第1010話 降臨
アネレイトスの周りに無数に現れる巨大な神の拳。その尋常ならざる光景に、ここにいる者たちはみな驚愕のあまり、息をするのも忘れて唖然とする。
「な…なんだい…あれは…あんなの見たことが無いわよ…」
普段は豪胆不敵なマイティー女王も流石に畏怖を感じて唖然とする。
「あ…あれが…神々の力というものなのか…!?」
オリヴェルですら、アネレイトスの強大な力に驚愕する。
「あれはもう! 人類の力でどうこうできるものではない! どうするんだ!」
冷静沈着なサイリスですら、動揺し困惑する。そこへランベルトが声を上げる。
「皆さん! すぐに塹壕の中へ! どれほど持つかは分かりませんが、棒立ちしているよりましですっ!!!」
ランベルトが緊迫した悲壮な声を上げて、援軍に来た者たちに塹壕へ避難するように誘導する。
その頃、城にいた俺は、アネレイトスの姿を見て、全身に泡立つような戦慄を感じていた。
「ついに! ついに始めやがった!! ミリーズ!!!」
俺は離れた場所で儀式を行うミリーズを見る。
ミリーズは祭壇に巨大なクリスタルを掲げ、一心不乱に祈り続ける領民に囲まれて必死に儀式を行っていた。
「さぁ! 断罪の時よ! その身で罪の重さを思い知るがよい!!」
アネレイトスの周囲に浮いていた神の拳が唸り音を立てて撃ち出される!!!
「おぉ神よ!
現世から離れても偉大なるその魂は、天にあっても我らの照らす道標!
我ら、今、生あるものは、恐れ、嘆き、祈り、そして信じる!
その偉大なる魂との再会を希求するものなり!
我らが捧ぐは聖体、我らが捧ぐは信仰なり
その御前に捧ぐは御前の器!
天の扉は開き、器は満ち、我らの呼び声は天に木霊した!
今この時、神意よ! 地に降りたまえ!
そして、我らに希望の光を照らしたまえ!
O Maristine, Dea Novae Misericordiae! Revela praesentiam tuam divinam ante nos!」
ミリーズの儀式が完成した瞬間、クリスタルの中に眠っていた少女の瞳が開かれる!
――世界が、一瞬、静止した。
次の瞬間、クリスタルにヒビが入り、砕けると同時に無数の巨大な神の掌が現れる!!
ドシンッ! ドシンッ! ドシンッ!
そして、アネレイトスの撃ちだした神の拳を全て受け止めたのだ!!
「なっ」
その予想外の光景にアネレイトスは呆然と小さく声を漏らす。
敵も味方も、何が起きたのか事態を把握できずに唖然としている中、少女は、何事も無かったかのように、服に残ったクリスタル片を叩きながら、声を漏らす。
「ホント…無茶苦茶しますね… イチローさん」
そう言いつつも少女は俺に微笑み掛けてくる。
「マ…マリスティーヌ…」
そう、クリスタルの中にいた少女…いつも同じ修道服を身に着け、大食いなのに動き回っているから小柄で華奢な身体、屈託のない笑顔――ミリーズが降神の儀で降臨させたのは、マリスティーヌ本人なのだ。
その懐かしく…そして、生前と同じ声・動き・微笑むマリスティーヌの姿に俺は胸が熱くなり、自然と涙が零れ落ちる。
「なるほど…イチローさんは私が神様になったことを知っていたから、私の遺体を使って私を降神させたのですね…」
ドシンッ! ドシンッ! ドシンッ!
マリスティーヌはのん気に自分の身体の感触を確かめながら、アネレイトスが再び撃ちだしてきた神の拳を、神の掌で事も無げに受け止める。
そして、真剣な顔をしてアネレイトスに向き直る。そして、数秒の沈黙が、戦場を覆った。
「あなた… 何者かしら?」
アネレイトスは平静を装い、すまし顔でマリスティーヌに尋ねる。
「私ですか? 私はただの小娘ですよ。それよりもあなたこそ何をしているのですか、アネレイトスさん…いえ…元慈悲の女神フィリアさん」
マリスティーヌの言葉に、アネレイトスのすまし顔は、ガラスのマスクのように砕け、本性の毒婦の表情となり、マリスティーヌを睨みつける。
「どうして…そのことを…」
「どうしてって…それは、あなたの代りにその役目を私が引き受けましたからね…きっと、今回の降臨もその役目を引き継ぐために、他の神々もお許しになってくださったのでしょう…」
そう言って、マリスティーヌは天を見上げる。
「では…お古になった私を叩きのめして…その座に居座るつもりなのかしら… この小娘め!」
再びアネレイトスが、無数の神の拳を撃ちだし、マリスティーヌが神の掌で難なく受け止める。
「まさか! 私は地上で神々の戦い――ラグナロクを行うつもりはありませんよ」
「では…どうするおつもりなのかしら…」
アネレイトスは再び神の拳を出現させて、あおりの角度でマリスティーヌを見る。
「それは…」
一拍置いて、マリスティーヌは静かに、しかし力強く告げた。
「説得です! あなたを説得するつもりです!」
「説得? あなたのような小娘が私を説得ですって? 烏滸がましい!!」
アネレイトスは先程と違って、変化球のように神の拳を撃ち出す。しかし、マリスティーヌはアネレイトスを真っ直ぐに見据えながら、神の掌で、弾き逸らせていく。
「えぇ、そうです。相手を叩きのめすのではなく、絆して説得するのが、慈悲の神の役目ですから」
「…あなた…生意気ですね… たかが十数年生きただけの小娘が…地獄の底で気の遠くなるような年月、人類に絶望してきた私を説得できると?」
アネレイトスは地獄の底の蛇のような目つきでマリスティーヌを睨む。
「できる・できないじゃないの話じゃありません、しなければならないんです!人類の為にも…そして、フィリアさん、あなたの為にも!」
小柄な身体で仁王立ちして腕組みするマリスティーヌは、真っ直ぐな瞳でアネレイトスを見る。
「私の為ですって?」
アネレイトスはマリスティーヌの言葉を鼻で笑う。
「はい、そうです! 本当は優しくて、真面目なあなたが地獄の底でずっと苦しみ続けるのは気の毒です! 当時の人々があなたの教えや気持ちを曲解・歪曲・僭称して、人々を苦しめたことに、フィリアさんが人類を見限り、神の座から降りて堕神したことは私も胸が締め付けられる思いです…」
「私を…私を分かったつもりにならいでっ!!!」
マリスティーヌの寄り添った言葉に、アネレイトスは胸の内の誰にも触れられたくないところを抉られたような気がして激昂し、再び神の拳をマシンガンのように撃ち出す。
しかし、マリスティーヌは直立不動で微動だにせず、神の掌で軽々とアネレイトスの神の拳を受け流していく。その姿に流石のアネレイトスにも疑問が生じる。
「…どうして…お前のような小娘が…私の力に対抗出来得るの…」
「それは、あなたのような作り物の身体ではなく、私の身体は自分自身の生前のものですからね、降神の依り代としてこれ以上のものはありません!それに…」
マリスティーヌは周りのアシヤ領民、元コニアの人々、塹壕から顔を出す王国軍・ウリクリ・ダスタール・ベアールの兵たち、儀式で疲れているミリーズ、城の仲間たちに、最後に俺を見る。
「こんな小娘の私でも、信じて…好意を寄せて…祈りを捧げてくれる人々がいるのです!」
「…それは…祈りを捧げる人々が…いなくなった私に対する当てつけなの…」
アネレイトスは震えた声で、マリスティーヌを睨む。
「いや、そんなつもりで言ったのではないですが…逆にお尋ねしますが、祈る人々がいなくなったのに、どうして人類…神に拘る必要があるんですか?」
「なっ!」
マリスティーヌの言葉にアネレイトスは初めて驚いた顔を見せる。そんなアネレイトスにマリスティーヌは笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「そもそもですね…今の私の力は、この身体だけでもなく、ここにいる人々の祈りだけでもなく、天界の神々が力を貸して下さっているお陰なんです」
「…天界の…神々…!?」
「そうです! 神々の皆さんは地獄の底で苦しみ続けるフィリアさんのことをほっておけないんです…助け出してあげたいんです! だから、今、私に力を貸してくれているんですよ!」
マリスティーヌの言葉が辺りだけではなく、アネレイトスの胸にも響いた瞬間であった。




