ツヴァイの帰国
読んでくれてありがとうございます。
ガチャ。
鍵を開け、扉から店主が中に入ると、そこは猫屋であった。
いつものスペース横たわるニヒが物音に反応し、顔を上げる。
「遅かったな。差しさわりなく終えたのか?」
珍しく向こうから質問してくる。
「ええ、いつもの発作でした…たった今、匠さんを家まで送ってきたところです。フフッ、聞きたいのは瑞樹君のことですよね。匠さんが阿部さんの無事を伝えると、瑞樹君も笑顔を取り戻していましたよ。ニヒは彼を心配していたのでしょう?それとも、王同士は仲が悪いとされているけれど、モネラの王のことを心配でしたか?」
そう店主が聞くと、
ふんっと顔を背け、伏せて寝始めた。
どちらも心配だったようだ。
「ああそうです。瑞樹君の為にも、ラボと家を毎日行き来できないかと匠さんに相談されたので、例の鍵を貸しました。という訳で、猫屋をしばらく休業します。次の芸能事務所の依頼を遅らせてもらうように先方へ連絡しておかないと。」
店主がそう言うと、
「鍵を寄生虫オタクへ貸したと言うのか!?お前の命を狙ってくる奴と結婚した変人だぞ!?大丈夫なのか?」
と、ニヒが心配そうな声で言った。
「そうなのですが、まあ大丈夫でしょう。それに阿部さんも本気で私の命を狙っていません。毒を含んだ食べ物を渡されますが、遊び程度のもので解毒できるので問題ないです。味は抜群に美味しいですよ。まあ、もし私に何かあったなら、入れ物を安易に直してくれる優しき者がいなくなりますからね。己を消せる者を毛嫌いする気持ちは十分に理解できますが、私がいないと彼女は今のままの生活を保っていけませんから、本気で殺そうとはしませんよ。だって、彼女は瑞樹君を愛していますからね。よって、心配するようなことはないのです。」
翌日の昼下がり、いつものように学校から帰宅後、元気を取り戻した瑞樹が時間を潰しに喫茶店へとやってきていた。
父親の帰りが遅いと言うので、夕飯を食べていくように店主が話しをする。
それならばここでやろうと一度家に戻り、取りに行った宿題のプリントをテーブルの上に広げて、解き始めた。
頭を掻きながら、悩んでいる様子が微笑ましい。
日も傾き、外は薄暗く外灯が付き始めた頃、喫茶店のドアが開いた。
桜の花びらと春の匂いが店内へと駆け巡る。
一気に押し開けられたので、ドアベルが仕事をし過ぎていた。
音が鳴り止む。
入り口に人が立っていた。
大きなサングラスを掛け、派手なシャツにジーンズにサンダルというスタイルの陽気そうな雰囲気で、大きなロゴシールをペタペタと貼った真っ赤なキャリーバックを後ろ手に引いている男であった。
「よお、帰ったぞ!ゼクス。」
その派手な男は飛び切りの白い歯を見せつけて、挨拶した。
***
その日の早朝、某空港にて。
朝一の便で、A国から帰国した者が居た。
アナウンスの鳴り響く到着ロビーにて、大きなサングラスを掛け派手なシャツにジーンズ、サンダルというスタイルの男が、大きなロゴシールをペタペタと貼った真っ赤なキャリーバックを横に置き、携帯と睨めっこをしていた。
「伊集院様でございますか?」
洗礼されたスーツを着たリス似の男に話し掛けられる。
「ああ、そうだが。君は?」
「私は検察庁の者で栗栖と申します。上から託けを承っております。」
低姿勢で小柄な男が、小さな声で答えた。
「それで?」
「これを。」
クリクリっとした目のその男が、スーツの内ポケットから折り紙を取り出し、サングラスの男に渡す。
百合の花の形をしたそれを、大きく開いた左手の掌に受け取った。
「ああ、了解。また移動したのか。わかった、ありがとう。上司によろしく言っといてくれ。」
「はい。では私はこれで。」
折り紙を渡した男が去った後、サングラスの男が折り紙を開き、中身を確認する。
そこには、何も書かれていなかった。
サングラスの男がその紙に、息を強く吹きかける。
すると、東北のある住所とある店名が浮かび上がる。
そう、“喫茶 猫屋”と 。
文字は一瞬浮かぶと直ぐに消えた。
その男は笑みをこぼすとジーンズのポケットに紙を丸めて押し込んだ。
その瞬間、ポケットの中にあるはずの紙は消滅した。
「さぁてぇと。サッサと報告を済ませて、兄弟のもとへと行きますか~。」
そうサングラスの男が言うと、キャリーバックを掴み、そそくさと空港を後にした。
男がタクシーに乗って向かった先は、都内にある閑静な高級住宅街であった。
その中のモダンな造りの豪邸の前で、タクシーは止まり、男は降りる。
呼び鈴を鳴らすと、モニター越しに確認したのだろう。
門が自動的に開錠した。
敷地内へと足を踏み入れる。
玄関までの小奇麗なアプローチを進み、扉の前まで来ると、玄関のドアが開く。
サングラスの男と瓜二つの男が待ち構えていた。
瓜二つの男は無言のまま、家へと戻って行く。
サングラスの男は、その後ろについて中に入った。
長い廊下を抜けると、広いリビングが現れる。
大きなコの字型ソファーセットに大きなテレビ、青々とし整えられた庭が見える開放的な大きな窓。
瓜二つの男がソファーの端に膝を抱えて座る。
テレビから一番近いその位置が、彼の定位置なのだろう。
座った瞬間からテレビへと視線を移している。
奥の扉から、その男の父親らしき中年の男が部屋に入ってくる。
瓜二つの男とは逆の位置にある一人掛けソファーへと腰かけた。
「どうぞ座ってください。」
中年の男に言われ、サングラスの男は、丁度三人を結ぶと三角形となるなと思いながら、2人の間へ腰かける。
「任務完了の挨拶にやってまいりました。」
サングラスの男が話し出す。
どうやら、サングラスの男は、そこにいる瓜二つの男に成りすまして、五年ほどA国の有名大学、さらにはその大学院へと通っていた様だ。
特段に目立つことはしていないがそこそこ業績を残し、帰国したと報告していた。
「友人、対人関係のエピソードなどは、毎日のレポートを勉さんは読んでいただけているので、お分かりになっているかと思われますが、ご要望通りの人格で周囲に溶け込み、実績は悪目立ちもしないよう維持し、事件を起こすことなく無事に過ごしてまいりました。満足いただける結果を得られていると思われますが、いかがでしょうか?伊集院様。」
サングラスの男が自身満々に父親へと尋ねる。
「うむ、私はとても満足している。勉、お前はどうだ?」
中年の男がタブレット内の資料を見ながらそう言う。
すると、瓜二つの男が
「僕は、何でもいい。」
と、無気力な声でテレビを見たまま言うのであった。
「では、お二人とも満足いただけたということで、これにてご依頼完了といたします。では、さっそく、振り込みをお願いします。」
サングラスの男が言う。
すぐに携帯で中年の男が電話を掛けた。
「私だ。今すぐに振り込んでくれ。ああ、それでいい。」
短く会話をした後で、サングラスの男のスマホの音が鳴る。
ピロリン♪
サングラスの男が画面を確認し、にたりと笑った。
「はい、入金の確認が出来ました。毎度あり。」
すぐに席を立つ。
「では、私はこれで。」
と、立ち去ろうとしたが、最後の仕事をしていないことを思い出す。
「ああ、そうでした。最後の仕上げが残っていました。お二人さん、こちらを見てくれますか?」
そう言われ、瓜二つの男と中年の男が、サングラスの男の方を見る。
次の瞬間、サングラスの男がサングラスを外す。
眩しい光りが目から放たれる。
一瞬にして、彼らの記憶は書き換えられた。
そこに、ノック音がして、お手伝いさんが入室し、お茶を運んでくる。
部屋の匂いが気になるのか、鼻をクンクンさせている。
“花の匂い?”
そんな様子を気にせずに、お手伝いさんの横を通り過ぎようとしたサングラスの男に、お手伝いさんは慌てて声を掛けた。
「あの、御茶をお持ちしたのですが。すぐにお帰りですか?」
サングラスの男が振り向き、
「ええ、私はもう帰ります。お手を煩わせてしまいましたね、すみません。伊集院さんによろしくお伝えください。それでは。」
颯爽と、部屋を後にした。
お手伝いさんは放心状態の主人に声を掛ける。
「旦那様、旦那様。どうかなさいましたか?」
「ああ、なんだろう。何だか、とてもいい気分なんだ。何かあったのか?」
中年の男がそう答える。
「あの、先程まで居らしていたお客様がたった今、お帰りになりました。旦那様によろしくと伝えてくれと、そうおっしゃっていました。」
何が起こっているのかと、お手伝いさんは不審に思いつつ、男の言葉を伝える。
「ああ、そうか。うん、なんでもないから。」
そう中年の男は答え、次に目の前に居る息子へと声を掛ける。
息子は、声を掛けられて意識がハッキリすると、陽気な雰囲気へと変貌していた。
ソファーから立ち上がり、服と髪がダサいから変えなければとガラスに映る自分を見て言うと、すぐに街へ行くと言い出している。
引きこもりで暗い普段と違い過ぎる彼の姿に、お手伝いさんはただただ驚くばかりであった。
***
伊集院邸を後にしたサングラスの男は、近くで待たせていたタクシーに再び乗り、駅へと向かっていた。
東北まで新幹線に乗るためだ。
彼は、駅に着くと、駅弁、スナック、ドリンクと大量に購入し、お土産も物色した。
時間になりホームに並び、新幹線が来るのを待つ。
ホームへと入ってくる新幹線にワクワクし、停車した新幹線へ悠々と乗り込んだ。
彼は座席に座ると弁当を袋から取り出す。
早速、旅を満喫するようだ。
***
「よお、帰ったぞ!ゼクス。」
そう言って猫屋の店の奥へズケズケと進み入って来たのは、あのサングラスの男だ。
男は店内を見回すと、客が居たことに驚いている。
「テンチョー、あの人はお客さん?」
心配になり、瑞樹が店主へ体を寄せて、小声で質問した。
「いいえ、あの人は、私の古くからの知り合いなのですよ。心配はいりませんよ。」
「そう?じゃあ俺、夕飯も食べ終わったし、父ちゃんも帰ってくるだろうから、そろそろ帰るね。ご馳走さま。」
「ちょっと待って瑞樹君。家まで送るから。」
そう言うと、店主はサングラスの男に近づき、コソコソと会話した。
店主が話を終えると、瑞樹と店主は店を出て行った。
猫屋と名乗っているのに、猫は一匹、奥のスペースに横たわっているだけ。
猫は寝転んだまま、顔を上げようとしない。
客がいると言うのに警戒心も無ければ不愛想で、猫はいつも通りである。
「チッ、相変わらずふてぶてしい猫だな。」
男は猫を見てそう呟くと、猫の側へキャリーバックを引きずりながらやって来た。
「俺とは話したくないってか??まあいいや。俺はヌルに会いに行ってくる。」
そう言うとサングラスの男は二階に向かった。
階段を上ると、突き当たる廊下の両脇に扉が二つある。
どちらの扉ではなく、目の前の壁に手を伸ばす。
すると、空間が光を放ち、歪む。
手が壁の奥へスルスルと入っていく。
そのまま一歩、また一歩と歩みを進めると、体が壁の向こう側へとすり抜けていた。
どこかの古びた実験室のような暗く人気の全くない空間の中央に、ロッカーくらいの大きな長方形の透明な箱が無造作に置かれている。
その箱の上に手をかざした後、サングラスの男は小さく呟いた。
「ヌル、ただいま。」
その瞬間、男は形を変えた。
先程の店主よりも一回り小さい、店主によく似た少年となっていた。
***
二階から一階へ降りると、すでに店主は帰宅していた。
「ああ、ツヴァイ、その恰好は久しぶりだね。お帰り。」
そう言って店主が軽い口調で話し掛ける。
「ただいまゼクス。ハハッ、その名前で呼ばれるのも久しぶりだ。」
元サングラスの男は、名前を呼ばれたことが可笑しかったようで、ケラケラ笑う。
「あ~、確か、伊集院勉だったか?」
店主が思い出して聞くと、
「ああ、さっきまではね。でも、もう終わった。この通り、今はツヴァイさ。」
サングラスの男は店主によく似た少年となり、何とも言えない困った表情で返事をした。
ツヴァイに戻った…そうでない誰かでも…すべてが私。
店主から彼の名前と設定を言い渡される。
名は、猫田 蓮。
猫屋の店主、猫田 剣の弟。
親が海外勤務となり、国内に残るために兄の元へとやっていた。
「チッ、俺が弟かよ。」
ツヴァイが不貞腐れていると。
「仕方ないだろう。今回は俺よりも小さいサイズなのだから。」
と、店主が無表情で答える。
店主に全く表情がない…能面の様だ。
いつもどんな時でもニコニコと薄気味の悪い笑顔を浮かべているのに、彼の前では素を隠さない。
「ふん、仕方がないな。」
そう現状を嫌々受け入れて、猫田蓮は店内にいる猫のもとへと向かった。
「よっ、猫王。今度は無視するなよ。元気だったか?」
蓮が話し掛けると、猫は顔を上げた。
「ケーニヒだ。」
それだけ答える。
「はいはい、ニヒ殿。」
ニヤニヤと蓮は笑う。
「お前って奴は…剣は感情を学んでいるから、気遣いが上手いと言うのに。これではどっちがそうなのか分からないじゃないか。」
そうニヒが言うと、
「あいつは努力家だからな、本物より本物を分かっている。」
蓮が自分のように得意げに語る。
「蓮、夕飯食べますか?」
店の厨房から店主がご飯を運んでくる。
彼らの居る場所から一番近いテーブルの一面へ夕飯が並べられていった。
「俺達は、別に食べなくても生きていけるだろう?こんなに用意してどうするんだ?」
そう、蓮が言う。
「ええ、そうですが、料理はとても楽しいのですよ。ついね。」
店主がニコニコしながら、話す。
「いいよ。食べるよ。お前が満足するなら。」
蓮が席に着き、食べ始める。
「ありがとう。」
店主も席に着き、食べ始めた。
懐かしい話題を離しながら穏やかな時間を過ごしている。
この状況がいつまでも続くことはなく、明日にでも不穏な話が舞い込んで来るとは誰も予想していなかったはずだ。
今は、まだ楽しい時間を。
ゆっくりですが、投稿していきますのでお付き合いいただけたら幸いです。