第1000話 迫る五日の影
鳥族であるセクレタは調べ物をしていたホラリスから離れ、現在はホラリスとカイラウルの国境付近、高度5000メートルを飛行していた。
「あれね…」
冷たく薄い空気を切り裂きながら飛行するセクレタは、眼下に広がるミニチュアのような光景の中から、鉛色の人の群れが行軍する様子を見つける。
「えっと、トレノといったかしら? カローラ城に連絡してもらえる? ホラリス―カイラウル国境付近HKポイントで敵の軍団を確認したと」
セクレタは胸部にたすき掛けに括りつけた小物入れにそう告げる。すると、暫く間をおいて小物入れから返事がくる。
「カローラ城から、敵を見つけた方角―水平角度と俯角、そして、現地点の気圧を教えてくれっていってるわ」
「ちょっと待ちなさい」
セクレタは小物入れからの声に答えると、頭部に被っていたゴーグルを念力魔法で下ろす。すると、ゴーグルのガラス面には、現在の気圧、方位磁石による方位角度、そして、頭の上下でフラフラと動く垂直角度が映し出されていた。
セクレタは眼前に映る小さくフラフラ動く目盛りを意識を集中させて読み取る。
「方位280…俯角5.6…いや5.7 気圧555よ」
「方位280…俯角は5.7 気圧555ね!」
トレノはセクレタの言葉を復唱する。
「そうよ、それで正しいわ、それでこの後、私たちはどうすればいいかも、尋ねてくれるかしら」
「分かったわ!」
気流に乗ったセクレタは翼をはためかせず、大きく空を旋回しはじめた。
………
……
…
その頃、その連絡を受けたカローラ城側では、セクレタとトレノからもたらされた連絡をレビンが受け取り、それを受け取ったディートが計算をしていた。
「えっと、気圧が555なら高度は5000メートル前後…そして、俯角が5.7度なら…凡そ距離は55…プラスマイナス5キロといったところですか…」
メモ用紙の上にカリカリと数式を書いて計算したディートの言葉を聞いて、ブラックホークがテーブルに広げた大陸地図を見る。
「ポイントHK、方位280 距離55となるとこの辺りだな…」
そう言って、ホラリスとカイラウルの国境のホラリス側にピンを指す。ブラックホークの指したピンは今回だけではなく、これまでの日にちごとにピンが指されており、最初に発見された場所から、聖都ホラリスを無視して、カイラウル、そしてここカローラ城を目指しているように見えた。
そして、敵の現在位置の情報が更新された地図を俺たちは覗き込む。
「もう、カイラウルの直前までやってきているのかよ…」
地図を覗き込んだ俺は、カイラウルの直ぐ目前まで近づいている敵の軍隊の位置を見て、そう言葉を漏らす。
俺たちが遺跡攻略を終えたあと、囮をしていたデュドネや、道案内をしてくれていた速水先輩も無事、カローラ城に戻った。そして、借りていたホラリス馬車をホラリスに返すのと引き換えに、セクレタがカローラ城に戻ってきた。ソーマをもう手に入れたので、ホラリスの古い資料を調べる必要が無いからだ。
その手持無沙汰になったセクレタにこうして人類連合軍の進行度合いを調べてもらうことになったのだ。
そして、現在、ブラックホークが人類連合軍を発見してから五日目なのだが、もうカイラウルの国境付近にまで迫っているのだ。
「うーん、このままの流れだと、明日、明後日には、人類連合軍が例の黒歴史の村に到着するだろう… あそこの爺さん婆さんたちを見殺しにもできんが、今から保護しに行くのも無理だ。レビン、セクレタたちに城に帰還するまえに、ここの村に立ち寄って、軍隊が通り過ぎるまで、地下の避難壕に隠れ潜むように言っといてもらえるか? 村人たちは俺の名前を出せば言うことを聞く筈だから」
そう言って、レビンに大陸地図の黒歴史の村の場所を指し示す。
「黒歴史の村? あぁ! イチローエビ村の事ですね! トレノに伝えておきます!」
俺が色々仕出かして黒歴史の村と呼んでいたあの村は、現在、ブラックタイガーの一件からエビの養殖を始めて、今ではイチローエビ村と村の名称まで替えて特産品にしようとしているようだ…どちらにしろ、俺にとってはやっぱり黒歴史なんだよな…
とりあえず、セクレタたちに帰還と黒歴史の村への避難勧告の指示をした後、俺は大陸地図に向き直る。
「やはり、発見してから2日目の移動距離が凄まじいですね…本当に軍隊がこんな移動速度を出すことができるのでしょうか?」
ディートが2日目に刺されたホラリス中央のピンを見てそう漏らす。
「それは、普通に行軍したのではなく、ホラリス湖を船舶などを使って横断する最短ルートを移動したのであろうと思います…しかし、そのことを差し引いても人類にしては行軍速度が速すぎますね…」
同じく地図を覗き込んでいたエイミーがディートに説明して、自身の疑問も述べる。
「俺が確認した様子では、確かに騎兵や兵員輸送馬車の割合が非常に高かった。かと言ってこの行軍速度は異常すぎる… ホラリス馬車とまでは言わないまでも、以前、乗せてもらったイチローの馬車並みの速度はでているな…」
ブラックホークも立てられたピンの間隔を眺めながらそう漏らす。
「なぁ、ミリーズ、前に聖女の力で強行軍をした事があっただろ?もしかして、アネレイトスがそれと同じことをしているのか?」
俺がまだロアンのパーティーにいた頃、急ぎの依頼で、ミリーズの聖女の力を使い、昼夜を問わず、通常よりも速い速度で移動し続けたことがあった。俺はその時のことを思い出していた。
「えぇ…出来ることは出来ると思うけど… パーティーの数人ではなく、数千…下手すれば万を超える軍隊をこんな長期間、維持するのは人間の力では無理よ… それに、イチローも経験したでしょ? あの力の反動を…無理した後は二・三日動けなくなったでしょ? それをこんな長期間行えば…二・三日では済まず、それこそ反動で命を失う危険があるわ!」
ミリーズは眉をひそめてそう述べる。ミリーズの話では魔力が続く限り続けることもできるが、その前に使用後の反動が強すぎるから普通では一日で留める。
…確かにそうだろう、俺も二・三日とは言わないが、筋肉痛のような全身の痛みと、飯を食うことも出来ない程の脱力感が丸一日つづいた。それ以上使っていれば、身体の弱い物は衰弱死するだろう。
だが、逆に言えば、対象者が衰弱死することを厭わねば、魔力の続く限り使用することができるのだ。そして、アネレイトスという奴は、対象者の生き死になど気にする存在ではない。そもそも、最悪の魔王セクードを復活させるつもりで、セクードさえ復活すれば、どうせ人類が滅ぼされる事を知っていて、そのことを分かってやっているのだ。
「奴…アネレイトスは俺たちに勝てれば、その後のことなど構わず、何でもやってくるような存在だ… このままの行軍速度でくると考えた方がいいだろう… その為の準備も急がせている… それよりもだ、今までの行軍速度を考えれば、後四・五日程で、人類連合軍がこのカローラ城に到着する…」
俺は大陸地図の人類連合軍の行軍経路を指でなぞり、そして顔を上げてエイミーを見る。
「エイミー、イアピース本国からの援軍も着ているが、現状の戦力で人類連合軍と対抗できそうなのか? そして、お前の援軍とやらは間に合いそうなのか?」
現在、カローラ城周辺には蟻族だけではなく、領民からの義勇兵も参加している。その上、先日のカミラル王子の一件で王国軍の一部も集結している。
「そうですね…イチロー様の以前の時間軸の話や、偵察を行っているセクレタ様の情報を精査しましたところ、兵力同士の持久戦・防衛戦に持ちこめば、こちらの兵站の短さから優位を維持できるかと思いますが、敵が短期決戦の力押しをして来た時にはどうなるか…アネレイトスという存在のこともありますので、先は読めません」
正直にそう述べる。
前のループに比べたら、かなりの戦力向上である。それでも現在の戦力比は、まだ人類連合軍に劣っているのである。そして、多少の戦力差・戦術差をひっくり返すだけの装備を敵は整えており、その上で、一撃でも食らえば軍の一団を壊滅させるアネレイトスの存在がある。未だ予断を許さない戦力差なのだ。
俺は視線を揺るがすことなく、真っ直ぐな目でエイミーを見る。
「それにキング・イチロー様… 現状では、援軍が間に合うかどうか… 申し訳ございませんが、微妙な所です… だが、持てる戦術を駆使して援軍到着までの時間を稼ぐつもりでございます」
「その戦術…まさか蟻族たちを犠牲にする方法じゃないだろうな?」
俺は目を細める。
「いえ、そのような事は致しません…我が蟻族は、その援軍が到着した時には援軍と連携して敵を打ち破る戦術を考えておりますので、蟻族は決して無駄死には致しません!」
エイミーは自信と決意を秘めた瞳で答える。
「分かった…エイミーお前を信じよう… 時間稼ぎの為に、人手や資材がいるようないくらでも言ってくれ… 何としても敵を打ち破るぞ!」
「はい!キング・イチロー様!!」
エイミーが力強い返事を返したのであった。




