第987話 吊られた因果
黒装束の男レーヴィは、ユウセイが怒りに我を忘れて飛び掛かってくる姿にニヤリと口角を上げる。そして、次の瞬間、ふらりと横に傾き、そのまま連絡路の端から下の湖に落下する。
「なっ!?」
ユウセイは、そのレーヴィの不可解な行動に呆気に取られて、湖に落ちたレーヴィを確認しようと、連絡路の端から身を乗り出し、湖を確認しようとした、その瞬間!
ヒュッ
ユウセイが、橋の欄干から覗かせた頭に、細いワイヤーが被せられる。
「はぁ!?」
驚きの声を上げた次の瞬間には、ワイヤーは首に掛かってぎゅっと引き締まり、そのままユウセイの身体ごと、湖に落下させようとする力がかかる。首が締まる瞬間、ユウセイの脳裏に初めて「死」がよぎった。だが、その感情は恐怖ではなく、「こんなはずじゃない」という歪んだ拒絶だけだった。
「ぐっ!」
ユウセイはその力に抗おうと、足を踏ん張り、片腕でワイヤーに指を掛けようとするが、ギリギリと首を絞めるワイヤーが首に食い込もうとするため、慌てたユウセイは、剣を捨てて両手で首のワイヤーを掴む。
カランカラン…
「ギギギ…」
投げ捨てた剣が金属音を立てて転がる中、細いワイヤーはユウセイの指に食い込み、皮と肉を裂いて骨で止まり、指と一緒にユウセイの首を絞めあげ、ユウセイは通常ではありえない苦痛のうめき声を漏らし始める。
そして、首の絞め上げにより、一瞬、意識が遠のき始めた時に、ユウセイの首を絞め上げながら湖に引きずり落とそうとする力が、ドンと強まり、ユウセイはその力に抗う事が出来ずに、連絡路から湖に落下する。
「ウギャッ!!」
落下するユウセイは踏み潰されたカエルのような短い悲鳴をあげて湖に落下すると思われたが、途中で弧を描くように連絡路の真下に引き寄せられ、そこから、首に掛かるワイヤーに自身の体重がグッとかかり、指と首が分断されそうになる。
「ヒィギッ!」
ユウセイは白目を剥き、口から泡を吹きそうになるが、突然、首のワイヤーに掛かる力が緩和される。レーヴィがユウセイの後ろから足で挟み込むようにユウセイの身体を支えたのだ。
「捕まえた!! 捕まえたぞぉっ!!」
レーヴィは目を見開き、狂気じみた歓喜の声を上げる。彼はユウセイを助ける為に身体を支えたのではなく、更なる苦痛を与える為に身体を支えたのだ。
今、レーヴィとユウセイの二人は、連絡路の2メートルほどの真下、湖面からは6メートルの高さで、ワイヤーを使ってぶら下るミノムシのようになっていた。
レーヴィはユウセイの身体を挟み込む足の力をぐっと引き締め、逆にユウセイの首を絞め上げるワイヤーをほんの少しだけ緩める。
「よぅ! クズ野郎! お前にようやく復讐を遂げる時が来たようだっ!!!」
レーヴィはユウセイの耳元で狂気じみた声を上げる。
「…なっ! なんだよ!! てめぇはっ! 俺はてめぇなんて知らねえぞ!!」
首に締まるワイヤーが少し緩んだユウセイは、依然苦しい呼吸で言い返す。
「おめぇは知らなくてもよぉ… 俺の魂が覚えてんだ!! おめぇだけは絶対に許されねぇクズ野郎だとよぉ!!!」
その言葉と同時に、激痛と共にユウセイの右目の視界が奪われる。
「ギャァァァァァァ!!!!」
レーヴィはユウセイの右目に短剣を突き刺したのだ。
「おめぇはよう、寄生魔に寄生されてっから、どんな傷でも治っちまうんだろ? なら短剣を突き刺したままならどうなるんだ? ほら、治してみろよっ!!」
そう言って、レーヴィは突き刺した短剣をグリグリと動かす。
「ヒィギャァァァァァァ!!!」
「治せねぇのか? おい、治してみろよっ!」
「痛てぇぇぇ!!! 痛てぇって言ってんだろ!!! てめぇっ!! 絶対に許さねぇっ!! 顔覚えたからなぁっ!!!!」
右目の視界が奪われても、ユウセイは痛みよりも「自分が見下されている」事実に心をざらつかせた。彼にとって世界は常に、他者を踏みつけるための舞台に過ぎなかった。だから、ユウセイは未だ状況を弁えずに罵声を上げる。すると、今度は左目が激痛と共に視界が奪われる。
「ヒィギィィィィィィィ!!!」
「なら、両目の視力を奪わせてもらうまでだ…どうだ? 俺の姿が見えるか?」
豚のような悲鳴をあげるユウセイの耳元で、レーヴィは半笑いの声で囁く。
ユウセイは意識が激痛の感覚で埋め尽くされる中、僅かに残された思考でこの状況を脱する方法を考える。
そして、縋りつき絞り出すような声を漏らす。
「…しょ…しょう…かん…」
その言葉と同時に、ユウセイとレーヴィの側に阿修羅や仁王のような形相の人物が現れる!
だが、ここは連絡路の下の空間、その鬼神のような人物は重力に従い、湖に向けて自由落下をする。
「ハハハッ! おめぇが鬼神って奴を呼び出すのは分かってんだよっ! だから、お前をわざわざこんなところに吊るしてやってるんだっ!!」
「ヒィギャァァァァァァ!!!」
「…ぐぬぬ…」
レーヴィは湖面に落ちて恨めしそうな声を漏らす鬼神を笑いながら、ユウセイの耳に千枚通しのようなものをザクザクと突き刺す。
そのユウセイの叫びに鬼神はユウセイを助け出そうと、水面から飛び上がるが、水面から連絡路までの高さは10メートルほどあり、流石の鬼神でもただ飛び上がろうとするだけでは全く届かない。
(……助けられて当然だ。俺を助けるのは世界の義務だ。)
ユウセイの思考は、痛みによってより幼児的な傲慢へと退行していく。両目に短剣を刺されて、周りの状況が全く分からないユウセイは、猛烈な痛みを受けながらも絞り出すような絶叫の命令を叫ぶ。
「何やってんだよぉぉぉぉ!!! 早く俺をたすけろよぉぉぉぉぉ!!!! んぐっ!?」
そんな絶叫を上げるユウセイの口に、レーヴィは何かを放り込む。それが何物であるかは続くユウセイの絶叫が、ユウセイを傷めつけるものであることを示していた。
「ヒィギュァァァァァァァァァ!!!!!!」
「ハハハ! 良い鳴き声だなっ! ユウセイ! おめぇの口の中に放り込んだのは、加熱していく魔法の玉だっ! お前の為だけに作ってもらった特注品だぜ? どうだ! 美味いだろっ!!」
レーヴィがユウセイに飲ませた魔法の玉は、口内と食道を焼きながら体内を下り、胃袋の手前、寄生魔のコアの近くの食道の肉壁に焼き付いて、ユウセイの身体を内部から焼いていく。確かに痛みは激烈だったが、それ以上に彼を狂わせたのは、“自分の身体すら思い通りにならない” という屈辱だった。
「お前の身体は寄生魔の力で、何度でも癒されるんだろ? じゃあ、身体の中から焼かれ続けるのはどうだ!? あの時の俺と! セットの苦しみはこんなもんじゃねぇーぞっ!!!!」
もはや、ユウセイはレーヴィの言葉に応えることができない。それは体内で加熱し続ける魔法の玉がユウセイのコア近辺の肉を焼くだけではなく、血を煮えたぎらせて、その血が身体全身のみならず、脳までも煮えたぎらせ始めたのだ。
その様子を鬼神は黙って見ているのではなく、湖の中を底まで深く潜って、勢いをつけてユウセイ目掛けて飛び上がろうする。
「ぬんっ!!!!」
「おっと!」
しかし、鬼神の力をもってしても水面から4メーター程の高さにしか飛び上がれず、湖面から6メートルほどの高さにいるユウセイを助け出すには及ばない。そうしている間にも、ユウセイの目や口、顔の穴という穴からは、圧力鍋のように水蒸気を噴き出し、肉の焼ける匂いを漂わせながら身体全身からもゆらゆらと煙を上げ始めていた。
すると、ようやく今になって、本城の方から騒ぎを聞きつけてきた者が、わらわらと現れ始める。
「そろそろフィナーレだな…魔法の玉が弾ける時間だ… おい、鬼神…そんな恨めしそうな目で俺を見るなよ、こいつはそこまで忠義を掛ける程の人間なのかよ?」
レーヴィは、水面でレーヴィたちを見上げる鬼神にそう告げる。だが、鬼神はレーヴィの言葉が分からないのか、分かっていてもそんなことは関係ないのか、レーヴィを睨み続ける。
「じゃあ、あばよ、ユウセイ、おめぇが何度生まれ変わろうとも、俺とセットの為に…何度生まれ変わっても、探し出して殺してやるよ… それが嫌なら、もうこの世に出てくんな」
それは祝福にも似た呪いの宣告だった。
その呪いの宣言を残すと同時に、レーヴィの身体は一瞬に消え去り、その後すぐ、ユウセイの身体は轟音を立ててはじけ飛ぶ。そして、鬼神が浮かぶ湖の上にポタポタと肉片が落ちていき、鬼神は無感情にその様子を見上げるだけであった。




