳様の()じゃ、ないね。よかった、なら()()()()()()()んだぁ!」


 私は微笑んで、彼の脇腹に這わせていた刃を仕舞った。同時に弁當の喉が小さく上下した。

 安堵したのは私も同じ。この人は有能だから、私よりもずっと雅鳳様の役に立てるから、殺すのは勿体ない。

 だから敵じゃなくて、嬉しかった。


 でも――なぜだろう?

 腹の底に落ちた淀みが、まだ晴れた気がしないのは。


(今度はちゃんと務めなくちゃ。もっと修練して……、私、何をしたらいいんだろ)


 無能な駒は要らない。かの御方が王道を切り拓くための鋒になるには、私はあまりにも足りなさすぎるのではないか……。


「……おい、瑠璃」

「ん?」


 弁當から話しかけてくるなんて珍しいなぁ、と思いながら振り向いたら、なぜか彼は悲しそうな顔をしていた。

 既視感。先刻の雅鳳様が浮かべていたそれとよく似ている。

 どうしてそんな眼をされるのかわからない。けれど、特に他の感情は要らないから、とりあえず笑顔を浮かべて答える「(なぁに)?」


「……、なんでもねえ。悪い」

「え、なになに、全然わかんない。なんで謝るの? またいつもの『穢れが移る』ってやつ?」


 彼は小さく頷いて背を向ける。まるで視線すら私に向けるのを躊躇うように。

 私はそれを、いつも心底からおかしく思う。


 だって、それじゃあまるで、なんだか私がまだ綺麗なものみたいだ。


 この手で何人殺したかなんて数えてもないし、拷問だってわりと得意だし、お祖父様の教えにはすべて従ってきた。私はすでに血塗れで、それでもまだ不出来な(なまく)らの刃。

 だから、きっと逆だ。私は汚れなくてはならない。きっともっと大勢の血を吸わねば、真に『王の鋒』になど成れはしないのだ。


 力が手に入るなら、穢れくらい幾らでも受けていい。

 恐ろしいのはそんなものじゃない。汚れることすらできないほうが、私はずっと怖い。


「ん~……、えい!」

「うわッ!? おいやめろやめろ止せ離れろ!!」


 後ろから飛びついてみたら弁當は素っ頓狂な声を上げた。ちょっとぐらい暴れられても、組み付き続けることはできるのだが、今は殺すためではないので離してあげることにする。

 でもほんの少し悲しかった。そんなに嫌がらなくてもいいのに、と思ってしまって。

 だって、そんな気遣い、暗殺者(わたし)には要らないのだから。


 ――ねえ蘭氏殿。どうしたら、あなたの穢れ(ちから)を私に分けてくれますか?




 ・** 蒼蜂可怕夢 **・



 小女 是れ蒼き血を啜るべし

 刃を握らせて 仇花を刈らん

 小女 是れ暗き(すべ)を学ぶべし

 刃を研ぎ澄ませ 潰すは禍虫


 枯娘 是れ白き毒を求むべし

 哀れ汝は(ひら)く事能わぬ影の花

 刺客 即ち蒼白き鋒の毒婦よ

 月光(ひかり)なき瑠璃藍の闇夜に奔れ

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