雨の降るわけ
「ねぇママ、雨ってなんでふってくるの?」
「ん?」
病室に備え付けられた洗面台で、紫のアジサイを活けながら振り向くと、ベッドの縁に座った千尋が窓の外を見ていた。
白い肌に、色素の薄い髪。多分この色の薄さは夫に似たのだろうと思うのだが、腕に刺さった点滴の針がなんとも痛々しい。
「そうねぇ……」
私は花瓶を出窓に置くと、カーテンを捲って外を眺めた。
強くなったり弱くなったり、梅雨独特の雨が降り続いている。
ここで「断熱膨張」とか、「水の大循環」といった言葉を使って降水現象を説明してしまうのは簡単だったが、どうもそれでは面白くない気がした。
そういえば千尋は外で、実際に雨と言うものを体感したことがあるのだろうか。思い出せない。
前に外に出たのは、いつのことだっただろうか。
だから私は、
「じゃあ……千尋は、どう思う?」
そう言って振り向いた。
「うーん………」
いっちょまえに腕を組んで考える千尋。眉間にしわがよっている。
なかなか様になっていると思ってしまうのは、親バカだろうか?
そして考える千尋を見ながら、自分も考える。何と答えたらいいだろうか。
「神様がお風呂に入るから」……じゃ、なんかロマンチックじゃないな。
「空の国で『水をまくこと』は一種のスポーツだから」……って、最早何だか分からないな…
「風に吹かれた雲がちぎれて、溶けて雨になるから」……これはどうだろう?
……どれも何だかイマイチだ。
大人しく「水の大循環」で「川の水が海に行って、蒸発して雨になって、また川になる」って言った方がいいかな……
「わかった!」
私がぼうっと考えていると、不意に千尋が膝を叩いて叫んだ。
「オオカミさんがね、空で泣いてるんだ!」
「オオカミさん?」
なんのこっちゃ。私が少し驚いて返すと、
「うん」
自信満々で千尋は頷いた。
「太陽を取りに来た、オオカミのムクだよ!」
「………あー」
そう言えばそんな絵本をこの前読んだ、ような気がしないでもない。
確か、どこかの民話だったと記憶している。
‡ ‡
――昔昔の話。
ある所に一年中冬の、闇の世界があった。
その国には光がないので、作物もロクに育たず、疫病も蔓延していて、民の苦しみに闇の女王は心を痛めていた。
ある時、「他の世界の空には、『熱い光の塊』と『冷たい光の塊』が存在する」ということを聞いた女王様は、国の中で最も大きく、最も走るのが速く、最も強い、ムクという名のオオカミに、「その光の塊を取ってこい」と命じた。
いくら足が速く、強く、大きいオオカミだといっても、ムクがこの世界に来るまでは長い時間を要した。
疲れ果てていたけれども、ムクは、まず「熱い光の塊」……太陽をくわえて持ち帰ろうとした。しかし太陽は熱すぎて、体が燃えそうになってしまい、いくら彼でもそれを持って国に帰るのは不可能だった。
すごすごと国に帰ると、女王様はとても残念がったが、太陽が熱くて駄目だったのなら、今度は「冷たい光の塊」を取ってくるように、とムクに命じた。
ムクはまた長い道のりを走り、女王様の言いつけどおり「冷たい光の塊」……月をくわえて持ち帰ろうとしたが、今度は冷たすぎて、体中が凍ってしまいそうになり、やはり彼にはそれを持ちかえることができなかった。
今ではムクも年を取り、昔のような元気はない。
しかし、それでも時々日食や月食があるのは、彼が今でも太陽や月に噛み付いて、そのほんの欠片でもいいから、祖国に持ち帰るために挑戦し続けているからなのだ。
‡ ‡
………哀れな話だ。
その天狼が泣くから……
だから、涙が、降る。
「なるほど……ね…」
私は呟いた。
もし、千尋が「分からない」と言ったら教えてあげようと思っていた答えは、どこかへ吹っ飛んでいた。
……子供には、適わない。
「……どう?」
そう言ってニコニコと笑う千尋の頭を、
「その通りだよ!!」
私は思い切りくしゃくしゃに撫でて、抱き締めた。
親バカかもしれない。
でも、千尋がそういう答えを出したことが、何だかとっても嬉しかったのだ。
「あっ、虹が出てる!」
また窓の外を指差して、千尋が叫んだ。
「ムク、泣き止んだんだね!」
そう言って、とても嬉しそうに笑う。
「そうだねぇ」
「ムク、見てるかな、虹」
「そりゃあ見てるでしょう。何てったって空にいるんだから、私たちより綺麗に見えてるに違いないよ」
とりあえず私は、もっともらしい説明をつけて、したり顔で頷く。すると千尋は虹を指差して、
「ねえママ、虹ってどうやって出来てるの?」
そう言って、可愛く首をかしげた。
「……えっ?」
今度はそう来るか!
「雨が降るのはムクが泣くから」と言っておいて、今更「虹が出来るのは、空気中の微小な水滴がプリズムの役割をするからです」なんて説明できないじゃないか!
「えーっと……千尋は、どう思う?」
少し困って、私はまた思考を千尋に任せることにした。
私が考えるよりも、素敵な「虹の理由」を考え付くだろうから。
「そうだなぁ……えっと、えーっと…」
また千尋は腕を組んで考え始めた。
今度は、どんな回答が出るのだろうか。
いつか、千尋も『雨の降る理由』を知る日が来るだろう。
でも、ムクのことを、忘れないで欲しいと、思う。
‡ ‡
病院の外に出ると、もう天は綺麗な青空となっていた。
ムクは……どうしたのだろうか。
「まあ……太陽や月がなくなったらなくなったで、困るんだけどね」
私はそう空に呟いて、
そして、歩き始めた。
ムクは、これからも挑戦を続けるだろう。
辛くて、悔しくて、泣く日もあるだろう。
太陽や月を持ち帰るなんて、到底無理に違いない。
けれども、決して、諦めないのだ。
……祖国に光が輝く、その日まで。
〔終〕




