犬の王【後半】
前半の続きです。
後半も、よろしくお願いします。
良喜が姿を消した翌々日。
今いる場所は、関東圏の高級別荘地だ。
あの喫茶店から店主の謎のドアを使って、モダンで雰囲気のある別荘へと移動してきていた。
日も真上に位置する頃、朝方に雪かきを施した別荘の敷地内へと一台の高級車が入ってくる。
玄関前に停止すると、運転席から人が降り後部座席の扉を開ける。
そして、優一郎が雪の上へと降り立った。
運転手は時間を潰すように言われ、その場から去っていく。
優一郎は雪かきの終えてある地面を歩き、玄関へ向かった。
呼び鈴を鳴らす。
ドアが開き、喫茶店の店主と弟が顔を出した。
「お兄ちゃん!」
嬉しそうに飛びついてくる弟を見て、胸に込み上げる。
離れて二晩しか経っていないのに、もう何年もの歳月が流れたかのような気持ちになっていたからだ。
思わず、強く弟を抱きしめる。
「お兄ちゃん、どうしたの!?」
弟が不思議そうに顔を伺ってくる。
弟を離すと、弟が兄の手を引き、奥へと連れて行く。
暖炉を囲むように椅子が置かれ、そのうちの大きめの椅子へ腰かける様に弟に案内される。
優一郎は大人しく座ることにした。
そこに弟が蓋つき鍋を持ってやって来る。
暖炉へセットすると、弟は兄の隣へと座った。
しばらくすると、暖炉の方から破裂音が鳴り出した。
ビクッと体を動かした優一郎の横で、良喜がクスクスと笑う。
「お兄ちゃん、ポップコーンだよ。楽しい音だよね。ポンッ、ポ、ポーンだって。フフフ。」
良喜がニコニコ語り掛けてくる。
「ああ、楽しい音だな!それに、美味そうな匂いだ。」
兄が弟の頭を撫でて返答する。
一人用の大きめのソファに子供2人で座ると肩がくっつく。
その椅子に2人で座り、大いに笑い合う。
破裂音がなくなると出来上がりだと、鍋を移動して、蓋を開ける。
塩を振るって味見を一口。
目を合わせた後、無言で食べ進めた。
あっという間に底へと到達した。
食べ終えた頃に、店長さんがおしぼりと温かいミルクティーを運んできてくれた。
2人がフーフーと口を尖らし冷ましてから、チビチビと飲む。
そこに、パピヨンを抱いた犬飼さんもやって来る。
「さて、これからの話をしようか。」
席に着き、膝に犬を膝に横たわらせた犬飼さんが切り出した。
「その事なのですが…ねえ、よっくん。犬になるのは、辞めにしない?僕、よっくんと離れてみて分かったんだ。僕は、よっくんと遊べなくなるのも、話せなくなるのも、寂しくてとても嫌だった。このままの姿でいられるように、他の方法を考えようよ。僕、頑張るから。」
優一郎が熱の入った口調で訴える。
皆の視線が良喜に集中する。
「お兄ちゃんごめんね。僕はもう、犬になるって決めたから、犬になる。」
良喜は意見を替えなかった。
あの後も、家族の行動は監視していた。
良喜が居なくなってから、両親は警察へ捜査をお願いし、翌日から父は普段通りに仕事へ向かい、母は稽古事へと忙しそうに動き回っていた。
親族にはまだ話していないようで、何事も無かったかのように、この二日間を過ごしていた。
兄だけが、猫屋から連絡がないかと、携帯を握り絞め、自室にこもって縮こまって過ごしていたのを良喜は知っている。
「僕も、お兄ちゃんと話せなくなることは寂しい。だけれども、犬としてなら一緒にずっと笑顔で暮らせるもん。僕は人間の輪の中は嫌い。だから、犬になりたい。犬になる。」
兄の顔を真っすぐに見て答える。
「…分かった。」
兄は絞り出すように返事をした。
それからしばらく最後の会話を楽しみ、お別れの時となる。
玄関ホールで最後の抱擁をし、またなと言って、兄は車の待つ庭先へと向かって行った。
「さよなら。」
彼が去った後に、良喜が小さく声に出す。
ぷっくりと可愛らしい頬に、一粒のしずくが流れ落ちる。
鼻を啜り、また静かに涙を流すのであった。
暖炉の部屋でくつろぎ、良喜の心が落ち着くのを待つ。
長く感じる時間であった。
良喜が箱ティッシュを使い終わり、暖かい紅茶を飲みほしたのを見て、犬飼が切り出す。
「さて、これからが本題だよ。今夜は新月。決行日だ。長谷川良喜さん、犬になる覚悟は如何程ですか?」
吸い寄せられそうなほど綺麗な青い瞳が良喜を凝視している。
良喜は思わず唾を飲み込む。
「覚悟は出来ています。よろしくお願いします。」
良喜は強い口調で言い放った。
椅子から腰を上げて、部屋の扉へと歩いて行き、ドアノブに手を当てながら、犬飼が言う。
「分かりました。では、女王の間へと案内いたしましょう。」
良喜も椅子から立ち上がり、彼の後を追う。
その後ろを、店主もついて行く。
犬飼が奥にある部屋のドアの前で立ち止まっている。
良喜も追いつき、犬飼がドアノブに手を当てた瞬間、良喜が口を開いた。
「一つ、お願いがあります。」
・
・
・
「分かりました。その願いは私が叶えましょう。」
後ろで2人の会話を聞いていた店主が口を出し、良喜にそう約束した。
犬飼がもういいかな?と言った表情を店主に向けると、店主は頷き、良喜の方にも確認のため視線を向けると良喜も頷いた。
手を掛けていたドアノブをゆっくり下ろし、扉は開いた。
そこには、広大なバラ園が広がっていた。
上を見上げると…天井はどこへいったのか?
空が青く澄み渡り、高い位置まで広がっている。
そう見えている。
どう考えても、この屋敷内ではない。
だってこの広さは納まらない。
白い薔薇からピンクの薔薇、その他にも黒に黄色と色とりどりの薔薇の垣根や花壇があり、その横を通り抜けていく。
すると、赤い薔薇の垣根に囲まれた広々とした場所に出た。
その中央には、鳥かごのようなガゼポが置かれている。
ガゼポ内にはテーブルとベンチが設置されていた。
「さあ、あちらに。」
犬飼がガゼポの方へ手を差し出し、良喜をそこへと誘導する。
ガゼポの中に入る良喜。
そこには、犬飼がいつも膝にのせているパピヨンがいた。
頭に王冠を乗せ、ファーの着いた赤いマントを着けている。
その格好のまま、気持ち良さそうにベンチに寝そべって眠っていた。
「ワンちゃん?」
良喜が声を出す。
すると、パピヨンが目を覚まし、首を上げた。
良喜の顔を確認すると、犬が声を出した。
ワンやキャンではない。
「ようやく来たようだね。おチビちゃん。」
犬なのに、人語を話している。
良喜は驚きのあまり、たじろいだ。
「おお、そう怖がることではない。お前は今から犬になるのだろう。犬にすることが出来るのだから、犬が人語を話すことくらい大したことなかろう。」
パピヨンが体を起こし、テーブルの上へと華麗に飛び乗り、良喜へと距離を縮める。
確かにそうだと納得させられ、良喜は後ずさりを辞めて、パピヨンへと近づいた。
「あなたは普通の犬とは違うの?…ですか?」
恐怖よりも興味の方が上回ったようだ。
ただ、怖いのと緊張からか、敬語でパピヨンに質問する。
「今は、それを答えられぬ。知りたいのならば、犬におなり。さあ、おチビちゃんはどんな犬になりたいんだい?」
優しいのにどこか迫力のある声色で、パピヨンが質問を返してくる。
「あ、えっと、僕は、誰からも愛される。抱っこして貰える犬になりたいです。」
「うむ、考慮しよう。では、そこにお座り。」
良喜は言われて通りに、ガゼポ内のベンチへと座った。
膝をくっつけ、その上に両手を置く。
「緊張するでない。緊張しないという方が難しいか。では、さっそく始めるぞ。」
そうパピヨンが言った後、パピヨンが大きくひと吠えした。
キャン!!
すると、一瞬のうちにガゼポが遊園地にある乗り物のようなコーヒーカップへ変わった。
「え?はっ、ええ?」
クルクルと変化する景色を目で追いながら、良喜が大混乱に陥っている。
そうこうしているうちに、空が近づいてくる。
今、ガゼポの外に居た犬飼と店主から見えている光景は、こうであろう。
ガゼポがあった場所に遊園地のコーヒーカップの乗り物が一台、犬の鳴き声と共にいきなり現れたかと思うと、パピヨンをカップの中央に乗せたまま回転し始め、少しずつ上昇していった。
そして、頭上高くまで上がると回転が止まった。
カップの中の様子は彼らの居る場所からは見えない。
皿の底だけを眺めている状態だ。
カップ内では、回転でヘロヘロになった良喜に、パピヨンが話し掛けていた。
「あらら、ねえ、大丈夫?少し回し過ぎたかしら?」
心配そうに良喜の様子をパピヨンが伺う。
「だ、大丈夫。ちょっとまだクルクルしているけれど、すぐに治まります。ああはい、ほらもう大丈夫ですよ。」
良喜が空元気で明るく答える。
「そう、では始めるから、ここに手を置いてちょうだい。」
パピヨンが自分の足元をトントンと足で鳴らして、手を置くように指示を出す。
「あ、はいです。あ、あのですね、ひとつ質問なのですが、何故に空中でなのですか?」
手を置きながら良喜が質問する。
「この光景を、下の奴らに見せたくないからよ。だって私、とびきりの高貴なレディですもの。この姿はいけ好かないの。」
そう言い終えると同時に、良喜の手の上に、パピヨンが前足を置き、口を大きく開いた。
口から光が溢れ出てくる。
もの凄い量でいっきに良喜の身体を覆い尽くし、いつの間にか、良喜とパピヨンは光の繭に覆われた。
下からはカップの上の方が輝き、光を放っているのが確認できる。
「始まったな。」
犬飼が呟く。
しばらくすると、カップがゆっくりと降下してきた。
地面に着いて間もなく、カップ内にある繭からパピヨンが飛び出してくる。
犬飼が慣れた様子でそれをキャッチした。
その後、カップ内の光が小さくなり始め、良喜が居た辺りまで後退したのだが姿がない。
光はどんどんと小さくなり続けていく。
そして、光が消えると、先程までパピヨンがいた中央の位置に、子犬が一匹、ちょこんと現れた。
ヨークシャーテリアであった。
「わお、ヨークシャーテリア、ヨーキーだ。」
犬飼が目をキラキラさせて見つめている。
ヨークシャーテリアが震えながら、周りを囲む者達を見つめている。
「僕、どうなりましたか?」
キャンっと可愛い一声が聞こえる。
「ヨークシャーテリアになっています。とても可愛らしいですよ。」
ニヤニヤした顔で、店長が答える。
「うむ、いい出来じゃ。」
得意げに言い切るパピヨン。
「では、私はこの良喜君の洋服をお預かりします。良喜君、これであなたの死因を細工し、死亡したと世間に思い込ませなければいけません…ですが、死んだと言うより、行方不明と言った形にしておくことも出来ますが、いかがなさいますか?…頼めばヒトにだって戻ることも出来ますので。死体の偽装をしてしまうと、現代に戻ることは不可能となります。それでもよろしいですか?」
店主が、顔はともかく、真剣な声色で選択を迫る。
「いいよ、僕は生まれ変わった。この姿で幸せになりたい。だから、さっきの約束を守ってね。」
先程までのあどけない少年の姿が思い浮かぶ。
「ええ、守りますとも。」
店主が真顔で答えた。
「それでは、私はこれを持って行ってきます。またあとで約束を守りに来ますので。待っていてくださいね。では、ベス、後を頼みます。」
そう、店主が犬飼に言い残し、別荘から消えて行った。
***
数日後、長谷川良喜の遺体が見つかる。
遺体と対面し、両親が彼であると認めた。
ハンカチで目元を覆い、人目のある中で声を出して泣く母親と、それを抱えて寄り添い、目に涙を溜めて悲しむ父親があった。
その2人様子を優一郎は冷ややかに見ていた。
何とも言えない嫌な感情が湧く。
そこに、一匹の犬を連れた若い男刑事とスーツの似合う色気のある女刑事さんがやって来た。
男の手から、犬がするりと逃げ出し、優一郎のもとへと元気に駆け寄ってきた。
優一郎の足が勝手に前へと動き、犬を迎えに行っていた。
優一郎はヨークシャーテリアを抱きかけると、大事そうに抱きしめ、頭と体を撫で始める。
刑事が寄ってきて、優一郎に声を掛けた。
「長谷川優一郎さんへの伝言をいくつか預かっています。こちらのヨーキーですが、詳しくはこちらをお尋ねください。それと、人間時代の記憶を消してほしいとの本人たってのお願いがありまして、人間であった頃の記憶を消去しております。どうか、彼の第二の人生の選択を受け入れてあげてください。それから、オスのヨーキーは大層甘えん坊なのだとか、優一郎さん、存分に可愛がってあげてください。最後に、これは必ず伝えて欲しいと良喜さんさんから、『お兄ちゃん、ずっと一緒に居てくれてありがとう。ひとりで逃げてしまってごめんね。僕はお兄ちゃんも逃げていいと思う。幸せになってね。』とのことです。」
犬を抱えたまま、弟は想像よりも遥かに優れていたのだと驚き、固まっていた。
優一郎の手元に動物病院のチラシを握らせ、分からないことや何かあればこちらに連れて行くようにと言い残し、刑事たちは去って行った。
弟が身をもって示した道、逃げ道もあることを、知らせてくれた。
兄の優一郎も家族の愛情の薄さと、長男という重圧に悩み、心に多くのモノを抱えている。
そんな彼の気持ちに気が付いていた弟は、選択肢を増やしてくれたようだ。
逃げてもいいと、背中を押してくれている。
優一郎はヨークシャーテリアの腹に顔を埋め、涙を流した。
「父さん、母さん、このヨーキーを家で飼いたいんだ。名前は、よっくん。」
これまで両親に強い要望を出したことのない優秀な長男が、犬を父の目の前に掲げ、強い意志で発言した。
「このような時に不謹慎かもしれないけれど、初めて何かを父さんに求めてくれたね。優一郎が自分の心をぶつけてきてくれて、父さんはとても嬉しいよ。」
と、父が言う。
父は、自分は両親が忙しい家庭で育ち、家庭の温かさを知らないことや、子供への接し方も分からなくて、ずっと踏み込めなかったことを申し訳なさそうに語った。
良喜が居なくなって自身を顧みたそうだ。
今更ながら、家族と距離を置き過ぎていたことに気が付き、後悔したのだとか。
後悔しても良喜は帰ってこない…ここ数日は仕事をしてやり場のない気持ちを紛らわしていたのだった。
だから、優一郎から近づいて来てくれたことが本当に嬉しいのだと言っていた。
母は遺体の置いてある部屋のドアを眺めたまま、放心状態で突っ立ったままだ。
元に戻るのには、時間が必要だろう。
これから、この家族はどうなるのかは分からない。
良い方向へ展開するかもしれないし、もしかしたら、悪い方向に転がるかもしれない。
しかし、新しい風がこの家族の間に流れ込んだのは確かである。
良い結末に辿り着くことを願おう。
***
「天草さん、お疲れ様~、上手くいったようだね。」
先程、犬の受け渡しにいた女刑事の前に、猫屋の店主が手のひらをヒラヒラ動かしながら現れた。
「あら、なぜあなた様がこんな所に?何が御用ですか?」
「ちょっとね、さっきの親子が気になったから。それで、どうだった?」
「あなた様がおっしゃった通り、全てうまくやりましたよ。ただ、あの子供のこれからが少し心配ですね。」
「ああ、あの子は大丈夫だよ。古狸のお気に入りだからね。」
「古狸?」
「あの子の曽祖父のことさ。昔の顔見知りでね。あの狸、ワザとこっちに話を回したのさ。こんな案件、あのジジイなら電話一本で全てを解決することが出来る。だが、それをしていない。わざわざこっちに回して話を複雑にしている。何かを試して観察していた様だし、死んだことも世間に公表する気ないみたいだ。そのうち全てをもとに戻すんじゃないかな?あの狸なら、死人を復活させることなど、朝飯前なのさ。まっ、これから忙しいだろうから、後処理班も頑張ってね。」
店主が言いたいことを言い終えると、サッサと廊下奥へと消えて行った。
別方向からコーヒー2つを手に持った若い刑事が、遠くから早歩きしてくるのが見える。
女刑事の前でピタリと止まると眉間に皺を寄せ変な顔をする。
「くっさ〜。ここ、一段と匂いますね。強烈だ。何か居たんですか?王シリーズ?」
若い刑事が女刑事にコーヒーを渡しながら、片腕で鼻を腕で覆い、上司に問いかける。
「あら、私はこの匂い結構好きよ。あっ、そうか。あなたは飛び切り鼻が利くのだったわね。それだと彼の匂いはかなりキツイかもしれないわ。だって彼は…あ、いや…この話はなし。」
今までここに居た店主を思い浮かべ、男刑事へと返事をするが思い立って口を閉ざす。
「天草さん、何ですか?続きが気になります。」
「益田君、世の中、知らされない立場と知らされる立場があるの。もっとあなたも頑張りなさいってことよ。」
「あっ、はい。」
「…コーヒー、ごちそうさま。ありがとう。」
気を悪くさせてしまったなと反省しつつ、手に持ったカップを少し持ち上げ、お礼を言う。
2人は次の事件へと取り掛かる為、デスクの置かれている警視庁へと戻って行くのてあった。
良喜は犬になって少しだけ別荘内で過ごしていまいした。
その際に色々エリザベス様に質問をしています。
例えば、
良喜「人を犬に出来ちゃうあなたは何者なの?」
エリザベス「犬の女王様とは私の事よ。敬いなさい!」
と、言った感じの会話を沢山しているはず。
投稿不定期ですが、頑張って続きを書いていきます。
盆栽を愛でるように、気長にお待ちいただけると有難いです。